神の子対完璧なる男Ⅵ
ルドルフは本陣を移動させ、ラロに仕向けた部隊に合流する。
通り雨に濡れた彼らの姿はまさに敗残兵。見るも無残な負けっぷりであった。皆、下を向いていた。誰もが前を向けないでいた。
心を完全にへし折られていた。
「ラインベルカァ!」
ルドルフの声を聞き、申し訳なさそうな顔でラインベルカが顔を上げる。びくりと、恐れるように。切り捨てられる、そう思っているのだろう。
その様子を見てルドルフは眉をひそめた。
「……お坊ちゃま。申し訳ございません。次こそは、必ず、なので――」
「脱げ」
「捨てないで……え?」
「鎧と服を脱げ」
「は、はい」
言われた通りすぐさま鎧を、服を脱いでいくラインベルカ。少なくない兵士たちの前である。普通なら晒し者にされると思うのだろうが、生憎彼女は羞恥心と言うのを持ち合わせていなかった。そもそも視界に入っていない、が正しいか。
「下まで脱ぐ必要はない」
「ちょっと、将兵の前で何やってんのよ⁉ そんな状況じゃ――」
「ジャクリーヌ、この傷を見てどう思う?」
「傷だらけでしょ。そんなの見るまでもないわよ。私たちの目の前であれだけ斬られたんだもの。いいから、年頃の娘を辱めるのはやめなさい!」
「その割に、傷は浅く見えるけどね」
その一言にジャクリーヌは「あ」と言葉を漏らす。確かに彼女の身体には無数の傷が刻まれていた。だが、その深さはどれも浅く見える。手当もしていないのに塞がっているものがほとんど、一太刀浴びたマルスランの方が重傷なほど。
ルドルフは自身のマントをラインベルカに羽織らせ、兵たちの方を見る。
「これが真実だ。確かに『烈鉄』は強い。怪物だ。だが、英雄王よりも強いはずがない! どれだけ高く見積もろうとも『烈日』よりも下なのだ! 惑わされるな、あの男は『死神』を前に踏み込み切れなかった。傷が何よりもの証拠だ。引き分けるので精一杯で、余裕のあるふりをしていた。全てはまやかし、ペテンに過ぎん!」
負けてなどいない。引き分けなのだと強弁する。
「僕の策も甘かった。敵に退路を与えてしまった。だが、同じ轍は踏まない。次は必ずあの男を追い詰め、そして、『死神』が『烈鉄』を打ち破る!」
そして勝つと、言い切った。
明らかなパフォーマンス、悲観にくれる者たちを衝撃の光景で釘付けにし、強い口調でまくしたてることで空気を飲み込んだ。
歓声が巻き起こる。ラロを知らぬ本陣の者たちがルドルフの言葉に同意し、そういう空気を創り出す。ここにいた者たちもやけくそ気味に声を上げた。
勝てるのだ、と自分にすり込むために。
「ラインベルカ、フェンケに治療してもらえ」
「……はい」
「勝てるか勝てないかは聞かない。ここまで至った以上、勝たなきゃ先はない。業腹だけどね、示さなきゃいけないんだ。自らの有用性を」
「ネーデルクスで私たちが生きるために、ですね」
「違う」
「え?」
「生きるための力じゃない。変えるための力が、要るんだよ」
ルドルフは自らの掌を見て、
「ま、死ぬときは一緒、適当に頑張ってよ。駄目でも怒らないからさ」
苦笑して前を向く。こちら側にラロがいるのかはわからない。それでも一応意思を示しておこうと思う。自分たちがずっと劣っているのは理解した。本来ならば勝つべきではないのもまた最初から分かっている。
それでも、ここまで来たら勝つしかない。どれだけクソみたいな力だと忌み嫌われたとしても、誰かがやらねばいけないことがあるのだ。
この勝利の先に、これからの勝利の先に。
だから、勝たせてもらうと、ルドルフは心の中で宣言した。
どんな手段を用いても。
○
その夜、ラロは部下の、涙交じりの報告を聞いていた。
「泣くな。君たちの気持ちは充分、わかっているつもりだ」
「……以上が、本日さらに増えた感染者のリスト、です。私も含めた百十二名、離脱を余儀なく、ふぐ、ぐう、申し訳、ございません!」
