33 『ヴァーヴロヴァー家』

 拷問と飲まされた液体の影響は思ったよりも長く続き、啓太がまともにベッドから起き上がれるようになったのは、それから三日後だった。


 「もう動けるみたいだし、今日から働いてもらうわね」


 朝、日課のように啓太の様子を見に来たガブリエラがそう宣言した。


 「働く?」

 「ここに来た日に説明したでしょ? あなたには私の身の回りの世話をしてもらうわ」


 そう言うと、啓太が口を開く間も与えずに立ち上がった。

 

 「さあ、まずはこの屋敷の間取りを覚えてもらわないとね。付いてきなさい」

 「ま、待ってくれ」


 啓太の反論には耳を貸さず、ガブリエラは部屋の入口に向かった。


 「さあ、早く来なさい!」


 (……まだ逆らわない方がいいな)


 ここ数日分の記憶は曖昧なままだ。

 まずは自分がどのような状況に置かれているかを理解する方が先決だろうと考え、啓太はまだふらつく体を引きずりながらガブリエラを追いかけた。



 「ここが食堂で、ここが厨房ね」


 ガブリエラが住んでいる屋敷は、想像以上に広大だった。

 部屋の数や作り、大きさのどれをとっても啓太がいま所有している子爵邸よりも上だ。


 (子爵より上ということは伯爵、いや侯爵か?)


 ガブリエラは、屋敷の部屋を一つ一つ開けながらその役割を丁寧に説明してくれた。

 ほとんどの部屋では、使用人や奴隷が忙しそうに家事をしている。


 「あれだけ沢山使用人や奴隷がいるなら、俺が働く必要はないんじゃないか?」


 だから解放してくれ、と暗に込めながら聞いてみる。


 「……あれは全部お父様のものよ」


 ガブリエラが、ぽつりと呟いた。



 「さあ、これで全部ね。一旦私の部屋に戻りましょうか」


 たっぷり一時間かけた屋敷内のツアーが終わると、ガブリエラは啓太を伴って自室に戻った。

 ガブリエラの自室は屋敷の最上階の、庭園に面した屋敷内で一番大きな部屋だ。


 (相変わらず、豪華な部屋だな)


 趣味のよい調度品やキングサイズの天蓋付きベッドを眺めながら、啓太は心の中で感心した。


 ちなみに、啓太が寝かされていた部屋はガブリエラの部屋の隣にある小部屋であり、ガブリエラの部屋とは廊下を介さずに扉で直接行き来できるようになっている。


 「さて――」


 ベッドに腰かけると、ガブリエラは椅子を指し示した。

 

 「座ってちょうだい」

 「ああ、ありがとう」


 啓太は一言礼を言うと、椅子に腰かけた。


 「あなたの仕事について話す前に、何か質問はあるかしら?」

 

