第20話 少しずつでも未来へ
その声は天井高く、大きく、辺りに響き渡った。
反響が止むと、辺りは異常なほどの静けさに包まれた。
神皇はそのルクレツィアの言葉を微動だにせず、ただ黙って受け止めていた。
そしてしばらくして、ようやく神皇が口を開いた。
「……全て、そなたの言う通りだ。」
神皇は立ち上がると、皆に聞かせる様に大きな声で言った。
「神殿は大きな過ちを犯した。」
そして後方にいるメルファへと視線を移した。
「我らはサンザード王国の規約に従い、聖女の意見を出来るだけ尊重しなければならない。500年前の聖女の様な悲劇を二度と繰り返さない為にも……」
神皇は目を細めると、初めて悲痛な顔を見せた。
「今まで、神殿はそなたを規則に縛り付けてばかりいた。本当に申し訳なかった。神殿の長である私が、心より謝罪を申し上げる。」
そして神皇がメルファへ深々と頭を垂れた。
メルファは慌てて立ち上がると、言った。
「神皇聖下。どうぞお顔を上げて下さい。神殿が私の身の安全を守る為にしているという事も、重々承知しておりますので。」
そう言い、メルファは困った顔をして神皇の前へと歩み寄っていった。
それから顔を上げた神皇をしばらく見詰めていたが、やがて唇に力を込めると、意を決して口を開いた。
「……ですが、やはり窮屈を感じてしまうのも本当なんです。」
そこで目を伏せると、瞳に悲しみの色が現れた。
「他の人と同じ扱いをして欲しいとは言いません。ただ、少しだけ自由になりたいと思うのです。500年前の聖女の話を聞き、私はもう少し我儘を言わなければならない事に気が付きました。でないと、いつか私自身壊れてしまったでしょう。それはこの国の為にも決してならないと……それに気付かされました。それに、私は……」
そこで顔を赤くして言い淀み、メルファがカークを振り返る。
メルファを見るその彼の瞳には温かい光が灯されて、その瞳にメルファを愛おしむ気持ちが満ち溢れていた。
その心のお陰で、メルファの心に勇気が湧いてくるのを感じた。
勇気付けられたメルファは、再び神皇を力強い瞳で見詰めた。
そのメルファの立ち姿が、過去の聖女と重なって見えた。
「私の願いは、好きな人と結婚がしたい。恋愛がしたいです。」
その瞳は真っ直ぐな光を放ち、凛とした姿に人々は思わず息を呑む。
その姿は過去の聖女が問いただしている様にも感じられ、人々は動揺した。
あなた方は、また同じ事を繰り返すつもりなのかと。
そして何よりその純粋な想いが、見る者の心を大きく揺さぶった。
人として当然の事、当たり前の事を望んでいるだけ。
それがそんなにもいけない事なのだろうかと……。
神皇はそれを聞き、しばらく黙ってメルファを見詰めていたが、やがてフッと笑みを零した。
「……全ては聖女様の御心のままに。」
そう言い、聖女に対して儀礼に倣って跪いた。
その行為に神殿側の人々も息を呑む。
メルファは嬉しそうな笑みを見せた。
「ありがとうございます。神皇聖下。私も生きている限り、この国の為に誠心誠意尽くさせていただく事をお約束致します。」
そう言い、メルファも儀礼に倣い神皇に対して跪く。
神殿の人々は長である2人が跪いているので、慌てて2人に倣って跪いた。
ルクレツィアはその光景を見て嬉しさが込み上げてくるのを隠せず、涙をボロボロと零して泣いた。
これで彼女の自由が和らぐのは間違いないだろう。
人々に受け入れられるのは簡単な事ではないかもしれない。
やはり聖女は特別な存在で、神様の様な存在なのだから。
結婚を許すとなれば、他の国も黙っていないだろう。
より危険な状況を作り出してしまうかもしれない。
それでも……聖女はそれを願うだろう。
人としての幸せを。
愛する人との幸せを。
だって、彼女は神じゃない。
普通の人と変わらない心を持っているのだから……。
それからしばらくして、神殿の人々が跪いているこの状況を打ち破る様に、国王が声を上げた。
「私も約束しよう。」
そして右手を上げて高らかに言い放つ。
「聖女の待遇を改善して聖女の願いを必ず叶える事を。この場で我が名に於いて宣言する。それが500年前の聖女への償いであり、現聖女への尊厳を守る為となろう。」
その宣言を聞き、次に宰相であるユリゲル侯爵が鋭い声で口を開いた。
「皆の者、恐れ多くも国王陛下の御心を拝聴した。敬意を表せ。」
