第25話 黄昏時


 黄昏たそがれである。空も木々も地面すらも黄金色に染まる中、朱塗りの軒車が蒼鳴宮へと続く小道の前に停まった。御者が扉を開く前に中から出てきたのは淡藤色の上衣ひとえに桔梗色の長裙ちょうくんと大袖衫を身に纏う玉鈴だ。艶やかな黒髪は高髻こうけいにし、そこには静謐せいひつな光を宿す藍玉らんぎょくの簪が飾られている。


「ありがとうございます。また明日、よろしくお願いします」


 御者にねぎらいの言葉をかけると玉鈴は蒼鳴宮へ戻るべく、荒れた小道を歩いて行く。夕焼けを反射させる石畳は、一年ほど前は隙間から草が伸び放題だったが明鳳が訪れるようになってから見違えるように綺麗になった。特に手入れはしていないが人通りがあるのとないのとでは違うのだろう。

 しばらくして、草臥くたびれた門が姿を表した。

 そこに門兵の姿はない。つまり、明鳳も来ていないということだ。昨夜の言い争いについて弁解しないとと考えつつも顔を見合わせなくていい事実に玉鈴はほっと胸を撫で下ろした。

 やや軽快な足取りで門をくぐれば険しい表情でうろうろとしている尭の姿。ぶつぶつと何かを呟いているが距離があり内容までは聞き取れない。

 どうかしたのだろうか。玉鈴は尭の名前を呼んだ。


「おかえりなさい」


 足を止め、こちらに視線を向けた尭は見るからに安堵した様子を浮かべた。


「亜王様はおかえりになったんですね」


 こんなことなら義遜の屋敷で襦裙に着替えず、官服のまま戻れば良かった、と考えていると徐々に尭の顔が不安で曇っていくことに気が付く。


「どうかしましたか?」

「豹嘉が目を覚ましました」

「そうですか。それは良かった」


 無事に目が覚めたことに安堵するが尭が「けれど……」と言いにくそうに歯を食い縛るので不安が顔を覗かせる。


「あいつ、覚えていません」

「そうですか」


 やっぱり、と玉鈴は呟いた。


「羊淑妃様と同じなら仕方のないことです。状況は説明しましたか?」

「いいえ。あの香を嗅いでしまい、ずっと眠っていたのだと言いました。全てを説明するにはいささか妹には酷な部分もありますので……」


 意識はないといえ、敬愛する主人を池に突き落とし、あまつさえ首を絞め上げたとなればきっと豹嘉は深く傷付く。ならば伝えないほうがいい。


「それでいいです。あの子も被害者ですから……。今、豹嘉は一人ですか?」

「木蘭様が付き添っています」

「まだ居られたのですね。頼み事が終わったらすぐ帰られたと思っていました」

「それが……」


 またもや尭は言いにくそうに言い淀む。


「……翠嵐ですか?」


 それにこくんと頷く。

 玉鈴は天を仰いだ。


「なんとなく、そうだと思っていましたよ」

「豹嘉と共に着せ替えて鑑賞してます。衣装は水蝶様に頼んで持ってきて貰ってました」

「とてもはしゃいでそうですね」

「ええ、大はしゃぎです」


 可愛い女の子が大好きな木蘭らしいと思った。


「きっと今夜は蒼鳴宮ここに泊まると言い出すでしょう。尭、貴方も疲れていると思いますが休む前に彼女が泊まるための臥室の準備をお願いします」

「もうしてあります。泊まるから準備してちょうだい、と言われたので」


 しかも衣装と共に夜着も水蝶に準備して貰ってきたようだ。


「相変わらずですね」

「木蘭様から言伝を預かっております。玉鈴様が戻り次第、すぐ自分のところにくるように、とのことです」

「ええ。承知しました。では、行きましょうか」


 二人は木蘭の元へ向かうことにした。


「龍女はどうでしたか?」


 夕陽も沈み、薄暗くなった回廊を歩きながら尭は疑問を口にした。玉鈴が淼を連れて龍女に会いに行くと言った時、胸に不安が渦巻いた。時が経つにつれ不安は薄まるどころか色を濃くする。それで門のところで気を紛らすため動き回っていた。怪我もなく無事に帰宅した玉鈴を見た時、酷く安堵したのだが何かに怒っている様子を見て、またもや不安になった。


「実はまだきちんとは会っていません」


 玉鈴はぽつぽつと喋りはじめた。今、国で流行っている病について。人数が減った往来を軒車で走っていると大勢の市民に囲まれたこと。その中の自宅に招かれた際、病に臥せる老女がおり、その足の指先にはやはり鼠が齧ったような痕があったことを——。

 時折、自分の見解けんかいを付け加えながらも話し続け、一区切りついたところで「どう思います?」と尭に問いかけた。

 苦渋くじゅうに満ちた表情のまま、尭は考え込む。しばらくして、答えがでたのか「……俺も」と口を開いた。


「動物と会話が可能な龍女が犯人と考えるのが妥当な気がします。それなら薬を持っていても不思議ではありません。けれど……」


 尭は地面に視線を落とした。

 何を考えているのか察した玉鈴は「いいですよ」と言葉の先を促す。


「龍女は本当に柳家なのでしょうか。亜王様は目の色と鱗があったと言っていますが目が黄金の胡人こじんに、蛇の皮でも貼っつければ偽装できます」

「本物ですよ。帰り道、遠目からですが会いました」

「なら、なぜこんなことをできるのか……」


 それは柳家の呪いについて言いたいのだと玉鈴は察した。


「きっと、亜王様の為だと思い込んでいるのでしょう」

「本当に為になると考えているのなら幸せな頭です。脳みそが詰まっていないのでしょう」

「僕達は李家に逆らえません。彼らが統べるこの国を害すこともできませんからね」


 それと、と玉鈴は続ける。


「豹嘉の口の悪さは木蘭様のが移ったと思っていましたが、貴方もなかなかに毒舌ですね」


 侍女の毒舌の原因がまた新たに分かり、玉鈴は頭を抱えた。


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