カルマの塔【断章】

富士田けやき

血濡れの白虎Ⅰ

 老いさらばえていく日々に抗うこと幾年か。

 錆び付き、忘れ去られるだけの存在であった己が、こうして噛み合わぬ戦場に赴き槍を振るう。年々、かつて己がいた場所とはズレていく戦場。

 策が蔓延り、兵器も進化する。花形である一騎打ちは数を減らしていた。自分にとっての戦場とは馬から降りての一騎打ち、これからのそれとは違い過ぎる。

「閣下、夜は冷えます。ご自愛を」

 若い女性の槍使い、確か己がグディエ家の門弟であったと記憶しているが、最近歳のせいか物覚えが悪くなり、名前までは憶えていなかった。

 ただ、槍が風に寄っていることは覚えていたが。

「この夜風、貴様はどう振る?」

「夜風を、ですか」

 老人の無茶ぶり、されどその者は邪険にすることなく己の槍を魅せる。

 老人の眼が細まる。

「如何でしょうか?」

「上々。驕らず励め、良い槍使いになる」

「ご助言刻みまする。では、寝所に戻りましょう。夜風を理由に体調を崩されては、ご当主に、いえ、ネーデルクスに申し訳が立ちません」

「ガハハ、若いのにつまらんなァ。一々国など背負わずとも良い。家すら無駄よ。一つで良い。己が掲げるモノなど、一つで良いのだ」

「閣下にとって掲げるモノとは?」

 老人は笑みを浮かべ、それを掲げた。

「愚問、槍である」

 申し訳程度に赤き布を首に巻き付け、己が所属を示すは数々の名を冠した一人の男。かつては『白虎』、名人と謳われ、今は『血濡れの虎』と揶揄されし身。

 経緯が経緯ゆえ、世俗に何を言われても仕方がない側面はある。

 それでも彼の槍を、復帰してからの足跡を知る者は憤慨してしまう。

 彼ほどネーデルクスのために身を粉にし、英雄シャウハウゼン亡き後、国家の柱としてキュクレイン共々、多くの若き槍使いを育成した人物はいない。年老いた身で戦場に復帰し、噛み合わぬ中でも相当数の首級をあげている。

 彼らの尽力あってこそ、未だ祖国ネーデルクスは超大国、他国に比類なき栄華を謳歌することがかなうのだ。神を失ってなお。

 若き天才たちが列をなしている。上の席に空きがなく、下で渋滞する数多の天才たち。黄金時代が再びやってくる。誰もそれを疑いもしない。

 実際にそれは来るのだ。そして終わりもまたすぐにやってくる。

「黄昏よなァ」

「深夜です」

「比喩だ、ボケェ。して、寝所はどっちだったか?」

「……こちらです」

「くっく、俺も焼きが回ったものだ。すまんな、エフェリーン。どうにも最近良くない。今までになく、こいつ以外に興味が持てんのだ」

 若き槍使いは神妙な面持ちで、敬愛する偉大なる師を見つめる。老いたのは事実。食事量こそキープしているが、日常生活における老人特有の劣化は随所に見られていた。実際に己の名も覚えていたり忘れていたり、たまに息子の名前も忘れる始末。最愛の孫娘だけはいついかなる時も刻んでいたが。

