第8話 スキンヘッドとの商談 -商人退場と新たな出会い編-

 


 終始笑顔のまま毒を吐き切ったマリーシア。

 そして怒涛の様な毒の奔流が止まった所で、キリルが言う。


「そうだね。僕もこの商人に領民から集めた血税を使うのは、とても許容出来そうに無いな」


 言いながら、グランツへと視線を向けた。

 何やら苦々し気な表情をしているが、彼がどんな表情をしていてもキリルにはもう関係無い。


「そういう訳だ。グランツ、今回は君との契約を取り止める事にするよ」


 それはグランツの事をきっぱりバッサリと切り捨てる言葉だった。



 通告されたグランツは、その言葉に大きく目を見開く。


 反射的にこの場でただ一人の大人であるマルクに視線を向けるが、彼はまるで「私は何もしません」と言っているかの様な頑なさでただただ『一使用人』に徹している。



(何だ? 断ったのか? 私との契約を?)


 驚きのせいで、思考が状況に追いつかない。

 それほどまでに彼の言葉は予想外だった。



 確かにセシリアの『自分たちで作った方が良い』という発言以降、旗色が悪くなっている事は分かっていた。

 だから契約が一時保留になることは覚悟していた。


 しかし同時に、「この場で『契約をしない』という決定が成される事は無い」と、高を括っていた。

 家として仕事を任せるのだ、こんな子供に決定権は無い筈だし、そんな愚行に出たとしてもマルクが止めるだろうと思っていた。



 そして例えば一時保留になったとしても、再度訪問した際に当主・ワルターに弁解し機嫌を取れば十分挽回できると踏んでいた。


 伊達に長年伯爵家と付き合いが長いだけじゃない。

 幸いにもこの契約に難色を示しているのは子供だし、事後フォローで事足りる。



 そんな皮算用を、容赦のないマリーシアの指摘を半ば聞き流しながらしていたのだ。




 しかし、今。

 そんな余地さえ与えない決定が成されようとしている。

 おそらくそれでもまだ交渉の余地はあるだろうが、これでは難易度が上がってしまう。

 出来ればそれは、避けたい所だった。



 やっと本当の意味での危機感に晒されたグランツは、早々に対策に出た。

 助言という体裁を以って、彼の強行を阻止しようとしたのである。


「キリル様、何も今此処で契約締結をしないと決断する必要はないのですよ?一度持ち帰り御当主様と相談されてからでも――」


 殊勝に勧めるふりをして「今の言葉は取り消せ」と言ってきた彼に、キリルはフッと笑う。


「心配してくれるのはありがたいが、その心配は不要だ」


「ありがたい」とは微塵も思っていない口で彼の言葉を途中で遮り、体勢を変える。


 足を組み、今までは使っていなかったソファーの背もたれに軽く寄りかかり、腹の前で両手の指を互い違いに組む。


「私は父から、この件に関して伯爵家における全権を委譲されている。今の私の言葉は、伯爵家の総意だ」


 一人称をいつもの『僕』から『私』に変え、キリルは目の前の人間に対する最低限の敬意を完全に捨て去って、低い声でそう言った。


 それは、貴族の中でも領主の威厳が垣間見える、強い眼光と声だった。




 シンと静まり返った室内で、チリンと涼やかな音が響いた。

 キリルに気圧されていたグランツが、その音に反応してハッと視線を上げる。


 見れば三兄妹の後ろに控えていたマルクが外の使用人を室内に招く為のベルを、片手に持っている。



 コンコンコン。


「失礼いたします」


 ノックの後、入室の許可を得ることなく、扉が開いた。


 このベルの音は、その音が入室許可と同義になる。

 その為、雇い主の更なる許可の言葉は必要ない。


「グランツ様がお帰りです」


 マルクが短くそう告げた。

 すると扉を開けたメイドが小さく頷き、グランツに向かって口を開く。


