第三五段 燔祭の浦上
そして、浦上である。
今でも、この地は私の中で明瞭に存在している。
しかし、その「在り方」は高校時代からは少々外れているように思う。
少なくとも、直情的な反核の象徴ではなくなった。
長崎の原爆観の中には「燔祭」という考えが含まれている。
故永井博士は、
燔祭の 炎の中に 祈りつつ 白百合乙女 燃えにけるかも
という歌を残しているが、浦上の復興のために、博士はこの惨劇を「燔祭」とし、それを人類の代表として長崎は受けたのだと主張したのである。
元々、原爆の投下された浦上地区はキリスト教徒が多く、その心情を汲んだ場合、当時としては正解であったと考える。
しかし、である。
原爆を作り、投下したのはあくまでも人間であり、それを防ぐ手立てはいくらでもあるのである。
少なくとも、従容として受け入れたのでは、犠牲者に顔向けができない。
核を使用させず、人々の幸せを守る、という道を一歩でも進めなければならないと、確信したのである。
その上で、私は大学時代にこの「燔祭説」を評価しつつも脱却を目指すべきであると主張したのである。
祈りの長崎ではなく、幸せを守る長崎であるべきだ、と。
そして、私の文芸観の根底として「幸せ」を置くことにしたのである。
それが二十一世紀の「原爆詩人」の役割であると確信して。
無論、他の視点から目指すこともできたであろうが、私は科学的に行動するよりも心に問いかける方を選んだ。
全く、生きにくいほうを選んだものである。
それでも、一片の後悔もなく私は丘を見つめる。
原爆忌 浦上に鳴る 鐘の音は 未来を目指す 若人の歌
私は父と母から生まれた。
その父と母は長崎で『生まれ』た。
長崎が原爆の後に再び生まれた以上、私の出発点はやはり原爆なのである。
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