第11話 集う原石



 ――私は熱狂的なアイドルファンでしかなかったんだって彼女は泣いていた。いつも隣にいるはずなのに私は何もできない。やめることを伝えられた時、私はそこまで彼女が追い詰められていたことにようやく気付いた。遅かった。れいにーは続けなよ、と言うけど、もう私には舞台に立つ力なんて無かった。私はずっとあなたのファンであり続けたのに。だから、諦めたくないから助けてって言葉に頷いていたというのに。彼女の為に頑張って他のグループをどんどん追い抜いて。追い抜いていって私が目立ったせいで彼女を潰してしまっていた。どうして。どうすれば良かったの。ぐるぐると視線をライブハウスの床に彷徨わせる。今日もどこかで彼女を侮辱した男達が嗤っている気がした。――








 れいにーが行く予定である、花畑桃のファンによるオフ会は16時から。早苗の撮影は13時に新橋駅待ち合わせなので、もしかしたら撮影後に急げば乗り込めるかもしれない。なんてことを考えながら30分前には早苗は新橋駅の汐留口に着いていた。汐留口は工事中なのか壁の全面をビニールのようなもので覆っている。




 ひかりんを先頭に改札口を出る。行きかう人々の中で、早苗はマスクマンとウォッチャーの姿を探していた。もう着いている、とのことだったが。




 れいにーの参加予定のオフ会では一人キャンセルが発生したところにアオケンが滑り込んでいた。これで、気が弱いものの、れいにー周辺の人間関係を理解している透とガタイだけは良いアオケンがオフ会に潜入できたこととなる。大きな体格は一定の圧を持って変な男共を牽制できるはずだ。もっとも、実のところは見掛け倒しで武道をやっていた経験もなければ喧嘩もしたことがないそう。




 ともかく、さなたんは気にしなくていい。そう、4人は口を揃えて言った。




「どこかしら。」




 改札口をさなたんが出たところで目の前の背中が呟く。彼女もまた視線をあちらこちらに動かしている。




 不意に違和感を覚えて、複数人の男性の集団が目に入る。見たことも無い男達。その真ん中に二人はいた。どうも友達と出くわしたらしい。親し気に会話している彼らの邪魔をしていいものか。




「そこにいるみたいだけど、」




 早苗が指差すと、ゲ、とひかりんは顔を歪めた。




「一人臭そうな奴いるわね……少し待ちましょ。」




 臭そうな奴、と言われてそちらに視線を向ける。確かに、汗だくでTシャツも洗っていないのか物持ちが良過ぎるのか、どう見てもよれよれの男がいた。一瞬、アマビエが勝手にあの集団の中に勝手に足を運ぶんじゃないか、と危惧したが、アマビエは早苗の身体を乗っ取ること無く大人しくしていた。ひかりんは男性集団に気付かれていない事を良いことに、鼻を摘まんで眉をひそめてから笑う。








 二人の周りにいた男達はすぐにどこかへと去っていき、早苗とひかりんは二人の元へと歩き出す。ウォッチャーが気づいて声をかけた。




「あ、着いていたの。」




 途端、ひかりんが微笑んだ。




「話の邪魔をしちゃ悪いかと思って。」




 呆れるばかりの見事な二重舌。先程まで、臭いオタクがいかに狭いライブ会場で害悪か顔をしかめていたというのに、ある意味で最もアイドルらしい。スラスラ、と出てきた言葉に妙な感心をしていると、ねー、とひかりんが同意を求めてくる。早苗は苦笑しながら頷いた。




「それよりも俺の企画を差し置いて通った男はどんな奴だ。」




 マスクマンは口に黒いマスクをつけている。出会った頃は顎につけていたはずだが最近外にいる時は口につけるようになっていた。そのマスクの中で窮屈そうにもごもごと口を動かしている。




「まぁまぁ、そのうち分かるよ。」




 ウォッチャーがにやにやと笑う。早苗は一昨日の時点でウォッチャーから相手の顔と名前を個人チャットで送ってもらったのだが、見覚えが無かった。とは言え、ウォッチャーは口に弧を描いたままだし、彼らの知り合いらしいことは確かだった。