その言葉を合図にその場にいた全員が席を立つと、国王の御前に一斉に跪いた。
そうしてしばらくの間、時が止まった様に誰一人として動く事なく沈黙が辺りを包んでいたが、やがて国王が再び声を上げた。
「皆の者、顔を上げよ。」
それを合図に一斉にその部屋にいる皆が顔を上げた。
「では、此度の審議はこれにて終了する。異議のある者は遠慮なく申すがよい。意義を唱えたからといって処罰をする事はないので安心するがいい。」
そう言い、国王が辺りを見回した。
だが、しばらくしても声を上げる者は現れなかった。
国王が次の言葉を発しようとした瞬間、思いがけず手を上げる者がいた。
それは王太子であるアルシウスだった。
「国王陛下。一言よろしいでしょうか。」
「なんだ。申してみよ。」
「審議については異論はございません。今回の件で、ある誓約をこの場にいる全員に行う事を提案させていただきたい。」
「……なるほど。その誓約とは如何なるものか申すがいい。」
国王は王太子の意図を理解した様子で、更に促した。
王太子は涼しい顔で国王を見詰めると言った。
「まずは国王陛下、神皇聖下、聖女様、モンタール公爵閣下、私を除く全員に今回の審議について一切口外しない事を、国王陛下と神皇聖下と私に誓いを立てて貰うのが良いかと思われます。もちろん、この場にいる者同士の会話は除外して。そうしなければ解読の内容を精査できませんので。けれど、もしその者達の会話を他者が聞いた場合も誓約を破った事と同義にするべきかと。」
国王はアルシウスの言葉を聞き、しばし考える様に黙り込んだ。
「確かにその通りか……」
そして、やがて心を決めると再び口を開いた。
「いいだろう。皆の者に協力を願うとしよう。安心するがいい、今後公表した内容については、後に誓約を解除する事にする。」
そこで、国王が仄暗い笑みを浮かべて辺りを見渡した。
「……だが永遠に公表しないであろう内容もある。それについては、永遠に口を閉ざして貰わなければな。」
そう言い放った国王の笑みにゾワッと鳥肌が立つのを、ルクレツィアは感じた。
だが、ルクレツィアは思い直す。
このアルシウスの提案は恐らく、自分の記憶の話も含まれているはずだから。
国王が言う永遠に公表しない内容には、誰が解読したのか、解読方法などが含まれているに違いない。
もしそれが公になれば、聖書の特別な言葉を知っているルクレツィアも聖女の様な存在として扱われる可能性もある。
神聖な存在となれば、ルクレツィアも他国から狙われる事になるかもしれない。
この提案をアルシウスがしてくれたのは、きっと私を守ろうという気持ちもあるだろう。
本当にありがとう……アルシウス。
そしてありがとう、叔父様。
2人の思いやってくれる心がルクレツィアの心を温かく包み込んでくれている様な気がした。
そう感じていると、国王が口を開いた。
「それに対して異議申し立てをする者はいるか?」
国王が睨みを利かせて人々を見渡した。
すっかり委縮した者達に、挙手をする気力は微塵もなかった。
その様子に満足した国王が頷いて、高らかに言った。
「では、これにて審議を終了する。神皇や神殿の処罰の有無については、追って通達する。そして、誓約については提案者であるアルシウスが先導するがいい。いいな。」
国王はアルシウスを見遣った。
「御意に。」
アルシウスが返事を返す。
それから国王が神皇と神殿の人々を振り返る。
「……神皇がこの度、包み隠さず話した事は素直に評価しよう。これで二度の過ちは繰り返されないだろう。いや、してはならぬ。よく話してくれた……」
国王の目元が少し緩み、優しい声色が滲んだ。
その言葉に対して神皇は何も言わず目線を落としたまま、深々と頭を垂れた。
それに対し、国王が言った。
「もうよい。顔を上げよ。もう審議は終了した。」
その言葉で神皇はゆっくりと顔を上げたが、視線は落とされたままだった。
すると、その重々しい空気を破る様にアルシウスが言った。
「では、皆の者。国王から言い仕ったので私がこれから誓約の指揮をとる。誓約は1人毎に行って貰う事としよう。時間も惜しいので手際よく進める。呼ばれた者は速やかに指示した通りに誓約を行う様に。いいな。」
そうしてアルシウスが指揮をとり、魔法の誓約が手際よく進められていったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます