少しの間を置いて葵は言葉を続ける。考えたくもない理不尽な理由を思い浮かべてしまった自身の思考を恨めしく思いながら。


「異世界の人間の保護なんて、人道的なものに見せかけているけれど、本当の目的は呼び出したバロックの中にいるかもしれないインタージャーを探すこと」


「ご明察。素晴らしいわ。王子にはインタージャーが必要な理由があるの。はっきり言って、バロック自体はあの方にとってさほどの価値もない。アオイのようなただの人間ならばなおさらよ。むしろあなたがどうしてリオと一緒にこの世界に来たのか、私たちにもわからないくらいだもの。完全なるおまけね」


 おまけ、の言葉に葵が肩を落とす。当事者になるのはごめんだが、完全なる部外者と言うのも嬉しくはない。最初にただの人と言われた時以上の落ち込みだ。既にここまで巻き込まれているのだから当然である。


「バロックやインタージャーには感じ取った色を体現する力があるのだけれど、それを使いこなすためには訓練がいるの。リオがバロックであることは言葉が通じるようになった時点で間違いがないから、その訓練を受けてもらわなければならない。アオイ、猶予はその期間になるわね。どうする?」


「つまり、その期間は俺もここに置いてもらえるってことですか」


「そのくらいなら私の裁量で何とか出来ると思うわ。そこまでにどうにか出来る?」


 必要とされる人物になれるかどうか。ただのバロックに王子の求める価値はない。莉央がインタージャーかどうかを判断するまでの訓練期間、その間が二人の執行猶予期間となる。つまりバロックである莉央ですら、インタージャーでないと判断されれば切り捨てられるということである。その後はどうなるのか。


「王子が俺たちを呼んだとして、目的を果たした後は責任もって元の世界に帰してくれるんですよね?」


 葵の念を押すかのような問いにネルは少し渋い顔をしたが頷いた。


「そのつもりよ。だから変な考えは起こさない方がいいと思うわ。あなたたちの為にも。逆に利用するくらいの気持ちでいたらいい。もしもリオがインタージャーじゃなかったとしても、バロックとしての力の使い方を覚えておいて損はない。それはアオイも同じだわ。この世界でどう生きるか。術を知っておくべきよ」


「同感です」


 葵は手にしていた黒真珠をネルに渡すとヤンナに顔を向けた。


「俺格闘技とかやったことないんです。だからどうしたらいいのか分からないんで、ヤンナさん、稽古つけてもらえませんか」


 だが葵の問いかけにヤンナは無反応だ。


「彼に言葉は通じないけれど、どうやって意志疎通を図るの?」


「莉央、通訳して……」


「ダメよ、リオだってこれから忙しいんだから。少なくとも昼間は無理」


 莉央本人が答える前にネルが遮る。


「じゃあ勉強します。莉央、つき合ってくれるよな」


「うん」


 頷く莉央だったが、再びネルが言葉を挟む。


「アオイ、リオの立場は教えたでしょう。王子の所有となる娘を他の男性と二人きりになんてしておけないの」


「じゃあどうすればいいんですか」


 苛立ちを声に出した葵だったが、気づいて深呼吸を繰り返す。頭に血が上った状態での交渉など上手くいくはずもない。


 そこに今までろくに話さなかった莉央が口を挟んだ。


「私たち幼なじみだし、二人きりって言っても……」


「でも男女だわ」


 ネルの懸念などよそに莉央は微笑んでみせる。


「大丈夫なんです。私葵くんにはお荷物程度にしか思われてないし、それにネルさんにはちょっと恥ずかしくて言えなかったんですけれど、実は私、晃流君とおつき合いしているんです」