 13時には迎えに行く、と言われていたものの、制作会社の男性が早苗達を迎えに来たのはそれから30分も過ぎていた。午前の撮影が押して遅くなった、申し訳無い、と若いADは頭を下げる。カメラマンや早苗のデート相手となるオタクは既に撮影場所に集合しているとのことで、その男性が撮影場所まで早苗達を案内するとのことだった。彼は使い捨てマスクをつけていた。








 撮影のスタートは新橋のイタリア街でオタクと待ち合わせシーン。そのままオタクに地中海料理を振る舞われるという流れだった。




 歩いてすぐだから、と言われて男性ADに着いて行くこと十分弱、急に街並みが変化した。大きな道路の脇に背の高いコンクリートの建物が密着していたはずが、薄茶色のレンガでできたような建物がゆったりと並ぶ風景になる。車道にはスピードを出す車どころか人々が歩行者天国のような感覚で歩いていた。イタリア料理店のようなものがあちこちにあり、高級そうなブティック店もある。




「おっしゃれー……。」




 日本じゃないみたい、と早苗は呟く。外に出ている看板には日本語が躍っているが、街並みはヨーロッパのイメージそのもの。




 同意を求めようと振り向くと、マスクマンとウォッチャーがだいぶ後ろで歩いていた。呆れたようにひかりんがため息をつく。




「普段、秋葉原とかばかりに行くからこういう所、慣れていないんだって。」




 なるほど、と苦笑いしていると、一際大きな建物の前の広場周辺で三脚にカメラを乗せて撮影をしているらしき一行が遠くに見える。あ、と早苗が声を出すと、ADが頷いた。




「そう、あれだよ。」




 途端、後ろの方を歩いていたマスクマンがいきなり撮影グループの後方にいた、背の低い男性のところまで一直線に走り出した。呆気に取られて立ち止まった早苗達の前でマスクマンは彼の両手を掴み叫んだ。




「あなたが神か……っ。」








 背の低い男性の前でマスクマンが合掌している。拝まれている彼は満更でもないらしく、照れたように笑っていた。




「えぇっと……。」




「ファーストライブでさなたんのプロマイドやCDをほとんど買い上げた人だよ。彼が、さなたんのデート相手だって。」




 早苗の戸惑いに、ウォッチャーが答えてくれる。つまり、今、恥ずかしそうに顔を赤らめている彼が早苗のグッズを買い上げて支援してくれ、さらには地上波デビューまで早苗を導いてくれているということらしい。




 じわじわと胸が温かくなった。駆け寄ってお礼を言おうとしたところでADに制される。




「ごめんね、初めて会うところを撮影したいから、もう少しここで待ってくれるかな。」








 カメラが回っている。『さなたんのオタク』が今日のデートへの意気込みをインタビューされている。質問されているうちに手に汗をかき始めたらしく、ズボンに手を擦りつけて拭いている。その背中をさなたんの手が叩き、お待たせ、なんて笑う。二人の胸元に目立たぬよう仕込まれた黒のピンマイクが確実に音声を拾っている。




 多少のアドリブも許されながらも台本通りのシーンが撮影されていく。初の撮影だったのもあって、ある程度の流れが決まっていたのは有り難かった。




 カット、という声がして、身体から力が抜ける。けれど、さなたん以上にオタクの方が緊張していたらしく、はーあ、と深い息を吐きながらその場で座り込んでいた。








 次の撮影場所にカメラを準備するので少し待つように、と言い渡され、さなたんがひかりん達に視線をやる。と、ウォッチャーの持っているスマホを眺めて何やら笑いをこらえるかのように、目を反らしたり、口に手を当てていた。




「どうしたの。」




 タタッと軽やかに走ると、ウォッチャーがスマホを早苗に差し出す。そこには涙目の可憐な美少女がカラオケボックスと思われる室内で座っていた。ピンク色のワンピースを見にまとう儚い姿。どことなく誰かに似ているような気がする。つい最近見かけていたような……。




