第14話 凍る空気
「では、馬小屋の掃除を手伝ってもらおうと思います」
御者としてのお仕事体験は、『馬小屋の掃除』の様だった。
言いながら馬小屋へと向けられた彼の視線につられて、一行もそちらに目を向ける。
「馬小屋の掃除は馬を小屋から外に出してから行います。まずは中に転がっている糞を拾って、その後一度小屋の中にある藁を外に出します。その後で床を擦って掃除して、新しい藁を敷いたら掃除は完了です」
彼はまず、作業工程を簡単に説明して見せた。
そしてすぐさま、テキパキとジェンダーを小屋の外に出す。
近くの柱に彼を繋いでからまた空いた小屋の中に入り、子供達を中へと誘った。
作業するのは、セシリアを入れたツアー参加者全員とレノの、合計9人である。
ポーラは「セシリアお嬢様が変な事をしない様に見ているのが私の仕事ですから」と固辞したので、外から体験の様子を見学する事になった。
まずレノは、手早く糞拾い用のトングで糞をつまんで銀色のバケツの様な物にポイポイと入れていった。
そうでなくても子供達にとっては、馬小屋の中に入る事自体初めての事だろう。
もしも子供達が糞を踏んでしまったら、滑って転んで怪我に繋がる恐れもある。
怪我予防の為にもこの作業は一人で行う事にしたのだ。
それが終わると、次は藁を外に出す作業に入る。
干し草用フォークを使って藁を荷車に積み、外へと運ぶのだ。
荷車へと藁を積むのが、子供達の最初のお仕事体験となる。
しかしこれには一つ、問題があった。
作業に使う干し草用のフォークは大人用に作られている為、重い。
とても子供達だけでは持ち上げられないので、子供二人にレノが手伝って作業をやっていく事にする。
そうやって子供達が作業を一回りすると、残りはレノがササッと終わらせてしまった。
ほんの少しだけ手伝わせてもらっただけでも、大変な作業だと分かるには十分だった。
それを彼は、実に手際良く片付けている。
流石はいつもやっているだけあるという事だろう。
全ての藁を小屋の外に出し終わると、次は小屋の床を水で流しながらデッキブラシで擦っていく。
これについてはブラシを床に擦り付けるだけで、ブラシを持ち上げる必要は無い。
多少重くとも、頑張れば子供達だけでも出来る。
そう算段を付けて2人で1本ずつデッキブラシを使ってもらい、小屋の掃除を開始した。
が、此処で不満を言う者が現れる。
「くっせぇーなぁ、こんなのやってらんねぇよっ」
何だよこれー。
というわざとらしい大声を上げたのは、やはり移動中からこの場所に対して難癖を付けていた『彼』だ。
誰が見ても分かる露骨に嫌そうな表情が、顔には浮かんでいる。
ブラシも一応持ってはいるものの、床に突いたまま全く手を動かしていない。
彼は、先程の馬とのふれあいにも参加していなかった。
寧ろ嬉しそうに馬に触れる他の子達やその様子を嬉しそうに見つめているレノを見て、「よくあんな臭ぇのを触れるよな」と馬鹿にするような言動を取っていた。
それらの声は幸い他の子達やレノの耳には届いていなかったが、他の子達の邪魔をしない様にと偶々少年の近くまで避けていたセシリアには丸聞こえだった。
つまり先程から終始、『彼』は態度が悪い。
「そりゃぁ生き物だからね、排泄物は出すし、それが臭うのも仕方が無いよ。でも馬房は綺麗にしておかないと、馬達が病気になっちゃうからね」
態度が悪い相手に対しても、レノは真摯に言葉を返した。
きちんとその必要性を説明し、理解を得ようとする。
彼が「汚いから掃除をしたくない」と思う気持ちも分からなくはない。
でも。
「小屋を掃除するのが嫌な人は、御者にはなれないかな」
「別に『そんなの』になりたいなんて最初から思ってねぇよ!こんな汚い仕事するくらいなら、死んだ方がマシだね。まぁどっちにしても、この屋敷からじきに出る予定の俺には関係無いけどなっ!!」
嫌いな事を避けていては仕事にならない。
そう伝えたかったのだが、『彼』の答えは芳しくない。
思わず苦笑が浮かぶ。
確かにこの仕事は、臭いはきついし肉体労働だ。
決して人気がある仕事だとは言えない。
それでも彼がこの仕事を続けられているのは、この仕事に彼なりの楽しみを見い出したからである。
しかしそれを楽しみだと感じるかどうかは、人それぞれだ。
(きっと分かってもらえないよな)
『彼』の芳しくない反応もあり、マイナス思考な結論を付けてしまう。
セシリアの「『こんな所』じゃない」という言葉が嬉しくて、一度は今回のお仕事ツアーの先生役に奮起した。
しかしだからといって、彼自身の性格がすぐさま改善されるわけでは無い。
彼のマイナス思考は元々彼元来の物で、内向的で自分の考えを誰かに主張する事が苦手な性格は昔からだ。
この仕事は肉体的に過酷で、とても清潔感溢れた職場だとも言えない。
これが、彼が今までずっと抱いていた自分の仕事に抱く劣等感だった。
だからこそ『彼』の劣等感をピンポイントで突いたその言葉は、彼の脆い奮起を折るには十分な要素になってしまう。
(仕方が無い)
そうやって、誰かに自分の想いを分かってもらう事を諦めてしまう。
他の仕事と自分の仕事を、『仕事の良さ』なんていう不確かな物で比べる必要は無い。
旦那様ならきっと、そう言ってくれるだろう。
此処の使用人達だって、僕が御者である事であざ笑ったりする事は絶対に無い。
でも。
(僕は仕事柄、他の屋敷に出向くことも多い。他の屋敷の使用人達から向けられる視線に、気付かない筈は無い)
他家の執事やメイドからの目は、いつも冷たい。
「御者風情が」という蔑んだ目が突き刺さる。
分からない筈が無い。
此処が『特別』なだけで、本来御者とはそういう物なんだ。
(傷付くことが怖いなら、自分の仕事に希望を抱かない方が良い)
レノのマイナス思考は、そんな視線に触れた彼が自己防衛の為に積み上げた要塞だった。
しかし次の『彼』の言葉を起点として、レノの気持ちは変化する事になる。
「あーぁ。こんな汚ねぇし、臭ぇし、しんどい仕事なんて良くやってられるよな。馬っ鹿じゃねぇの?」
「あなたにレノを馬鹿呼ばわりする権利は無いわ」
ピシャリと言い放たれたその言葉に、辺りがシンと静まり返った。
一拍置いてから、『彼』が振り返る。
「あぁ?何だお前、何か俺に言ったか?」
「言ったわ。馬鹿なのは貴方の方よ」
「何だとっ!お前、年下の癖に『貴族』だからって生意気なんだよ!!」
詰め寄ろうとした『彼』に、レノは咄嗟に動いていた。
二人の間に割って入り、『彼』の進行を阻む。
(やばい、このままじゃぁこの子、セシリアお嬢様に手を上げかねない)
『彼』の剣幕を見れば、セシリアの身が危険な事は明らかな様に見える。
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