2-6 鎮魂祭

『それが、君の果たすべき責務だからだよ』


 どうしてと問う私に、師匠が告げた言葉がそれだった。


『既に沢山の人が死んだ。そしてこれからも死に続けるだろう。もうアレは誰にも止められない。僕と星持ちウラノアス全員で掛かったら、まあ撃退は可能だろう。それでも間違いなく、半分の星が欠けるだろうね』


 そう諭す師匠の顔は、いつもの飄々としたものとはかけ離れた、真剣そのものだった。


『無傷でアレに対処出来るのは、もう君しかいないんだ。限定的にとはいえ、右眼を使った君は僕を超える。いや、この世の全てを凌駕すると言っていい』


 無意識の内に、私は自分の右目に手を伸ばしていた。錯覚でなければ、瞼越しに触れたその硬い球体は、まるで心臓のように脈打っていた。


 師匠の言っていることは理解出来る。


 既に死者は二百万人を超えた。死者だけでこの数だ。重傷者や、身内を喪った者達も含めたら数えようがない。


 最早、王国全土にソレの被害を受けていない者はいないだろう。


『人の理では太刀打ち出来ない存在を倒すには、こちらも人の理を超えた力を打つけるしかない。しかしその大半はこの世界からは失われてしまった』


 ならば、太刀打ち出来るのは自分しかいないだろう。


 その手段を持つ私だけが、あの存在に勝機を見出せる。


 そして何より、そうしなければならない理由が私にはある。

 絶対にあの怪物をこの手で倒さなければならない、因縁が。


『ん、分かった。あの怪物は、私が倒す』


 そして私は、覚悟を決めた。



 ――正しいことをしたのだと思っていた。正しい道を選んだのだと思っていた。


 私のしたことは善いことで、世界中の人々を助けることが出来たのだと。


 事実そうなった。

 殺戮は止み、世界中から暗雲は晴れ、多くの命が救われた。

 皆が私を褒め称えた。誰もが笑顔で両手を挙げた。


 きっと私は死後も英雄として祭り上げられ、その偉業は人の世が続く限り永遠に語り継がれることだろう。


 けどそんなもの、私にとってはどうでもよかった。

 たった一言でよかった。たったそれだけでよかった。


 この世で一番大切なあの子から、たった一言褒められるだけでよかった。


 それだけで、私の心は救われた。あの苦行が誇らしいことなのだと、自分に言い聞かせることが出来た。


 ――ねえ、それなのにどうして、あなたは泣いてるの?


