第4話 月波早苗の決断

 慌ててベッドから起き上がると自身の身体を見下ろす。どう見ても下着姿。隣の少し、いやなかなかに太った男は布団で隠れているものの、いかつい肩は何も羽織っていない。分かっているのは地下アイドルオタクということ。――つまり、意気投合して抱き合ったってこと。まさか。


 男が身じろぎする。息を押し殺し眠っているフリを続けると、大きな欠伸をしながら彼はベッドの上に置かれていたスマホを手に取った。電話をするらしく、スマホを耳に当てたが、耳に覆い被さるスマホカバーは歪なほどファンシー。恐らく地下アイドルのグッズか何かなのだろう。


「――ん、お願い。」


 薄目の早苗が起きていることに気付いていないらしく、男の声は早苗を気遣うようなひそひそとしたものだった。一瞬申し訳無くなり、そっと目を開ける。


「あ、あの、」


 飲み屋で飲んでいたあたりから記憶が無い。……何を訊けば良いのか。もし早苗が酔い潰れたことを利用してここに連れ込んでいたとしても彼は認めないだろう。アマビエに訊けば真相は分かるかもしれないがアマビエが何かを言ったところで証拠にもならない。


「あ、起きてたんだ。」


 彼の声にきゅっと唇を噛みしめると早苗はとにかく平静を保とうと固い声を出した。


「はい。それで、この状況は、」


「君が休みたいって強引に、」


 つまり、まさかの同意である、と。しかも連れ込まれた側ではなく連れ込んだ側。事実であるとするなら完全なる痴女である。俯き顔を両手で覆う。アマビエの否定する声も聞こえないし恐らく真実に違いない。妙な沈黙の後、彼は早口になった。


「いやいや、手は出していないよ。というかこの格好は君が吐いて汚れたから僕と君の服を今仲間にコインランドリーで洗ってもらっているだけで、さっき終わったらしいからすぐに皆ここに来るよ。僕はまぁちゃん、一筋……。」


 早苗に事情を説明し終えると再び男は悲しげな声で「まぁちゃん……。」と呟く。飲んでも傷は癒えていないらしい。早苗が苦笑いしていると彼はまぁちゃんについてずっと語っていた。彼はアオケンとネットでは名乗っていて、まぁちゃんにも握手会ではアオケン、アオケン、と何度も呼んでもらい、特別扱いされていると信じていたらしい。




 彼の言う仲間は先程飲み屋で一緒に飲んでいた男達だった。アオケンによってドアの鍵が開けられ、早苗の姿を見た彼ら三人の反応は見事に異なった。早苗は下着姿を隠すように布団で身体を覆っているのだが、それでも思いっ切りガン見して固まった男にとんでもなく素早い動作で後ろを向いた男、一瞬肩をビクリと震わせ、逃げるようにして廊下に出ようとした男。最後の廊下に出ようとした、ひょろりと長い男が早苗とアオケンの服を持っていた。


「それじゃ意味無いじゃない。」


 ふふ、と思わず彼女が笑うと、全員妙に張りつめていた緊張の糸が切れたらしい。逃げ出そうとした男を見て笑い、部屋に和やかな空気が漂う。からかわれた彼は顔を真っ赤にしながら訴えた。


「ち、違う、これは、」


「ありがとう。」


 早苗の声に彼は眉をひそめて、ふん、と鼻を鳴らしたが、それが恥ずかしさを誤魔化すためのものであるのは誰の目から見ても明らかだった。男は視線をそらしながらベッドの上に早苗の服を置いていた。




 早苗がベッドで着替えている間、男達は全員後ろを向いてスマホを見せ合っては何やら相談していた。着替え終えた早苗が鞄の中身をこっそり確認する。特に盗られた物も無し。財布の中身もそのままにされていた。


「お待たせしました。」


 早苗が声をかけるが、男達はすぐには振り向かず、やや間が空いてゆっくりと全員が振り向く。唐突に脳内でアマビエの声がした。


「……良い人達だな。」


 本当に、と心の中で同意しつつ早苗はベッドから降りると頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」


