魔女と魔獣の料理教室

 二頭分の蒼シカ、その解体が完了した。

 一仕事を終わらせた俺は、モツの洗浄と毛皮のなめし作業を仮面ゴーレムたちに押し付ける。


 初めからこいつらにやらせればよかったのでは……と思ったが、あくまで単純作業だから任せられるのであって、解体のような繊細さを求められる作業には向いていないらしい。

 要するに不器用なのか。じゃあ、仕方ないな。

 心なしか、ゴーレムたちが申し訳なさそうにしているよう見えた。


 ゴーレムたちが無言で働いている間、俺は魔術を習得するための特訓を受けていた。

 初めに自然魔術を使うためのチャネルを開くわけだが、要はもともと知覚できているはずの魔力を認識するための訓練だ。

 その第一段階として、俺は輝きとして視認できるほど濃い魔力のかたまりを相手にたわむれていた。


 魔力が宿っているのは大きな宝石。それは樫の杖の先端に取り付けられている。持ち主はもちろん魔女だ。

 思い出すのは初めてソフィアに会った時、彼女の額の宝石から感じた強い気配。この宝石には、それ以上のエネルギーが感じられる。

「どうじゃ、魔力のイメージはつかめたか?」

 魔女がたずねてきた。

 俺は率直な感想を伝える。

「不思議な感覚だ。光っているように見えるが、眩しくない。動いていないのに、触れるとピリピリ振動しているように感じる……」

「見た目や手触りだけでなく、聴覚や嗅覚、味覚もしっかり確かめておくように」

 俺は魔女に言われたとおり、魔力の音や臭いを確かめてみた。


 音は……何も聞こえないのに、低い耳鳴りがするような気がする。

 嗅覚は……無臭? だが嗅いでいると鼻の奥が温かくなるような不思議な感覚だ。

 そして、お味は――。


「……う、美味い!」

 テーレッテレー。


 ……さて、変な効果音の幻聴は放っておいて。

 なんだろう? 具体的な味があるわけではないが、とにかく美味い。体が魔力を欲しているのが分かる。

 体が、求める……魔力という快楽を。

「それが、魔獣やドラゴンの肉が美味いとされる理由じゃ。中毒性があるから、気を付けるんじゃぞ」

 俺は急いで吐き出した。


 怖っ!? 魔力中毒って、なにそれ怖い!!

「ペッ、ペッ!!」

 必死で何かを吐き出すも、実際に何かを食べていたわけではないので、口の中は比較的乾いている。

 吐き出すために唾液を湧かせているような状態だ。


 だいたい、魔力中毒って具体的にどうなるんだ? 根拠のない全能感や幸福感を感じたり、幻覚でも見えるようになるのか?

「ペッ、ペッ……いきなり怖いことを言うのは止めてくれ」

 必死でつばを吐きだす俺を見て、魔女はいたずらが成功した子供のようにケラケラと笑った。

「じゃが、事実じゃしのう。まあ、よほどどっぷり浸からんと、まず中毒にはならんから安心せい。そもそもお主には効かないじゃろ、多分」

「ちょくちょく不安になることを言ってくれるなあ……」

 万が一にもその影響で、自分が一流の戦士ソルジャーだと思い込むような展開は勘弁してほしい。


 厳密に言うと、あっちは魔力じゃなくて魔光中毒だけどな。

 あの物語は主人公がイケメンだからこそ成立する話であって、俺がそうなったら痛々しいってレベルじゃねえぞ。


 だが、おかげで俺は具体的な魔力の感覚を掴めたはずだ。

 後はこれを自然に近い状態で把握できれば、魔力感知は完璧である。

「うむ、良い調子じゃ。そろそろ密度を下げていくかの……」

 魔女が言うや否や、杖の先の魔力が霧散していく。

 その際、少しずつ消えていく魔力が湯気というか波というか……とにかく、歪んで見えた。

「お主はすでに魔力の感覚を知っておる。無いと決めつけず、感覚を凝らせば知覚できるはずじゃ……」

「……ああ。なんとなく、分かってきた」

 例えるなら、色のないサーモグラフィか、あるいは磁場の計測とか、そんなイメージだ。意外と簡単だな。

「って、早いのう。本当か?」

「多分な」

「……じゃあ、試してやろう」

 魔女は杖を作業台に立て掛けると、両手に魔力を集めた。


 魔女の手に集った魔力は、さっきと比べてかなり薄い。辛うじて手の上に何かが在る……そんな違和感を覚える程度の魔力だ。

「さて、丸いのはどっちじゃ? お主にわかるかのう?」

 これは右手か左手か答えろということだろうか。

 俺は感覚を研ぎ澄ます。


 右手は……なんとなく四角い。これは立方体だな。

 左手は……球だ。つまりこっちが正解であるはず。


「左手だ」

「ほう……では、右手の形は?」

「立方体かな」

 俺が答えると、魔女の手の中で立方体が尖る。

「形が変わった。四角錐しかくすい

 答えた瞬間、今度は霧散した。

「消えた」

「……どうやら完全に見えておるようじゃの。魔力感知については合格じゃ」

 よっしゃ。来ました、合格です。

 本当にあっさりと魔力感知できるようになったな。

 だが魔女が言うには、たった数時間練習しただけで魔力が見えるようになるのは驚異的らしい。

 まだ頭が凝り固まっていない幼子ならいざ知らず、普通なら年単位で瞑想などの修業を積むものだそうだ。


「マジか。もしかして……俺って、天才だったりするのかな?」

 元の世界では活かされなかった隠れた才能。

 それが異世界に来て、開花しちゃうのか……!?

「……残念じゃが、おそらく魔獣になった影響じゃよ。獣の本能が成せるわざじゃな」

「あ、そうなの……」

 でもそう言われてみれば、オオカミや蒼シカも魔術らしき力を使っていた。

 人間にとっては特殊技能であっても、魔力の多い環境に適応した魔獣にとっては標準的な能力なのかもしれない。

 人間に戻っても、こっちの世界なら異世界チート大魔術師……的な展開を期待したが、現実なんてこんなもんだよな。

 魔獣化万歳。ますます人間に戻りたくなくなった。


「まあ、使えることには変わりないからいいか。で、次はどうすればいい?」

「最初は慣れるまで、色々と『見て』みることじゃな。どんなものに魔力が宿っているのか、どうすれば魔力を動かせるのか、属性別に魔力の性質の違いを比べてみるのもいいのう」

「なるほど……」

 つまり実践あるのみってことね。そういうのは嫌いじゃない。

「ちょうど良い教材もあるし、あれらを使うか」

 魔女が示したほうを見ると、そこには蒼シカの素材が並べられていた。


 * * *


 ♪~魔獣クッキングのお時間です。

 さて本日の料理は血の腸詰め、ブラッドソーセージに挑戦してみましょう。


 血入りのソーセージと聞くと、なんか生臭そうなイメージがありますよね?

 俺もシンプルな普通のソーセージがよかったのですが、以前に魔女と約束してしまったのでメニューの変更はありません。

「なあ、約束は蒼シカを獲ってくるところまでじゃなかったか……?」

「これ! 口ではなく手を動かすのじゃ!」

 ……このくらい、別にいいけどさ。

 なんか都合良く使われているような、騙されているような、そんな気分だった。


 気を取り直して……。

 まず最初に、蒼シカのひき肉を用意します。赤身と脂身の配合は(魔女の)お好みでどうぞ。

 シカの肉は脂が少なく結着しにくいので、気持ち脂身を多くするのがポイントだそうです。


 次は、ひき肉に味付けをしましょう。

 お塩に、粗挽きした黒コショウ。魔女がどこからともなく取り出した謎のハーブ。怪しいキノコの粉末。

 先ほど俺が採取したフランドロープの雌しべなんかもオススメらしいです。


 そして今回は、ここで新鮮な蒼シカの血を混ぜましょう。

 シカの生血には美容・健康・若返りの効果があり(俺は初耳である)、さらに魔獣である蒼シカの血には魔力も豊富に含まれています。

 さっき俺が舐めてみた時、あまりの美味さに驚いたのですが、それも血に含まれる魔力が豊富だったためなんですねぇ。


 ここでワンポイント・アドバイス。

 手作りソーセージを美味しく作る秘訣は温度管理!