「出口までご案内いたします」

「いや、私にはまだ――!」


 まだ話がある。

 そう言葉を続けたかったグランツは、しかし続きを口に出すことが出来なかった。



 有無を言わせないキリルの眼光。

 マリーシアの「早くここから出ていけ」と言わんばかりの、ブリザード仕様な笑顔。

「何故この人は出ていかないのだろう」という、率直な疑問を一切隠さないセシリアの表情。


 そしてダメ押しに再度「さぁどうぞ」というマルクの言葉を浴びて、結局彼はすごすごと応接室から退出するしかなかった。




 扉が閉まり、2人分の足音が部屋から遠ざかっていくのを確認してから、キリルはハァーッとお腹から深く息を吐いた。

 体の力を抜き、ソファーにダランと身を任せる。


 マリーシアは、それとほぼ同時に対外的な笑顔の仮面を脱ぎ捨てた。

 その顔に浮かぶのは、不快感を示す本心からの表情である。


 そしてセシリアは、そんな2人の様子に「どうしたの?」と言わんばかりのキョトン顔を浮かべた。


「お三方共、お疲れ様でございました」


 マルクがそう言うと、まるでその言葉を合図にしたかのようにドアがノックされ、外から「お茶をお持ちしました」という若い執事の声が聞こえてくる。


「入れ」


 疲労を隠さない声でキリルが伝えれば、すぐに扉が開いた。

 そしてその先に居た執事服姿の少年が疲労困憊なキリルの様子を見るや否や、思わず苦笑する。


「これはまた、えらくお疲れの様ですね」


 ティーセットをカートに乗せて押してきながら、彼はそう声を掛ければ、キリルが視線だけでそれに同意の色を示した。


(言葉も出ない程とは……これは本当に相当お疲れの様だ)


 彼は心中でそんな主人を慮る。

 しかしふと視線を感じて、そちらの方に目を向けた。




 彼を見つめていたのは、セシリアだった。


(あぁ、そういえば彼女とは初対面だった)


 そう思い出し、納得する。


 丁度その様子を察したマルクが彼と役割を変わってやれば、少年はマルクに微笑を浮かべて謝意を示してからセシリアの元へとやってきた。


「お初にお目にかかります。私はキリル様の筆頭執事であり、キリル様の『初めてのお友達』、ロマナと申します」


 ソファーに座る彼女と目線を合わせる為に片膝を突いてそう挨拶をした彼は、セシリアを真っすぐに見て優しく微笑んだ。


「とは言ってもセシリア様の事は遠くから何度もお姿を拝見した事がありますし、キリル様からも良くその御様子についてお聞きしています。その為、実はあまり初対面という感じはしないのですが」


 垂れ目で色白な彼は、『温厚』という言葉が良く似合う物腰の柔らかさだった。

 丁度キリルと同年代くらいの少年なので「キリルの『初めてのお友達』」と言われても納得しやすい。


「キリルお兄さまの『初めてのお友達』?!ゼルゼンみたいな?」

「そうです。初めてお会いした時のキリル様は今よりずっと人見知りで、中々私に心を開いてくれませんでした」

「おい、ロマナ」


「最初は色々と大変でした」等と言葉を続けた彼に、キリルが言葉で釘を刺す。

「余計な事を言うな」と言いながら疲労に項垂れていた体を起こす彼に、ロマナがからかいの口調でこう言った。


「でも本当の事じゃないですか」

「それをわざわざセシリーに教える必要は無いだろうが」

「別に良いじゃないですか。セシリア様、後でキリル様には内緒で、昔のキリル様のあれやこれやを――」

「教えるなっ!!」


 等と軽口を叩き合う二人からは、確かに友人と言える程の距離の近さが窺える。


 そんな二人の様子を楽しそうに眺めていたセシリアは、マルクが今しがた置いてくれたほんのり湯気が立っているティーカップに手を伸ばした。

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