神の子対完璧なる男Ⅳ

 ルドルフは読み合いを放棄することはしなかった。ここまで裏をかかれている以上、自分の思考以外を入れるか、思考を捨てた方が有効かもしれない、と思うこともあったが、それでも弱気は打ち捨てた。

 そういう投げやりな姿勢は伝播する。そもそも適当に戦って勝利し、それでこの軍に、国に、何が残ると言うのか。

「あの子、どんどん変わっていくわね」

「……むしろ、元々ああいう気質だったのかもしれん。それをネーデルクスが、我らが捻じ曲げてしまった。奇跡を求めた国と――」

「弱い私たち、ね」

 もはやネーデルクス軍に彼を嘲るような者はいない。若き世代はどんどん具申しに行くし、それを躊躇う風潮もかき消えつつあった。自分たちが若き頃、ネーデルクスには上にモノ申すことなど出来なかった。上の言うことは絶対、もっと言えば黄金時代にやっていたことこそが正義、全て踏襲すべき。

 いつしか考えることもしなくなり、過去の遺産だけを食いつぶす日々。マルスランもジャクリーヌも、まさか自分に三貴士のお鉢が回ってくるとは思っていなかった。マルスランは槍を上手く扱えず、ジャクリーヌもまたある時を境に先人の踏襲を捨てていたから。二人は同世代の中で上の覚えが悪かった。

 だからこそ、今の今まで残っていたとも言えるが。

「お前は違うと思うがな」

「一緒よ。責任から逃げて、個人の武ばかりを追求していたもの。あの景色を見ているとね、今までネーデルクスが取りこぼしてきたモノが見えちゃうわ」

「……そうだな」

 皆、敗戦がかさみ疲労困憊のはずが、それでも必死に歯を食いしばり無い知恵を絞り出している。ラロに一矢報いてやろうと、なりふり構わずに。

「はいうんこ」

「考え直してきます!」

 バッサリ言うが、それでも何処か嬉しそうに彼は微笑む。以前、彼がまとっていた全てを拒絶する雰囲気はもう、無い。言葉は厳しくとも態度や振舞いで誰もが理解していた。自分たちが今、求められていることを。

 努力せよ。立場も序列も打ち捨てて――

「……へえ、これ、君だけじゃないでしょ」

「はい。私に足りぬものを彼女が持つと思い、共に考えました」

「良く分析できている。ここまでの戦を元に、ちゃんと割り出したわけか。お手柄だ、アメリア・ケッペル。その上で、また悪辣な手を考えつくもんだね、フェンケ・ラングレー。合格だ。明日の一戦、これで行こう」

「「ッ⁉」」

 アメリア、そして少し離れたところにいたフェンケは咆哮を飲み込みながらも、拳を強く握る。ここに来てようやく、この男の眼鏡にかなった。

 それと自分たちの前で彼が初めて、名を呼んでくれたことが、彼が把握してくれていたことが、驚きと感動を与えていた。マルサスとは違い生まれが高貴ではない二人にとって、大きな、とても大きな前進に感じたのだ。

「負けて得るものもある。そろそろ、尻尾ぐらい掴ませてもらうよ」

 ルドルフは嗤う。明日は少し、良い日になりそうだ、と。


     ○


 ラロはここまでジャクリーヌ、マルスラン、この二部隊とは徹底的に当たらぬよう立ち回ってきた。理由は明白、少しの不利程度ならば彼らは弾き返すことができ、ラロの持ち駒に彼らを押し切れる人材がいなかったから。

 丁寧に、確実に、彼らの周りを削ぎ落とし、戦力を削っていく。

広い戦場、彼らだけでは網羅し切れない。かと言って姿を見せぬ以上、ルドルフのいる本陣を手薄にするのもあり得ない。未だラロは尻尾すら掴ませてくれないのだ。

 ここまで彼らは完璧だった。

 いや、完璧過ぎた。

 ルドルフはいつも通り戦場を進める。きっちり相手の動きを読み、いつも通り情報が抜かれている懸念に対し、対策を施した上で――

 これでもおそらく、情報はきっちり抜かれている。だからこそ、彼らは正確無比に裏をかけた。あの男は勝負が始まる前から、勝てる状況を創り出す天才なのだろう。これは純粋な読み合いではない。そんなこと、とうの昔にルドルフも理解している。卑怯もクソもない。どんな手を使っても勝った方が正義。

「でも、君らは勝ち過ぎた」

 ルドルフはあらゆる角度から情報漏洩に対する対策を打っていた。その度に潜り抜けられ、漏れ出てしまっていたのだが、これもまた積み重ね。

 アメリアはその失敗を辿り、漏洩元を算出した。彼女だけであればそこを潰して終わりとするところ、フェンケはそれだけではもったいないと考え、漏洩元を利用する手立てを考案した。これが、本日の戦の概要である。