 混ぜる際にお肉が温まってしまうと、生地が上手に混ざり合わず、出来上がったソーセージはボソボソとした食感になってしまいます。


 しかし、凍属性の魔獣である蒼シカのソーセージならその心配は要りません。

 新鮮な蒼シカの血肉に含まれる魔力は、自然と生地の温度を下げてくれます。

 むしろ放っておくとシャーベット状に凍り付いてしまうので、通常とは逆に少し温めながら作るくらいでちょうど良いのかもしれません。


 その効果は俺が保証します。

 さっきから手が凍りそうに冷たいです。

 助けて。


「……こうして見ると、魔獣の肉ってかなり高密度な魔力の塊なんだな」

 俺は手をり合わせ、温めながら言った。

 情けない? 知るか! 何度でも言うが、死ななくても冷たいものは冷たいのだ!

「そうじゃの。あのシカはあれでなかなか高位の魔獣じゃからな、魔力の保有量も格段に多いはずじゃ」

「やっぱり強めな魔獣なのか……道理で多才だと思った」

 ゲームだと雪や氷のステージは終盤に近いイメージがあるが、その法則はこの世界でも適用されるらしい。

「ここまで純粋な凍属性の魔力は滅多にない。学ぶには理想的なお手本じゃから、しっかり観察するのじゃぞ」

 それより先生、さきに冷えた指先を温めるための火属性魔法を教えてください。


 ――さて、充分に混ざり合ったらソーセージの生地が完成です。

 この生地を腸に詰めていきましょう。

 今回用意したのは蒼シカの腸。普通なら丈夫なヒツジかブタの腸を使うのですが、魔獣である蒼シカの腸はさらに丈夫なので問題ありません。

 生地を腸に詰めるときのポイントは、中に空気を入れないことです。絞り袋を使って丁寧に詰めていきましょう。

 指で押しても戻らない程度の硬さを目安にして、余裕をもたせるイメージで詰めてください。


 一本の長ーいソーセージが完成したら、今度は程よい長さにひねっていきましょう。

 これを沸騰しない程度の温度で二十分ほどで、ソーセージに張りが出てきたら完成です。

 ちなみに、熱を加えることで凍属性の魔力が無属性に変換され、ソーセージが自ら凍ることはなくなります。


 今回はさらに保存性を上げるため、このソーセージを燻製くんせいしましょう。

 燻製とは香りの良い木材から出る煙を利用して食材に風味付けをすると同時に、煙に含まれる殺菌・防腐成分を食材に浸透させる食品加工方法です。


 ソーセージを(魔女が魔法で)乾燥させたら、さっそく燻製窯スモーカーに放り込みます。

 いぶすのに使う燻煙材くんえんざいには、俺が取ってきた枯れ木を使います。幸いにもクルミのような実がなるこの木は、燻煙材に向いているのだそうです。


 木材をチップ状に砕けば燻製の準備完了です。

 窯内部の温度が上がり過ぎないように気を付けて、数週間かけてじっくりと燻製しましょう。

 この作業はそれほど複雑ではないので、火の管理は疲れ知らずの仮面ゴーレムに押し付けていいかもしれません。

「――というわけだ、よろしく頼む」

 仮面ゴーレムは無言でうなずくと、俺お手製の即席燻製窯の前にしゃがみ込んで炎の番を始めた。


 ……改めて考えてみれば、こいつらも文句ひとつ言わずタダ働きしているんだよな。

 まるで社畜だ……うん、だんだん愛着というか、シンパシーが湧いてきた。次からはもう少し優しく接してやろう。


「うむ、なかなか良い出来じゃ。完成が待ち遠しいのう」

 魔女が燻製窯を見ながら上機嫌に言った。

