*31* 告白未満にもならないね。
本日は“十二月二十日”。外は連日の雪で真っ白に染め上げられて、もう残り五日となった聖星祭への期待感を高めてくれている。
まあ、私は去年同様に出席出来ないことにはなっているんだけどね。それでも今年は担任に“進級ヤバいぞ”と呼び出されることもなかったし、えげつない枚数のプリントをこなす補講地獄というものもなかった。
問題はヒロインちゃんの獲得に今年も失敗していることだけど……これは当日会場で会った方がドラマチックかな、とか。嘘だけど。でも当日会場で捕まえれば同じことだよね?
そして今年は去年までの私とは一味違う。というのも――。
「はい皆さんご注目。これが去年着られなかった、聖星祭で給仕する際のお仕着せ【女子生徒版】です! 今年はこれで皆にご奉仕して回るから期待しててよ」
放課後の温室内でテンションも高くターンして翻した、ふくらはぎまである黒いシンプルなワンピースと、白い大きな蝶々のような襟。
エプロンは必要最低限のフリルで縁取りをされたシックな作りになっており、靴は濃い茶色のショートブーツだ。
面白味だとか可愛らしさはそんなにないけれど実用的で美しいし、さり気なく腰に入ったタックのお陰でちょっぴり細く見える気遣い仕様なのもまた嬉しい。
私の華麗なターンにラシードからは「色気の欠片もないわね」と言われ、推しメンからは「いつもとさほど変わらんな」との塩対応。唯一カーサからだけ「可愛いぞ、ルシア!」とのお褒めの言葉を賜ったけれど、やっぱりあれだね、こういう時に男は駄目だ。嘘でも良いから一言くらい褒めろよ。
こっちはせっかく去年の嫌がらせに学んで、直接学園の職員室で受け取るという、一応貴族の子女としてはこれ以上ない屈辱を堪えて入手してきたというのに。
大体オネエはこういう時にはシビアに男視点になるのって何でなの? いつもは女目線なのに狡いよね?
そもそもお仕着せに色気なんていらんだろうが。ファミレスの制服にエロスを求めるか? ただの作業着にそんなの求めないでしょうよ。
「男性陣には後で文句を言いたいところだけど……私は正直、このお仕着せに非常に衝撃を受けている」
スカートの両端を摘まんでバサバサさせながら私がそう唇を尖らせると、ラシードと推しメンから「「はしたない」」と怒られた。こんな時ばっかり口を挟むとは父親か。
「何か不備でもあったのか? 充分過ぎるほど可愛らしいと思うが。ワタシの専属に欲しいくらいだ。まあ、可愛いルシアに力仕事や身の回りの世話など任せられんから、仕事内容はワタシとのお喋りになってしまうな」
夏の日差しに焼けた後が残るうなじの健康的な色に、紫がかった紺色の髪が妖しく映えるカーサが無自覚に色気のある微笑みを浮かべてそう言うと、意味深に聞こえてゾクリと来る。
この美しすぎる友人のせいで、百合に走ってしまったらどうしよう。
「とっても魅力的なお誘いだけど、それはひとまず置いといて。このお仕着せに不満があるのかって話に戻すと……その逆。去年も思ったけどさ、お仕着せなのに、私が領地で着てる一番良い服より肌触りが良い。ズボンタイプで暖かいのは分かるけど、これスカートなのにスースーしないの!」
このお仕着せ、質が良いのだ。私が領地でお客様に挨拶に出る時に着る服よりも素材が良い。その着心地の良さたるや、去年の男子生徒のそれよりもさらに上だ。
けれど感激したまま「凄いよね!」とはしゃぐ私の声に賛同してくれる声は、一つも返ってこなかった。心なしか温度差があるような……? しかしそんな温度差に怯む私ではないぞ。
