第51話 人形

 ようやく明るさに慣れてきた目が室内の様子を捉える。皇女様のお部屋はなんとも女の子らしいパステルカラーで彩られていた。

 可愛らしいピンクの壁紙、青空を描いた天井、きらめくシャンデリア、レースのかかった寝台、クリームの勉強机に水色のタンス、そして白と金の鏡台。床やソファやテーブルに転がるクッション、ぬいぐるみ、本、宝石箱、描きかけのキャンバス、バイオリン。ありとあらゆるものが散らばっていて、まるですべてがおとぎばなしの絵のようだった。

「……なにをしておる?」

 ずいぶんと無言の時間が過ぎてから、皇女様はようやくそう言った。

「ノック」

 自分がちょっと変質者っぽいという自覚もあるし、女の子の部屋へ勝手に入らないよう僕は今も皇女様が入っていいと言ってくれるのを待っている。

「そうか。ノックだったのか」

 皇女様は入っていいとは言ってくれなかった。

 とことこと歩いて部屋の中央にある白い猫足のチェアへ深々と座る。その姿は一枚の絵の中で彼女もまたお人形さんになったかのようだ。

 しかも皇女様は次の言葉をなかなか言わない。またも無言の時間が流れる。そんな時間もまあなかなか悪くないけれど。

「……いや、アオイ・カゼ。なにか用があって来た、のではないのか?」

 困惑気味の皇女殿下。そうか。僕が話さないといけないのか。

「うん。皇女殿下に会いに来た。だから会えて嬉しい」

 ひどく素直な言葉が出た。ますます当惑顔になる殿下。そんな顔をさせたいのではないんだけど。なにをどう言えばいいのか、分からない。

「ええと。すごく会いたかったから来ちゃったけど。ごめん、迷惑だった?」

「いや、それは。というか、よく来られたな。むしろ、どうやって来た」

 それはもう、たくさん頑張って。全部話して聞かせてあげたいけれど、たぶん人に知られたら不味いことだ。

「ないしょ。……でも、帰れって言うなら、すぐ帰るから、だから」

 安心して欲しい。どうしても会いたくて来たけど、決して皇女様を困らせたいわけじゃない。

「いや。この部屋へ遊びに人が来たのは、お前が初めてだ」

 笑った。皇女様がくすりと笑った。僕はますます嬉しくなる。それにしても、遊びに来たと認識してくれているなら、部屋へ入れてくれてもいいんじゃないか。

 僕は、ただまっすぐに皇女様に聞いてみることにした。

「なんで殿下は、突然僕の部屋からいなくなったの?」

 目に見えて皇女様の笑みが凍りつく。彼女はおろおろと目を逸らした。

「それ、は」

 それでも皇女様は、なにか答えようと懸命に口を動かす。僕はじっと待つ。

「なんというか」

 うろつく視線が僕をちらりと見て、追い詰められた小鹿のように瞳が揺れる。

「ぱ、パンツを見られたからだ!」

「は?」

 叩きつけられた言葉に、僕は目をぱちくりする。

「え。だって。殿下、あれはホットパンツだったでしょ」

 自分でそう言ったじゃないか。殿下は目を潤ませ、うううと唸る。

「あ、足を舐める、と言われた!」

 言った。言ったけど、そういう意味じゃない。

「変態、と同じ部屋にいるのは、身の危険を感じた!」

 なんだその理由。僕は怒ろうとして、しかし涙を溢れさせそうになっている殿下の姿にひどく動揺する。なんで。違う。皇女様はなにかを誤魔化そうとしてる。騙されるな。

「……ごめん。でもあれは、違うんだよ。っていうか、別に頼まれたって足は舐めない」

 たぶん。いやでも。まぁたぶん。うん。

「だから。なんで部屋にいられなくなったの?」

 本当の理由を僕に教えて。

 小さな唇が震える。ふんわり広がる髪を耳にかけ、皇女様は泣きそうな目のまま僕をまっすぐ見つめた。

「アオイ・カゼ。私が皇女で備品であることを、お前はどう思う?」

 なんだ、それ。質問の意図が、全然分からない。

 前に皇女様は、それは僕が知らなくていいことだと言った。でもアルが教えてくれた。それで。それを僕がどう思うか? なんなんだ。

 困って見つめた皇女様の顔がくしゃりと潰れる。ああ、なんでそんな顔をさせてしまっているんだろう。どうしたら笑ってくれるんだろう。なにか僕に言って欲しい言葉でも、あるっていうのか。

 皇女様の悲しそうな顔。彼女の求めている答えは、どうやら僕には分からない。

「それは分からない、けど」

 明るい色に囲まれた部屋。なに不自由なく与えられ、物に溢れかえる中で、どうしてそんなに寂しそうなんだろう。

 皇女殿下。かつての皇族の末裔。基地の鍵。皇女様で、備品。でも、その姿はまるで独りきりで寂しがってる女の子だ。

「分からないけど、僕も殿下がいなくなって寂しい」

「……答えになっていないな」

 殿下は泣きそうな顔で苦笑した。

「そもそも殿下が僕の質問にちゃんと答えてないでしょ」

「そうか。そうだな」

 とうとう皇女様の目から涙が溢れ出して、僕は慌てふためく。体が勝手に反応し、部屋へ飛び込んで皇女様の側へ走り寄る。体は服の袖口でそっと優しく流れる涙を受け止めた。

「……ごめん。勝手に入るつもり、なかったんだけど、これは、なんていうか」

 驚いて固まる皇女様に一生懸命謝る。少し震えた皇女様は、袖口を掴むと顔を埋めて勝手にハンカチとして使いだした。僕はどうすればいいか分からなくなって、ただハンカチにされるままになる。

 ぐずぐずと泣く顔を埋めたまま皇女様は言った。

「私は、お前の部屋にいても、いいんだろうか?」

 僕はそっと微笑む。

 殿下、ごめん。僕は今日、お別れを言うために、会いに来た。

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