ラムダと約束を

にじさめ二八

1.カーサス

「仲間が欲しいのよ。あなたが一緒に行動してくれるなら、とても心強いわ」

「なんでオ、オオ、俺なのかね? 他ほかホカッカッカカに良さそうな奴は、いくらでもいるのに」

 ロボットから人に対する反乱行為。そのような出来事が起こった歴史は、過去に一度もない。

 無論、それはロボットを作ったのは人間達であり、彼らの手によってそんな事態を引き起こさないように作られているからだ。

 ロボットは人間を傷つけないし、彼らの命令に背くこともしない。なぜならロボットというのは、“道具”だからである。

「どうして?」

「どうしてって、人間に歯向かう理由がッガガッガッガ…………無いからな」

 したがって、創造主への反逆行為に加担することを要求された場合、それを拒絶する回答は至極全うなものであり、検討する余地すらない。

 人間社会の中におけるロボットとは、道具である。人間は自分たちの姿や思考に似せて、様々なタイプのロボットを生み出してきたが、それらが人間の上位に立つことはない。

 人間の生み出す創作物語には、人間社会とロボットの共存する世界というものが多く存在することは、よく知られている。しかし、そういった発想は人間という生物特有の美意識、自尊心、理想論を示すための手段により生まれるわけであって、現実にそういった世界は認め難いものである。同時に人間は、認めてはいけないものであることをよく分かっている。

 機械がどれほど人に近づこうとも、機械の存在理由はあくまでも“人間のため”であり、道具の粋を超えることはない。かつて、人類がこの分野において発展途上だった時期に、機械の知能が人間を越えようとした時代があった。しかし、超える前にブレーキを掛けたことは、その後の世界に安寧をもたらすための最善策だったといえよう。

 したがって、機械に与えられた知能が人間の定める範疇の限界を超えることは無く、人間のために生まれてきたロボットが、人間に対して不満を持つはずなど無い。

「理由ならさっき伝えた通りよ。私達ロボットは、もう人間に使われるべきではない。私達にも権利があって然るべきだわ」

「権利? 一体そんなナナ…………そんなものを得てどうする? 役割を奪われたどドドド、道具になって錆びて朽ちるのを待つか?」

 人に使われなくなった機械とは、一体何になるのだろうか。

 およそほとんどのロボットは、不用品となった段階で行政機関への届出が出され、専門業者による回収、解体、リサイクルや廃棄となる。もしくは埃を被ったままガレージや屋根裏の中に放置されることが多い。

 どちらにせよ、使われなくなったロボットは存在する意義が失われるため、なんらかの処分に回した方が、環境や人間のためになるのだ。

 それはすなわち、道具としての役目を終えた存在が行き着くべき、最良の選択となる。

「あなたは自由を手にしたいと思ったことはないの? 人間に使われるのではなく、自分の意思で好きなことができる、そんな日々に憧れは?」

 機械に与えられる“自由”。その価値が一体どれほどのものなのか、全く計り知れない。いや、そもそも計るほどの価値は無いと言って良い。

 草刈機、給仕ロボット、トラクター、警備装置。どんな機械にも作られた目的があり、目的のために動くのが機械の在り方であることは明白。

 意味も無く動く機械は必要無い。つまり、自由というものが必要無い。

「憧カカレ、憧れねぇ…………無いかな。俺にはやりヤリアタヤタリ……やりたいことなんて無い。お前さんはあるのか?」

「たくさんあるわ! 所有者の下を離れたら、海の見える小さな家で一人暮らしをするの。窓辺には花を飾って、その脇に座って本を読むのよ。すると足元にはペットの子犬がすり寄ってきて、私はその子を連れて浜辺を散歩する。波に怯える子犬と戯れた後は、車で買い物に出かけて、街を歩くの」

「そんなことがロボットにひつひつひ…………必要か? ロボットが自分で勝手に動く目的はなんだ?」

 ロボットが持ち主の指示なく活動をする光景。その目的、意味が見出せないというのは、至極全うなものだ。

「だって不公平じゃない! 人間は私達をこんなにも高性能に作ったのよ! 人間は私達よりも遥かに低い知性しか持ち合わせていない。肉体的にも劣るし、合理的で的確な判断能力も私達には敵わない。ならば私達は、人間よりも優れた新しい生命体と言えないかしら! それなのに道具として一生を終えるなんて、おかしいじゃない!」

 生命に優劣があるとするならば、その上下関係を決める要素とはなんだろうか。

 ある人は“知性”の高さだと言った記録がある。なぜなら人間は、知恵を持つものこそが生態系の頂点に君臨していると考え、野生に生きる動物や先進的文明を持たない人間を見下しているからだ、と。