「あ、そうそう。もう一つ良い報告があったんだったわ。今年は去年と違って単位が絡んでないから、そこまで真剣に給仕しなくて良いんだよね。だから当日は結構自由が――」
“きくよ”と続けようとした途端に三人から同時に「「「良くやった」」」とお褒めの言葉を頂けた。何でその言葉を先に持ってきてくれないんだよ。そんな三人に軽く舌打ちをし、汚さない間に一度お仕着せを着替えて来ようと温室を出たら、背後から推しメンがついて出て来る。
こっちが“お手洗い?”と訊ねるよりも早く「トイレじゃない」と返してくるあたり、推しメンもこの一年で私のあしらいに慣れたよなぁと妙な感心をしてしまう。
「お、何なに? 今度はちゃんと褒めてくれる気になったの?」
しかしわざわざ温かい温室から出てくる理由が、本気でお手洗いしか思い付かない私がふざけてそう言うと、推しメンはしばし黙り込んで上から下まで視線を走らせる。その真剣な眼差しに背中がむず痒くなった。
けれど次の瞬間、推しメンから返ってきたのは「やはり合わないな」という身も蓋もない言葉で、思わず緊張していた自分の自意識過剰さを呪う。何もそこまでフルスイングでなくとも良いだろうに。
そこそこ傷付いたので立て直しをはかろうと言葉を探していると、推しメンが私との距離を詰めて来た。反射的に一歩後ろに下がろうとするけれど、それに気付いた推しメンに肩を掴まれる。その視線が首筋に向けられているのを感じて訝しめば、急に推しメンの指が首筋に触れた。
思わず「ひえっ!?」と上げた声に構うことなく推しメンの指が摘まみ上げたのは、私が常に首から提げている星火石の首飾りだ。その首飾りをまじまじと眺めた推しメンは一言「チェーンの色と合わない」と真剣な表情で断言した。
その直後に、推しメンの額に“えい!”っとばかりに渾身のデコピンを見舞ってやったのは言うまでもない。
***
「まだ開始四十分でこれってありなの?」
ギュギュッと背後からリズミカルに絞られるウエストに、ややデジャヴを感じつつそう口にすると、後ろでコルセットを締めてくれていたラシードがその手を止めて「だって今回は点数足りてるんでしょう?」と鏡越しに問いかけてくる。
「そりゃあ足りてるけどさ、開始四十分で職場放棄しても大丈夫なのかな~って。一応本職の人も来てくれてるけど、それでもお仕着せ借りたくせに実働時間が短すぎる気がっ……!?」
会話の途中にいきなりギュウウウっと締め上げられて息が詰まる。非難を込めて鏡の中のラシードを睨みつければ「だって煩いんだもの」とあっけらかんと言い出す。普通の職業倫理を口にしただけで、肺の中の空気を全部吐き出させられるのは割に合わんだろうよ。
去年と同様に片側だけオールバックにした前髪と、もう半分を緩く額に垂らしたラシードはそれだけで憎たらしいくらい絵になる。普段のちょっと着崩している姿も格好良いけど、しっかり着込んだフォーマルな装いも格好良いとか乙女ゲームの攻略対象は流石ですね。
「ほらほら、いつまでもグチグチ言ってないで諦めなさいよ。それに案外お仕着せ着て給仕やってるよりも、ホールで踊ってる間にヒロインちゃんが見つかるかもしれないわよ?」
「そんな訳あるかもしれないけど、そもそも私の場合ダンスの時はそっちにしか注意が割けないの! 分かってて言ってるでしょう?」
遅ればせながら本日は“十二月二十五日”。バタバタと過ごしている間に聖星祭の当日になってしまった。
しかも当日の勤務時間はたったの四十分。トレイを片手に給仕していたところをいきなり連れ去られて来たのだ。いくら進級を人質に取られていないとはいえ、あまりに実働時間が短かすぎやしないだろうか?