「いやぁ、透ちゃん、可愛いなぁ。」




 にやにや、とウォッチャーが呟く。早苗は目を丸くしてその姿を食い入るようにして見つめた。








 オフ会に潜入するにあたって、ただのひょろひょろとした男では何の役にも立たない。じゃあいっそ男共の気を引くために女になれば良い、と四人は結論を出したそう。女装化粧などは分からなかったのでアオケンが透を拘束し、ネットで検索した知識を基にマスクマンがやってみたら確かに中性的な顔立ちとなっていった。調子に乗った三人はワンピースまで買ってきて、着るようにと渡しておいたらしい。透は散々着るのを拒んでいたが、アオケンの説得で腹を括ったらしい。それで、後は声でバレないよう今現在、カラオケで高い声を出す練習までさせられている。




「それにしても女の私も嫉妬しそうなくらい可愛い……。」




 目を奪われながら呟く。ワンピースから出る細い足は人形のように細く、男であることなど一目ではまるで想像できない。




 マスクマンが合掌してからグループチャットにコメントを投げた。




「推しのために身体を張る透、お前はオタクとして100点だぞ。」








 その後、ヨーロッパ料理店のテラス席に移動し、運ばれてくる料理を食べた。初め、運ばれて来てすぐに食べるのか、と思い、フォークを手に取ったが、カメラマンに止められ、『ブツドリ』するから、と早苗は席を立たされた。そのまま、カメラマンがテーブルに並べられた料理を撮影し終えるまで早苗はアヒージョなどが少しずつ冷えていく様を眺めていた。ようやく『ブツドリ』を終えてオタクと向き合い、フォークを手に取り食べようとすると、再び手を止められ、食べ物を頬の横に持って来たりするよう指示を受けた。そうこうしてようやく食事風景を撮影し終えた時刻は既に15時半を過ぎていた。笑顔で会話しながらカメラ目線を常に意識する食事は味がせず、疲労だけが蓄積された。れいにーの参加するオフ会は16時スタート。








 次のシーンを撮影するまで少し待つように、と指示され、早苗は見守っていたひかりん達の元へと駆け寄る。




「浮かない顔ね。」




「まぁ……。」




 オフ会に早苗が乗り込もうとするならもうそろそろ撮影が終わってくれなければいけない。しかしまだ最後のシーンと早苗とオタクのツーショットで散歩するシーンの撮影が終わっていない。オフ会には間に合わない。




 ちらり、と相手方のオタクの方に目を向けると、彼は手持無沙汰でぼーっとしている。放置してしまっていることに気付いて、早苗は彼の元へと駆け寄った。近付く早苗を見て慌てて背筋を正している。




「本当にありがとうございますっ。」




 ガバッと早苗は頭を下げた。いやいや、と慌てて後ろに彼は一歩下がった。その緊張ぶりが可愛らしくて癒されてしまう。ふふっと笑うと、彼は俯いた。




「でも、どうして、無名の私をここまで推してくれるんですか。」




 不意に疑問が口をつく。――さなたんのファーストライブのグッズを買い、テレビ局までさなたんを取り上げるよう手紙を送った彼。彼は恥ずかしそうにしながら答えた。




「……さっさなたんはっ、一生懸命でっ辛くても明るく頑張って、だけど優しいから、だから、僕は、い、癒される。舞台、凄かった。き、きっとね、君を支えているファンはだから尽くしたくなるんだ。」








 彼はSNSで日々の辛さを吐露していた。上手く恋愛できないこと、いつもどもること。そんな時、まだSNSの扱いも覚束なかった、下手な自撮りをあげていたさなたんから、そっと、いいね、と慰められるような反応があった。確認してみると、彼女のいいね欄はそういった人々に寄り添うものが多いことに気付いた。そして、スキャンダル。彼女は様々なものを抱え込みながらも大勢を笑顔にしようとしている。そんな思いでファーストライブを観に行ったところ、舞台での輝きに目を奪われた、とのことだった。








 そういえば、と彼女は思い出す。SNSアカウント開設時、余計な事を呟かないように気をつけていたものの、苦しんでいるフォロワーの呟きに何かしてあげたくて、いいね、とだけ反応していた。無力だな、と感じていたが、そうでもなかったらしい。




 ありがとう、と笑うと、オタクは照れたように笑みを返してくれた。








「私、一つ間違っていた。」




 ひかりん達の前で早苗は口を開いた。彼らの視線が一斉に早苗に向かう。早苗はどこかスッキリした顔で言葉を続けた。頭の中には、初めて出会った場所であるラブホで肩を寄せ合い、相談していた四人の姿。彼らはずっと早苗をさなたんとして支えて来てくれていた。




「私はアイドルとして、もっともっと有名になる。」




 そのためにも、全力で仕事を全うしなきゃいけない。




「大丈夫、れいにーはあの二人が絶対に守ってくれる。ファンを信じなきゃ。――だから、背中は任せるね。」








 全ての撮影を終え、お疲れ様でした、と挨拶を終えると、早苗はマスクマンに叫んだ。




「お願い、オフ会の場所を教えてっ。」




 え、あぁ、と言いながら彼は慌ててスマホで場所を確認し直す。




「ファンを信じるんじゃなかったっけ。」




 ひかりんが冷ややかな視線を送るが、早苗は首を振る。




「うん、でも、れいにーは守るだけじゃ救うことにならないでしょ。」




「言ったわよね、あの子がアイドルをやれば私達が潰れるって、」




「分かっている。でもね――」




 私は助けたい、と早苗が言いかけたところでマスクマンが早苗に場所をスマホで送る。それを見るなり、早苗は全員を置いて走り出す。走り去る彼女の背中を見つめながらひかりんは呟いた。




「私は――。」








 大衆居酒屋の団体様用の長テーブルでは男性が複数座っていた。お好み焼きを焼く店で、大勢が一つの和室に入っており、ドアが開け離れているとはいえ、ほとんど個室のようなもの。そこで酒に酔った男達がアイドルについて語っている。そこにいる女性はれいにーのみ。何も知らない人から見ると透も合わせて二人ではあるのだが。




「私のこと、守っているつもりですか。」




 れいにーが隣に陣取る恰幅の良い男性、アオケンを見上げる。一方、女性物の服に身を包んだ透は正体がバレないよう静かにしていたためか、たちの悪そうな両隣の男達に散々口説かれていた。




「私より、あの子を守ってあげた方が良いんじゃないですか。」




 れいにーは正体が透だと分かっていないらしい。アオケンはおかしくなって笑うのをこらえながら、まぁまぁ、と宥める。と、彼女は立ち上がった。




「どこに行くの。」




「乙女にそれを訊きますか。」




 そう言われてしまえば男のアオケンは着いて行くことができない。れいにーはトイレ方面へと足を向けた。








 早苗が大衆居酒屋のそのテーブルに辿り着いた時、アオケンが早苗に駆け寄った。れいにーの姿は見当たらなかった。




「トイレに行ったきり、戻って来なくて、」




 奥では光景上、紅一点となった透が男達にさらに囲まれている。男性だとバレるのも時間の問題のように思えた。助けて、という視線をアオケンに向けている。




「とりあえず、トイレを確認してくる。」








 居酒屋の小汚い女性トイレの中に人はいなかった。つまり、れいにーはオフ会を抜け出した可能性が高かった。抜け出したとしたらどこへ向かったのか。自宅のマンションに帰っていたとするなら、追い駆けることはできない。