 途端、男達が笑顔になる。


「本当にしょうがない女。」


「フロントで説明したら二人分の料金で済んだし気にしないで。」


「ラブホ初体験。」


「その年で童貞カミングアウトは草。」


「いやお前もだろうが。」


 彼らの声はどこまでも優しくて、疲れた早苗の心に沁みる。やはり同じオタクということで親近感が湧いたのだろうか。


早苗は鞄から財布を取り出した。


「それで、クリーニング代なんですけど、」


「ストップ。」


 アオケンの声に彼女は動きを止める。ひょろりとした背格好の男が急に立ち上がった。


「も、物事には代償というものがあり、」


「そんな遠回しの言い方はする必要無くね。」


 上擦った声を冷静に止める声。すぐ隣の眼鏡をかけた男が座ったまま早苗の方へと向き直ると、何てこと無いように言った。


「アイドルになるんでしょ。……何かの縁だし、俺らが推してやる。」




 結局、早苗は酔って意識を失い始めた頃、完全にこれまでのことを話していたらしい。婚活は上手くいかないわ、アマビエとやらに唆されてアイドルのオーディション受けてみたら現実を突きつけられたやら。もう疲れた、休みたいと散々駄々をこねていたとのことだった。その暴れっぷりは彼らにはとても手に余るもので、ラブホの受付で事情を説明しつつ、早苗の言う通り、部屋に全員で連れて行ったとのことだった。


 いかに早苗が醜態ぶりを晒していたか彼らが口々に言うのだから、早苗自身はたまったものではない。逃げ場所も無く恥ずかしさで歪んだ笑みを浮かべていると、眼鏡の男がニヤリと笑った。


「――でもさ、今まで結婚しないのはアイドルで結婚できないのがオタクだったから、結婚できないアイドルってのも悪くねぇなって、」


「まぁちゃんという僕の推しもいなくなったし折角なら理想のアイドルを僕らの手で生み出そうって。」


「アイドルというものは厳しいが、覚悟してもらいたい。まずはキャラの見直しからだが、」


「早苗さん運良過ぎワロス。」


 何だか全員で盛り上がっている。要するに彼らが早苗をアイドルとしてプロデュースする、と言っているらしい。一瞬遅れて理解できると、じわじわと胸が温かくなる。その後、身体を一気に突き抜けていくような興奮と喜びを感じた。


ファンが0から4へ。


「ありがとう。」


 もっと色々言いたかった。見ず知らずの女を助けてくれてありがとう、汚れた服を洗って持って来てくれてありがとう、初めて私を推してくれてありがとう。


 けれど、その言葉だけで十分伝わったらしく彼らは嬉しそうに笑っていた。




 次の日は仕事であった。スマホで乗換案内検索をかけると、仕事に間に合うには夜行バスに乗るか、朝一番の新幹線で帰ってすぐに着替えて職場に行くか。朝一番の新幹線に乗るつもりなら今のうちに寝るべきであったが、早苗は目が冴えてしまっていた。


目の前では男達がどう早苗をプロデュースするか話し合っている。


「身体、寝なくて大丈夫か。俺らは夜通し飲んだりするのが普通だけど。」


 眼鏡の男――ウォッチャーとネットで彼は名乗っていた――は少し気遣うように声をかけた。その声にハッとしたようにアオケンが振り返る。


「だ、大丈夫っ。早苗さんが寝ても僕らは何もしないよ。」


「推しに手を出すオタクはオタク失格である。」


背の低い、比較的洒落た服装の男――彼はマスクマンと名乗っていた――が格言のごとくしっかりとした口調で断言する。そういえばさっきからずっと黒いマスクを口ではなく顎につけているけどこれも東京のお洒落なのだろうか。話し方も、草、とか、ワロス、とかネット用語を多用していて少し四人の中では浮いていた。


「いやこいつにそんな度胸ねぇだけだから。」


 馬鹿にしたような口調のウォッチャーをマスクマンがにらむ。先程から早苗のアイドル計画を一番饒舌に語り、計画を練っているのがマスクマン。アイドルには相当こだわりがあるらしい。だからこそアイドルには手を出さないという矜持を持っているのか、はたまたウォッチャーの言う通りただの弱虫なのか。いずれにせよ今の早苗には有り難い。