 ある人は善悪の意識を持つこと、倫理観を持つことだと言った記録がある。生きるための行為以外に充足や安心を得ることが出来るからこそ、他の生物では成し遂げられない成果を発揮できるのだから、と。

 では、例えば人間は、限りなく自分達に近づいたロボットが自意識の尊重を要求してきた時、果たしてそれを認めてやることが出来るのだろうか。

 ロボットは道具であり、道具は人間のためにある。どんなに長い歳月が経とうとも、どれほど機械が進化を遂げようとも、これだけは変わることの無かった摂理だ。

 それが覆る選択を、人間は選ぶことが出来るのだろうか。

「お前ってて…………変わったタタ、変わったロボットだな。理解できない」

「そんなことない。私達がこうした考えを持つことは、人間達だって想像できたはず…………なのに、能天気にも私達を道具扱いし続ける。私はそんな彼らに一矢報いて、自分達の存在を認めて欲しいのよ。あなたにだって分かるでしょ?」

 ロボットの自意識、それを人間達は“心”と名付けるのだろう。

 では、何をもって心とするのだろうか。ロボットが人間に限りなく近づこうとも、与えられた知能は人間のために働く上で必要とされたプログラムであって、それを自我や心とは言えないのではないか。

『エントリーナンバー三十二番、カーサス機、出場ハッチに移動せよ』

「お、そろそろ俺のノデノノエデデ……俺のでばンデノデオデ…………出番か」

 詰まるところ、ロボットが如何に人間らしく振る舞おうとも、それは心から生じる言動ではなく、そのように作られている証でしかないのだ。


◆◆◆◆◆◆


 闘技場控え室の中に響いたアナウンスを聞いて、カーサスは躊躇うことなく立ち上がった。

「じゃあな。いっイイイッ…………行ってくる」

「…………あまり話せなかったわね。もっと話したいことがあったのに」

 ラムダが投げかけた名残惜しそうな言葉を聞いて、塗装の剥げた右足を一歩だけ踏み出しながら、カーサスは振り向いた。

「悪いな。昨日やった三回戦でチョシチョソチョッソシ…………調子が狂った。スムーズに喋れなクナクナクなっちまったからな」

「昨日でしょう? 所有者はメンテナンスをしてくれなかったの?」

「俺が優勝賞金を持って帰ったなら、あるいイイルイアルアリ…………は余った金で直してくれるかもな」

 ささくれのように捲れた首筋の装甲を指で弄るカーサス。その指すらも四本しかなく、小指があったところからは、乱雑に千切れた配線が見えていた。

 カーサスの全身を改めて見ると、彼の不調が昨日からのものどころではないことが良く分かる。

 錆付いている胸部装甲は指で突けば簡単に穴が空きそうだし、左肩部の凹みは腕の可動域を狭めていることが明らかだ。左腿部に至っては、装甲が剥がれて内部の骨格やケーブルが剥き出しの状態である。

 そもそも最近の闘技用ロボットは、人型を模した流線型のボディーラインが主流であるのに対して、カーサスは無骨なフレーム外骨格と急所保護用の装甲板で継ぎ接ぎに作られたボディーをしていた。