「エルマス・デ・グラン内では再感染も確認されている。俺も一度落ち着いたが、いつまた罹患するかわからん。元を断たねばならんだろう。勝ち負けに拘らず」
「承知しております。全てはエスタードのために」
「国家への忠義、感謝する」
「いいえ。これは、国家ではなく、閣下の、ラロ・シド・カンペアドールへの忠義です。皆、ごほ、地獄の果てまでもラロ様について行くでしょう」
「ふふ、それは暑苦しい」
「諦めて頂きたい」
「冗談だとも。嬉しく思うよ。誇らしくも思う」
ラロは天を仰ぐ。どちらにせよルドルフが見抜いた以上、誤魔化す意味はなくなった。出来ればもっとスマートに詰みたかったのだが、状況が露見した状況で今のルドルフの読みを掻い潜るのは至難の業。
「ルドルフ君は強くなった。きっと、さらに強くなる」
今日、ルドルフは間違いなく自分に近づいた。これから先、彼はエスタードにとって、自分亡き後次代を担うであろうエルビラにとって、高い壁となるだろう。それを少し、彼は羨ましく思った。自分はほとんど、挑むことが出来なかったから。
「全て、あらゆる面でラロ様はルドルフめに勝っておりました。不愉快極まる天運などさえなければ、我らの完勝で終わった戦です!」
「それは道理だ。だが、天運がなければ彼は絶対に勝負を仕掛けてこなかっただろう。軽くぶつかって、適当に時間を潰し、本国へ戻っていたはずだ」
「もちろんです」
「そして彼は別の戦場で経験を積んで、巨大な敵と成って再び俺たちの前に立ち塞がっただろう。俺には、その『もし』の方が怖い」
「そのようなこと……おっしゃらないでください。こほ、ラロ様は完璧です。欠けたるところのない、完璧なる武将であります」
部下の言葉にラロは苦笑する。
「俺はそこまで完璧ではないよ。確かに、戦場では強い。大カンペアドールも含めて、勝てと言われたら何とかしてみようとは思える。だが、俺はどこまで行っても戦士でしかないのだ。政、内外問わず、この部分は明確にピノが勝る。ガリアスをあそこまで追い詰められたのもピノの力が大きい」
「……確かにピノ様は素晴らしい将ですが」
「それにガリアスだ。俺は少しばかり彼らを軽んじていた。光るものは有れど負ける気はしない。そう下に見ていたダルタニアンが、世界に向けて発信した兵法書。あの完成度には驚かされた。あれ一つ修めれば、既存の将を一気に過去とすることが出来る。俺に欠けていた教育、この力を知った。巨星の時代、あれで十年は縮んだだろう。ガリアスだけではなく世界中にばら撒くことで、平均を引き上げて全体で巨星に対抗する。俺には思いつかなかった。見事としか言いようがない」
「た、他力本願でしかないでしょう。そんなもの」
「いいや、彼自身はその先を考案し、相手の学びすら利用して勝つ術を用意しているはずだよ。言ってしまえばローレンシア単位での環境操作。強かであり、エレガント、ガリアスもまた牙を磨いている。まあ、怖いのはガリアスの兵法書一つから応用にまで辿り着き、一気に飛躍する人材、だろうが」
ラロは夢想する。ダルタニアンらの思惑すら超えて、彼らが与えた力を喰らい、自力でその先に到達する怪物の出現を。すでにもう出現しているかもしれない。『青貴子』の出現、『騎士王』の娘が再び遠征を開始し、若き力が躍動を始めている。
その中に潜んでいるかもしれない。英雄の世を終わらせる怪物が。
「私たちは、ごほ、それでも――」
「安心して良い。俺に足りぬのは戦場以外、だ。戦場での俺は君たちの期待する通り、完璧な存在だと自負している。傲慢極まる考えだが、ね」
ラロの笑みを見て部下は相好を崩す。
「皆を頼むぞ」
「承知しました。ラロ様も、御武運を」
「ああ。同じ結末でも、吉報を抱き終わらせて見せよう。このラロ・シド・カンペアドールが、『烈鉄』の、カンペアドールの名に懸けて」
気力は充実している。相手にとって不足はない。今日、あれだけやってなお折れぬ姿勢を見せるのならば、自身の全てを賭して決着に繋げるまでのこと。
