第6話 スキンヘッドとの商談 -執務室改造計画、質問編-

 


 差し出された書類を手に取ると、書類の最上には大きな字で『商品売買とそれに伴う作業に係る契約書』と書かれていた。

 その下には幾つもの契約事項が記載されており、料金や納品時期、その他にも幾つかの制約事項が普段は使わない様な難しい用語を使用して書き連ねられている。


 それらを一行ずつ確認し始めたキリルだったが、その様子に苦笑したのがグランツである。


「契約条項はいつもと同じ内容ですので、そのままサインしていただければ良いのですよ?」


 何故そんな些末な事に時間を使う必要があるのか。

 そう言いたげに向けられた視線を、しかしキリルは己の役割を全うする為に拒否する。


「この案件の契約内容がお前の言う『いつも』と同じ内容の契約で問題無いのかを判断する為にも、内容はきちんと吟味する必要があるだろう。今ここでのサインが必要で無いなら一度日を改めてもいいが」

「……分かりました。ここでお待ちします」


 彼の言葉にチラリと書類から視線だけを上げてそう言ってやると、グランツは引き攣った笑顔で答えた。

 しかしそんな顔をされる筋合いなど無い。


 今すぐの契約を求めたのは彼の方である。

 その確認の為に多少待ち時間が掛かった所で、何を彼に遠慮する必要があるというのか。

 自身の要望を叶えて貰う為の待ち時間なのだから、そこは甘んじて受けるべきだろう。



 グランツから了承の言葉を引き出して、キリルはまたすぐに書類へと視線を落とした。


 隣に座るセシリアは、丁度今彼が読んでいる契約書を遠目に覗いた後、もう一つの紙・見積もり明細をしきりに確認し始めた。


 そしてマリーシアも、現在自身の役割を全う中である。



 緩やかな微笑みを湛えながら終始グランツの様子を観察していた彼女だが、その手腕は「素晴らしい」と称賛するに値するものだった。

 何しろ観察されている当の本人に、その事に全くと言っていいほど気付かせていないのだ。

 その癖彼女がグランツの様子から常時必要な情報を集めている事は、彼女の少しずつ深まっていく笑みからもよく分かる。


 しかし彼女の活躍、もとい止めはもう少し先である。

 それは彼女が妹に、指摘の先を譲ったからだった。




 何かに引っ掛かりを覚えたのだろう。

 見積もり明細と契約書を何度か見比べた後、セシリアは頭に疑問符を浮かべた。


 顔を上げ、不思議そうにグランツに問いかける。


「ねぇ、どうして見積もり明細の合計金額と契約書に書かれた金額が違うの?」


 コテンと首を傾げてそう言ったセシリアに、グランツはピクリと眉を震わせた。


 何やら「変な物に遭遇した」と言わんばかりの表情で、あからさまに疑わし気な視線を向けて来る。


 おそらく「計算機もないのにお前みたいな子供が計算など出来るわけない」とでも思っているのだろう。


 しかしこの時既に『お勉強』にて四則演算全てをマスターしていたセシリアには、明細書の合計金額を自分で計算する事くらい朝飯前だった。


 因みに彼女にとって暗算はいつもの習慣のうちだ。

 彼女の感覚では、1の位の計算も100万の位の計算も難易度に大差はない。



 一方、グランツがセシリアの事を疑いの目で見ている間に、素早く事実確認に動いていたのがマルクだ。

 セシリアの後ろで電卓を叩いたマルクが、頷きながら口を開く。


「セシリアお嬢様の仰った通り、確かに契約書の金額と明細の金額は一致しません。おそらくどちらかの誤記ではないかと思われます」


 使用人業に徹した平坦な声色に押されて、グランツはやっと自身の電卓を鞄から取り出し始める。


「それは大変失礼いたしました。何やら初めての伯爵家のお子様方との商談で、少し緊張していたようですな」


「まさか末のお嬢様に間違いを指摘されてしまうとは、これは参った。流石伯爵家の御令嬢だ、よく勉強していらっしゃる」等と軽口を叩きながら、グランツがハハハッと笑う。

 そして「確認して修正しますね」と笑顔で答えたのだった。



 そんなグランツに、今度は契約書の条項を読み終わったキリルが口を開く。


「契約書の内容だが、著作権に関する記載が無い様だ。今回の依頼は構想段階から我が伯爵家が独自に編み出したものだ。『それをうちの許可なく作らない』という条項が必要だと思うが」

「それにつきましては、今ここでお約束します。伯爵家の方がお考えになったものです、無断で使用する筈など決してございません」


 笑顔で告げられたその言葉に、キリルは訝しげな表情を隠さなかった。


「……そういう事項を口約束ではなく書面に残し確実に約束したことを互いに確認するために、契約書という物が存在するのだろう?」


 そうやって、「契約書に書かれると困る事があるのか」と言外に問う。



 口約束をしていたとしても、契約書に書かない限り法的根拠は無い。

『口約束なんてしていない』と言えば物的証拠が無いので幾らでも言い逃れが出来てしまう。

 だからこそ、契約書の条項というのは大切で、必要なのだ。

 それを記載しないなどと、こちらを舐めている事に他ならない。


 到底9歳児には思えない正論を弾き出したキリルに、終ぞグランツは「ではその項目を条項に追記します」という言葉以外を告げる事は出来なかった。



 一方、そんな二人の様子を尻目に、セシリアはまだ見積もり明細をじーっと眺めていた。

 そして二人の話が途切れた所で、今度はこう尋ねる。


「この明細の『その他諸経費』って、具体的に何のこと?」

「あぁ、それは特注品を作るための消耗品費や光熱費です。今回の特注品を作る素材には最も強度の高い鉱物を使いますから、その鉱物を切断するための電気のこぎりを使います。そのため電気代が光熱費代として計上されています」


 グランツの説明に、セシリアは少し考え込んだ。

 しかし一旦ここは後回しにして、次の質問に移る。


「じゃぁ、この『作業員への人件費』は? さっき作成期間は2週間も掛からないって言ってたのに、作業員への人件費は2週間分出すことになってるよ?」


 そんな妹の言葉に、キリルは彼女の隣から見積もり明細を覗き込んでみた。

 すると確かに一日単位で書かれた作業員への人件費が2週間分、計上されている。


「うちの商会では実際の作成時間ではなく納品日までの日数で人件費をカウントするのですよ」


「当たり前のことだ」と言わんばかりに、彼は堂々と言う。


 その声に、セシリアはまた少し考える素振りを見せた。

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