3. 雨音の止む

 僕が彼を見るように、彼が僕を見つめている。瞳は深い紺色をしていて、これはあおいろが淀んだ色なのかもしれないと気付いたけれど―――そう言うには幽かきらめいて、美しかった。微風が頬を撫ぜるとき、僕と同じように右目を隠す前髪がすこし揺れて、どうしてか僕と彼とは全く違う存在なのだと識る。夏羅はどんなひと、と問うたナナの声がリフレインしていた。雨が降ったときのように。


 彼とナナを探している間、身を寄せていた店がある。あのようなお店を喫茶店というのだと教えてくれたのは夏羅だった。彼はヒトの世に関することを僕より多く知っていて、ひとに混ざるのが器用だったように思う。出会う前から彼が僕を知っていたのはナナから聞いたからなのだろう。経緯や委細はしらないけれど、あまり気にしていなかった。

 店のテーブルで珈琲を飲みながら雨が止むのを待っていた日。水の香りがして室温の低い店内と、薄明るい窓と雨の音。不思議と沈黙が重たくならないのは、あの心地いい自然の音楽のためだったのだろうか。僕は向かいに座って静かにマグカップを傾けていた彼のことがなにも、見えないでいた。


 ことばを喪う僕のとなりで、暑さに潤むような謎めいたひとみはもう笑っていない。やがて瞼を閉じながら視線を外して立ち上がると「仲良くするつもり、ないから」と呟いて、次にカーテンが揺れたのと一緒に消えてしまった。後を追うように立ち上がったけれど、もうそこにあるのは迷い込んで来た風の緩やかさだけで。

 一人残された室内は薄い影で幕が引かれているような色をした。夏羅が目を瞑ったそのときに、睫毛の昏さが連れて来たのかもしれない。そして俯く僕の額によってまた塗り重ねられていくのだろう。


 ふいにひとの気配を感じて振り返ると、戸口のところでユウが所在無さげにしている。目が合うと、ごめん、とだけ言った。聞いていたらしい。「……いいえ、」


「なんか……大丈夫?」

「はい、」


 わらって誤魔化そうとしてしまうのは悪いくせなのかもしれない。大して笑顔が上手なわけでもなかったのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る