「今日はネーデルクスの日だぜい」

 ルドルフは、ラインベルカにおんぶされながら格好をつける。もう全然、これっぽっちも格好良くはないのだが、それでも――

「る、ルドルフ様、何故急に本陣を動かされたのですか?」

 一見無駄だらけな行動にも意味があるのだ。

「んー、気まぐれだよ、気まぐれ。それともさ、何か不都合でもあったりするの? 君、ヴィボ・ロ・スロース君だよね。あとで、僕とさ、お話しようか」

「……ご存じ、でしたか」

「今知った。だからこそ、もう漏らしようがないタイミングで動かしたわけ。それにしてもさ、スロース家も名門だろうに、よくもまあ祖国を裏切ったもんだね」

 他の者が顔を歪めながら、裏切り者であろう男を拘束しようとする。

「スロース家じゃない。私の、復讐だ」

「ハァン?」

「姉上を、縊り殺した、貴様への!」

 だが、それを振り払いルドルフへ剣を向けようとして、

「ああ。そういうこと」

 ラインベルカがヴィボを片手で横薙ぎに断ち切る。容赦なく、力任せに断ち切られた上半身は臓腑を垂れ流しながら木に叩き付けられ、物言わぬ躯と化した。

「お怪我は?」

「あるわけないでしょ。君に背負われているのにさ」

「では、目的地に向かいましょうか」

「あはは、無情だねえ」

「気になるのですか?」

 今更、とばかりにきょとんとするラインベルカを見て、ルドルフはため息をついた。改めて理解する彼女の、そして自分の歪み。

「……今はさ、部下の名前、大体は覚えているんだけどね。でも、昔の女官たちの名前も、顔も、僕は全然覚えていないんだ。その弟なんて一番怪しいのに、僕の頭には微塵の引っ掛かりもなかった。復讐と言われても、やっぱり思い出せない」

「それがどうしましたか?」

「んー、まあ、ろくな死に方しないよねって話」

「まさか、お坊ちゃまには天運があります」

 きっと、これからこういう局面には何度か出くわすことになる。いつか刺されて死ぬのもまあ因果応報か。とは言え、今ではない。

 今は、今日は、目を背けてでも勝つ。

「さあ、みんな、存分に暴れて頂戴な」

「ハッ!」

 本陣が、急襲する。


     ○


 広域化した戦場、ラロ本人の居場所を悟られぬため、相手の間合いを把握した後はある程度決まり事を用いてラロは軍を運用していた。状況の変化に応じて適宜指示を送るが、基本的に極力接触は避ける。

 戦術上の理由もあるが、最大の理由は――

「……楽はさせてもらえないな」

 マルスランとジャクリーヌ、この二部隊がここまでの戦線を支えていた。逆に言えばこの二部隊の動向さえ掴めていれば、あとはほとんどが鎖の弱い部分。彼らの動きを見つめられていたのは、ネーデルクス軍内部に仕込んだ眼のおかげ。

 彼らが残した情報を元に、部隊はそれぞれ動いていた。

 しかし今、それを利用されて多くの部隊が嵌められている。マルスランとジャクリーヌの部隊を今までのように動かし、それで空いたところを攻める。その不文律を逆手に取り、来ると分かった敵軍に対し逆に増援で挟む。

 それだけではなく、おそらく何人かは締めあげられ、拷問の末、情報の残し方を吐かされているのだろう。誤情報を混ぜることで、部隊が空かされてしまったり、準備万端な敵陣に突っ込むことになってしまったりと、散々な様子。

 極めつけは本陣による急襲、あえてこちらの強い部隊に対し、自分たちの急所をぶつけることで本日の仕上げを行った。マルスラン、ジャクリーヌの部隊には及ばぬとも、ラインベルカの部隊も充分強い。

 こちらの眼を潰すではなく、存分に利用する。気付きはとうの昔にあっただろう。それでも漏洩元を絞るのは時間と手間がかかる。ラロもその辺りは百戦錬磨、情報を抜き取るための方法や人材育成は欠かしていないし、容易く足がつくようなことはない。諦めずに、試行回数を重ね、だからこそ露見した。

 ラロはそれを見て苦笑し、自ら組んだ焚き木に火をつける。

 これは撤退の合図。

 それと同時に、

「では、行こうか」

 ラロ自らが出る合図でもあった。


     ○


「押し込め! 一人でも多くの敵を討ち倒し、我らの力を示すのだ!」

 若き将が皆を鼓舞する。アメリアたちから見れば数年先輩に当たるが、階級的には同等と言ったところ。しかも上がったのは半年前、百人隊長としては彼女たちの方が歴は上である。ならば優秀ではないのかと言えばそうではない。

 彼の生まれは彼女たちよりもさらに下、貧民の出である。何だかんだと槍術院に通えていた彼女たちは優秀であると同時に、実家も貴族でなくともそれなりに太い。そう言った後ろ盾を持たぬ彼のような人材は当然山ほどいる。

 今まで彼らは埋もれていた。のし上がる手段がなかった。どれだけ活躍しようとも、コネクションが無ければ上に届かない。そして、上は下を見ない。それがネーデルクスと言う国の実態。まあ、これはこの国に限らない。どの国もそう。

