第21話 目覚め


「玉鈴様」


 目を覚ますと尭が心配そうに覗き込んできた。

 なぜ、そんな顔をするのか分からず、玉鈴は瞬きを繰り返す。

 視界に入るのは見慣れている木組みの天井だ。自分の身体に覆い被さるのは綿入りの衾で、房室を満たすのはお気に入りのお香。そのことからここが自分の臥室であることは簡易に予想がついた。格子窓の向こうには見事な朝焼けが広がっており、今の時刻が早朝だと知る。

 いつも豹嘉が眠りから起こすのだが今日は尭なのか……と思いつつ、玉鈴は体を起こすために寝返りを打とうとした。

 けれど、上手くいかない。なぜだか体がだるい。寝ぼけているわけではなく、文字通り体が鉛のように重く、四肢に力が入らない。


「良かった。お目覚めになったのですね」


 尭は心底安堵したように胸を撫で下ろした。


「……僕は」


 声を出そうにも上手くいかない。喋ろうとすればするほど、肺から水が競り上がってくるような気持ちが悪い感覚に襲われる。それでも無理に会話をしようとするが無理だった。

 敷布の上で体を丸めると肺の中の水を空にするために激しく咳き込んだ。何度も、喉が痛くなり、血の味がする頃には先程感じていた気持ちの悪さは無くなっていた。


「大丈夫ですか?」

「……ええ」


 生理的な涙でぼやける視界の中心に尭を映すと玉鈴は頷いた。


「水を、……は駄目か。えっと、何か欲しいものはありますか?」

「いいえ。大丈夫です」


 天井を見上げながら玉鈴はゆっくりと息を吐き出し——勢いよく上半身を起こした。思い出したのだ。昨夜、池のほとりでの出来事を。


「豹嘉は?!」

「落ち着いてください。豹嘉も無事です」

「どこにいるんですか?」

「あそこです」


 尭は横に一歩ずれると背後を指さした。

 そこには後ろ手に縄で拘束された豹嘉が床の上でぐったりして横たわっていた。距離があり表情は見えないがぴくりとも動かない様子は一見すると死んでいるように見える。

 すぐに駆け寄ろうとするが尭によって止められた。


「離してください」

「危険です。あいつは今、正気ではありません」


 見れば尭の頬や手には引っ掻かれたような傷がある。尭は傷に触れると「豹嘉にやられました」と答えた。


「……豹嘉は目を覚ましましたか?」

「昨夜、眠らせてから一度も。ずっと眠り続けています」


 尭は香炉を見せた。精霊との対面の時に使った代物だ。その時と同じ練香ねりこうなら眠りの効能は一時間足らずで目を覚ますはず。

 けれど、豹嘉は起きない。死んだように眠り続けている。

 玉鈴が駆け寄り、その頬に手を当ててもぴくりとも動かない。


「何があったんですか?」

「豹嘉の様子がおかしくて、追いかけたら幽鬼がいないことに気付きました」

「幽鬼が?」

「僕もまだ全てを理解してはいませんが、誰かに意識を乗っ取られたようです」


 はっとした直後、玉鈴は慌てて立ち上がり臥台に駆け寄った。積読つんどくの山から藍色の色褪せた背表紙を見つけ出すと山を崩さないように引き抜き、目当ての項を探す。


「……玉鈴様?」


 急に俊敏な動きを見せた主人の姿に、尭は驚いた様子を見せた。邪魔をしないように気をつけながら背後から本の中身を覗く。

 そこに書かれている文字を見て、すぐさま妹の元に戻る。


「歴代の龍にもいたんですか?」


 書かれていたのは古代文字だ。玉鈴にしか解読することができない。


「確かこの本にそれらしいことが書かれていた気がして……。あ、あった」


 該当の項を見つけた。そこに記されていたのは六十七代の能力である。


「三秒間、目を合わせた相手の思考を奪うことができる。奪われた相手はかけた張本人が解くか、強い衝撃を与えられでもしない限り解けない。複数の思考を奪うこともできるが使用者に負担がかかる」

「香を嗅がせる前に動きを止めるために強い衝撃は与えましたが、それだけでは足りないということですか?」

「……内容は似ていますが違うものと考えましょう。これを見る限り、幽鬼がいなくなった事例などありません」


 振り出しに戻った。豹嘉は基本的に蒼鳴宮から外出はしない。しても本当に時々である。時折、困り事を解決して欲しい妃や官が訪ねてくるが玉鈴が見たかぎり、彼らに怪しい点はない。


「どうするべきか……」


 これは困った。どうしようもない。

 困り果てた玉鈴が苛立ちを発散させるべく首裏を掻くと尭が「あ」と声を上げた。


「分かるまで独房に入れましょう」


 名案だと提案されたので素早く却下した。

 蒼鳴宮には鋼鉄の独房が存在する。罪を犯した者を閉じ込めるためのではなく、力の制御が上手くいかない者を制御可能になるまで入れておくためのものだ。柳家が追放されてから手付かずのため、今では埃が被っており、蜘蛛や鼠もいる。そんなところに豹嘉を……。


「鼠?」


 ん? と顔を上げて考え込む。何かひっかかる。


「どうなさいました?」

「尭、遣いをお願いできますか?」

「かまいませんが、なぜでしょう?」

「一つ、確認したいことができました」


 本を積読の山に戻すと玉鈴は立ち上がり、豹嘉の側に移動した。


「翠嵐をすぐに呼んでください。その後に木蘭様と義遜様に今すぐお越しいただくように、淼には昼から市内に行くのでついてくるようにと」

「淼とどちらへ?」


 この場から離れることを察した尭は練香に火を灯し、香炉の中にしまいながら問いかけた。確かに豹嘉の方が力が強いがここまで入念な準備がいるだろうか。

 ある意味で信頼されているな、と玉鈴は思った。


「龍女に会いに行きます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る