ニヤリ、とひょろ長い男――透、とこちらは本名を名乗った――が笑みを浮かべた。


「俺もそんな年上に興奮しないし。」


「失礼な。」


 早苗の素早い突っ込みに全員がおかしそうに笑う。むぅ、と彼女は唇を尖らせながらも投げかけるべき言葉を模索する。――何て言ったら喜んでもらえるのかな。アイドルとして今私何もできていないから、せめて彼らの気持ちに応えないと。


「……ファンが目の前で話しているっていうの、もう少し目に焼き付けておきたくて、」


 口に出しているうちに本当にそういう理由で目が冴えていたような気がした。彼らが全員驚いたような顔をして、それから、笑ったり、耳を赤くしながら早苗から目をそらしているのが見えた。




 流石にアラサーが一睡もしないのは無茶だったらしく、新幹線で仮眠を取っていても仕事中は夢うつつだった。


 マスクマンを中心に立てられた早苗のアイドル計画はアオケンの持っていたまだ買ったばかりのノートに書かれていった。本当はまぁちゃんのシールとかを張り付けるつもりだったらしい。男性による武骨な文字が並ぶノートは早苗の鞄の中に納まっていたが、彼女自身の脳内にもしっかりと残っていた。




 ラブホ内で男達が集まり、一人の女性を前にして手を出すことも無く、目を輝かせて各々の考える理想のアイドル像を語っている。


「飲んでいる姿を見られているわけだし、さなたんは21歳という設定で。」


 透がそのひょろりとしているとはいえ高身長の身体に力を入れて21歳でいくことを強く主張する。その姿には迫力と勢いがあった。さなたん、というのはアオケンが主張して全員に可決されて最初に決まっていた。


 実際の年齢よりも10歳近く年下の設定。さなたん、21歳。早苗はえー、と言いながらも、満面の笑みを浮かべていた。――そっか、21歳で通じるのか。21歳。そっかぁ。ふふふ。


「確かに顔は老け顔で誤魔化せるし何よりその胸の小ささなら垂れてもばれないから大丈夫か。」


 ウォッチャーの至って冷静な発言に早苗の束の間の幸福は消え去り、顔は表情を失った。男というものは時として残忍である。


 マスクマンは黒いマスクを相変わらず顎につけたまま、淡々と話している内容をノートに記していた。時折、話が脱線しそうになるときちんと彼が声をかけて戻している。




 早苗の仕事は何てことも無い、平凡な事務経理だ。パソコンにひたすら数字を打ち続けていくだけの日々。楽と言えば楽で、人によっては天国なのかもしれないが、ひたすら同じことを繰り返していて退屈な地獄とも言える。しかもずっとデスクに座りっぱなしで足腰も悪くなっていくのを嫌でも感じてしまう。救いなのはうとうとしていてもきちんとその日のやるべきことをやりさえすれば特に何も言われないことだ。その日も早苗は眠気でどうにかなりそうであったが、何とか就業時間内に仕事を終わらせた。




 30歳までのカウントダウンが始まっている。胸によく分からない鈍痛。頭もぼやぼやとする。


 夕飯を食べた早苗はすぐにシャワーを浴びるなり、ベッドに潜り込んだ。




 ――そこは東京であった。はずだった。何度もテレビで観た渋谷のスクランブル交差点の真ん中に早苗は立ち尽くしていた。妙な寒気と違和感を覚えて周囲を見回す。違和感の正体は割とすぐに気付いた。人が見当たらなかった。まるで巧妙に作られた渋谷の模型の中に放り込まれたような感覚。信号は赤や緑に輝き、時間が経つと規則通りに色を変えていくのだが、車も通らない。怖くなってとにかくどこかへ走ろうとするのだが、足はもつれ、息が苦しい。車や店の臭いもしないその場所で早苗は息をゼーゼーと吐くことしかできない――。




 岩手に帰ろう、と渋谷駅のハチ公前へと足を上げ、地面に下ろした。けれどその足は地面に着くことが無く、そのまま飲み込まれるようにして焦って目を見開くと、見慣れた部屋の天井があった。ひどく生々しい夢に彼女は体を起こすと硬直し、少しの間動けなくなる。


