第21話γ 牙狼


 日中より肌寒く、凍てつくような空気を切り裂き、ただ虎は夜を駆ける。

 達海はその背で、確かな世界を見つめた。


 それが、何日も続く。

 日によっては戦いがどこかで起こってたり、はたまた起こっていなかったり。しかし、必ずどこかで、人のエゴの具現のようなものを達海は目にしていた。


 初めは、苛立ちを覚えた。どうして、戦いは延々と続くのだろうと。

 次に、悲しみを覚えた。どうして、人類はここまで愚かなのだろうと。


 もちろん、世界全ての人類がそうであるとは、達海は思ってはいなかった。何より、この街、白飾は閉ざされた街だった。だからこそ、そこに住むほとんど誰もが、世界というものを知らなかった。


 自分の住む白飾が、唯一自身の知る世界と信じて。



 しかし、と達海は思う。

 コアひとつとってここまで争うような人間が、果たして外の世界で争いがないなどと言えるだろうか?


 結局、能力があろうとなかろうと、コアがあろうとなかろうと、世界は争うことをやめることは出来ない。それが分かるたびに、達海は馬鹿らしくなった。


 けれど、それはいわばこれまでの話だった。

 自分の目で世界を見極めると豪語した達海に求められているのは、その先の考えだった。


 争いが無くならない世界で、対立の終わらない世界で、...コアがあるこの白飾で、自分にできることは何か。



 それにたどりつくことで、達海の頭はもはや精いっぱいだった。

 傍観は、出来ない。しないと決めた達海だった。




 しかし、世界の進む時間は、いちいち達海を待つことはしない。

 突如として、残酷を強いることだってある。


 そうした黒い世界が、達海を襲おうとするのは、時間の問題だった。




---


 

 夜の九時になると、街は寝静まる。

 この日も、達海の両親が睡眠に入ったのは定時だった。



「...行ってきます」


 達海は、閉ざされた両親の部屋のドアを後目に、口先だけで呟く。

 そうした日々が、ここ数日ずっと続いていた。



 あれからというもの、学校再開のめどは一応立ったものの、それはしばらく先の話だった。

 第一、黒の世界に身を落とすことを決めた達海は、復帰することすら考えていなかった。

 

 やろうと思えば、出来たのかもしれない。けれど、いつかみたいに、能力者であることを隠しながら生きることは、もうできないと答えを出した。



 そうして、今日もまたいつものように弥一と公園に集合する。お互い慣れたのか、目を合わせるなり、能力の調整を始めた。



 準備ができるや否や、ビルの上に駆けのぼり、そこからまた、日課のような見回りを始める。



 5分位したあたりで、弥一が急に当てもなく口を開いた。



「なぁ、達海は」


「ん?」


「学校、どうするんだ?」


 それは、達海が先ほど脳の隅に片付けていたことだった。

 掘り起こされたことに少しばかり困惑するが、相手が弥一だからと信じて、包み隠さずその胸中を晒した。



「...正直、もう戻れないと思ってる。この間相談した時とは違って、俺自身が能力者であることをもう認めてしまったし、何より、そんな状態でどんな顔をして学校に行けばいいか悩んでいるうちに、行く気が失せてきた感じ」


「そうか。...けど、お前が消えたら、異変に気付く連中も...」


「さあな。何より、俺って昔から空気みたいな人間だろ? どうせ消えても、名物の三人組がなぜか解消された、くらいで落ち着くのがオチだろうよ。それに、学校が始まっても、当分みんながみんな自分のことでいっぱいになると思う。いいんじゃないか? 引き際としちゃ」


「...それでいいんだな?」


「...まだ少しくらいは、日常に帰化したいって思いはあるけどさ。...けど、こんなに間近でそれを壊されて、能力の類を見せられて、日常って何だろうなって思うんだよ。...だから、ここでやめようかと」


