第44話 厨房見習の最初の仕事

 


 やっとグリムの笑いが収まり行動再開できるようになった頃を見計らって、ダンは再び厨房内を案内してくれた。


「厨房での仕事は、何も最初から料理を作れるという訳ではない。見習いの内は、まず皿洗いや食材納品・在庫チェックなどから始めることになる。それに慣れてくれば、次は食材の下ごしらえとして野菜の皮むきや下茹で作業。先輩達の包丁捌きを見て覚える、といった感じだな」


 言いながら彼が通り抜けたのは、厨房の裏手にある勝手口の近くだった。


 そこは下ごしらえなどを行う、所謂見習い達が仕事をしている場所だ。

 他にも常温で保管可能な食品が木箱なんかに入れて積み上げられている。

 そこにいる数人は、今はみんなで野菜の皮むきをしているようだ。


「下ごしらえといっても、皮むき一つにも刃物を使う。危ないから今日はそれは体験させてやれないが、せめて見学だけでもと思ってな」


 ダンはそう言いながら、近くで丁度ジャガイモの皮むきをしていた少年へと声を掛けた。


「おいロマーノ、ちょっとそれを貸してみろ」


 ダンに声を掛けられた少年は料理長が来た事に驚きながらも、剥きかけのジャガイモと包丁を手渡した。

 するとダンが、慣れた手つきでスルスルと剥いていく。


 その手際の良さは、素人目にも明らかだった。

「流石はプロ」と感嘆した子供達からも「おぉー!」という声が上がる。



 ダンは貰ったジャガイモ一個分の皮むきを手早く終わらせると、包丁を少年に返しながら尋ねた。


「ちょっと剥き難そうにしてたが、苦手か?」

「はい……」


 問われた少年は、申し訳なさそうに答えた。

 そんな彼に「そんなに萎れなくとも」と、ダンは笑う。


「ま、慣れるまではそんなもんだ。皮むきはどのくらいの厚さで皮をむくかの匙加減が難しいからなぁ」


 こればっかりは感覚だから教えるのも難しい。

 そう言葉を続けて「でも」と言う。


「あまり薄すぎると剥くのに時間が掛かるが、厚く剥きすぎると捨てる身が多くなってしまう。丁度良い厚さの所を見つけて、後は指でその感覚を掴んでいくしかない」


 ダンの助言を受けて、たった今落ち込んだ様子で肩を落とした少年に少し元気が戻った。

 彼はダンの話を熱心に聞き、しきりに頷いている。


 そして最後に「練習あるのみだ」と肩をポンッと叩かれると、「ありがとうございます」と嬉しそうに答えてからまた自分の作業へと戻っていった。


「ダンは普段もよくここに顔を出してるの?」

「いえ。普段は厨房の仕事ばかりで、こっちは既に厨房入りしている若手に任せています」


 ダンはそこまで言うと、少し考えながら「しかし」と言う。

 彼はどうやら、セシリアの心中を的確に読み取ってくれたようだ。


「……たまにはこうして顔を出してみるのもいいかもしれません」


 例えば休憩に入る時。

 外に出るのに裏口を使えば、必然的に此処に顔を出すことが出来る。

 そうすれば偶々目に付いた事をちょっとだけ助言してやるくらい、それほど手間では無いだろう。


(ふむ、これは良い考えかもしれない)


 とダンは心中で頷いていると、隣のセシリアから「さっきのコックさん、ダンに話しかけてもらって嬉しそうだったもんね」と言う言葉と共に満面の笑みを貰った。

 そんな彼女に、年甲斐も無く思わず赤面する。



 彼女の言葉は言い換えると「声かけただけであんなに尊敬の眼差しを向けられるなんて、ダンは人気者だね」である。


(……お嬢様にそう言ってもらえるのは嬉しいが、少し恥ずかしい)


 子供というのは大抵正直で、セシリアはおそらくその筆頭といっても良いだろう。

 臆面も無く褒めてくれるからこちらは反応に困る。



 ダンは気恥ずかしさを振り切る様に、「さぁ行くぞ」と号令を掛けた。

 そして再び先へと進む。



 一行が到着した目的地は、下ごしらえや常温保存の食材を保管している所の最奥、勝手口の目の前だった。

 そこには蓋がされた大きな木箱が6つ、横に並べて置かれている。

 「あれは何だろう?」とセシリアが思っていると、ダンが子供達を振り返り、こう話し始めた。


「今日は皆に、納品された食材の確認をしてもらう。これは厨房に来た見習いの、最初の仕事の内の1つだ。此処で仕事をするなら、実際に自分達でする事になる仕事だぞ」


 彼はそう言うと、木箱の内の一番左端を1つ開いた。


「一日に一度、大体2時頃には外注してる食材が届く。此処では注文したものがちゃんと届いているかの確認と、食材の保存方法に沿った仕分け作業を行う」


 彼はそこまで言うと、一度言葉を切った。

 丁度両者の間付近の壁に向かって歩いていくと、そこに吊り下げられていた一冊のノートを手に取る。


「うちが注文したものは、いつもこのノートに書いて吊ってある。これを見ながら木箱の中を検めて、納品漏れが無いかを確認するんだ」


 言いながら、ノートをペラペラと捲っていき、とある場所でその手をピタリと止めた。

 そしてそのノートと手近にあった鉛筆を一緒にアヤへと渡しながら、こう尋ねる。


「この字、読めそうか?」

「……はい、大丈夫そうです」


 渡されたノートを一通り目で浚い、アヤがコクリと頷いた。

 するとダンが「よし」と頷き返す。


「なら、お前は木箱の中にあった物をこのノートから消していく係だ。他の者は食材を木箱から出して、何が入ってるかを教える係。食材の名前が分からない時は私に聞いてくれ」