 啓太が座ったのを確認し、ガブリエラが口を開く。


 「質問ならいくつかあるが、まずは名前を聞かせてくれないか?」

 「そういえば、まだ自己紹介もしてなかったわね」


 啓太の質問に、ガブリエラはくすっと笑った。

 どうも、根は悪くない奴のようだ。


 「私の名前はガブリエラ・ヴァーヴロヴァー。ヴァーヴロヴァー侯爵家の現当主よ」

 「現当主ってことは、侯爵様なのか」


 啓太は驚いた。

 ガブリエラの見た目は若く、どう見積もっても十代半ばといったところだろう。

 それが大貴族である侯爵家の当主とは。


 「……そうね、これはあなたもいずれ知る事だろうし話しておいた方がいいわね」


 ガブリエルは何かを決心したような表情で、語り始めた。


 「私の父、シルヴェストルは法国で最も力を持った侯爵だったの。ヴァーヴロヴァー侯爵家は、代々王家の右腕として国に仕えていたのよ」

 「それでこれだけ大きな屋敷に使用人や奴隷を囲い込んでいたのか」

 「そういうことよ」


 だが、ナジャ法国では数年前にクーデターが起こっている。

 王家に最も近い侯爵家が、目を付けられないはずがない。


 「……例のクーデターで失脚したのか?」

 「失脚はしなかったわ。当家は法国最大の軍事力を持っていたし、イーラも潰すよりは取り込んだ方がいいと判断したのね」


 侯爵家側としても、国を乗っ取り勢いに乗るイーラと事を構えるのは得策じゃないと踏んだ。

 その結果、形の上では宰相イーラにへりくだることである程度の力を維持することができた。


 「もちろん、父はただ黙って従っていたわけではないわ」


 イーラの軍門に下ったとはいえ、ヴァーヴロヴァー侯爵家は王家に忠誠を誓った一家だ。

 水面下では、王家復活のために様々な活動を行ってきた。


 「幸いなことに、陛下が謀殺されたとき第一王女殿下は城を抜け出すのに成功していたの。騎士団長に守られてね」

 「王家の血筋はまだ途絶えていなかったということか」


 第一王女を匿ったのは侯爵家だった。

 そしてイーラの手が伸びそうになるのを察したシルヴェストルは、無事に第一王女と騎士団長を国外に逃がすことに成功した。


 「殿下をお守りしつつ、水面下でイーラを倒すための兵を集める。父上の働きは途中までは上手く行っていたわ」


 そう言いながら、ガブリエラが悲しそうな表情をした。


 「ある日、父上は用事があると言って母上と首都アルコに向かったの。だけど、二人とも道中で何者かに殺されたわ」

 「……イーラか」

 「うん、たぶんそうね。だけど証拠が無い以上、こちらから追及はできないわ」


 国王を謀殺する程狡猾なイーラだ。おそらく何らかの手段でシルヴェストルの動きを察知し、排除したのだろう。


 「不幸なことに、当家に爵位を継げるのがまだ子供だった私しかいなかったの。それで仕方なく、私が侯爵代理として家督を継いだわ」


 ガブリエラには他に兄妹はいないため、爵位継承順位は第一位だ。

 しかし、家督を継いだ時点でまだ十四歳の未成年だったため、侯爵代理というあいまいな立場に置かれていた。


 「ちょうど先週、十五歳の誕生日を迎えたわ。それで正式に爵位を受け継いだの」

 

 これでガブリエラは名実ともに侯爵となったわけだ。


 「さっきあなたが見た使用人や奴隷は全て父上の所有物なのよ。当家への恩義で働き続けてくれているけど、残念ながら契約したわけではないから、私に忠誠を誓ってはくれないわ」

 「契約?」

 「あなたシモンに私の髪の毛を入れた薬を飲まされてたでしょ? あれを飲んだ奴隷はね、主人に逆らえなくなるのよ」


 そう言って、ガブリエラはにっこり笑った。


***


 その日から、啓太は侯爵家で働き始めた。


 主な仕事は掃除に飯炊き、それに洗濯。

 昼間は他の使用人や奴隷を手伝って、それらの仕事をこなしていった。


 最初の屋敷ツアーで感じた通り侯爵邸は広大で、掃除だけでも毎日何時間もかける必要があった。

 

 (ひ、広すぎる……)


 特に、果てしなく長い廊下の床磨きは鬱になる。


 啓太が他の奴隷や使用人と一番異なっているのは、侯爵であるガブリエラ本人の所有物であるという点だ。

 そのため、特に朝晩はガブリエラの身の回りの世話をするのが日課となった。


 「ケータ、これも洗濯よろしくね」


 そう言って下着を乱雑に放り投げられた回数は数知れず。


 (貴族ってのは恥じらいが無いのか!?)