「……見えたか。」


 アマビエの声。


「何あれ。」


「予知夢だ。流行病の予知。」


「渋谷だったけど、」


「場所は様々だ。だが、流行病の夢はいつも空気を吸うのが苦しくなる。恐らくはウイルスが混じっているのを吸わないようにしているからだろう。」


「酷いのかな。」


「酷くなると感じたからここにいる。」


 そっか、と彼女は呟く。早めに寝て、眠気は飛んでいたが、疲れが彼女の身体を支配し、暫くベッドから動けなかった。




 仕事が終わると彼女は真っ直ぐ家に帰り、彼らとの相談に時間を費やした。早苗がいないときは彼らはオンラインチャットで会話していたが、早苗が帰ってくると、全員通話で話し合うのがお決まりとなり始めていた。


「SNSアカウント作ったからこれでログインできる。」


 ウォッチャーがアカウント名、パスワードを渡してくれる。そのアカウントは彼ら四人が頭を捻って生み出したものらしく、いくつかコメントがなされており、既にフォロワーが複数いた。ホームページの画像は彼らと相談した結果、早苗の好きな岩手の海を背景としていた。


「まずは自撮りだけど……この二つのアプリが一番良いんじゃないかな。」


 アオケンによってぽこぽこという音をたててチャット内にカメラアプリの画像が二つ載せられる。


「カメラアプリ、スマホに入っているけど、」


「少しでも綺麗に映るアプリにしないと。それに、加工もできるし、」


「そ、そっか。」


 抵抗があった。自分の顔を歪めて機械的に可愛くして量産型の美人にしたところで何の意味があるのだろう。その偽物の自分が本物だと思い込んだ末路がこの前の婚活アプリで出会った偉そうな男ではないか。


 分かった、と言いつつもアプリをインストールするだけで手を止める。プロフィールに載せる写真は俺らがきちんと確認するから撮影できたら何枚か送るように、と彼らが言う。




 数日後、早苗は上司の前で頭を下げていた。夜更かしをしてそのまま出社した月曜日に備品の数を間違えて発注していたのだ。やらかした、と落ち込む早苗を彼はキツイ口調でなじる。


「最近、いつも眠そうだし、すぐ休むし、社会人としての自覚をもう一度、」


 俯いていると後ろポケットに突っ込んでいたスマホが何度も震える。婚活アプリは削除しているし、この時間なら広告系ではないだろう。普段から連絡を取り合うような親密な相手もいない。とするならほぼ間違いなく、SNS上で作成した早苗とあの四人組のグループチャットだろう。今のバイブ通知が知らせているコメントは、アオケンか、ウォッチャーか、透か、はたまたマスクマンか。誰にせよ、早苗の為に動いてコメントしている。その肝心の早苗は言われるがままで自分からはほとんど何もできず、仕事では失敗して上司の前で惨めに立ち尽くしている。いや、それどころかプロフィールに載せる写真をまだ一枚も撮影出来ていなかった。


 上司の話が長くなるにつれ、その言葉は意識の上を滑るようになる。早苗の脳内に何度もあの夜見た人っ気の無い渋谷の姿が映し出された。そこでは四人が笑っているが、時間が経つにつれ一人、また一人と消えていく――。




「この後、予定ありませんか。」


 仕事終わり、若い男性社員から声をかけられた。二十代中盤の清々しい見た目に人の良さそうな垂れ目。上司に説教されている間、心配そうな視線を向けてくれていた高牧さん。


「えっと、」


 飲みに行こう、ということだろうか。この後、予定が無いと言えば無いが、早苗が仕事を終えるのを待つ四人がいる。その顔を浮かべながら口を開きかけるが、早苗が断る前に男性社員が言葉を続ける。


「一杯だけ、ダメですか。」


 その言葉に真剣さを感じ、思わず早苗は頷いていた。瞬間、情けない自分を彼らの前に出すことから逃げた気もした。




 高牧さんが連れて行ってくれた店は岩手にあるとは思えないような洒落たイタリア料理店だった。天井にはシルクハットを模した照明がぶら下がっており、海鮮系のメニューのイラストがガラスに白い線で描かれている。こんな洒落た店が岩手にあったとは。仕事で疲れてくたびれた姿で席に座るのが申し訳無い。救いと言えばここ最近散々勉強した化粧のお陰で顔の状態が朝とあまり変わっていないことだろうか。


 高牧さんはその清々しいルックス通り、エスコートも上手かった。


「なんでうちの会社なんかに、」


 喉から素朴な疑問が飛び出た。目の前の椅子に腰かける高牧さんが苦笑いしている。面接っぽい質問だったかな……。二人の間にある小さな丸テーブルにはメニュー表が品良く置かれている。


「いや、実は母の介護で、」


 東京に憧れた時期もあったんですけどね、と彼は何てこと無いように説明を付け加えた。立ち入った話をして良いのか早苗には分かりかねて、テーブルのコップに口つける。林檎のカクテル。林檎にしてはきつめの酸味だが、それが口を刺激し、心地良い。早苗の様子を見て彼も目の前のビールを口にしていた。


「……やっぱり、早苗さん、恋しているんじゃないですか。」


「していませんよ。」


 少し笑みを零す。綺麗になっている、と遠回しで言われている気がした。


『……最近、恋でもしているんですか。』


 東京の飲み屋で四人組と出会う前、高牧さんは同じことを社内でも冗談めかしたように訊いていた。その時は多少ふざけたような口振りだったが、今は恋も目つきも真剣そのものだった。


「でも最近いきいきしている。」


「少し趣味、みたいなのに目覚めたんです。」


 この年でしかも年下相手に、アイドル活動始めました、なんて言えなかった。人に言えないようなことをしようとしている自分。それも深夜まで毎日男達と電話しながら婚活もせずにのめり込んでいる。


「最近、眠そうですしね。」


 不意に怒っている上司の顔と、誤った数字で出された注文書が脳裏によぎる。彼女は顔を俯かせた。


「上司としてダメですよね……すみません。」


「違うんです。」


 慌てたように彼は言葉を重ねた。


「良かったなって。今までずっとつまらなさそうで、最近楽しそうだから。」


 ――今までずっと。ずっと彼は早苗を見ていた。


 窓の外の暗闇で強調される、柔らかな人懐っこい笑みが早苗を捉えた。心臓が小さく音を立てる。その音を意識した途端、顔が赤くなり慌ててお酒のせいにしようとカクテルを喉に流した。


「よく分かったね。」


「そりゃあ勿論……。」


 彼は言葉を続けようとしていた。早苗は目を離すことができず彼の視線の中で身体を火照らせていた。その先の言葉を聴いてはいけない気がしていたが、止めることもできず、椅子に人形のようにお行儀良く座っている。


 脳内にラブホの中で四人の男が座って語り合う姿が浮かび、胸がチリリ、と痛んだ。早苗はテーブルの下の拳にぎゅっと力を入れる。


高牧さんは少し苦しそうな顔で笑った。


「……早苗さんって分かり易いですもん。」




「遅いよ。」


 家に帰ってグループ通話を開くなり、透の声がした。残業で、と誤魔化した彼女の手元には一枚の紙があった。――退職願。


「良いのか。」


 四人が早苗の未来について盛り上がる中、脳内で冷静なアマビエの声がする。




「東京に行くんですよね。」


 高牧さんの声に早苗が驚いたように顔を上げると彼は寂しそうに笑っていた。カクテルの向こうの彼の姿は儚く輝いているように思えた。


「きっと遅かれ早かれ早苗さんはそっちにいくべきなんじゃないかなって。」


 その行く先が年甲斐も無く、アイドルだなんて知ったら彼はどんな顔をするのだろうか。今にも話そうかと喉が震える。けれど口は重く閉ざされたまま。その様子を早苗が作った壁と捉えたらしい彼の瞳が切なげに揺れた。


「……俺、ズルいんで、最後に忘れられない男になってやろうと思ったんです。」


 顔が熱かった。それでも早苗は唇を噛みしめ、笑みを作った。


「ズルいよ。」


「ズルいですよ。」


 彼はおかしそうに笑う。




 通話による四人の指導によってSNSアカウントが充実し、発声練習メニューも充実していく。通話を繋げたまま、彼女はグーグルを開き検索の棒をタッチ。――東京 独り暮らし。彼らの声に耳を傾けながら頬を伝う涙を拭って笑みを浮かべる。


「ね、今日、写真を撮ってもらったんだけど、」


 早苗はあのイタリア料理店で高牧さんに撮ってもらった写真をチャットに送る。そこにはカクテルを片手に何かを振り切ったような晴れ晴れとした笑顔の早苗の姿があった。

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