 だが、槍だけは別。槍に関することだけは、別なのだ。

 妙な凄みがある。今までにない、何かが。

「生き難き世よなァ。すまんな、好きにやらせてもらうぞ、シャウハウゼンよ」

 虎は己が牙たる槍を背負いて、自らの死地を見つめる。

 明日、攻めるはネーデルクスにとっての鬼門、聖ローレンス王国。王国とは名ばかりの小国に攻め入る理由はただ一つ、偉大なる英雄の敵討ち。

 そして取り戻すのだ、三貴士を表す最強、その称号をかすめ取った男から。

 後の世で英雄王と呼ばれる男と、雌雄を決する時が来る。


     ○


「私がいなくなった後のネーデルクスを頼みます」

「んだ、藪から棒によォ。俺ァ隠居して美味い酒飲んでるんだ、テメエの面見てると酒がまずくなる、けぇーれけぇーれ!」

 場末の酒場、ティグレの行きつけであり、国家の柱たる男が来るべきではない場所に、現人神と称えられし男、シャウハウゼンが訪れていた。

「傷つきますよ。敬愛するティグレ様に邪険にされると」

「くは、なぁにが敬愛だ馬鹿野郎」

「敬愛しておりますとも。この名をくれたのは貴方だ。私生児の私に」

「……記憶にねえなァ」

「貴方様になくとも、私にはあるのです。それが肝要なので」

 ティグレは「ケェ」と酒をあおる。

 かつて、とある貴族の私生児だったシャウハウゼンには名が与えられていなかった。屋敷の隅で、いてもいなくても変わらぬ存在。

 だが、ある日虎がやってきた。雄々しく、気高く、全てを圧倒する存在感。私生児にとって神同然だった当主もへこへこしている。名も無き私生児は初めて、その時初めてああなりたいと思った。木の棒を握りしめ、無意識に振った。

 ただ、あの虎に見て欲しくて、思い付きで。

 虎はむくりとこちらに向き、嗤う。不細工な槍だ、と。私生児は見て貰えたことだけで有頂天。それなのに虎は、だが、筋は良い。俺が貰うぞ、と言った。

 そして虎は私生児をそのまま連れ去った。夢のような出来事である。一生あの檻の中で終わると思っていた、それなのに気づけば虎の肩の上にいたのだ。

 そこからの日々はまさに夢のようで――

「シャウハウゼン、名の由来を覚えていますか?」

「知らん」

「響きが良い、です。本当に、それだけでした。とても虎らしい」

「要らんなら捨てろ。技も含めて全部くれてやったものだ。何をするにしても貴様の自由、俺の知るところではない」

「死んでなお捨てません。槍以外に執着があるとすれば、名だけ、ですね」

「勝手にしろ。俺には関係がない」

 ティグレとシャウハウゼン、二人の関係性を知る者は少なくない。だが、国家が柱をシャウハウゼンと定めた時から、それは暗黙と成ったのだ。

 それ以来ギクシャクしている師弟、国家が、世俗が、彼らに以前までの関係を許さなかった。もちろん、ティグレが負けず嫌いと言うのも大きいが。

「関係、ない、ですか。今、幾人かの若手が名を馳せているそうです」

「何の話だ?」

「ガリアス、神算鬼謀のサロモン、我らの一番苦手とするタイプでしょう。アルカディアはオスヴァルトを押しのけゼーバルトの剣士が頭一つ抜け出ており、オストベルグはマクシム亡き後を支えるストラクレス、ベルガーは文句なしの傑物。エスタードはカンペアドール兄弟、その影もなかなかのもの。そして、彼らの中心に立つ者、会ったことはありませんが、どうやら傑出した人物らしい。名を――」

 ウェルキンゲトリクス。

「……知らぬ名だ」

「とある闘技場でとある老人がとある若者と戦っていたと耳にしました」

「酒が入っていた」

「ふふ、ティグレ様唯一の欠点を挙げるとすれば、まさにそれですね」

「酒をやめるくらいなら死ぬ」

「……私が生きている間は死んでも構いません。寂しいですがね。ですが、私が死んだとしたら、万が一にも死んだなら、生きてもらいます」

 自信の塊、己が槍に絶対の確信を持つ男が吐露する、弱さ。

「確かに、かつての私はあまりにも行き過ぎていた。神狩り、今思えば滑稽なことです。黙っていても過ぎ去るモノを、わざわざ潰していたのですから。ふふ、神などよりもよほど人の方が怖い。神に成って、そう思うようになりました」

「約定があった。旧き友との」

「ならば私ともお願いします。それとも、私では駄目ですか?」

「……阿呆が。師よりも先に死ぬ弟子がいるかよ」

 ティグレは明言しなかった。だが、シャウハウゼンは満足したのか席を立つ。

「あと――」

 槍をくるりと旋回させ、酒を奪い取る。無駄に絶技である。

「ああ、俺のお酒ぇ」

「深酒はお控えください。身体に障りますよ」

「うるさい! 貴様は俺の妻か」

「あはは、では、またいずれ」

「おう。今度は土産でも持ってこい。無手では会わんぞ」

 これがティグレとシャウハウゼン、師弟による最後の会話であった。

 一月後、聖ローレンスの中心部にて死闘を演じ、神は墜ちる。


     ○


「……阿呆が」

 シャウハウゼンの墓前にそれだけ投げかけ、ティグレは立ち去る。あの日奪われた酒を返してもらうまでは、酒をあおる気にはなれなかった。

 自らがまいた種、それが弟子の命を縮めた。

 そんなつもりはなかった、などは言うまい。輝ける才能を目の当たりにし、シャウハウゼンと同様鍛えてみたくなったのは事実。それが別の陣営に行けばこうなることもまた必定。全ては自らが招いたことなのだ。