 あのガリアスでさえ完全に出来ているとは言い難い。ゆえに傭兵家業に人材が流れ出て行くことも多々あった。すくい上げる機構がなかったから。

 見られてすらいなかったから。

「戦え! 我らネーデルクスの、『青貴子』の御旗の下に!」

 だが、今は違う。自分が百人隊長に抜擢されたことも驚きであった。恐れ多く、理由を問うことなど出来なかったが、任命式では震えたものである。あの時は理由がわからなかった。でも、今ならばわかる。

 彼なのだ。彼が下を見て、自分を、多くの、埋もれていくだけだった人材を引き上げてくれた。それがこの戦場で理解できた。

 今まで顧みられることのなかった自分たちの意見を聞いてくれて、見方は厳しくとも良ければ採用してもらえる。そんなことが、そんな当たり前のことが、彼にとって、彼らにとってうれしくて仕方がなかったのだ。

 この国に、

「済まない。許してくれとは、言わぬよ」

「なっ、ラロだと⁉」

 あの御方に、

「反転し、ラロを!」

「もう遅い」

「あっ」

 心の底から忠義を尽くそうと、思えたから。

 断ち切られ、沈みゆく意識の中、男は確かに目にした。凄まじい強さで無人の野を征くが如く蹂躙する、一人の怪物の背を。

(お気をつけ、ください。閣下。この男、本性は――)

 ネーデルクスは間違いなく彼を追い詰めていた。そもそもアークランドの動きで本国は海よりの侵略者を警戒しており、ラロという傑物とエルマス・デ・グランの鉄壁を以て対ネーデルクスは充分、その他の勢力を海への警戒、もしくは火事場泥棒をしかねないガリアス、もといサンバルトへ向けていた。

 実際にヴォルフが、黒の傭兵団が暴れ回ったことにより、その背後にガリアスがいるのでは、と言う懸念を本国に与えてしまったのだ。彼らの好戦的な振舞いもまた、エスタードの陣容、その偏りに一役買っていた。

 もし、彼に喰われた人材が、どちらかでもここにいれば、ラロは自ら剣を取る必要などなかったかもしれない。彼らがいなければ、ここに詰めていた人材がいた。

 しかして、歴史に『もし』はない。

 誰もいないのならば、抜くしかないだろう。その結果――


     ○


 今日、完勝するはずだった戦場は突如現れたラロの部隊が力押しを敢行、五分とは言えないまでも相当数、ネーデルクス側も手傷を負ってしまった。

 もちろん、今日に限れば勝利ではあるだろう。

 しかし、圧倒的勝勢からの巻き返しは、かなり心に来るものがあった。

「……被害は?」

「人的被害はそれほど多くありませんが、その、百人隊長や十人隊長など、部隊の取りまとめが多く、討ち取られてしまいました。行方不明者も含め、リスト化してあります。ご覧ください」

 ルドルフは手渡されたそれを見て、歯噛みする。確かに今日、自分たちは多くの敵兵を殺し、数だけであれば完勝したと言えるだろう。すべての人を等価値とするならば。だが、ルドルフの表情は昏い。

 まるで、敗戦してしまったかのように。

「優秀なのを狙い撃ちしてくれちゃって……ああもう、マジでクソだな、こいつ。これで巨星より一枚、二枚落ちるって評価でしょ? 詐欺だ詐欺」

 そこにはずらりと、使えるかもしれないと唾を付けていた者たちの名が並んでいた。明らかに敵は餞別して狙っている。その余裕がある。

「ジャクリーヌ、ラロって強いの?」

「個人の武勇は良く知らないわよ。王会議とかにも顔を見せたことないし、戦場でもほとんど部下に戦わせているもの」

「マルスランも?」

「刃を合わせたことはない。おそらく、ほぼ全ての戦で、ラロは剣すら抜いていないだろう。見たことがない」

 この中では間違いなく場数を踏んでいる二人ですら、見たことがないラロの武。『双黒』相手には抜いたと記録に残っているが、三対一での卑怯な勝負であったとされていた。ここでもまた、ネーデルクスの病巣が足を引っ張っていた。

「……ラロが動き出した以上、戦も大詰めだ。お互い随分消耗した。ここらで決着、全てを終わらせよう」

「ハッ」

「フェンケ、お漏らししていたやつらは?」

「出来るだけ情報を抜き出して、殺しておきましたけど」

「よろしい」

 ルドルフは息を大きく吐いて、

「僕が読み勝って、ラロに主力を当てる。三貴士の総力を以て、ラロを討つぞ!」

「承知!」

 三貴士対ラロ。ようやく尻尾を掴むことが出来た。あとはその構図にするだけ。それで勝てない時は、そもそも最初から勝ち目などなかった、と言うこと。

 あとは読み勝つのみ。まあ、そこが一番難しいのだが。

(……この立ち回りなら後詰めは、無い。理由はわからないけれど、君だけでこの戦を締めようと考えているんだろ? なら、その時点で選択肢は削れている。僕もね、だいぶ勉強させてもらったから、この場で恩返しさせてもらうよ)

 最終局面、ラロと同じ視点に立つ。

 いや、立たねばならない。

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