第29話『友人と後輩』
お客様として来店してくれた一紗。一紗はジーンズパンツにブラウス姿というラフな格好をしている。
今までとは違い、俺が杏奈の後ろに立っているからか、一紗は目を見開いて固まっている。
「一紗?」
俺が名前を呼ぶと、一紗は体をビクつかせ、はっとした様子になる。もしかして、今の状況が衝撃的すぎて、意識を失っていたのか?
「だ、大輝君。どうして金髪の子がそちらサイドにいるのかしら? ここの店員の制服を着ているから、だいたいの予想はついているけれど」
ちょっと不機嫌そうな様子で、俺達のことを見てくる一紗。
怖がっていないだろうか……と思って杏奈の方を見ると、杏奈は落ち着いて微笑んでいる。店員モードになっているのかな。それとも、こういう状況には強いのだろうか。
「ここでバイトを始めたからだよ。今日が初めてのバイトなんだ。だから、俺が指導しているんだよ。……杏奈。彼女は俺の友人でクラスメイトの麻生一紗だ」
「そうなんですね。初めまして、小鳥遊杏奈といいます。四鷹高校の1年です」
「は、初めまして、麻生一紗です。以前、あなたが客としてここに来ていたのを見たことがあるけど、こうして話すのは初めてね」
「そうですね。とてもお綺麗です。スタイルも良さそうですし。自分の1個上なのが信じられないくらいです」
「ふふっ、ありがとう。あなたも可愛いわ」
一紗はいつもの落ち着いた笑みを杏奈に見せる。さっきは不機嫌そうだったし、いったい何をしてくるのか不安だったけど、とりあえずは大丈夫そうかな。容姿を褒められて少しは気を許したのかもしれない。
「じゃあ、私が練習相手になってあげるわ!」
一紗は意気揚々とした様子で、右手で自分の胸を叩く。一紗は本当にお客さんだから、練習相手と言ってしまっていいのか分からないけど、俺の友人なので他のお客様よりは接客しやすいんじゃないだろうか。
「杏奈、やってみようか」
俺がそう言うと、杏奈は明るい笑顔になって首肯する。
「いらっしゃいませ。店内で召し上がりますか?」
「はい」
「ご注文は何になさいますか?」
「てりやきバーガーのポテトM・ドリンクセットで」
「てりやきバーガーのポテトM・ドリンクセットですね。お飲み物は何になさいますか? こちらから選べます」
「ホットティーをお願いします。ガムシロップを1つ付けてくれますか?」
「ホットティーにガムシロップをお一つですね。かしこまりました」
俺の友人が相手だからかもしれないけど、バイト初日にここまでの接客ができるとは。今までお客さんとして何度も足を運んでくれたからかな。少なくとも、俺よりもポテンシャルがありそうだ。俺なんてバイトを初めてしばらく経っても、百花さんが近くにいても緊張して、ミスすることがあったから。
すると、一紗はうっとりした様子で杏奈を見つめる。
「あと……こうして近くで見てみると、あなたは妹に似た雰囲気を持っているって分かるわ。凄くかわいい。だから、バイトが終わった後にあなたをお持ち帰りしたいわ。好きな本とかの話をしてみたい……」
「……は?」
自分を注文されるとは思わなかったのか、杏奈は変な声を漏らしてしまう。
まったく、妹さんに似ているとはいえ、一紗は何てことを言うんだか。杏奈がとっても可愛いことには同感だけど。思わずため息が出てしまう。
「……しょ、少々お待ちください。他の者に訊きますので」
杏奈はこちらに振り返り、俺のすぐ側までやってくる。
「大輝先輩。あの人おかしいですよ。ヤバいですよ。可愛いって言ってくれるのは嬉しいですけど、お持ち帰りしたいなんて。あの人ってシスコンなんですか? あの人だけがおかしいんですか? それとも、こういう変な注文をしてくるお客様って他にもいるんですか? どう対応すればいいんですか?」
困惑した様子の杏奈は、小さな声で矢継ぎ早に問いかけてくる。初対面の人にお持ち帰りしたいって言われたら、こういう反応になるのも仕方ないか。
「杏奈。まず一紗についてだけど……一紗はおかしくてヤバい部分がある。もっと正確に言えば、変態な一面がある。シスコン疑惑は俺も今初めて知ったけど」
「聞こえてるわよ。まあ、好きな人には執着心がある自覚はあるけど。大輝君とかね。大輝君が一番好きだけど、可愛い人や物も結構好きよ。特にあなたのような妹に似ている可愛い女の子は。シスコンと言われても仕方ないかもね。だって、妹は可愛いんだもの。でも、ヤバい人じゃないわ」
今までの一紗の言動を振り返ったら、少なくともヤバい人予備軍の一員にはなると思う。
「な、なるほどです。悪く思われていないだけマシですけど、正直ちょっと怖いです」
杏奈がフロアに来てから初めて、顔色が悪くなったな。それだけ、お持ち帰りしたいと言われたことのインパクトが大きかったのだろう。
接客の練習のために、わざとあんなことを言ったのかと思ったけど、今の一紗を見る限り、杏奈をお持ち帰りしたいのは本心だろう。妹さんに似ているそうだし。それが分かったから、杏奈の顔色が悪くなったのかもしれない。
「次に他にも変なお客様は……正直、いる。夜、酔っ払った大学生や社会人がお店に入ってきて、無茶な注文をしたり、暴言を吐いたりすることがある。あと、俺は経験ないし、その場面を見たことはないけど、過去に酔っ払い客に殴られた店員がいるそうだ」
