第16話 御者台からの景色

 


 子供達を御者台に乗せる準備はあっという間に済んだ。


 時間にして約2分。

 その早さには感嘆を禁じえない。

 流石本業の人間である。



 準備が済むと、レノは子供達に幾つか説明し始めた。

 子供達を、一度に最大3人ずつ御者台に乗せる事。

 折角綺麗に整備している芝生を荒らさない為に、馬車を引くのは下が土になっている範囲だけであるという事。

 そこを一周したら、次の人に交代する事。


 因みに御者台にシートベルトなんてものは無い。

 その為転落防止の為に、台の両端にはレノとポーラがそれぞれ座る事になる。

 その間に子供達を座らせ、子供達が落ちない様に両者が手で押さえるという寸法だ。




 まずは女の子達3人が御者台へと乗り込んだ。

 ぐるりと一周して戻ってくる。


 下が土になっているスペースは、そんなに広くは無い。

 だからゆっくり走っても、帰ってくるまでにそう時間は掛からない。

 しかし彼女達は皆、御者台に乗ると目を丸くし、満足そうな表情で降りて来る。



 続いて、セシリアとゼルゼンともう1人。

 一緒に乗ったのは、馬のジェンダーが顔を出した時に悲鳴を上げた少年だった。


 残っているのは、先程言い合いになったばかりの『彼』と、此処に来る途中で『彼』に同調していた少年である。

 人数的にはどちらに乗っても乗れる筈だが、どうやら『彼』の機嫌が悪いので逃げてきた様だ。


 チラリと『彼』の方を見て来ると、わざとらしく顔を逸らされる。

 面倒臭そうなので、少し放っておくことにしようと思う。



 御者台のステップが少し高いので、抱き上げて乗せてもらう。

 すると彼女の左隣に座ったゼルゼンが、少し心配そうに尋ねてきた。


「おいお前、大丈夫かよ」


 小声で聞かれて、セシリアは安心させる様に微笑んだ。


「さっきの事なら、大丈夫だよ」


「特に気にしていない」と言いたげな声色でそう言えば、すぐさまゼルゼンの呆れ声が返ってくる。


「ったく。アイツが飛びかかろうとしたのにも驚いたけど、あんなに怒ったお前にもビックリした」

「だってあの子、とっても失礼な事言うんだもん」


 言われて、先程の事を少し思い出す。

 頬を膨らませてそう反論すれば、可笑しそうな声でこう言われた。


「っていうか、お前って怒るのな」

「それは、怒るような事があれば怒るよ」


「私を何だと思っているのか」と聞けば、「だってお前が怒るの初めて見たし」と言われて、確かにそうだと思い直した。



 基本的に、セシリアの癇に障ることは少ない。

 その為普段、我儘を言う事はあっても怒る事は滅多に無い。


 自分の努力や考えが足りないのにそれを他の人のせいにする人が、セシリアは嫌いだ。

 人を不当な理由で貶め蔑む人も、セシリアは嫌いだ。


 セシリアの怒りの基準はその部分にあるのだが、まだ本人はそれを自覚していない。

 本人の自覚までには、まだまだ時が必要になるだろう。




 ゼルゼンとそんな話していると、馬車が一度ガタンと揺れたので驚いた。

 その小さな驚きのお陰で、つい今しがたまでの『気持ちの良くない話題』等、すぐに忘れてしまう。


 ゆっくりと進み始めた馬車。

「始まった」と思いながら前方に目を向けて、大きく目を見開いた。



 まず、いつもよりも随分目線が高い。

 遠くが見えるようになった事で何だか急に世界が広くなった様な、何とも不思議な気分にさせられる。


 晴れた陽気に、馬の蹄がカッポカッポと地面を叩く。

 爽やかな微風が頬を撫でて、何だかとてもくすぐったい。



 何だか楽しくなってきてふふふっと笑いながら左隣を見遣れば、ゼルゼンが驚きの表情のまま進行方向を、ただ無言で眺めている。


 右隣を見れば、そこに座った少年の口が開いたままになっていた。

 やはりゼルゼンと同様に前を見つめている。

 その瞳には『未知』に触れた者特有の不思議な色が灯っている。



 一回りは、あっという間だった。


 乗った時と同様に抱き上げて下ろしてもらう。


 そしてレノにお礼を言おうと見上げた所で、彼の困った顔とかち合った。

 彼の視線を追ってみれば、その先に居たのは残りの2人である。


 しかし彼らは他の子達とは違い、馬車に寄ってこない。

 乗ろうとする気配は無さそうに見える。


(「無理強いするのはどうかと思うけど、仲間外れもどうなのか」っていう感じかな?)


 レノの困り顔から彼の考えを推察して、「ふむ」と考える。


 こっそりとポーラに今の時間を尋ねると、「11時21分です」という答えが返って来た。

 馬車であと1回り出来るくらいの時間が、丁度残っている。


 セシリアは、小さくため息を吐いた。

 そして『彼』にむかって口を開く。


「貴方は逃げるの?」

「何だとっ?!」

「今の貴方は、『自分には分からないから』といって安易な言葉と不躾な態度で逃げようとしてる様に見えるわ。この仕事が本当に『馬鹿』な仕事なのかは、試してみなきゃ分からないじゃない。それを確かめる機会があるのにしないのは、逃げてるのと同じだと思う」


 貴方は逃げるの?

 止めの一言を言うと、彼は面白いくらい綺麗に釣れてくれた。


『彼』は「乗る!」と言ってドスドスと地面を踏み鳴らしながら馬車の方へと歩いていく。

 そんな『彼』の後に「ユンが乗るなら俺も乗ってみよーかなー」と言いながら、もう一人の少年も続いた。



 そうして御者台に乗り込んだ二人は、皆と同じようにぐるりと一周して戻ってくる。


 戻って来た彼らは、初めての景色に少し興奮していた様だった。

 目に隠し切れない喜色を浮かべて帰ってくると、御者台から下ろしてもらう。


 その時丁度、セシリアと目が合って――。


「ふんっ」


 顔ごと大きく逸らされた。

 ツアー開始当初から感じていた事ではあるが、どうやら今回の一件で彼には完璧に嫌われてしまったらしい。


 別に嫌われたかったわけでは無かった。

 しかしだからといって、彼の言葉に腹を立てた自分には全く後悔していない。


(後悔していないんだから、『彼』の態度も受け止めなきゃね)


 自身の行動の結果である。

 それを負うのは行動した本人の義務だろう。


 そこまで考えて、ソレについての思考は一度止めた。


 視線を巡らせれば、レノは馬車に繋がれている馬達を撫でながら労っている所だった。


「レノ、大変な仕事だったけど、とても楽しかったわ。お仕事を体験させてくれてありがとう」


 彼の元まで歩いて行って、笑顔で告げた。

 すると、彼は少しホッとした様な表情を浮かべた後で、本心からの微笑みを浮かべる。


「いえ、こちらこそありがとうございました。私もとても楽しかったです」


 お礼を言いたいのは、寧ろ僕の方だ。


(『おしごと』ツアーに参加出来て本当に良かった。子供達の喜ぶ顔が見れたし、この仕事の良い所も聞いてもらえた。それに――)


 僕は、僕の仕事をもう少し誇って良いのかもしれない。

 それは彼の気持ちの中に生まれた、小さな芽生え。


 それを与えてくれたのは、小さな小さな女の子だった。



 セシリア一行が、次の場所へと移動する。

 レノは馬達と一緒に当分の間、彼女が去っていった方向を眺め続けたのだった。


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