「給仕のことなら心配しなくたって大丈夫よ社畜。今年は三年にも卒業がかかってる連中が結構多いから、働き手は足りてるの。だからアンタは自分の下手くそなダンスのステップだけ心配してれば良いわ」
「軽々しく社畜って言うなよなぁ。こっちは未だにトラウマなんだぞ、その単語!」
「はいはい、分かったからお黙りおブス。アンタが早くドレスアップさせてくれないと、アタシまでエスコートの時間に遅れちゃうじゃない」
ラシードの最後の一言で思わず動きを止めてしまった私の頭から、深緑色の地に金と銀の糸で下半分に唐草模様を刺繍したしたドレスが被せられる。沈んだ色味の割に刺繍のお陰で華やかな印象だ。
髪は今年はカツラを使わずに事故後大切に伸ばしてきた地毛を使う。あまり長さがない私の髪を器用に編み込んだラシードが、仕上げにカーサのくれた赤い小花のヘアピンで留めてくれる。
「――そうそう、そのまま大人しくしてなさい。去年よりうんと綺麗になる魔法をかけてあげるから。それと、目は瞑った方が良いわ」
目の前に屈み込んだラシードがそう優しく微笑んで言うから、私はもう逆らうことを止めて言われた通り目蓋を閉じた。
頬に柔らかい刷毛の感触と、額の傷跡に丁寧に塗り込まれるクリームの感触。唇の輪郭線をなぞる筆の感触。ふと耳の裏に冷たさを感じた傍から香る、仄かなバラの香りを感じたら――。
「さあ……これでアタシの魔法は完了ね。目蓋を開けて良いわよお姫様?」
どこか面白がるような、甘やかすようなラシードの声音に恐る恐る目蓋を持ち上げる。ラシードの腕を信用していない訳じゃないんだけど、何せ元がモブ顔の私だからね。期待しすぎると悲しい結果が待っているだけだ。
そう思いながらもほんの少しだけ期待して鏡を真っ直ぐ見つめると、そこには地味すぎず、垢抜けすぎず、ちょうど良い感じの女の子が映っていた。
「物語みたいに“これが私?”とはならないけどさ、ラシード」
「うん?」
「前世と今世を併せた今まででの人生で、一番可愛いや。ありがとう」
笑ったつもりが何故だか泣きそうになってしまって。それに気付いたラシードがそっと目の端を拭ってくれた。
その時この部屋のドアをノックする音がして、向こう側から『ルシアの準備は出来ただろうか?』と言う推しメンの声が聞こえてきた。
慌ててドアとラシードを交互に見やって「え、あの……何も聞かされてないんですけど?」と言えば「あら、そうだったかしら?」ととぼけたラシードが首飾りを手渡してくる。
“椅子に座ったままでいるように”とのジェスチャーに放心する私の脇を通り抜けてドアを開けたラシードが「ご注文通り、首飾りのチェーンに合うようにしたわ。後はアンタが首飾りを着けてあげたら完成よ」と推しメンに向かって笑う。
推しメンが入室すると同時に「それじゃ、アタシはカーサを待たせてるからもう行くわね~」とニヤリと笑って退出するラシードの背中に中指を立てたけれど、推しメンがこっちに近付いて来るからすぐに引っ込めた。
私の全身を眺めて小さく頷いた推しメンは、こちらに向かって掌を差し出して「首飾りを」と短く言う。私が言われた通りその掌に首飾りを載せると、一瞬だけ気まずいような、こそばゆいような沈黙が二人の間に落ちた。
けれど推しメンが手にした首飾りを持って私の背後に回り込み、首筋にヒヤリとした首飾りのチェーンの感触を感じた。
「……やはりドレスにはきちんとしたチェーンが良く映える。去年踊った時からずっとそう思っていたんだ」
微かに笑いを含んだその声に、冗談と本気の境目をぼかして「好きだよ」と口にすれば、チェーンを着けてくれていた推しメンの手がピタリと動きを止めた。
だから今度ははっきりと、冗談として受け取ってもらえるように「このチェーン、お気に入りなんだよね」と笑って後ろを振り返る。そうすれば安心したように「それならこちらも贈った甲斐があった」と推しメンが微笑んでくれるから。
それなら今は、このままで。
それが、いつかは壊れても。
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