第19話 『貴族』としてすべき事


(大丈夫、お母様が言っていた)


貴族は社交をする時、例えどんな事があっても決して意図なく感情を顔に出してはならない、と。


だからセシリアは、微笑んだ。



(両親に、領地に、領民に恥じない振る舞いを)


例えどんな事を言われたとしても、今の私が第一に考えるべきは『周りの人間の安全と幸福』だ。


そうやって、セシリアは人生で初めての、『貴族』の仮面を被る。



(大丈夫、やり方は知っている)


『お勉強』ツアーでマリーシアの勉強を覗いた時、彼女が練習していた、貴族の礼を思い出す。



背筋を伸ばし、胸を張り、背中を丸めずに腰から折って頭を下げる。

指先まで神経を集中させて、決して気を抜かない。


力を入れる場所は、お腹。

そうすれば例え緊張していても足がふらつくことは無い。


呼吸は一度、深くして、最初の一言で一気に吐き出す。

そうすれば、呼吸も胸の鼓動も不思議と収まる。


そうやって記憶の中の教師の言葉を心の中で復唱しながら、セシリアは侯爵に挨拶を述べた。


「モンテガーノ侯爵様、お初にお目にかかります。わたくしはオルトガン伯爵が第三子、セシリアにございます」


その言葉と告げた事により、侯爵を初めとした全員の目がセシリアへと向く。



些かの沈黙が流れた。

その沈黙を破ったのは、侯爵の声だった。


「――あぁ、君が」


彼は呟く様にそう言うと、思案顔になる。


取り敢えず、どうやら侯爵は今目の前にいる人間が『会った事も無い伯爵家の次女である』と信じた様だった。

その事実に心のほんの片隅で安堵していると、不躾な視線に晒されたので改めて気を引き締める。


「君がオルトガン伯爵家の次女か。歳は?」

「4歳になりました」

「ほう? それにしてはしっかりしている」


そう言うと、男はべたつく様な笑みを浮かべた。

彼の笑みに、瞬間的に嫌な予感を覚える。

しかしそんな予感がしたからといって、今のセシリアにそれをどうにかする術は無い。


何故なら会話の主導権は、現在侯爵が握っているのだから。


「見目もクレアリンゼ様に似て、将来は美しく育ちそうだ……。どうだ、私にも君と同い年の息子が居る。嫁にもらってやろう」


嫌な予感は的中した。

一瞬の逡巡。

しかしセシリアが取れるルートはたった一つしかない。


「……大変ありがたい申し出ではございますが、わたくしの一存では。まずは父と母に相談いたしませんと」

「そうだな、お父上には私から言っておこう」


セシリアの返答に、侯爵は上機嫌に応じた。

どうやら今の返答は、彼の中では合格点だった様だ。


(不機嫌になられるよりは良いけど、あんまり上機嫌になられるとそれはそれで後が怖い)


心中でセシリアがそう呟いた時、やっと状況が動いた。

別のメイドが侯爵を呼びに来たのだ。


「旦那様が『執務室にてお会いする』との事です」


この先にはお父さまの執務室がある。

おそらく彼は客間から執務室へと乱入するつもりで此処まで来ていたのだろう。


つまりこれは、彼の要望が通った事を意味していた。


「では私はお父上に会って来よう」


侯爵はそう言うと、機嫌の良いままこの場を後にした。



侯爵の姿が完全に見えなくなるまで、セシリアは貴族然とした態度で振る舞った。

そして彼の姿が見えなくなった直後、フッと急に全身から力が抜ける。


「っ! セシリアっ!!」


叫ぶ様に言ったのは、ゼルゼンの声だ。

彼はセシリアが体勢を崩す直前でギリギリ間に合い、どうにか彼女を支える事に成功する。


「大丈夫か?!」


心配そうに顔を覗き込んだゼルゼンに、しかしセシリアは締まりのない顔でにへらと笑う。


「ゼルゼンが初めてわたしの事、名前で呼んでくれた」

「……別にそんな事、今はどうでも良いだろ」


「大丈夫か」の返答がソレであった事に、強張っていたゼルゼンの腕から余分な力が抜けた。

呆れ交じりに「今言う事じゃない」という彼に、セシリアはしかし頑として譲らない。


「そんな事無いわ、とっても大切な事よ」


なんて言ったって初めてだもん。

繰り返してそう言えば、ゼルゼンはホッとした事でやっと初めての名前呼びを自覚したのか、思わず赤面する。


「べ、別に今までだって意識して名前呼びしなかった訳じゃない。たまたま機会が無かったってだけだろ」


言い返したその言葉は、ぶっきらぼうな言い訳だった。


今までは基本的にいつも2人で過ごしていた為、「お前」で会話は成り立ったのだ。

彼女の事を『セシリア』と呼ばなかったのは、その必要性が無かったというだけの話だ。


(いや、でも今の『セシリア』呼びは一体どの辺に必要だったのかと言われれば――)


ゼルゼンはそう途中まで考えて、しかし考えるのを止めた。

何だかとても恥ずかしい結論になりそうな気がしたからだ。


まぁどちらにしろ、名前呼びになったことを敢えて指摘されれば誰だって何だか照れくさい気持ちにはなると思うのだ。



しかし悲しいかな、そんな彼の心情に、セシリアは全く気が付く様子は無い。

腕の中でただ純粋に友達が名前で呼んでくれた事を喜んでいるセシリアは、ゼルゼンにとっては今すぐ放り投げたいくらいの存在だっただろう。


しかし幾ら居たたまれなくて逃げ出したい心地だろうが、未だろくに足にも力が入っていない彼女から支えの手を放す事は、少なくとも世話焼きなゼルゼンには出来なかった。


その為可哀想に、現在皆の前で絶賛公開処刑中である。



そんな二人の様子を前に、他の面々も本当に『不敬罪』の危機は通り過ぎたのだと実感し始めた。

周りの緊張がやっと氷解し始める。


まず早々に再起動を果たしたのは、最初に侯爵を必死に止めようとしていたメイドだった。

彼女はセシリアの近くまで進み出ると、使用人の正式礼でお礼の言葉を口にする。


「セシリアお嬢様、助けていただきありがとうございました。セシリアお嬢様が間に入ってくださらなければ、私もこの子もどうなっていた事か」


彼女の言葉には安堵と本心からの謝意をひしひしと感じる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る