少しだけワクワクする自分がいた。如何なる理由があれ、ここまで手札を切らされ、追い詰められた経験はない。ここで自分に何が出来るか、その自分に対し彼らはどう立ち向かうか、考えるだけで笑みがこぼれてしまう。
部下たちには申し訳ないが、この状況を存外、ラロは楽しんでいた。
「今度こそ、決着だ」
さあ、ルドルフ・レ・ハースブルクよ。決着の時、君は何を示す。
このラロ・シド・カンペアドールに。
○
ルドルフはジャクリーヌ、マルスラン、ラインベルカを三方に押し出しつつ、本陣もまた彼らに連動して動かしていた。今までにない戦域の狭さ、相手が数を減らしたのがわかっている以上、こちらは広がらず索敵に注力する。
すでに囲むほどの量はない。包囲の恐れがないならば、がっちりとまとまって動いた方が強い。戦いは何と言っても数である。
昨日の引き分けが尾を引き、数に頼るしかなくなった、とも見えるが。
(さて、どちらなのだろうな)
それと同時に三方の位置関係は絶妙であった。本陣に何かあれば引き返せる距離しか進んでいない。だからこそ、本陣も動いて距離を保っている。
退け腰ゆえの消極策か、それとも――
(ルドルフ君を囮とした、ノーガード戦術、か)
本陣はかなり厚めに戦力を振ってある。ラロの本隊が攻め込んできても何とか持ちこたえられるように、と言う備えであろう。
ならばやはりルドルフの首を狙わせて、肉を切らせて骨を断つ、のが狙いなのだろう。もはや読み合いもクソもない。
かかってこい、と言う布陣。
ラロは笑う。最後の最後で主導権をこちらに差し出してきたのだ。どうぞお好きに、ただし、自分たちの掌の上で。
三方散らばる三貴士を討つ手もあるが、それは悪手であろう。戦力の整った彼らと正面からぶつかってしまえば、こう狭い戦場であれば三方いずれも壊滅に持ち込む前に他の隊が追いついてしまうだろう。そうなれば、苦しい。
今まで通りのゲリラ戦術であれば、崩して撤退、それで済むが、それでは時間がかかり過ぎる。こちらに時間も人員も足りぬことを見越してのノーガード、最後の最後で読みではなく総大将の意気を見た。
これもまた悪いものでは――
「あー、そこのチミチミ」
「はい、何でしょうか?」
「その狼煙、火付けていいよ」
「……え? し、しかし」
「いいのいいの」
そう言って部下に指示を飛ばすと、ルドルフは笑みを浮かべて横に視線を向ける。気楽に、気軽に、まるで友人に声でもかけるかのように。
「こんちは、ラロっち」
『黒』の格好をする男は同じような笑みを浮かべる。
「この彼は君の直属だったかな?」
「いや、色付きの部下ぐらいはさ、一応全員頭に入れているだけ。交友関係とか、エッチな店の遍歴とか、調べるの面白いじゃん?」
「……なるほど。俺以外には良い策だと思い、温めていたのだがね」
「ガリアスの『双騎士』でしょ? 僕も、結構好きな手なんだよ、こういうの」
まさか、ここまで調べているとは、と男は微笑み、観念する。
「エレガントではないが、首を落とさせてもらう」
「そりゃあ無理だ。僕は神の子だぜェ」
そう言った瞬間、ルドルフは誰もいない方向へ脱兎の如く駆け出した。せめて部下のいる方向へ駆け出せばいいものを、あれでは袋のネズミであろう。
だが、ラロが動き出す前に、
「「「させない!」」」
若き三人の騎士が自分の前に立ちはだかる。それだけではない。他の部下たちも一斉に、まるでこうなると分かっていたかのように澱みなく、動く。
「読んでいたか」
三人をいなしながら、ラロは距離を詰めようとする。
「いやぁ、あんたならどんな手段を用いても必ず、詰めて来る。方法は考えないことにした。意味ないし、逆に利用されかねないからね。最後の最後に、僕は思考を捨てあんたを、ラロ・シド・カンペアドールを信じた。それだけさ」