 ね、と振られ、葵は一瞬言葉に詰まったが「そうです」と何とか肯定した。


 先ほど部屋に二人でいたときには頭の中からすっかり飛んでいた事実を改めて突きつけられた葵は自嘲気味に笑った。


「だから俺たちがそういう意味でどうにかなることはないんです。早く晃流のこと助けに行きたいし、出来れば莉央と協力し合いたいです」


 後を引き継ぐと、莉央はほっとしたように笑った。先ほどの微笑みとはどこか違う。心底安心したようだった。その表情を目に捉えたネルは一つため息をついた。


「そうね。あなたたちもこの状況で離れるのは心細いでしょうし。でも就寝は別の部屋、これは譲れません。リオの部屋は用意してあるから今日の夜からそちらに移ってもらうわ。アオイはまださっきの部屋を使っていてもいいけれど、ヤンナに師事するなら軍の所属になってもらうから、いずれ兵舎に移ることになるでしょう。夕餉の時間までは一緒に行動することを許します。その後の時間は絶対に一緒にいては駄目よ。こちら側としてはこれが最大の譲歩だけれど、それでも構わない?」


 葵は莉央を見る。莉央も納得したようで黙って頷いてみせる。


「わかりました、それでいいです。ありがとうございます」


 深く頭を下げた葵に倣って莉央も頭を下げる。そして顔を上げるとヤンナに向いた。


「葵くんがヤンナさんと話すのに取り急ぎ覚えた方が良い言葉、教えてもらえませんか? 早く教えてあげなきゃ大変だと思うし」


 その言葉に、初めてヤンナが微笑んだ。数日を共にしたが、表情らしい表情を見せたのはこれが初めてだ。元々彫りの深い顔立ちは美しかったが、鉤鼻のせいで幾分か険しく見えていた。しかしその微笑みでがらりと印象を変える。


 答えたヤンナの言葉は葵にはわからなかったが、莉央は普通に会話をしている。それに不思議な感覚を覚えつつもヤンナの言葉を聞き漏らすまいと、その口から紡がれる発音に意識を寄せた。


 当然だが聞きなれない響きだ。英語は得意なほうだが、全く馴染みのない言語をどれだけの期間で身につけられるのか見当もつかない。


 だが、莉央はヤンナとの会話を終えると嬉しそうに葵を呼んだ。


「文法とかほとんど一緒みたい。ヤンナさんが後で覚えた方が良い言葉のリストと辞書を貸してくれるっていうから一緒に見よう。葵くんならきっとすぐ覚えられるよ」


「そっか」


「頑張ろうね」


 嬉しそうにはしゃぐ様子の莉央を見ることは珍しかった。単純にすべきことの指針を得たことによる安心感からのものだとは到底思えなかったが、葵はそれ以外の理由を考えたくなくてそう思いこもうとした。


 葵を手助けしたい。その根底には晃流を助けにいきたいという気持ちがあるのだろう。莉央の中の比重はきっと、晃流の方が重い。 


  葵自身もちろん晃流を助けたいとの思いはあるが、今のこの状況で考えられるのは自分と目の前にいる莉央の無事だ。そんなに冷たい奴だったのかと自己嫌悪に近い感情を覚える。


 とりあえずと先ほどの客間に戻され、夕食までの間、時間を潰すことになった。ヤンナから受け取った辞書や資料を広げ、暖炉の火によって適度に暖まった室内でお互い紗を脱ぐ。


「俺が軍隊とか全然実感沸かないな。まあ頭脳系でもないけど」


 莉央はその言葉に黙って微笑んだ。


 王子との謁見の後はそうでもなかったのだが、この部屋に戻ってから莉央は二人の時の状態に戻ってしまったようだった。葵のせいで友達をなくしたと言ったあとのように必要以上の会話をしようとしない。


 その理由を問いたかったが、何となく聞くことははばかられた。単純に聞きづらい空気なのもあるし、無駄に高いプライドが邪魔しているせいもある。結局葵はそこに触れなかった。


