第一話 【樹人】を倒す者

 日本の、関西地方のとある都市。

 樹齢1000年を超えると思しき巨木の原生林がたった数日で出現して、道路や建物が崩れ、廃墟と化したその街を、ワゴンタイプの国産電気自動車が、ガタゴトと一台で突き進んでいた。

 運転席を見ると、やたらと丸っこい市販の自律思考型ロボットがハンドルを握り、助手席では、緑青ろくしょう色の頭髪を持つ6歳くらいの愛らしい少女が、うたた寝している。

 その後ろの座席には、髪に一房だけ少女と同じく緑青色が混じった、白衣を着用した美女と日本刀を抱える青年が座っており、どちらも窓から見える街の景色に顔をしかめていた。

 宝石のように輝く緑青色の右目を持つ、20代くらいの青年と美女は、車の座席に深くもたれると、互いの顔を見合わせ、揃ってため息をついた。

「……地球全域で【樹人】発生騒動が起こってから、たった10日。その僅か10日間で、21世紀半ばの今の日本がここまで荒れ果てるとは。しかも、この日本の現状が、他の国と比べればまだマシだとも聞く。まったく、言葉を失うぜ」

「一科学者として言わせてもらえば、人類は植物の持つ力を甘く見過ぎていたのよ。遺伝子をいじくって【星樹】という自己進化能力の塊を作り出した挙句、自意識を持たれて反乱を起こされるとか、いい笑い者。アホの極みよね?」

 美女が青年と話をしていると、運転席のロボットが怒ったように言葉を発した。

「ツクヨお嬢様、他人事のように仰られていますが、お母様の開発した【緑青源素】が、【星樹】に好き勝手に改造された上、今や人類を滅ぼす生物兵器として使われているんですよ? もっと怒って下さいまし!」

 頭部を激しく明滅させて怒りを表現する丸いロボットに、美女は肩をすくめた。

「どう怒れと? お母様が……お母様達が開発した【緑青源素】と、今人類を苦しめている【緑青源素】は、遺伝子的には相当違う物よ? それこそ魚類と哺乳類くらいに違うわ。お母様達が遺伝子操作で作ったのは、土を耕す能力と環境適応能力を高くしただけの、ただの土壌開発球菌。たとえ生物に感染したとしても、【星樹】が改造してばらまいた【緑青源素】のように、人間を樹化させたりしないし、球菌と適合した生物に、進化を促進させて特殊能力を目覚めさせるとかいう、とんでも作用は起こさないわ。【星樹】が作ったのは、文字通り新型の【緑青源素】。怒るどころか感心するわ。一植物が、まるで人間のように細菌の遺伝子操作を行ったという事実にね」 

 美女が講義をするように、流暢に話していた時である。眠っていた少女が突然目を開けた。

「……呼んでる」

「お、目が覚めたのか、ホノカ?」

「サヒコ兄ちゃん……あっちから、助けてって声が聞こえるの」

 車の進路からやや外れた方角を指差し、少女が話す言葉に、青年が渋い表情を浮かべ、美女がまたかとばかりに、手で顔を覆った。

「また精神感応テレパシー? ホノカ、私達は四国まで先を急いでるのよ? あんたもお父さんにいい加減会いたいでしょ? サヒコも妹が待ってる、心配してる人がいるの。解るわよね? 今までみたいに寄り道して、人助けをしてる時間は……」

 捲くし立てる美女が、突然口を閉じた。少女の緑青色のに、涙が見えたからである。

「助けてって、聞こえるもん。ずっと聞こえるんだもん……」

「また泣いて……サヒコ、あんたのせいよ? 毎度毎度甘やかすから、泣いたら言うこと聞いてくれると、ホノカが面倒な女の手練手管を身に着けたじゃない」

 責めるように言う美女の冷めた視線に、青年が憮然として応える。

「そうは言うけど、ホノカに本気で泣かれて困るのは俺達だ。折角手に入れた移動手段を、また全焼させられるのは御免こうむる。同じ関西圏の移動で、ここまで来るのに何日かかったか」

「確かに。ホノカさんはお2人のように、ご自分の特殊能力を完全には制御出来ておられませんし、感情の乱れによって特殊能力が暴発することを考えますと、彼女の意志を無視するのは、後々私達が困る事態を招くだけかと……。お嬢様も、もう徒歩移動はお嫌でしょう?」

 青年に助け舟を出しつつ、傍にあったティッシュで少女の涙を拭うロボット。

「ポン子、あんたどっちの味方よ! まったく……好きにすれば? 私は助けないわよ」

 形勢不利と見た美女が、拗ねるように青年を一瞥して、子どものように座席に身を丸めた。

 その美女の姿を見て、青年は頭痛を堪えるように眉間を指で摘み、少女に言う。

「はあぁ……。ホノカ、俺達が手を貸すのは今回限りだぞ? ……それで、どっちだよ?」

 少女がぱあっと顔を輝かせ、青年の膝の上に座ると、指で方角を示した。

「ポン子、頼む」

「お任せあれ! 私の熱源感知センサーにも無反応ということは、結構遠いみたいですね。少し飛ばします。道も荒れておりますし、皆さん、しっかり掴まっていて下さい!」

 国産電気自動車が、見た目に似合わぬ加速性能を発揮し、一気に走り出した。

 少女の指示に従って車を進めると、すぐに目的の者達を発見する。

 樹化症状を発症した人類、動く屍である【樹人】に追われた、2人の母娘であった。


 地球全域に拡散した、新型【緑青源素】に感染した生物は、命に関わる深い傷を負った時、その傷口から蔓や蔦、コケといった植物が生える、未知の症状、樹化が起こる。

 一度傷口に樹化症状を発症すると、症状はその生物の全身を瞬く間に侵食し、やがてはその生物を、植物に覆われた屍とする。人間の場合、【樹人】が誕生するわけである。

 【樹人】は、まるで植物に意識を乗っ取られたかのように、樹化症状が未発症の人間を襲撃し、致命傷を与えては樹化症状を発症させて、同類たる【樹人】達を次々に増やしていった。

 人口密度が高かった関西の各都市が、どこもかしこも今や廃墟と化しているのは、街の病院から【樹人】が次々と発生し、【樹人】達が瞬く間に増えて、住人達が避難のために街を捨てたからである。


「追手の【樹人】が意外に多い……2人はここで待ってろ。ポン子、頼むぞ」

「承知しました……サヒコさんも、お気を付けて」

 日本刀を持つ青年が素早く車から出て行くと、身を丸めていた美女が起き上がり、青年の後ろ姿を心配そうに見送る。

「お嬢様……心配であれば、付いていけばよろしいのでは?」

「うるさいわよ、ポン子……」

 そわそわする美女の視線は、ビルの物陰に止まった車から、相当離れた道路に降り立った、青年へと固定されていた。祈るように、車の窓から青年を見続ける美女。

 瓦礫が散乱し、走り難い道路を駆ける母娘が、進路の前方に立つ青年の姿に気付いた。

「そのまま走れぇー!」

 青年の一喝に、母娘はふらつきながらも最後の力を振り絞り、駆けて来る。

 2人を追う【樹人】の群れは、移動速度こそ遅いものの、その身に生やした蔓や蔦を、蛇の様にのたうたせて、遠く離れた相手に攻撃することが可能だった。実際、小さい娘に手を引かれて逃げるフラフラの母の背後には、厚さ10センチの鉄板をも貫徹する高い殺傷能力を持った蔓や蔦の槍が、無数に迫っていた。

 青年が眉根を寄せて唇を引き結び、右手を突き出すと、母娘に届きかけていた蔓や蔦の槍が、見えざる壁にぶつかったかのように、その場で砕け散る。

 新型【緑青源素】に肉体が適合したことで、青年が獲得した特殊能力の一つ、念動力サイコキネシスによる不可視の壁が、【樹人】の槍を阻んだのである。

 しかし、その念動力の壁も、繰り返される【樹人】達の攻撃によって、数秒後には砕け散った。

「ぐっ! さすがにこの物量差は止められないか。しかし、時間稼ぎは充分だ!」

 ある程度の距離を稼げた母娘が、遂に青年とすれ違う。気が抜けたのか、娘に手を引かれていた母親の方が地面へと倒れ込み、娘が母親を起こそうと、懸命に肩を貸していた。

 青年は、背後にいる2人に構わず、眼前に見える【樹人】達の群れと、迫り来る無数の蔓や蔦に対して、腰の位置に構えた日本刀を、勢い良く水平に鞘から抜き放った。

「せいやぁあああぁぁぁーっ!」

 裂帛の気合と共に刃閃が走り、鞘から解き放たれた日本刀は、刀身と接触していないのにも関わらず、蔓や蔦を斬り飛ばし、遠くに群れる【樹人】達の胴までも、余さず斬り分けていた。

 念動力で作り出した力場の刃。伸縮する不可視の刀身が、【樹人】達を斬断したのである。

 勢いを相当削られても迫り来る蔓や蔦の槍を警戒してか、戦果も確認せずに素早く身を翻した青年は、後ろで倒れ込む母親と横にいた娘を両肩に担ぎ、その場で跳び上がった。

 またしても念動力の力か。女子供とはいえ、2人の人間を担いでいるとは思えないほどの、遠い距離を跳躍し、車の傍に降りた青年は、母娘を降ろすとようやく戦果を確認した。

「むう、やはりまだ動いてる。胴を真っ二つにする程度じゃ、即死は難しいか。ホノカみたいに燃やしちまうべきかな? しかし、効力が高い特殊能力ほど具現化に時間がかかるし、咄嗟に動く時のことを考えると、念動力の方が効力は低いけど初動は速い。思ったようにいかんね、現実は厳しい……ゲームみたいにボタンで使い分けとか出来ねえかな?」

 遠く視線の先にある道路で、次第に弱々しくなりつつも未だに蠢いている【樹人】の群れを見て、青年が考え込んでいると、傍にいた幼い少女が荒い呼吸を整えつつ、口を開いた。

「あ、あの……ありがとう、ございました」

「ん? ああ、お礼は……あの子に言ってくれ」

 横にある車を指差す青年。緑青色の両目を持つ少女が、窓から笑顔を見せていた。

「落ち着ける場所に移動しよう。付いて来な」

 呆然とした様子の母親と、ほっとした様子の幼い娘。対極の反応を返す母娘を引き連れて、青年は車へと乗り込む。そして、車がゆっくりと移動を開始した。

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