第2話 5万円先輩

 野上くんがありえねーことを言い出したあの日、俺は悩みに悩んだんだ。


 正直このオッサンがどーなろーが知ったこっちゃねーんだけどさ? 


 ほら、なんての? 仮にも昔から知ってる先輩がガチガチの犯罪者になるのって嫌じゃん? 


 ジョーシキあるお前らならわかってくれるよな?


「野上くんって、女の子は好きっすよね?」


 あれから三日後の昼休み、俺はキャンプ道具のカタログを読んでいた野上くんに声をかける。ていうかこの人なんでキャンプ用品なんか見てんの?アンタ一体山に行って何するつもりなの? 知りたくねぇなあもう!


 野上くんはめんどくさそうにカタログから逸らした視線だけを俺の方に向ける。


「あ? そりゃぁ好きだけどよ? 今はんなことより人肉だっての! んなくだらねーこと考えてる暇あったらよ、おめー」


「バレねーように人を攫ってくる方法の一つでも考えて来いってんだよ」


 やっぱ三日たったくらいじゃ、野上くんの狂った欲望は収まっていないらしい。


 それにしてもこの男、なんでこんなに偉そうなんだよ。同い年だったら一回くらいシメてやんのに。


 ……昔は優しい普通のオッサン顔の少年だったんだけどな。


「……女好きか訊いたくれーでそんな怒んなくても」


「それより野上くん、俺のツレの彼女のツレが男紹介してくれっつってんすけど、野上くんどーすか?」


 そう、この三日間で俺が導き出した答え。


 それは『女を紹介して意識を別の方向に向ける!』だ。


 いや、ジッサイ俺もショボい作戦だとは思うよ?


 けどさ? 男が急に夢中んなるもんったらやっぱ女じゃん?


 野上くんだって人肉人肉言い出す前はわりと女のケツばっか追いかけてたんだよ。


 まあ、オッサン顔で態度もふてぶてしいからモチロン大体は振られてたんだけどさ。


「その女、人間の肉の調理法とか知ってたりしねー?」


 ……出たよ。


 この男、思い込んだら一直線じゃねーかよ。


 これが女やらバイクに気持ちが向いてんだったらカワイーもんなんだけどなぁ。


 ……人肉だもんなぁ。


 ただひたすらにキモイよ。


「いやいやいや! そこはアンタ、その子カワイー? とか聞きましょーよ!」


「もういーかげん人間喰うことから離れてくださいよ!」


「は? なんで?」


 野上くんは心底不思議そうに言う。


 ならしゃーない。


 説得を試みつつ、チャンスがあればまた女に話を誘導だ。


「いいっすか? 野上くんがいつもチューしてくれ~って迫りまくってミサイルみてーに逃げてった女も、どんな無茶振りされても野上くんの話否定もせずきーてきた俺だって、皆人間なんすよ?」


「それに野上くんのかーちゃんだってとーちゃんだって、人間なんすよ? 野上くん、かーちゃん死んじゃったらカナシーですよね?」


「そりゃおめぇそんなもんカナシーに決まってんじゃねーか! おめぇよ? なんか勘違いしとりゃせんか? タカシおめぇ……、俺ぁ別に、人の心なくしちまったわけじゃねーぞ」


 おっ、野上くんちょっと怒ってんじゃねぇか。まだ人としてのフツーの感情は残ってるみたいだな。


「いくら俺が人間喰いたいっつってもなぁ! その対象におめーや家族なんてのはよ? 天地がひっくり返ったって選びゃしねーってんだ! わかるか? それがどーしてなのかをよ?」


