第28話γ 先駆者
達海の目の前に立ちふさがった人間は、先ほどのリーダー格の人間だった。
男の手刀を受け止めて、美雨と距離を取るように引き下がる。美雨は美雨でもう一人の構成員と対峙していた。
30メートルほど離れて、達海は改めて目の前の敵に目を戻した。
(...この目は、本気だ)
先ほど美雨と対峙していた時より、はるかに目が据わっていた。おそらく、先ほどまでのように落ち着いた対話は出来ないだろう。
もう一度達海は身構え、次の行動に備える。
今まで何度も窮地には立ってきたが、達海は今、人生で一番の恐怖を感じていた。
それはきっと、背負うものの覚悟。組織という後ろ盾を得た代わりに、その責任は遥かに違っていた。
「...っ!」
一瞬気を許した隙に、達海の目の前から男が消えていた。そうして三秒後、姿勢を低くして達海の目をかいくぐるように懐に詰め寄ってくる男の姿を達海は視認した。
「はやっ...!」
無言で詰め寄ってくる男。距離はかなり近かったが、逃れられない距離ではなかった。
しかし、間合いを取ったところで次の攻撃が降られるのは必至。逃げるという選択肢はなかった。
男は下手から手刀を繰り出す。その軌道をうまく見切った達海は合わせるように右手で合わせ、払った。
そのまま空いている左手を隙が出来ないように意識しつつまっすぐ突き出す。男は体をくの字に曲げてギリギリでそれを交わした。
ただむなしく達海の左腕は虚空を切った。
(くそっ...、行動が読めない...!)
そのまま慣れない組手を達海は続ける。
初めての戦闘は逃げ回るだけでうまくいった。がしかし、今は違う。逃げるという選択肢はなく、目の前の相手を打ち倒すほか術はなかった。
しかし、ここで明らかに現れるのは経験の差だった。
男はもとよりその手の人間。大して達海派と言うと組織に入ってまだ数日の人間だった。
善戦することが精いっぱいで、時間は流れていく。攻撃を仕掛けては受け流し、躱され、お互い有効打が全く入ることのないまま、三分ほど時間は経過していた。
もう美雨の事すら気にならない。それほどまでに達海は目の前の相手に対処するだけで精いっぱいだった。
体が熱くなり、血管が切れる感覚に見舞われる。
体が素早く動く代わりに、キリキリと激しい痛みが達海の身体を襲った。
その苦痛に表情を歪めるものの、油断は見せないでおいた。その一瞬の隙すら致命傷になりえるものだったから。
息が切れる。集中はなんとか切らさないでいる。
対して目の前の男はいまだ平然としていることに、達海は苛立ちを覚えていた。それだけでなく、焦燥も覚える。
「...はぁ...はぁ...、くそっ」
一瞬、達海の脳裏に死が過る。もし、このまま現状が続いたら、間違いなく死ぬ。
そう思った瞬間、左足が一歩後ろへ下がった。
その隙を、男は見逃さなかった。
石一つ潰せるほどの握力で拳を握りしめて、達海の下腹部へ突き出す。いよいよ達海はそれをよけきることが出来ず、もろに拳を受けた。
「がっ...は」
(あっ...これ...死...)
内臓が圧迫され、強烈な吐き気とともに鈍い痛みが達海を襲う。喉元まできていた胃液をなんとか飲み込み、押し返す。幸いなことに、臓器に異常はなかった。
しかし、達海派と言うと今の一撃で完全に理性を失ってしまっていた。
長く張りつめていた緊張がほどけ、一転に集中していた意識があちこちへ離散する。
プツリと意識が途切れる。
そして、達海の身体は意志の知らぬところでひとりでに動き出した。
90度くらいに体を後ろにのけぞらせ、振り起した反動で男に頭突きをかます。
予想外の攻撃に、男は避けることが出来なかった。
ゴンっという鈍い音とともに頭突きを受け、男は患部を抑える。
「~~!!」
男はそのまま二三歩うしろに下がる。しかし、野生のような反射神経を得た達海はそれを見逃すことなく、素早くハイキックをぶつける。
クリーンヒット。
男の身体は、瞬く間に背中から地面に強く叩きつけられる。
「かっ...」
また、隙が生まれる。その一瞬で達海は男の上に馬乗りになった。
そこから先は、残虐と呼ぶにふさわしい光景が続いた。
達海はただひたすらに男を殴った。思考も能力も関係なく、ただただ野生の本能のごとく男を殴る。
顔面、臓器、時には急所。
断末魔、外からの声は一切聞こえなかった。
そうして、三十発目の拳が男の右目を潰したとき、達海の意識はようやく自分の身体へ戻った。
戻って、気づく。
自分がまたがっている先の相手は、もはや人間の原型ではなかった。
両目は潰れ、幾多の殴打で顔は晴れ上がり、体のあちこちの欠陥が切れたのか、口からは致死量に値するほどの血を吐き出していた。
達海も十分その返り血を浴びており、来ている服はもちろん、両頬は地に濡れていた。
氷点下の場所に閉じ込められたように体が温度を無くす。先ほどよりもはるかな吐き気が達海を襲い、足先から指先まで一斉に震えだす。
「はっ,,,なんだよ...これ...。なんだよぉ...これ!!」
血に濡れた量のこぶしを地面にたたきつける。痛みなど存在しなかった。
代わりに、喉が切れるほどの叫び声が達海の口からあふれた。
「あ、あああああああああ!!!!!」
それは、何に対しての叫び声だったのだろうか。
少なくとも、達海は平常心を失っていた。
急いで男から離れるが、冷静さを欠いた体は言うことを聞かず、たちまち達海の足は力を失い、その場で崩れた。
今だ止まらない震えを抑えきれない中で、達海が、死んだと思っていたはずの男は静かに口を開いた。
「...な、あ...」
「!!」
「...俺は...なに...を...やって...る...んだろう...な」
男は開かない目を達海に向けて、今にも消えそうな命の灯を最大限に輝かせて達海に語り掛ける。
「何って...」
「別に...せかい...を...滅ぼす...ことじゃ...なくても...よか...った...のに...な」
その言葉で、達海はますますいたたまれなくなる。
目の前の男の言葉を聞きたくなかった。けれど、殺すこともできなかった。逃げ出すことも出来ずに、その言葉に耳を傾けざるを得なかった。
(嫌だ...聞かせないでくれ...!)