「どうしたらいいかな。やっぱり会話しながら覚えるのが良いよね。何か話す?」


「ああ、じゃあ……」


 しかし話題に詰まる。口を噤んだ葵に莉央は困ったように首を傾げ、少しの沈黙の後何かを言った。今教わろうとしていたばかりのこの国の言葉で。


「今のはどういう意味?」


「変なの」


 葵の問いに返す気がないのか、そう呟いた莉央は「どうなってるのかな」と笑った。


「言葉を伝える相手を選べるみたい。ネルさんの言葉がわかったのは、ネルさんがみんなに伝える意志を持って話していたからなんだ……」


 一人納得する莉央は怪訝な顔をした葵を見ると


「今の言葉の意味は宿題ね」


 そう言って再び笑った。


「誰かに聞いちゃ駄目。意味はすぐわかるよきっと」


「すぐって……」


「もうすぐ夕食だって言ってたし、まず食事するときの言葉から勉強しよう?」


「……ああ」


 追求を避けられている気がして葵は再び口を噤んだ。


 夕食前だからと食事に関する言葉をいくつかと、それからヤンナからもらった資料にある用語を確認し終えた頃に先ほどの部屋付きの使用人とは別の女性が部屋を訪れた。


「葵くん、夕食だって。別室で食べるみたい」


「もう? まだ四時過ぎだぞ」


 携帯電話は使用できないものの、葵の身につけていた腕時計は今のところ時間を刻んでいる。城に着いたのは午前中で、そのまま着替え、謁見と慌ただしい時間を過ごし昼食をとっていなかったので腹は空いていた。その為に早めにセッティングをしてくれたのだろうか。


「あ、ありがとうございます」


 女性からカシミアのような滑らかな保温素材のショールを受けとった莉央は肩に羽織り、その温もりにほっとしたような笑みを浮かべた。


 女性に先導され二人が案内された場所は、重厚なワインレッドの絨毯敷きの部屋だった。そこにオレンジやイエローなど鮮やかな色の花びらが散っている。その為か、用意されている食事とは別の、植物が発する独特な瑞々しい香りが漂っていて、莉央の口からは感嘆のため息が漏れた。


 部屋の広さは学校の教室と同じくらいに感じる。部屋の中央、やや右よりに六人掛けの円卓が配してあり、どうやらこちらがメインのようだった。その隣にはもう少し小さな、こちらは四人掛けの正方形の卓がある。


 女性は莉央を円卓に案内し、その後葵を正方形の方に座らせた。座席を離されたことに戸惑いながらも二人は大人しく席に着く。作法も何もわかっていないので、指示通りにするのが一番確実で手っとり早い。


 テーブルの上にはパテやソーセージ、ウズラのような小さめの鳥の丸焼き、生ハムらしき固まりなどの肉料理、そしてシチューのようなとろみのある煮込み料理と、ポタージュのようなスープ。焼き魚にカラフルな食用花を散らしたもの、それからピクルスのような漬け野菜などが並ぶ。


 粥のようなものもある。米ではなく、粟だろうか。丸っこい形の粒でサフランか何かで着色されているのか鮮やかな黄色の液の中に浮いている。


 食欲をそそられるかはともかく、床同様、目には鮮やかな景色が広がっていた。


 しばらく経つと、ネルとヤンナが入室してくる。ネルは莉央の隣へ、ヤンナは葵の向かいに腰掛ける。その脇に先ほどの女性と、もう一人、年の頃は十四、五といったところの少年が座る。


「アオイ、そちらのテーブルでは言葉がわからなくて不便でしょうけれど我慢してね。色々決まりがあるの。でもマナーはそれほど気にしなくて良いわ。わからなければヤンナの真似をなさい」


 壁側の席から、ちょうど正面に位置した葵に向かってアドバイスのようなものをしたネルは、今度は莉央に顔を向けて小さな苦笑を漏らした。


「多分言葉は通じてもあなたのほうが大変よ」


 ただでさえ慣れない食事に緊張しているのだ。ネルの言葉に莉央は肩を竦める。


「私もマナーとかあまり分からないんです」


「大丈夫よ。食事のマナーなんて国によって様々だもの。同席する人はあなたたちの事情を知っているし、それについてはうるさくないわ。どちらかというと立場に対してね」


 そちらの方がよほどやっかいである。王子の先ほどの言葉が頭に浮かぶ。


 ーーインタージャーは神話の代から伝わる繁国の徒。それを国に迎え入れるは祖からの悲願。


 言葉が通じるようになった莉央だったが、堅い言い回しは耳に馴染まず、言われた内容を理解したとは言いがたかった。


 あとに続く発言を聞くまでは。

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