 くそう! わかってたけどやっぱそーくるか。


 それにしてもなんでちょっとキレ気味なんだよ。俺がキレてーよ。


「んー、まぁ言ってる意味はわかるんすけどね? ……仲間と他人は別物ってことっしょ? そりゃあ俺だってそーは思いますけどね……」


 言ってることの8割くれーはフツーなんだけどなぁ……。


 これが人肉についてでさえなきゃなぁ。


「そう、俺だってなぁ、極々個人的来な欲望のために大事な奴をぶっ殺しちゃえ! なんつーエキセントリックな思考回路してんわけじゃぁねーんだよ」


 ……人肉喰いてぇのがもうすでに何よりエキセントリックなんだよこの青いダブりが。


「だから安心しやがれ! 喰っちまう相手は俺と全くカンケーねぇ赤の他人から選ぶつもりだからよぉ」



「だからよぉじゃねーよ! 待ってくっさいよ野上くん! そんなに思ってくれんのは、そりゃあウレシーっすよ? でも、でもね?」


 ……全くこの人は。得意げに肩に手ぇ置いてんじゃねぇよ。


 ……つってもこの人、こんなんでも俺んこと、ガチに仲間だと思ってくれてんだよなぁ。


「でもなんだよ?」


 ……ふぅ、落ち着け。冷静にいこう。大丈夫、この人だって人の心はあるんだ。


「野上くんにはカンケーねぇそいつだってね? そいつにはそいつの、家族とか、仲間だとかだっているわけっすよね?」


「そいつが死んじゃったら、ましてやこんな400番の紙やすりみてーな顎した高校生に喰われちまったってんじゃぁ……、そいつのかーちゃんだって立ち直れねーくらい悲しみ背負って生きてくことになんだろーし、何よりそんなに大事にされてるそいつの人生が終わっちゃうんすよ?」


「……お前ちょいちょい俺の髭ディスるのなんなの?」


 おっといけねぇ。……怒りが言葉を通してあふれ出てきちまったみたいだ。


「いや、……それはすんませんっす」


「でも、ね? ほら、……だから」


「おめー、ニュースは見るか?」


 おっとこの唐突な話題チェンジ。


 ……やだなぁ。


「え? そりゃタマにゃ見ますけど、えらいトートツっすね?」


「ニュースじゃあよ? 日本のどっかで誰かが死んじまったっつーニュースなんてなぁしょっちゅうやってんよな? それ見てよ? おめーはどう思うんだ?」


 野上くんがちょっと俺を覗き込み気味に問うてくる。


 ……タカシ、気合を入れるんだ。答えようによっちゃぁまた言いくるめられる。


 ……好きだ。俺は人類好きだ。人死ぬの嫌い。


「え、えーっと、……そりゃ、お気の毒だなーってカナシくなっちゃったりだとか、ひでぇことすんだなぁ、ってムカついてきたり色々っすよ」


「だろ? 所詮その程度なんだよ、人が死んだって、そいつが他人じゃあよ?」


 ミスった! 言い方微妙! 


「そ、そんなこたねーっすよ! フツーにメチャメチャカナシーっすよ!」


 恐る恐る野上くんの方を見ると、眉をひそめながら無駄に渋みを効かせた声で、


「……じゃあお前よ? 5万円入った財布落とすのと、殺人事件のニュース見んのとどっちが凹むんだ?」



「え、えーっと、……それは」


 ……ちょ!


「5万だろ? 別に隠さなくたっていーんだよ」


「い、いや、け、……決してそういうわけでは」


 なんだそのドンピシャで嫌な例えは。


 ……やべぇ、思わず口ごもっちゃったじゃん。


「ならなんでソッコーで殺人事件だって断言しねーんだ? つまりおめーにとっちゃよ? 知りもしねー奴の命なんてよ? よくて5万、いや、それ以下の価値でしかねーんだよ!」


「……えー」


 いやぁ流石にその論法は無理が、……って野上くんなんで財布出すの?


「……ほらよ、ここに5万入ってる、受取れ」


「……え?」


「ほらよ? 5万やるっつってんだ! これからテメーにヤな思いさせっからよ? 慰謝料だ!」


 言いながら野上くんは俺の手に無理やり札を握らせる。


「いやいやわかってんなら人喰おうとすんの辞めてくださいよ!」


「……テメェ、じゃあなんで5万を財布にしまおうとしてんだ?」


「え? ……あ、いや~これはその」


 おっとミスった、つい欲望が。


「……ふん、結局テメェはそーいうやつなんだよ。口じゃあマジメっぽいことばっか言ってたって、結局損したくねぇだけじゃねぇのか? オメーは人喰いの後輩になりたくねぇだけなんじゃねーのかこのウンコヤローが!」



「ちょちょ! 待ってくださいよ! 俺は野上くんが心配だから言って……」


「うるせーうるせー! おめーなんかその5万でソープにでも行っちまえ! 俺の500万円分の喜び奪うんじゃねぇよ!」


「うおーーーーーーー!」


「の、野上くーーん!」


 ……野上くんまた走ってっちゃったよ。


 ったくあの男は……、500万ぽっちの欲望で人殺そうとしてんじゃねーよ。


 はぁ、……やだなぁ。


 こりゃあ、イザとなったら攫ってふん縛って監禁でもするしか……。


 ……それじゃ俺が犯罪者じゃねーか。 

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