第30話 太もも

 五感がない、なんてもんじゃない。自分の存在があるのかないのか分からない。とにかくちゃんと自分があるということを確かめたくてもがいていると、動くなと怒られる。いやだから、その動く体もないんだって。

 体がないから声が出ない。どころか呼吸もしてない。鼓動もない。いつも当たり前すぎて気にもしていなかったそれが、なくなった途端気になって不安になって仕方ない。

 どうなってるんだ、これ。え、僕無くなってる?

「    」

 しゃべって! 頼むからなにか、しゃべって。せめて声をくれ。でないと本当になんだか分からなくなる。

「あー。急になにか話せと言われましてもねぇ」

 照れるな馬鹿馬鹿馬鹿。

「  」

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。声をください。

「もう少し動くのを我慢してほしいです」

 だから動かせる体なんてないんだって。

「動かそうとしているでしょう。あとそろそろ叫ぶのも止められませんかね」

 叫んでない。

「君が出してる信号はずっと泣き叫んでいる状態ですよ。音へは変換していないので大丈夫ですが、それでも若干うるさい」

 すみませんね。さすがにイラッとする。

「ああ、声を聞くことに集中していれば、多少はマシになるようなので。会話に意識を集めててください」

 だったらもっとなんか話せよ。

「そうですねぇ。あ、今日の夕食に久しぶりの鶏肉入ってますよ。良かったですね」

 うん。いや。味覚も嗅覚も、口も胃もない状態で夕飯の話をされてもどう反応すればいいか分からない。

「ワタシはあまり爬虫類は好きではないので。楽しみですねぇ、鶏」

 いらない情報。

「我が儘ですね。作業しながら話題を考えるのは面倒なんですよ。君の声を悲鳴の中から的確に拾い読むのも手間ですし」

 すみません。でも見捨てないで。頑張って。

「それなら。逆になにか聞きたいことはないですか?」

 聞きたいこと。ええと。今の僕の体は無事なの? 息もしてないみたいだけど。生きてるんですよね?

「大丈夫ですよ。息はしてます。体も別でモニターしてますし。生命維持に必要な信号はこちらで送ってますから。心拍数も正常に管理してます」

 意味分かんないけどなんかヤバい。なにされてるんだよ。

「ヤバいもなにも。TGrSチグリスを始めとする神経接続系の基本機能ですよ。まぁ、ヤバいとは思いますが」

 やっぱヤバいんじゃん。というか、チグリスって結局どれぐらいの性能があるんだろう。乗れば乗るほど分からなくなる。

「ほう。それ、どういう意味か詳しく」

 え、あ。なんていうか。動かそうと思えば思うだけ動く、というか。どのぐらいのことができるのか、なかなかが見えない。どうなの?

「さすがにを出てからもタメ口きいたらワタシも怒りますからね」

 すみません!

TGrSチグリスに関していえば、機体数も少なく運用実績もほぼないので性能はさっぱり分かりません」

 おい。

「というかTGrSチグリスに限らず、全ローダーで権限100%な性能を引き出したらどれほどの威力を出すのか、分かりません。そういう意味では君が一番はずですよ。良かったですね」

 特に良くない。

「さて。次は少し脳を借りますね」

 なにそれちょっと待て!

「あ。言葉の綾です。君の思考へは一切影響ないので、そのまま普通にしていてください」

 なにするつもり!? なにするつもりだ!?

「ほら、平気でしょう。ちょっとした、無意識とか反射の確認をしてるだけです。あと少しなので暴れないでくださいね」

 早く終われ。こんなの二度とやらない。

「残念。定期的にやらせてもらうので。ごめんなさい」

 やだ。


 それから元に戻してもらうまで、あれやこれや手順がかかってずいぶん時間を取られたと思う。体感時間もめちゃくちゃなのでよく分からない。ようやくチグリスとの接続を切って、扉を蹴り開ける。あー、足動くの最高だ。

 外へ出て体を抱いてみるが、確かにどこもおかしくはない。心拍数も平常で、むしろさっきまでの無が夢だったみたいに融けていく。ついでのようにズキズキと痛みだした頭が、気づけばすぐに激痛へとなって気持ち悪いほど痛い。吐く。

「どうぞ」

 差し出された手に錠剤があった。

「鎮痛剤ですよ」

 渡された水で一息に飲み込む。ガンガンと割れるような頭痛に早く治まってほしい。痛む頭を抱えたまま部屋へ戻る。途中、堪えられずにトイレで吐いたから薬も吐いた。

 なにも考えられず、とにかく部屋へ入って。寝袋へたどり着きたいが。なんか頬に冷たい感触。部屋の床だ。床にキスしてる。あは、無理。

「アオイ!」

 驚いたような殿下の声。けど頭が割れるから響く声やめて。

「大丈夫か!?」

 大丈夫じゃねぇよ。


 目が覚めてみると部屋は暗かった。消灯後らしい。

 頭はまだズキズキするけれど、あのかち割れそうな痛みに比べれば随分とマシになっている。あんまり痛かったから、部屋へ戻ってどうしたんだかなにも覚えていない。

 どうも床に寝ているな、と思うがそれはいつものことだ。ただ、いつもの寝袋じゃなくて毛布にくるまれているらしい。皇女様が貸してくれたんだろうか。寝心地がなんだかいい。ごそごそと寝返りを打とうとして、そこでようやく「あれ?」と思った。これ、いま僕はなにを枕にしてる?

 まったく覚えのない柔らかいそれは、なんだか甘いいい匂いがして。この匂いには覚えがある。暗くて見えないので手を伸ばして枕のあたりを確かめようとすると、急にバシンと誰かに払われた。そして聞こえてくる「むにゃむにゃ」という寝息。

 ……おおう。もしやこれ、皇女様に膝枕されてます?

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