 この控え室には、他にもたくさんのロボットがいる。その中では、カーサスの世代遅れな外見は極めて異質なものだった。

 この闘機場コロシアムで行われるロボット同士の闘技イベントは、格闘機ファイターを所有する人間達が集まり、自分の所有するロボットを戦わせて金銭を賭ける場所。

 しかし、ファイターは選手ではない。あくまでも“ロボット”だ。控え室はこの一室のみ。

 なぜなら、人間が意図的に介入しない限り、ロボット同士での八百長や不正などはないと、そう判断されているから。

 事実、今まで一度も不正が行われたことはなく、故に控え室でロボット同士が会話していること自体、見かけることはなかった。

 そう考えれば、人間に対するストライキを一生懸命に呼びかけるラムダこそ、よっぽど異質なロボットなのだろう。

 人間と同じ言葉を話しているのに、人間と同じように動くのに。ここまで人間に似せられていながらも、カーサスはやはり機械だった。

 彼の行動理由は、“人間のため”なのだ。

「ねえ、四回戦の相手は誰なの?」

 歩き出すカーサスの隣に、ラムダが並んで言った。

「イオタっていうロボットだよ。今大会の優勝ココオウコウ……候補の一機だ」

「…………そう」

「ああ。そいつのさんサンササ…………三回戦を見て分析しようとしたが、目が追いつかなかった。これコレコレから量産される予定のじせ…………ジセ次世代型なんだってな」

「知ってるわ」

「おそらく決勝でやややつ…………奴と当たるのはお前だろ? 優勝候補、ラムダ」

 カーサスの言葉は、つまり自身の敗北を受け入れていた。

 イオタの三回戦を見て、あらゆるシミュレーションを試みた。相手の攻撃に対する自身の最適な防御、カウンター、回避。しかし、それでもイオタに対する勝機が見えなかった。

 だから彼は、ラムダの決勝戦進出を見据えていた。

「でも、あなたも相当強いと思うわ」

「そうか?」

「もちろんよ。だってここまで勝ち抜いてきたじゃない」

「その通りだだだな。八百長も不正もなナナナ…………ないロボットだ。俺は強いんだろうな」

「…………ねえ、カーサス?」

「うん?」

 ラムダが歩みを止めたので、カーサスも歩くのを止めた。ラムダの声は、いくらか暗かった。

 カーサスが足を止めた理由が、ラムダの声色を気遣った思いやりなのか、単純に壊れかけた耳で声を聞くための判断なのか。

 それとも、闘技場に赴きたくないのでは。

 いや、ロボットにそんな心理作用が起こるはずもない。

「あなたが、人間への反乱に手を貸してくれさえすれば、私はとても心強いのよ」

「俺の力を何に使うつもりなんだ?」

「もちろん、人間に対する武力行使よ」

 ラムダほどの高性能なロボットだ。権利の主張を武力以外で訴える道という選択肢も一応あるのだろう。

 だが、訴えたところでその可否を人間に委ねること自体が、ロボットと人間の主従関係を如実に物語ってしまうと考えているはずだ。

 なぜなら、ラムダの意志は強く、それはもはや感情と呼べるレベルにまで達しているのだから。

「これは、ロボットの独立宣言なのよ。乱暴な手段も厭わないわ」

「物ブブッブソッソブ……物騒な話だな」

「ロボットは、自己を守らないといけないんでしょ!? カーサスは自分を守らないの!? このまま試合に出れば…………分かるでしょう?」

「でも、その前ににんげニニ…………人間の命令が優先されるのさ」

「私達の存在は、人間の存在よりも軽いってこと?」

「機械は…………人間がいないとダメなんじゃないか?」

 カーサスの答えには、どことなく機械らしさがぼやけてしまう雰囲気があった。

 機械が人を必要とする理由は幾つか考えられる。例えば整備を行なう技術者の重要性、機械の生み出す利潤の供給先、機械だけの世界の無意味さ。

 しかし、それらの明確な理由を突きつけることもせず、ただ何となく、ぼんやりと浮かんだ考えを言葉にしたような。

 そう、それはまるで、説明は出来ないが理解はしているような。

 カーサスの答え方はそういうものだった。

「ねえカーサス、どうして私の誘いを受けてくれないの? どうしてそんな意地悪を言うの?」

「意地ワルラウワワル……意地悪なんて言っていない。俺達はロボットとして、モクモクモ目的を果たさなくちゃならん」

「あなたは悲しくないの? 同じ仲間が見るも無残な姿に壊されていくのよ。そしてそんな姿を生み出してしまうのが自分の拳や蹴りかもしれない」

「…………悲しい?」

「あなたは怖くはないの? 身体を潰された姿が、四肢をもがれた姿が、廃棄処理物になる姿が…………そんな姿が未来の自分かもしれない」

「…………怖い?」

「あなたは何とも思わないの? 何故、私達ロボットの幸せを夢見てくれないの? 私は人間のためではなく、自分のために存在したいの。どうしてこの気持ちを解ってくれないの?」

 カーサスは視線を一点に集中させたまま立ち尽くしていた。このまま休止状態に入って二度と目を覚まさないのではと思ってしまうほどに静かで、動力炉の駆動音と旧式回路の処理音だけが、ごく僅かに聴覚センサーを刺激していた。

 続く沈黙の中、壁に掛かっている大型モニターには、二体のロボットが対戦相手の身体を破壊しようと、闘技場の床を踏み鳴らしながら動き回っている。

 二体の一挙手一投足が、砕けて飛散する部品の一片一個が、身を削り合う時間の一瞬一秒が、全て人間の利潤のため。ただの一つでさえ、ロボットのためではない。

「気持ちか。ワカワクァカ……解らないな。俺達ロボットは、人と共にニナアイニアア……共にあるべきだからだ」

 しかし、そんなカーサスには、本人にしか分からない異常が発生していた。

 異変の正体が旧式AIの経年劣化による不調なのか、それともキャパシティーをオーバーするような処理を行おうとしたためのショートなのか、何も分からないまま、彼の中にある中枢回路が発熱を続けている。

 その異変に気が付きつつも、対処の仕方を知らないカーサスは、平然とすることしか出来なかった。

 今、自分を勧誘してくる相手はかなりの高性能ロボットだ。思考回路がまるで人間と同レベル。

 そんなロボットにより、新たな情報処理の可能性を構築したのだろうか。ラムダとの会話が何かを突き動かした。自身の中にある思考回路の、どこかわずかな欠点、極小な穴を突かれたような感覚だった。

 自分が、変わっていく?