 そんな悲しい声で泣かないで。


 そんな苦しい顔をしないで。


 そんな辛い目で私を見ないで。


 それじゃまるで、まるで、私が悪いことをしたみたい。


 ――嗚呼、視界が歪む。


 まっすぐが曲がって、静止が揺れて、空が回って、星が落ちて、


 パキッと、ひびが入る音がした。


 ◆


「ん? 何やら街が騒がしくないかい?」


 城壁の門を潜ったヴァナガルドが一番に告げた言葉が、それだった。


 そう言われて、フィーネは少し注意深くヘレスニの街を観察してみるが、確かにその通りだった。

 人が入り乱れる大通り。早朝を過ぎても尚、人々の活気が衰えることはない。


 一見いつも通りの賑わいに見えるが、その人々の見せる色が、いつもと少しだけ違っていた。


 これはまるで――


「怯えてる……?」


 フィーネが思い出したのは、二週間前の敵国襲撃のあの日の光景。

 突如ヘレスニに迫った魔獣の軍勢によって、平和が踏み躙られたあのときと、何処か似ている気がした。


「フィ、フィーネ殿ぉおーっ!」

「うん?」


 慌ただしい声で名前を呼ばれた方をフィーネが振り返ると、そこには必死でこちらに駆けてくる副支部長の姿があった。


 ぜえ、ぜえ、と、疲労ではなく心労から苦しそうに息を吐いているスーロンの姿に、フィーネはきょとんと小首を傾げて、


「スーロン、どうかした?」

「じ、実は内密にお伝えしたいことが……! 機密事項でして……!」


 肩で息をして呼吸を整えながら、スーロンは傍にいるヴァナガルドにチラチラと視線を向ける。


「これはフィーネ殿にのみお伝えせよとのお達しですので、どうかお連れの方は……」

「大丈夫。この人ゲラーテの会長だから」

「そうなのですか。でしたら何も問題な……」


 スーロンの目が点になる。ついでに口が半開きになったまま静止する。


 恐らく今彼の頭の中で、「会長」という単語の意味の再定義が神がかった速度で行われているのだろう。


 しかし結局行き着く先は一般的な定義とあまり差異のないものであり、その優秀な頭脳は次第に現実へと帰還して、


「かかかかかかかかかっかかかかかかかっっっっっ会長ぅうううううううううううううううううううう!?」


 うん、まあこうなる。


 何せ会長だ。読んで字の如く組織の長。トップオブトップ。

 しかもゲラーテの会長を務めたことがあるのは、後にも先にもただ一人。


 ヴァナガルド=ストルルソン。叡智の魔術王その人だけなのだから。


「こ、これは失礼しましたぁッッ! 会長に対してとんだご無礼をッッッ!」

「うわー、久しぶりな反応。最近の交友関係弟子と古い友人だけだから、こんな畏られるの凄い新鮮」

「違うよ師匠。スーロンは師匠を敬っているんじゃなくて、その地位と経歴に敬意を払っているだけ。それを剥がしたら師匠はただ強いだけのカスだから」

「うわー、愛する弟子からの遠慮のないストレートな罵倒。ありのままの僕の人格全否定されたんだけど」

「逆に肯定する箇所があると思ってる?」

「うーん、無いね!」


 華やかな笑顔で笑うヴァナガルドを放って、フィーネは唖然としているスーロンに視線を戻す。


「スーロン、この変人は放置してていいから、何があったのか教えて」

「え、あ、はい! 実は――」


 我に帰ったスーロンは、早口になりながらも今の状況を簡潔に説明し始める。

 そしてその内容は、フィーネにとって驚くべきものだった。


「え……ユキが……!?」


 ◆


「ユキ!」


 フィーネは勢いよく自宅のドアを開くと、靴を脱ぎ捨てて中に入る。


 迂闊だった。恐らく狙ってのことではないだろうが、まさか自分達の不在時に政府側がユキに接触してくるとは。


 政府側の狙いは不明だが、審問会の高官がわざわざ出向くなど、どう考えても普通ではない。


「ほう、家の主人が帰ってきたか。お邪魔しているぞ」


 焦燥に駆られながらドアを開けたその先にいたのは、黒い制服を着た黒髪の男。この男がスーロンの話した審問官と見て間違いない。


 しかし、彼以外の気配がない。ユキの姿はおろか、いつもは玄関で待ってくれている筈のルナールの姿もない。


(遅かった……!?)


 後悔が全身を襲う。

 しかし冷静になれと必死に自らに言い聞かせ、フィーネはテーブルに腰掛けて紅茶をすすっているその男に詰め寄った。


「二人は、何処……!?」

「この都市を出る準備中だ。私は貴殿に言伝を頼まれたので残っていた。不本意だが、かの吸血姫の頼みとあれば無下にも出来ん」

「巫山戯るな!」


 怒髪天を衝きながら、淡々と返答する審問官の襟首を掴み上げる。


「今すぐ二人を返して! さもないと今すぐにでも――」



『あれ? フィーネさん帰ってきてたんですか?』



 殺気の満ちたリビングに、呑気な少女の声が響く。

 そして遅れて、玄関のドアが閉じられる音がした。


『どうやら入れ違いになっていたようですね。ランスロット様に言伝を頼んでおいて正解でした』

『そうですね。お陰でお買い物に集中出来ました』


「…………へ?」


 審問官の襟首を掴む手が自然と落ちる。

 審問官はしわくちゃになった襟首を整えながら、コホンと一つ咳払いをして、


「……言伝の内容だ。『少しルナールと街までお買い物に行ってきます。十一時までには帰りますね』。以上だ」


 男が言い終えた後、リビングのドアが開き、両手いっぱいの買い物袋を抱えた白銀の吸血鬼とその従者が入ってくる。


「あ、フィーネさんおかえりなさい。ランスロットさんも、お留守番ありがとうございました」

「気にする必要はない。紅茶の礼だ」

「申し訳ありません、ランスロット様。主が中々選ばれないせいで少々時間を過ぎてしまいました。ユキ様もとっとと決めてしまえばよかったのに」

「そういうわけにはいきません。何せ明日から副都に何日間も滞在するんですよ? でしたら足りない服などを買っておかないと」

「今更ですが、足りなくなったら向こうで買えばよろしいのでは? このままでは荷物になってしまいます」

「…………あぁあ!?」


 のんびりと平和なやり取りをしている三人に、一人置いてきぼりを食らったフィーネはぽかんと口を開けていて、


「え、え……? ユキ、大丈夫……?」

「な、何がですが? 頭が大丈夫かってことですか? 違うんです。これはちょっとこっちでの初めてのお祭りに浮き足立っていたからで……」

「そうじゃなくて、この人に何もされなかった?」

「…………はい?」


 フィーネの言葉の意味が分からなかったようで、ユキは首を傾げて困ったようにルナールを見る。


「…………?」


 しかしルナールも何のことだがさっぱりなのか、ユキと全く同じポーズをして困惑したような表情になっていた。


「少々、誤解が生じていたようだな」


 混乱の渦に包まれる三人に、審問官が本日二度目の咳払いをして声を投げた。


「誤解を解く前に、まずは自己紹介をさせて欲しい。私の名はランスロット・ローゼンバーグ。王国審問会所属の審問官だ。この度は副都で開催される『鎮魂祭』の案内人として、ドラキュリア殿のお迎えにあがった次第だ」

「あん……ない……にん?」


 鎮魂祭。

 一週間後に副都にて開かれる、とある厄災を人類が乗り越えたことを祝福し、同時に死した者達の魂の安寧を祈るための、国を挙げての超大規模祭。それが『鎮魂祭』だ。


 主要開催地は副都ではあるのだが、他の都市でもそれぞれ小規模な祭りが開かれるほど大きな祭典だ。


 本来は数週間掛けて祭りの準備が行われるのだが、ここ最近は『敵国』案件でそれどころではなく、一通りそれらが解決した現在、急ピッチで準備が進められている。


 一時期は延期、最悪は中止との噂だったが、王国の意地に掛けて開催を強行したのだという。

 それほどまでに、この祭りは王国人にとって重要な意味を持っている。


 しかし、それとこの男の繋がりが読めない。

 案内人と言っていたが、何故政府の高官が直々にやって来たのか。

 それ以前にそもそも、勘違いとはいえとんでもない無礼を働いてしまったような。


「フィーネさんも酷いですよ! 何でこんな凄い催しがあるって教えてくれなかったんですか! クラウドさんもそのお祭りのお手伝いのために出ていたって話ですし!」

「ユキ様。そもそも私達は王国政府の許可がなければ、このヘレスニから外に出られないのです。お二方が秘密にしていたのは仕方のないことかと」

「でしたら許します! さあフィーネさんも早く出発の準備です! 明後日からの前夜祭には絶対間に合わせますよ!」


 ……。

 …………。

 ……………………。


「……おー」


 ここでフィーネは、考えるのをやめた。

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