 ダンの「では、始め!」という号令と同時に、みんなが一斉に木箱へと手を伸ばす。



 木箱の中には、偶然か、それともダンが「少しでも分かる物があった方が作業も楽しかろう」と思ったのか、つい先程名前を教えてもらった食材達が多く入っていた。

 その為記憶を探りながらみんなの協力プレイで、その名前を思い出していく。


「えーっと、『じゃがいも』が9つ」

「んー……、あ、あった! はい、次」

「それからこれは、『玉ねぎ』だっけ?」

「うん、確かにそんな名前だった」

「何個?」

「えっと、1、2、3……12個」

「はい、オッケー。次は?」

「あ、ちょっと待て! 数数えるのは俺の役目な! 俺食材の名前とか全然憶えてねぇし!!」

「ユン、それはそんな自信満々に言うべき事じゃないと思うけど」


 そんな風に皆でワイワイと作業を進めていく。



 因みに厨房通いが長いセシリアは皆よりもより多くの物の名前を知っているし、思い出すまでもなくすぐに答えられる。

 しかしそれでは、セシリアが参戦した途端に彼女の独壇場だ。

 それでは確かに作業は早く終わるだろうが、お仕事体験にならない。

 だから今回、彼女は少し遠慮する事にしていた。

 後ろの方から彼らの経過を見守り、作業が行き詰った時にだけ少し口を挟む程度にしておく。



 そんな中でセシリアさえもが頭を悩ませた食材が、たった一つだけあった。

 肉である。


「えーっと、これもさっき見たよな。『豚肉』?」

「……『豚肉』1つ、オッケー」

「ちょっと待て、1つじゃなくって入ってるのは2つだぞ」

「え、でも此処には確かに『1つ』って書いてるよ?」

「もしかして1つ多く持ってきちゃったのかな?」


 皆でそんな相談していると、デントがおずおずと口を開く。


「ねぇ。このお肉、なんか色がちょっと違って見えるんだけど、もしかして『違う種類のお肉』って事は無いのかな……?」

「あ、ホントだ。言われてみれば!!」

「ちょっと待って……あ、ある! 『豚肉』の他に『牛肉』も1つ、注文してる!!」


 アヤがノートの一点を指差しながら歓喜の声を上げた。

「謎が解けてスッキリ」という顔である。


「間違いじゃなくて良かったね」

「な? ちょっと焦った」


 などと、デントとゼルゼンが話している。



 そんな彼らのやり取りを聞いていたセシリアの中に、ふととある疑問が浮かんだ。

 隣で腕組みをしながら子供達の奮闘を眺めているダンに、こう問いかける。


「ねぇ、ダン? あれってどっちが牛肉で、どっちが豚肉なの?」


 セシリアのその問いに、「言われてみれば」と同じ疑問を抱いた子供達が振り返ってくる。

 その視線を受けて、ダンがみんなの輪の中へと入っていき、両手にそれぞれ件の肉達を持ち上げる。


「牛肉と豚肉の見た目の違いは、色の鮮やかさです。身が赤く、この脂身が白くと、濃淡がはっきりしているこっちが『牛肉』で、全体的にピンク掛かっているこっちが『豚肉』、という風に見分けますね」


 ダンの言葉に従って見てみれば、確かに両者には彼が言った様な特徴が表れている。

 ダンの解説に、セシリアを初めとした子供達全員が「へぇーっ」と声を上げて納得した。



 そうやって食材を確認していき、残りが丁度あと3分の1まで来た頃。

 ポーラがセシリアに静かに耳打ちをする。


「セシリアお嬢様、残念ながらそろそろお時間です」


 その言葉に、少し申し訳なさそうにダンを見上げると、丁度彼にもポーラの声が聞こえていたのだろう、彼がニカッと笑ってみせる。


「大丈夫ですよ、セシリアお嬢様。残りはこちらで片付けますんで」

「ごめんね、ダン。本当は最後までやりたかったんだけど」

「なに、気にしないでください」


 いつもの優しい笑顔で「問題ない」と言ってくれた彼に甘える事にして、セシリアは子供達に号令をかける。


「みんな、残念だけどもう次のところに移動しなきゃ」

「えっ、もうそんな時間ですか?」

「ねぇ、時間が無くなったのって、もしかしてグリムの笑い止め待ちのせいじゃない?」


 メリアの言葉に続いて発せられたアヤからの疑惑に、グリムが「思い出しちゃうからその話はしないで……ぶぶっ」と応じる。


 いつまでも人の事を面白そうに笑うので、グリムには最後に私怨交じりの一睨みをお見舞いしておいた。

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