 果ては入浴の際に背中を流すことさえ要求された。

 ガブリエラ本人は、啓太に裸を見られても全く気にしていない様子だ。


 働き始めて暫くしたある晩、啓太が乾いた洗濯物を運んでいると、ガブリエラに呼びつけられた。


 「少し勉学に詰まっていて……。あなた、わかるかしら?」


 そう言って、ガブリエラは数学の本を差し出してきた。

 二十一世紀から来た啓太にとって、ガブリエラが取り組む算術や図形問題は小学校で習うような基礎問題だ。


 「この問題は、ここに線を一本引いて――」

 「なるほど、さすがケータね! 一体どこでこんなの習ったの?」


 数問教えたところで、ガブリエラは感心したようにそう言った。


 (大学時代していた家庭教師のバイトがこんなところで生きるとはな……)


 その日から、ガブリエラは啓太を家庭教師に任命した。

 啓太にとっても数学や科学を教えるのは楽しく、毎晩いそいそとガブリエラの部屋に通っては勉強を手伝うのが日課となった。


 屋敷で働いていると、当然使用人や奴隷とも会話をする機会が多くなる。

 ただ、使用人は奴隷とは異なり自由市民の身分を有しているため、啓太にあまり口をきいてくれなかった。

 奴隷は奴隷で、長い隷属生活によって卑屈になってしまったようなのが多く、上手く打ち解けられない。


 そんな中で、啓太に唯一心を開いてくれたのが、エマだった。


 「この国は、もう何百年も奴隷制をとっているんですよ」

 

 肩で切りそろえられた金髪を揺らしながら、エマが話す。

 エマはまだ十六歳で、奴隷になったばかりの少女だった。


 「奴隷に身をやつすルートはいくつかありますね。中でも戦争捕虜が一番多いと思いますよ?」


 仕事の合間の休憩時間に、エマからこうして法国の事情をきくのが啓太にとっての最近の楽しみだった。


 「後は破産して身売りするケースとか。私は親が破産したので、借金の肩に売られたんですよ!」


 悲惨な話のはずなのに、エマが語ると明るい話のように聞こえるのだから不思議だ。


 「ケータさんは戦争捕虜ですか?」

 「……まあ、そんなところだ」


 王国から不法入国してきていることは、勿論隠している。

 

 「でも、私達は運がいいですね。貴族の屋敷で働くような家内奴隷は、奴隷にとっては天国なんですよ」

 「食事もしっかり出るしな」


 実際、奴隷とはいえ啓太の待遇は悪くなかった。

 食事は三食しっかり出るし、風呂も(ガブリエラに付き添ってだが)定期的には入れる。


 「もし農村部の使役奴隷になんてなったら大変ですよ」


 そう言いながら、エマが声を落とした。


 「食事なんて雑草や豚の臓物ぐらいしか出ないですし、朝から晩までキツイ肉体労働をさせられます」

 「……まるで天国と地獄だな」

 「はい。ですから、使役奴隷の寿命は二十歳程度らしいんです」


 どんな基準で家内奴隷と使役奴隷が振り分けられるのかは分からない。

 だが、なんとなくミアレ村の住人は使役奴隷にされているような気がした。


 (だとすると、早く助けないとな。とにかくまずは、この屋敷を抜け出さないと……)


 待遇が良いといっても奴隷は奴隷。啓太がガブリエラの所有物であることは揺るがなかった。

 屋敷で働き始めてからすぐに色々試してみたが、屋敷を脱走したりガブリエラや屋敷そのものに害をなそうとすると体が動かなくなる。

 おそらくこれが、シモンやガブリエラが言っていた『契約』なのだろう。


 (この状況を打破するためには、何かきっかけが必要だな)


***


 啓太が屋敷で働き始めて、二週間ほど経過したある晩。


 いつものように寝室でガブリエラに勉強を教えた後、自分の部屋に戻ろうとした啓太は呼び止められた。


 「あ、そうだケータ」

 「何だ?」

 

 首だけ振り返って、続きを促す。


 「来週ね、私アルコまで行かなきゃいけないのよ。正式に侯爵となった報告にね」

 「……それは大切だな」


 ガブリエラが首都アルコに行くのなら、その間屋敷には使用人と奴隷しかいない。

 抜け出すには好都合だ。


 「それでね、ケータ」


 どのようにして契約を破るのか、啓太が考え始めた時――


 ガブリエルはこう言った。


 「ケータもついて来てね」

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