 少なくとも急ぐ必要が無いことは分かった。彼女はオフ会から姿を消している。けれど、今捕まえなきゃいけない気がした。でも、どこに消えたのか。




 とにかく皆に事情を伝えなきゃ、とスマホを開くと、一件、れいにーからコメントが来ていた。




『鶯谷駅の橋の上に来ること』








 こじんまりとした鶯谷駅南口改札を抜けて、新坂橋の真ん中へ。れいにーは橋の下を流れる電車を眺めている。




「れいにー。」




 早苗が声をかけると彼女は視線を合わせることなく吐き捨てた。




「もうこういうの、やめてもらえませんか。」




「どうして、」




「どうしても何も言ったじゃないですか。――さなたんから推し変したって、」




 じゃあ、と彼女は背を向けるが、構わず、早苗は声を投げかけた。




「お願いがあるの。」




「聞きませんって、」




「アイドルを――」




 アイドルをしないの、とかそういう他人事のような言葉じゃない。もっと、もっと何か言うべきことがある。アイドルだったれいにー。アイドルを辞めても尚、アイドルに関わってしまっていた一人の孤独な少女。皆、自分が潰される怖さから言えなかった一言。




 早苗はキュッと唇を噛みしめて笑うと、れいにーに向かって手を差し出した。




「――一緒にやりませんか。」




 れいにーの姿がくるりと振り向く。驚いたように丸く開かれた目からは大粒の涙が零れていた。




「なん、で……。」




 泣きじゃくる彼女に近付くと、彼女は威嚇するかのように睨んで口を開いた。




「わ、私だって、舞台に立ちたかったですっ。さなたんは凄い早さでファンを獲得していくし、もしかしたら私が隣で歌う未来もあるんじゃないかって。でもっ、私がいたかった位置には、ひかりんが躍っているし、だ、だから、さなたんから推し変してもう忘れようって、」




 えぐ、えぐ、と泣きじゃくり、座り込む。その背中をさすりながら、早苗はそっと呟く。




「推し変すれば良いよ……でもそれは桃じゃない。」




「ライバル意識ってやつですか、」




「違う、そうじゃなくて……自分に推し変すれば良いじゃん。」




「だ、だから私はダメなんですっ。私は、私は――、」




 うん、と頷く。れいにーは泣きながら呻いた。




「私は、アイドルやっちゃいけないんです……っ。嫌です、もう、推しを失いたくない。」








 うぇぇ、と泣き続けるれいにーの背中を撫で続けながら、早苗は周囲を見回す。好奇心丸出しでこちらをちらほら眺める人達や迷惑そうに顔を歪めてスタスタと立ち去る人達。こんなふうに見られる可能性もあったのに鶯谷という人が行きかう場所で早苗と会うことを選んだれいにー。初めて出会った場所であえて別れを告げようとした震える背中。




 れいにーの相方を潰した人達が来ると分かっていたオフ会で彼女は再度、自分はアイドルをやってはいけない、と自戒していたのだろうか。独りで決意を固めようとして、それなのにさなたんのファンがいることでままならなくて。




「あのね、あなたの過去、聞いちゃったの。」




 嗚咽を漏らしている背中に早苗は優しく語りかける。




「じゃあ、どうして、一緒にやりませんか、なんて、」




「でもあなたはやりたいんでしょう。」




「私がアイドルになったら、」




 二人共潰れてしまうかもしれないんですよ、とれいにーが言いかけたところで背後から別の声がした。




「己惚れないでよ。」




 そこには息を切らしてひかりんが鋭い眼差しで立っていた。








 己惚れないで、という言葉に弾かれたようにれいにーが顔を上げる。ひかりんはしっかりとした足取りでこちらに歩いてくる。あちらこちらとれいにーを探し回ったのか、万が一さなたんのついでに撮影してもらえたら、と決め込んできた服が乱れている。




「私があんたの輝きで消えちゃうようなそんなヤワなアイドルなんかじゃない。」




 私も、と早苗はれいにーに微笑む。ひかりんは言葉を矢継ぎ早に紡いでいく。




「私もさなたんもあんたに絶対に負けない。そりゃはっきり言うならあんたみたいなのがアイドルやったら一生輝けなくなるんじゃないかって怯えていたわよ。えぇ認めるわ。でもね、アイドルなら正々堂々と自分の輝きでそんなの打ち消さなきゃ。そうじゃなきゃ有名になんかなれっこない。」




 ひかりんの影がさなたんとれいにーに覆い被さる。にこっと彼女は笑った。




「だから、れいにーも思う存分暴れなさい。」








 れいにーが再び泣きだす。けれど、彼女はさなたんに背を向けることなく向き合い、その肩にしがみつき、顔をうずめていた。どうしようもない子ね、私より年上って本当かしら、なんて言いながらひかりんがれいにーのパーマがかかった長い髪を撫でる。そうして、れいにーが泣き止むまで三人はずっと一つになっていた。








 ――衣装作成、頼めないか、と言われて、良いですよ、なんてライブハウスの中で気軽に返事した。アイドルはやめたけど、ずっといちオタクであるれいにーとして、舞台の上の輝きを眺めていた。私はこんなふうに笑っていたのだろうか。楽しそうにステップを踏めていたのだろうか。隣で、ありがとう、と頭を下げる男。衣装を作るためにもサイズと顔を見せて送ってね、と舞台を見つめたまま呟いた。




 後日、送られてきた画像は多少容姿の整った平凡そうな女性の姿。さなたん、というらしい。私も舞台に立つまではこんなふうに見えていたのだろうか、なんて思う。検索したSNSアカウントでは自撮りをあげているものの、他のアイドルと比べて全然宣伝も下手だし、個性も無い。容姿だけで戦えるような甘い世界じゃありません。気付いたらすっかりアイドル評論家気取りな自分に苦笑いする。それでも、日数が過ぎることに上手くなっていく自撮りにコメント。何だか放っておけない。




 床に散らばる衣装案。どれもこれもしっくり来ない気がして、会ってみようかという気分になる。会って答えを得てみよう。




 彼女の居場所がわかるか、と衣装を頼んできた男に連絡すると、鶯谷だという。慌てて部屋を片付けるなり、家を飛び出した。








 彼女だ。妙な確信があって、その背中まで辿り着いた。彼女はビニール傘を差して鼻歌を歌っている。この雨の中多くの人が顔をしかめたり、靴に侵食した雨水でうんざりしている中、一人楽しそうだ。呼び止めようとして、彼女の鼻歌に足を止めさせられる。それは歌というよりも単語に音をつけただけのもの。けれど、その一つのフレーズが耳にハッキリと流れ込んできた。








 ――恋はいつも僕からで。








 ぶわっと脳内に光景が浮かんだ。懐かしい、ショートカットの軽やかな笑顔。ユニドルの一人として舞台の真ん中で踏むステップ。一目で憧れた。綺麗で、この雨も吹き飛ばしてくれそうな光。同じ授業を取っていた彼女。ファンです、と教室で思わず声をかけると嬉しそうに笑いかけてくれた。ユニドル決勝は敗者復活戦で返り咲いたものの、表彰台に上がれなかった彼女。




『諦めきれない……助けて。一緒に地下ドルしてほしい。』




 その声は私を求めていた。どこかで望んでいた言葉に私は胸の奥を躍らせていた。私も彼女のように舞台で舞って誰かを魅了できるのだろうか。二人で観衆に向かって手を振る姿を鮮やかに描いて、私は頷いた。心臓の鼓動がうるさくて心地良かった。私は、アイドルにいつも恋している。








 鼻歌を歌っていた彼女、さなたんは突如誰かに向かって電話していた。私は話しかけたくて仕方なかった。でも何を話しかけよう。SNSアカウントの動かし方が甘いです。そうじゃない。そんな頭の固そうなことを言いたいんじゃない。衣装のために協力してください。違う。そういうふうに私自身見られたくない。ただの衣装担当でいたくない。




 悩んでいるうちに彼女は歩いて行ってしまう。何か、言わなきゃ。




「……綺麗な歌、ですね。」




 必死に絞り出した言葉は及第点。本当はもっと違う言葉を言いたかった気がした。でも彼女は振り向いた。私は彼女を引き留めることができた。




 こちらに視線を向けた彼女の頬に赤みが差す。聴かれていることに気付かなかったらしい。暢気な人。




 これからあなたは堂々と舞台で歌わなきゃいけないんですよ、なんて心の中で笑いながら、私は未来のアイドルにもう何度目かの恋をした。――




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