 ネーデルクスを想えばあの日摘むべきだった。

 その日から、ティグレは酒を断った。

 道場で毎日、槍を振るう。錆び付いた己を叩きなおすため、滝のような汗をかき、足元が水浸しになってなお、槍を振るい続ける。

 食事量も跳ね上がった。それこそ現役時代と遜色ない量を、喰らう。

 家人が問うても「知らん」「好きにさせろ」の一点張り。

 誰も近寄れぬ、実の息子ですら声もかけられぬほどの雰囲気。孤高の存在、偉大なる名人が帰ってきた。その理由は誰も知れぬが、ただその槍の躍動は現役時代に迫り、ひと冬越える頃には、息子や門弟らの記憶よりも――

 肉体も全盛期近くまで上げた。技も戻し、より磨いた。

「あとは実戦で戻すか」

 その一言と共に、虎は巣を発つ。

「俺様に席を寄越せ」

 突如王宮に現れたティグレに誰もが驚いた。王侯貴族にとってはシャウハウゼン亡き今、吉報ではある。だが、今すぐと言うのはまずいのだ。

「ティグレ様。いきなり三貴士というわけには」

 三貴士の一人が声をかける。ティグレは眉をひそめ――

「悠長よなァ。いつから三貴士は鈍重になった? たかが一人死んだ程度で、何をのたくそやっておる? すでに冬は過ぎたぞ。さっさと現場で戦え。ネーデルクスが健在であると示せ。出来ぬのなら降りろ」

 シャウハウゼンをたかが一人と言い切る。

 当然――

「まずは貴方が健在であると示すべきでは、元名人」

 シャウハウゼンの副官であり、『白』の後釜である男、キュクレインが噛みついてきた。その眼は憤怒に満ちている。自らの主を侮辱した男に、断ち切った男に、そして守れなかった己へ向けた憤怒、殺意、諸々ない交ぜに成った負の感情。

「ならば今、御前試合だ。ここで宜しいですかな、陛下」

「ま、待てティグレ、物事には順序が」

「私は一向に構いませぬ!」

「キュクレイン! しかしだなぁ」

 問答無用。まさに御前、即始まった戦いは――

「牙ァ!」

 虎が、神を継ぐ者を凌駕し、終わる。

 誰もが押し黙る。皆、さすがに現役であるキュクレインが勝つと思っていたのだ。シャウハウゼンほどのカリスマはなくとも、彼の威光を背に皆を引っ張るに足る男。誰もが次は彼だと、認めていた。この虎以外は。

「あれの何を見ていた? 青二才が」

「ッ!?」

「どの色でも俺は構わん。一両日中に席を空けておけ」

 颯爽と去るはかつての名人を彷彿とさせた。実際にその実力は名実ともにナンバーツーであったキュクレインを圧倒するほどで、文句のつけようがなかった。

 差があったのだ。ティグレが去ったことで見えなくなっていた差。

 そう、頂点シャウハウゼンと他の者の、埋め難き膨大な溝が。

 こうしてティグレは三貴士に舞い戻った。色々あってティグレは『赤』を率いることとなり、元々『赤』の三貴士だった男は『白』の副官に、『白』はキュクレインが率いることになった。

 無論、反発は大きかった。特に市井からの反発は凄まじく、虎ではなくハゲタカだと言う者まで出てくる始末。自分を引きずり下ろした者がいなくなれば巣から出てくる姑息なる虎など秀逸過ぎて本人公認であったそうな。

 それほどにシャウハウゼンは愛されていた。何よりもティグレが誰にも言わなかったのだ。彼との約定を。唯一人、弟子の願いを背負いて舞い戻る。

 ベッドの上で死ぬはずだった男が、戦場へと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る