「...おれ...は...ただ...世界を...」
「変えたかったのなら...! どうして今になってそんなこと...!!」
「はは...だよ...な」
男は、かすかに笑った。
それが自分の過ちを分かっての事だと思うと、達海はまたいたたまれなかった。
「なんで...なんで今になって...。命乞いならやめてくださいよ!」
「...それは...ない...な。...もう、俺は...たすから...ない...だろう」
死にかけの男から発せらたその言葉に達海はぞくりとする。
助からないということは、死ぬということ。
それはつまり、達海が目の前の男を殺したことの証明になる。
中途半端な覚悟のままで、達海は殺人者にはなりたくなかった。
しかし、敵対組織の手前、助けるということは裏切りを意味する。
そう、裏切りを。
死んでしまいたいのは、達海の方だった。
もう引き下がることのできないラインまで、自分で足を進めてしまった。本当は、そうしたくなかったはずなのに。
「...な、きみ...、少し...つき...あって...くれるか?」
「嫌だ...やめてください...! それに付き合うって言ったって...何を...」
「...おれ...の...こと...きい...て...ほしい」
それは、達海が何度も口頭で拒否した行動だった。
聞きたくない。聞いてしまえば、自分が自分でいられなくなる気がしたから。
『それでいいの?』
そんな中、ふと、どこからか少女の声が聞こえた。
(美雨...じゃない。誰だ)
『今、選択を間違えれば...あなたは戻れなくなるよ』
(選択って言っても...今の俺じゃできることなんて...)
『ううん、きっとある。見つからないのは、あなたが見ようとしてないだけ。...逃げてるんだよ。全てから』
(なんだよ...逃げちゃいけないってのかよ...!)
『そう。...でもね、逃げなかった先に必ず未来は開けるから。...だから今は』
そのまま声は遠くへ消えていき、達海の意識は目の前の男を見ている虚ろな自分に戻った。
(逃げるなって...そんなの...!!)
どこかも分からない無責任な言葉に達海は腹を立てる。腹の奥底が煮えくり返って、どこかにそれをぶつけたくなる。
けれど、同時に達海の胸の奥底からは、今を見る気力がわいていた。
その力に任せて、達海は死にかけの男の話を呑むことにした。
きっと、それが何よりもつらいことだと分かっている。
けれど、あれだけ言われて、躍起にならない人間などいなかった。
「...言ってください。せめて、それが償いになるなら...」
「あり...がと...な」
男は口の端だけを動かして笑みを浮かべて、つづけた。
「俺は...せかい...を...助け...たかった。...その...ためなら...なん...でも...やった」
「ソティラスに入って人間を滅ぼそうとしたのもそれの一環って言いたいんですか? でもそれは...」
一瞬達海は言葉に詰まる。
「でもそれは、人間を信じない弱さです。...救いたいなら...信じないと。...どれだけ愚かでも...どれだけ誤っても...超えていけるのが...人間でしょう...!」
それはある意味、自分に言い聞かせた言葉だった。
人間は愚かである。誰もが、誰もが。
今、一人目の前で男性が死のうとしている。その原因を作るという愚か行動をしたのは、達海自身である。
「...はは...だよなぁ...。...まった...く...どこで...まち...がえた...かな」
もう一度男は笑って、口から勢いよく血を吐いた。血管系の崩壊が顕著に表れ始めている証拠だった。
「な...あ...。...だ...から...さ。...おね...がいだ」
先ほどまでの笑みを顔から消して、震える身体で男は達海の裾元を手で持って、その目と言葉で強く訴えた。
「きみ...が...かえて...くれ...。おれ...が、...できな...かった、ことを...」
「...」
「せかい...を...かえて...くれ」
その言葉を最後に、男は力尽きる。
達海の裾を持っていた手も、力なくばたりと地面につく。
そうして達海は初めて、目の前の死を理解した。
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