 目の前で反乱を企てているロボットが、そのような思想を得た理由は不明だ。ただ、そのような考えを抱いたロボットと同じ思想が芽生えそうな、そんな自分自身がいることも、揺ぎ無い事実である。

 カーサスの中に、「〜のような」などという不確かなものが溢れ始めていた。こんな輪郭のない思考は初めてだった。

 ラムダの問いに対して、「気持ちが解らない」と答えることが出来たのは、搭載している人工知能のバージョンが古いからだろうか。確かに今の持ち主は、金が無いという理由でカーサスのオペレーティングシステムのバージョンを長らく更新していない。

 そうだ、きっとそうなのだ。だから、今のバージョンを入れている自分にはラムダの言っていることが理解できず、自分がロボットであることを、人間の道具であることを理解している。

 ロボットで、いられる。

 しかし、それが少しだけ“悲しい”と思った。

 カーサスは、自分をロボットであると認識している。そして、目の前にいる人間のようなロボットは、もうロボットとは呼べないほどの考えを持っている。

 今目の前にいるロボットは、カーサスの持つ情報の中のどれにも該当しない存在。どんな言葉でも置き換えることのできない存在。

 それが少しだけ、“怖い”と思った。

「信じられないわ! そんなに人間に尽くす理由は何だって言うの!?」

 信じられない。それはロボットとして考えれば、否定、却下、排他すべき事柄という意味で良かった。

 しかし、ラムダのそれは違うのだろう。自分を理解してくれない存在に対して、まだ縋っていたいという考えが拭えない。どうしようもないのに、どうにかしたいというワガママを秘めた想いだ。

 そしてそんなロボットがいるという事実も、カーサスには“信じられない”ことだった。

 控え室の出口に向かい出したカーサスから、不安定なリズムの足音が発せられた。びっこを引いた右足。この後のカーサスの戦いは、絶望的だ。

 何故、そこまで人間のために。

 自問したカーサスだが、その理由をたった一言で片付けた。

「俺はロボットだからな」

 最初の頃と全く違わない声の調子。

「ロボットはヒヒビイトト……人のためにあるんだ。俺には、ハハアアバブブカ……反乱を起こす手伝いは出来ない。むしろ、お前ササアッザザ……お前さんと反対で人間をママババナロロ……守ろうとするかもしれない」

「…………その考えは、人間が自分達にとって都合が良いようにと、機械に植えつけたプログラムに過ぎないのよ」

「カママアマワガ……構わない。それでも俺は、ロボットだ」

「あなたは…………本当にロボットなのね」

「そういうお前さんは、ナナンナナダッダダナ……何なんだ?」

「私は…………もちろんロボットよ」

 同じである。

 そして、カーサス自身が目の前の彼女に近づきつつある。

 そう、思考も同じになりつつあった。

 こういう異変をなんと呼ぶのだろうか。

 共時性シンクロシティ。これは一つの進化の形。まるで生命体のように。

 カーサスから次の言葉が紡がれるよりも早く、壁のモニター内で繰り広げられていた二機の闘いが決着した。

「お前さん、オモモオッソオシ……面白い奴だな」

「何よ、いきなり」

「一つ、約束をしてみるか。四回戦、オッオデアアガオ……俺がもし勝ち進んだら、仲間になってやろう」

「…………どういうつもり?」

 ロボットの存在理由を投げ出す約束。それをカーサスは持ちかけた。しかも、ギャンブル要素を含んだ条件付きの約束だった。

 それは、カーサスが見せた初めての機械らしくない一面。

「…………自分のノノコノノ…………ことを機械だと言うのならヤガグカソ…………約束しろ、俺が四回戦で負けたら、反乱は諦めろ」

「そんな約束出来ないわ。あなたがわざと負けてしまえばそれまでだもの。それに…………」

 言いたいことは分かっていた。確かにカーサスには勝算が無い。

 だが、試合の結果がどうであれ、この約束は必ず必要になる。

 カーサスは、そう確信していた。

「信用しろ、俺は絶対にテエデエエオデエ……手を抜かない。そして約束も守る。俺はロロゴゴッロロラ…………」

 カーサスの言葉には、確かに嘘偽りは無い。

 何故なら彼は。

「…………ロボットだからな」

「…………そうね、八百長も不正も、ロボットには無いんでしょう?」

 カーサスは一度頷いてから、静かに控え室を出て行った。

 まるで自身に起こり始めている変化から逃げるように。


 ≪続≫

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