「なあ、そんなに美味いのか? ブラッドソーセージってやつは」

「当たり前じゃ。あれほどの上質な魔力を含む魔獣の血、不味いわけがない。王宮でも食べられぬ最高級品じゃ」

 なるほど。ブラッドソーセージそのものがどうかではなく、単に魔力があるから美味しいと。


 ……この魔女、ひょっとして、すでに魔力中毒なのでは?


 俺がいぶかしんだその時、厨房の裏口が開き、中からソフィア姫が顔を出した。

「ドロシー様? こちらにいらっしゃると教えてもらったのですが……あら?」

 彼女の視線が一点で留まった。


 ソフィアの視線の先にあったのは蒼シカの解体作業跡地である。

 なめし液に漬けられた蒼灰色の毛皮、大量の肉ブロック、タライに入った内臓、血塗れの作業台、そして無惨に転がる蒼シカの生首が二つ。


 見方によってはシカの惨殺現場だ。

 サスペンス劇場、修道女は見た。女の子にはショッキングな光景かもしれない。


 しかし予想に反して、ソフィア姫は目をキラキラと輝かせた。

「まあ、なんて上等なお肉!」


 これはなんと、予想外の反応。

 意外なことにソフィア姫は肉食系女子であったようだ。

 バフォメット族はヤギ系の獣人だが、菜食主義ではないらしい。


「やっぱり、これは魔獣様が? すごいです! こんな高位のシカの魔獣、生まれて初めて見ました」

「お、おう……」

 あまりにもイメージとかけ離れたはしゃぎように俺は戸惑うしかなかった。


 なんと言うか、見た目の可憐さとは裏腹に意外とたくましい。

 でもそういえば、こういった血や内臓に対するグロ耐性は女の子のほうがあるって、昔にネットで見た気がする。

 最初から余計な心配だったようだ。


「ところでソフィーや。儂に何か用事があったのではないのか?」

 魔女がルンルン気分のソフィア姫に声を掛ける。

「はい、そうでした。そろそろ夕食の準備を……あっ、それはもしかして、燻製器ですか?」

「そうじゃよ。実はシカの血を使って腸詰めをこさえての……」

 その後しばらくの間、魔女とソフィア姫は女子同士で楽しそうに料理談議に花を咲かせていた。

 調理関連の専門用語とか、あと材料の名前が多く出てくるせいで、翻訳魔法があっても内容はよく分からない。

「――そうですね、なら、せっかくだからパイを焼きましょう。わたし、お料理はパイが一番得意なんですよ!」

「おお、それは良いのう」

 そして、料理のできない俺は完全に置いてけぼりである。


 今更だがソフィア姫が言っていた『ドロシー様』とは魔女のことか。

 随分可愛らしい名前だ。

 外見はロリだが中身ババアな魔女。致命的に似合ってないな。


 ――そう思った矢先、目の前の作業台に包丁が突き刺さった。


「ド、ドロシー様!?」

 ソフィア姫の慌てた声が聞こえる。

「すまんのう……手が、滑ってしもうた」


 嘘だぞ。口元は笑っているが、その眼差しからは明確な殺意を感じた。


「儂らは夕飯の支度をする。その間お主は魔力を扱う練習でもしておるんじゃな」

「り、了解」

 俺は下手に逆うことはせず、素直に返事した。


「えっと……じゃあ魔獣様。お夕飯、楽しみにしていてくださいね」

 最後にソフィア姫がぺこりとお辞儀して、魔女と一緒に厨房の中へ入っていった。



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