第46話β ここに全てを置き去って


 痛覚が遮断されたまま体を貫かれた達海だったが、落ち着いて桐の顔を見るくらいの余裕と時間はあった。

 桐は完全に動揺して、硬直した。



「え...なんで」

 

 桐の呟きをよそに、達海はナイフを持ったままの桐の腕を、残った右腕で全力でつかんだ。

 そこから、ぼろぼろの身体から発したとは思えないほどすらすらと言葉を並べた。



「...なあ、もしもだ。俺が能力を使うとする。けど、その能力は俺以外の人間にも及ぶとしたら...、この刺さったナイフを持ったままのお前はどうなると思う?」


「...まさか!?」


 桐はナイフを引き抜き、後ろに下がろうとする。しかし、執念の籠った達海の右腕に掴まれた桐の腕は微動だにしなかった。


「...悪いな。俺はお前を、もう許せない」


 おそろしく冷めた声、冷めた脳で桐に告げるなり、達海は自分の腕に下向きの重力をかけた。だんだんと強く、強く。


「あっ...! だめっ...これっ...!!」

 

 桐は必死にもがき、重力の渦から抜け出そうとするが、時はすでに遅かった。

 1トン...10トン...100トン....


 そこから先は、達海も未知の領域だった。

 そして、たどり着く重力は1000トン。まさに、人類では到達できないレベルの重力だった。

 その重力を、桐は一心に受けた。下向きの重力に逆らえずに、桐の身体はだんだんと下に向かっていく。



「あ...ぐっ...ああああ!!」


 まず、踏ん張るようにぴんと張っていた桐の膝が砕けた。力を無くした足は体をさせることが出来ず、たちまち桐は地面に這いつくばった。

 それでいて、さらに重力は強くなる。今度は、べったりと地面に這いつくばるように桐は倒れた。肺が圧迫され、その断末魔すら聞こえなくなる。

 

 かくして、その時は訪れる。

 重力に耐えきれなくなった桐の内臓器官は、地面と上からの重力に挟まれ、圧迫されたのち、破裂した。一度だけビクンと桐の身体が痙攣をおこし、たちまち動かなかくなる。


 唯一の救いは、肺が押しつぶされたことにより声を出すことが出来なかった故、断末魔を上げることがなかったことくらいだろうか。

 こうして、藍瀬 達海の気の許せる後輩だったはずの風音 桐は、一瞬で屍となった。

 その最後の呆気なさに、達海はまた小さく笑った。



「...ははっ」


 達海は、はじめて自分と親しかった人間を殺した。それも、誰でもない、自分自身の意志で。

 惨めな最期だった。呆気ない最後だった。


 なぜ、自分がこの人間を大切に思っていたのか忘れる位に、呆気ない幕引きだった。



 こうして藍瀬 達海は、完全に壊れた。

 

 ただ、時島 零を好きであるという感情を残して、その他一切の妥協、遠慮、感情が消え去った。


 しかし、その愛があるからこそ、達海はいまだ達海でいれた。

 零がいるからこそ、ガルディアとしての自分、ガルディアの任務を忘れずにいた。



 達海は、改めて空を見上げた。

 拠点を出たときにはなかった太陽が、達海ののこった右目に映る。それは、なによりもまぶしくて。そのまぶしさのあまり、達海は涙を流した。


 しかし、何が悲しかったのか、なんで涙が出ているのかすら、達海はもう分からなかった。それはまさに、割り切った果ての人格崩壊を物語っていた。



「そうだ、零っ...あっ....」


 目線を落とし、倒れたままで動かない零をどうにかしないといけないと思い、達海が動こうとした瞬間、達海の足は一切の力を失い、達海の身体は地面に勢いよくたたきつけられた。


 その時、ゾーンが切れ、無くなったはずの痛覚が達海に戻った。

 そこからは、地獄だった。



「ああああああ!! ぐっ...!! あああああ!!!」


 体全身が痛む。流れすぎたはずの血がまた勢いよく吹き出し、達海の身体はさらに崩壊に近づく。痛みのあまり、のたうち回ることもかなわない。


 二、三度意識を失いかける。なんとか保つものの、自分が意識を失う、はたまた死ぬのは、時間の問題だった。


 なにせ、達海の流した血の量は、人間が死ぬ量ほどに達していたのだから。

 それでも、達海は激痛が巡る身体をなんとか動かし、零のもとへ這いよった。


 零は、生きていた。

 しかし、目は開かない。気絶しているようだった。


 達海はそんな零のもとまでどうにかして近づき、そして、血に濡れたその右手で零のほほに触れた。


「...ごめ...ん...零...。...俺...もう....」


 もはや、限界だった。

 達海の意識は、接続と切断を繰り返し始める。


 それが切れた瞬間、自分は死ぬだろうと達海は察した。それでいて、何もできない。

 

(...世界、守るって...言ったのに......な)


 

 達海は、静かに目を閉じた。

 



---




...




......