相手の力量を知り、思考を削ぐもまた智略。ラロは微笑む。やはりルドルフは切れる。この先、エスタードにとって大いなる災いとなるだろう。
だが、それと同時に「よかった」とも思う。
「これで袋のネズミだぜ、ラロォ!」
「いいや、そうでもないさ」
彼が神の子でなければ、おそらくエスタードは最悪の敵と戦うことになっていた。エスタードとの戦いに苦心し、飛躍する怪物をネーデルクスが潰したのだ。彼らの未来に成るべきだった者を、明日を担うべきだった者を――
「俺は、強いよ」
三人を一蹴し、部下たちを切り伏せ、迫りくるプレッシャーはもうウェルキンゲトリクスと遜色がない。彼があの時本気であったかはともかく、ルドルフが感じた中では間違いなく最上級のもの。だけど、何故だろうか。
「現時点では、いや、先々を見ても、この怪物を超えるとは思えない。思えないけどさ、何故か、あんたよりも、彼の方が怖いよ」
何故か――
「彼?」
「ウィリアム・リウィウス」
「…………」
ルドルフの口から出て来るとは思えなかった名前。ラロも知ったのは最近のこと。彼が特別に眼を向けていた場所で、躍動する若手の存在を彼は知っていた。今まで沈黙を保っていた麒麟児のそばで、蠢く才能。
もしかしたら彼を目覚めさせた理由かもしれない男。
それをすでにルドルフは見出していた。いつ、他国の者があの地域に目を向ける理由などない。ならば、フランデレン。ブラウスタットと名を変えた一戦、オスヴァルトとテイラーが活躍したと聞き及んでいたが――
「いたのか、彼が。あの戦場に」
その時点では十人隊長でしかなかった男。ラロですら見逃していた星にも満たぬ輝き。それを『青貴子』は見逃さなかった。あの場には『黒狼』もいたのだ。綺羅星の資質を持つ者、突き抜けた者たちが惹かれ合うとすれば――
「たまたまだと思っていた。あまりにもテイラーやオスヴァルトの戦とは異なるため、偶然その状況になったと思っていたが……糸を引いていた者が、いたのか。あの光景を生み出せる、大局観を持つ者が」
ラロは戦の最中でありながら戦慄する。何故考えなかった。『青貴子』や『黒狼』が何故ここまで焦るのか、何故急激な変化を求めたのか、その理由に隠れた人材がいると。本当に警戒すべきは、その男なのだと。
だからこそ、麒麟児もまた動き出したのではないか、と。
何故考えられなかった。
思考が澱む。剣は揺らがずとも、心は揺らぐ。
ここで『青貴子』、討つは本当に最善なのか、そう迷ってしまうほどの気付き。
「良い貌が見れて良かったぜ」
ルドルフが微笑んだ瞬間、地面が突如揺れ始めた。
「……っ」
それで揺らぐ体幹ではないが――ルドルフの顔を見れば苦笑いの一つでも浮かべてしまう。これもまた彼の手札の内、組み込んでいたのだ、何が起きるか自分でもわからぬ手札を、最強のジョーカーを彼は戦術に取り入れる。
恥も外聞もなく、ただこの戦いを勝つために。
「これで――」
地面が、割れる。ああ、そういうことか、とラロは笑った。
「――宣言通り、袋のネズミだ、ラロォ!」
大地が裂け、離れていくルドルフの姿。まさに神の所業、何たる奇跡か。ここに来て最強の理不尽を以て、彼はラロに引導を渡さんとする。
徐々に離れていく地面。先ほど一蹴した若き騎士たちはすぐさま起き上がり、こちらへ向かってくる。絶対にこの機を逃すまい。
全員の顔が言っていた。
「良い貌だ」
必ず勝つ、と。断崖と言う壁がルドルフとラロを引き離し、本陣の兵力がラロの退路を断つ。進むべき道はない。取るべき首はさらに離れていく。いずれ『死神』を含む部隊も押し寄せてくるだろう。先んじて命じた狼煙は後退の合図。
全てはラロを討つために。
全てを用いてこの状況を使った。
「エレガント、と言わざるを得ない、な」
今持てる手札全てを投じて、最強の敵との戦いを終わらせるために。
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