「そうか」


 答える弥一の声音は、ほんの少し残念そうだった。しかし、それがあろうとなかろうと、達海の決心は変わらない。

 ただ、気がかりになるところはあるにはあった。



「ただ、...陽菜に、どういえばいいんだろうなって」


「知らんな。お前の決断だ。それはお前の考えることだろ」


「だよなぁ...」



 弥一の返信は冷たかったが、至極当然のそのセリフの前に、反発の声はなかった。

 自分で決めて、自分で答えを出すと告げている矢先、他人に依存することは甘え以外の何者でもなかった。



「...まあ、おいおい考えるとしようか。まだ時間はある」


「そうして先延ばしにするのもまたどうかと思うがな。けど、考えたところで、どうせ本人を前にしてはっきりとは言えないだろ」


「たぶんそうなるな」



 達海は苦笑するほかなかった。その言葉がまさしくその通りだったからである。



 すると、ふと、達海は背中に悪寒を感じた。

 一瞬。それはほんの一瞬の出来事だった。しかし、確かな出来事。


 ちょうどビルとビルを飛び越えるあたりで、達海はそれに気づいた。念のため、弥一に声を掛ける。



「なあ、弥一」


「どうした」


「嫌な予感がする。...漠然として、全然説得力ないかもしれないけど、どこか、嫌な予感がするんだ」


「...なるほど。分かった。とりあえず警戒だけはしておい...てっ!!?」


 また次のビルへと飛び移ろうとするころ、達海と虎の姿で身を纏った弥一のすぐ左を、何か鋭い物体が通過した。


 頂点にまで達し、折り返してきているそれが、達海は刃の部分の長い矢であるのに気づく。



「弥一!!」


「くそっ! どこだ!?」



 しかし、空中ではうまく身動きは取れない。次のビルへの到達時間まであと2秒はかかる。

 けれどまさに、その2秒という時間が、二人にとっては致命的なものだった。



 次なる矢が放たれた音を、達海は耳にした。それが、自分たちのもとに訪れるのに一秒はかからない。


 弥一の進路に、はっきりと矢が打ちあがってきていた。空中であるため、それを交わすことは不可能に近かった。

 当たるしか、なかった。



「っ!!」


 弥一はとっさの判断で、体を横に捻る。それのおかげあってか、矢は弥一の腹部を少々えぐって通り過ぎるだけに留まった。

 

 しかし、それの代償は当然あった。

 体勢を崩されてしまった弥一は、ビルにたどりつくことが不可能となった。そのまま落ちるだけなのだが、達海は弥一から手を放してしまった。集中が切れてか、重力も通常のものに戻る。


 そのまま、放り投げられるように、弥一より先に、達海の身体が落ちていく。



「弥一!!!!」


 叫んで、手を伸ばそうと、それは届かない。達海は、明らかに弥一と引き離されたと落下の最中に思った。


 冷静になれる局面ではないが、冷静になりたい局面。達海は体で風を切りながら、まだかろうじて働く脳を精一杯動かした。


 そうして、最低限着地の衝撃を和らげようと、達海は着地のほんの数秒前に、自己の重力を最大限にまで引き落とした。


 それが功を奏してか、達海はノーダメージで地面へと着く。


「っ! ...ふぅ」


 うまくいったことに一息つくが、達海は大事なことを忘れてしまっていた。それを思い出させるように、再び悪寒が走る。

 恐る恐る顔を上げると、そこには薄ら笑みを浮かべていた、一人の男がいた。


 フードを深くかぶり、鋭い目つきを浮かべるその男を、達海はどこかで見ていた。知っていた。名前までとはいかないが、面識はあった。


 もっとも、その時は弥一に手を引かれてその場を逃げたわけだが、いかんせんこの時ばかりは誰もいなかった。



「...よお」


 男は達海の事情などお構いなしに達海に話しかけた。最大限の緊張感を持ったまま、達海は答える。



「誰だよ、お前...」


「名前か? ...まあいい、教えてやるよ。無駄かもしれないがな」


 言って男は男の礼儀を見せるためか、それ以外かはさておき、深くかぶっていたフードを剥いだ。


 目のあたりに深い裂傷を負った顔で口の端をニィと上げ、男は言う。


加賀美かがみ 狼樹ろうき、そいつが俺の名だ」


「加賀美...?」


 同じくらいの年齢に見える男だったが、達海はその名に聞き覚えはなかった。

 狼樹は達海を睨みながらつづける。



「...ま、お前の自己紹介はいらねえ。知ってるからな」


「なんで知って」


「言うわけないだろ、そんなこと。...さて、それよりだ」



 狼樹は薄ら笑いのまま、達海にある提案を投げかけた。



「お前...今、ノラらしいじゃねーか」


「...!? ...だったら、何だっていうんだ」


 探りを躱そうと、達海は奮闘する。しかし、狼樹にとってそんなことはどうでもよく、ただ事実確認のように言葉を並べた。



「これは提案なんだが...俺らと一緒に来ねーか? 共にノラとしてよ」


「なっ...?」


 その脈絡もない提案に、達海はまず驚いた。驚いて、拒否の姿勢を構える。


「...それは、飲めない。第一、勧誘のために俺らを攻撃するような連中、信じれるわけないだろ」


「奇遇だな。俺もお前なんかちっとも信じちゃいない。能力を持った人間すべてな」


「だったら、なんで勧誘なんか」


「決まってんだろ。お前に少しばかり利用価値があるなんて、そう思っただけだ。...ま、それもダメそうというわけだけどな」



 狼樹はやれやれといった様子で首を横に振り、手前だけで残念がった。もっとも、その奥に浮かんでる妖しい笑みは隠そうともしておらず、達海の目はたちまちそちらに向かった。



(こいつ...やばい。早く逃げないと...!)


「...なあ、藍瀬さんよぉ。最後通牒だ。よく聞け。ここから先、お前に残された選択肢は二つ。ここで死ぬか、俺たちに助力するか、そのどっちかだ」


「...助力は、できない」



 この状況においても、達海の意志は変わらなかった。

 このグループに加担してしまえば、きっと自分はどうしようもなく罪な人間になってしまう。直感が、本能が、そう答えた。


 保身のために、正義は曲げられない。だからこそ達海は、己が信念を貫き通すことにした。




「...そうかよ。じゃ、お前とはこれまでだ」


 そう呟かれた言葉に反応して、達海はどこから攻撃が来てもいいように身構える。しかし、見つめたさきの狼樹はもういなかった。



(えっ...?)



 


 刹那。

 達海の驚く思考より早く、達海の身体は背後から鋭い何かに貫かれた。

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