 暖かな感触だった。人の体温だろうか。

 達海の意識が再び接続を始める。


 まだ目は開かないものの、自分が何らかの施しを受けているのを、達海は感じた。

 そうして、重たすぎる右の瞼を、どうにかしてこじ開ける。



 その視界にぼんやりと映ったのは、達海の気の許せる人間だった。



「...あ」


「...! ねえ、聞こえる!? 大丈夫!?」


「...ひ...な...」


 うまく呼吸ができないなか、達海は死に物狂いでその名を呼んだ。その名を、まだ覚えていた。

 自分の体に流れる暖かな力が体全体へと渡り、達海の目は徐々にしっかりと開いていく。酸素が体に巡り、血もうまく循環する。なくなった目と腕は戻っていないものの、死の淵にいた達海の身体はある程度回復していた。



「...陽菜、陽菜! なんでお前...」


「...やっぱ、そうなっちゃうよね」


 陽菜は、困った顔で苦笑いし、達海の身体から手を放した。


「こんな傷、修復できるはずないのに...」


「...ごめんね。私、能力者。全然強くないけどね」



 その言葉に、達海はもう驚かなった。逆に別の心配を行う。



「...敵、か?」


「...ううん、味方だよ。私は、たーくんの味方。組織とか、そんなのどうでもいい人間」


「俺の...味方?」


「そ。...もう、たーくんの胸中に私がいないのは知ってるけどね。...だからこれは、私の一方的なわがまま」


 陽菜は悲し気な瞳で、慈愛の籠った瞳で、笑った。その顔を、達海はとてもよく知っていた。いつも、見てきたものだった。

 陽菜が自分に恋していたと達海が気付いた時は、すでに誰かを好きになっていた後だった。


「俺の味方...。...なら、お願いが...」


「会長さん...ね。大丈夫だよ。たーくんよりも全然状態は良かった。今は寝てるだけだね」


「そうか...」


 零が無事であることに、達海はほっと一息ついた。とりあえずは、その安否だけでよかった。


 しかし、冷静になるにつれて、脳の理解が追い付いてくるにつれて、達海は不安に駆り立てられ始めた。

 自分が意識を失って、何時間経ったか。街に、どんな動きがあったか。考えれば考えるだけ、冷や汗が流れた。



 なにより、頭痛が、ひどい。



「...陽菜、今何時だ?」


「...朝の、10時くらいだよ。処置にあたり始めたのが9時」


「街の状況...は?」


「...あちこちで戦いが。...もう、誰が味方で誰が敵かなんて、分かんないよ」



 陽菜はあきらめきった顔で、街の中心部がある方角を向いた。

 その言葉で、達海の不安は最高潮へ達する。

 

 零が寝たままでも、動かなければと思い、右腕に力を込めて立ち上がろうとした。

 足はプルプルと震えるものの、何とか立つだけの力は残っていた。


 おぼつかない足で立ち上がって、達海はいまだ寝たままの零を抱えようとする。しかしその時、達海の服は一本の腕に掴まれた。

 それは、細く力なさげで、それでもって力強い陽菜の手だった。



「...ねぇ、行くの?」


「...ああ。...まだ俺には、やらなきゃいけないことがある」


「でも...その体じゃ...」


 それは、達海の身体に処置を施した陽菜と、体の所有者である達海の身が分かっていたことだった。

 陽菜の処置は、なんらかの能力で傷をふさぎ、血を止めて、ある程度血のめぐりを復活させただけであって、体そのものを直したわけではなかった。


 だから、達海も、陽菜も、分かっていた。

 藍瀬 達海の身体は、もう5割は死にかかっていると。



 それでも進むのが、達海だった。



「...俺の命に、世界の未来がかかってるんだ。...多分。...だからさ、これは俺がやらなきゃ...いけないことなんだ。...分かってくれ。邪魔をするなら、張り倒してでも俺は行く...」


「そっか...。...それじゃ、仕方がないか」



 陽菜は今まで一番潔い諦めを見せ、達海に微笑んだ。



「たーくんの人生だもんね。それに私はたーくんの思い人じゃない。強制はできないよ。...だからさ、たーくん。...頑張ってね」


 陽菜は、どこまでも優しかった。

 悔しいはずだろうと、達海は思った。けれど、それでも慈悲寛容の心を見せる陽菜に、達海は思わず泣きそうになった。


 いつも、こういう役回りしか、させてやれなかった。

 それが、零という思い人を除いて達海がいまだに持ち得ていた、唯一の感情だった。



 しかし、そう送り出された以上、もう裏切る真似は出来なかった。

 達海は零の身体を抱き上げようとした。しかし、もうそれができるだけの腕を、達海は持ち合わせていなかった。


 それでも、どうにか零と進みたい。自分一人で行くという意見はなかった。

 だからこそ、達海はあがくように零の重力を操作し、右の小脇に抱えた。


 体のあちこちが悲鳴を上げるものの、達海はなんとか零を持ち上げることに成功した。




「...それじゃ、行くわ」


「...うん。いままでありがとう」


 それ以上の言葉はいらなかった。

 いうだけ辛くなると分かっていたから。


 そうして達海は、愛する眠り姫を抱いたまま、最後の場所へ向かう。最悪の事態を、明日が来ない、なんてことを防ぐために。





 達海の足は、持てる最後の力で歩き始めた。

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