「そんなこともあるんですね。あたしは別のお店ですけど、カウンターにいる店員さんに絡む酔っ払いを見たことがあります。……ということは、素面であんなことを言った麻生先輩って生粋のおかしくてヤバい人……」
「……そ、そう言えなくはないかもな」
俺にしか聞こえないような小さな声だけど、杏奈ってなかなか言う子だな。
「最後に対応について。さっきの一紗への対応は良かった。これからも、分からないことや困ったことがあったら、他の者に訊いてきますとお客様に断りを入れて、俺や百花さんとか先輩店員に訊いてほしい。もちろん、対応できるときは俺が対応するし」
「分かりました」
「あと、今みたいなケースだったら、『上の者を呼んできます』って言って、萩原店長や副店長などを呼びに行くのもいいよ。特に店長。俺に絡んできた酔っぱらい客に、店長がスマートに対応して帰らせたから」
「そうなんですね。確かに、店長ってどんな人にも落ち着いて応対できそうですもんね」
「店長は凄いよ」
萩原店長が出てきて応対をすると、それまで店員や他のお客さんに悪絡みしていた客のほとんどが気持ち良く帰っていくからな。女性だと笑顔で帰るお客さんもいるし。さすがはダンディズムの化身。
「杏奈のお持ち帰りの件は俺が対応するよ」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません」
「気にするな。迷惑をかけているのは一紗だから。むしろ、友人として俺が杏奈に謝りたいくらいだ。ごめんな……」
「い、いえいえ。いい勉強になってます!」
と、杏奈は微笑みながら言ってくれる。今日からバイトを始めた子に気を遣わせてしまうとは。何とも言えない気分だ。
ふぅ、と息を吐いて、俺は一紗のところへと向かう。
「お客様。当店で店員のお持ち帰りサービスは扱っておりません」
「ごめんなさい。彼女が可愛いから、つい言っちゃったわ」
「そうですか。金曜日にも私をお持ち帰りしたいと言いましたよね。これからも同じようなことを繰り返した場合は、上の者に報告しますよ。このお店には出禁となる可能性もありますので。ご了承ください」
出禁という言葉が響いたのか、一紗の顔色が一気に悪くなる。
「き、気を付けますから……出禁だけはご勘弁を」
「……気を付けてくださいね。よろしくお願いいたします」
俺がそう言うと、一紗はほっと胸を撫で下ろす。これで杏奈や俺に無茶な注文をしてこないことを祈る。
俺の今の対応が良かっただろうか。杏奈の方に振り返ると、音を鳴らさずに拍手をしていた。ちょっとは先輩らしいところを見せられたかな。
杏奈と場所を入れ替わり、再び彼女の接客を側で見守ることに。
「は、速水の言うように、私のお持ち帰りはできません。申し訳ございません。他に何かご注文はありますか?」
「いえ、他にないわ」
「かしこまりました。確認いたします。てりやきバーガーのポテトM・ドリンクセット。ドリンクはホットティーですね。ガムシロップをお一つ」
「そうです」
「かしこまりました。合計で700円となります」
「では、この1000円で」
「1000円、お預かりします。……300円のお返しとなります」
「ありがとう」
代金のやり取りを終えたので、杏奈は一紗の注文したメニューを用意していく。どこに何があるのかさっそく覚えたようで、てきぱきと動いているな。凄い。
「初日とは思えない雰囲気ね。……接客する大輝君の姿を見ていたからかもね」
「そうだと嬉しいな」
もしかしたら、そういうことも店長が俺に指導係に任命した一つの理由かもしれない。
「昨日は文香さんとのデートを楽しめたそうね」
「メッセージに送った通り、楽しめたよ」
「それは何よりね。私は昨日、玉子焼きの作り方を妹に教えてもらったわ。練習して、ちゃんと作れるようになったから、明日を楽しみにしておいて」
「分かった」
一紗の努力の成果を楽しみにしておこう。
杏奈はてりやきバーガーのポテトM・ドリンクセットをトレーの上に乗せる。これで大丈夫……おっと。
「杏奈。マドラーを忘れているよ」
「す、すみません」
「ホットティーやコーヒーを注文されて、ガムシロップやミルクをいると言われたときは、マドラーも忘れないでね。マドラーはそこにあるから」
「これですね。分かりました」
杏奈はマドラーをトレーに乗せる。
「お待たせしました。てりやきバーガーのポテトM・ドリンクセットになります」
「ありがとう、店員さん。バイト頑張ってね」
「ありがとうございます。ごゆっくり」
一紗は杏奈からトレーを受け取ると、窓側のカウンター席に向かった。綺麗で艶やかな黒髪だから、後ろ姿でも自然と目を惹かれるな。
「次の方、どうぞ」
『いらっしゃいませ』
それからも、俺は杏奈の後ろで彼女の接客を見守り、時にはサポートや指導をしていく。日曜日のお昼なので多くのお客様が来店する。バイト初日なので、少しずつ杏奈の顔に疲れが見えてきたけど、
「おっ、杏奈頑張ってるね」
「杏奈ちゃん制服可愛いね!」
と、何度か杏奈の友達が来ることもあって、杏奈は笑顔を絶やすことはなかったのであった。
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