第10話 ラウナス大神官

カークはメルファと神殿で会ってから、一心不乱に様々な書物を読み漁った。

既に学園の目ぼしい書物は読み終えてしまった。

けれどまだ文字の解読はできていない。


現在は王立図書館を訪れていて、文字に関連する本を本棚の前で確認していた。

すると人が近づいてくる気配がして、カークは顔を上げるとその方向へと視線を向けた。

カークの視線の先には、涼しい目元が優しく緩められ、清潔感溢れる風貌の年配の男性がいた。

面識はそれほどないが、ラウナス大神官だと直ぐに分かった。

ラウナスは穏やかで柔和な笑みを浮かべ、声を掛けてきた。

「熱心だね。何か探し物かな?」

穏やかな声だが、威圧感を感じる程の重みがあった。

カークは本を閉じると、神殿の作法に倣った儀礼を行おうとしたが、ラウナスがそれを遮った。

「実はお忍びなんだ。君と話がしたくてね。カーク君と呼んでも構わないかな?」

そう尋ねるラウナスの服装は確かに神殿のものとは異なっていた。

「はい。もちろんです。」

カークが頷いて答えた。

「では、私の事はスレインとでも呼んでくれないか。」

「はい。畏まりました。スレイン様。」

「……まぁ、それでもいいか。本当は呼び捨てでも構わないんだが。」

目元が優しく弧を描き、ラウナスが屈託のない笑みを零した。

カークは男の自分でもその笑顔に魅入ってしまうのを感じた。

これぞ大人の男性なのだと、カークは思った。

過去に様々な経験をしているのだろうと察せられるほど、思慮深い声だった。

男としての器の違いを見せつけられた気がした。


そんな事を思っていると、ラウナスが口を開いた。

「それで、解読はできそうかな?」

その言葉にカークはラウナスを凝視した。

思いがけない言葉に声を出せないでいると、ラウナスが更に言った。

「急に彼女が聖書を見たいと言われた時に少し変だと思ってね。聖書を見ている態度もどこかおかしかったので、少し2人の様子を影で調べさせてもらっていた。すまなかった。」

「……バレていましたか。聖書の内容を勝手に書写してしまい申し訳ありません。」

カークは頭を下げて謝罪した。

「確かに褒められた事ではない。だが、この事は私しか知らないから安心してくれ。事を荒立てるつもりはないよ。むしろ、その逆かな。」

カークが顔を上げるとラウナスに尋ねた。

「……どういう意味ですか?」

「君達に協力したいと思ってるんだ。聖書を解読するのは神殿の悲願でもあるしね。」

「いいのですか?」

「ああ、もちろんだ。彼女の境遇に私としても心を痛めている。彼女にはもっと自由に、思うがままに生きて欲しいからね。まぁ、あまり自由過ぎるとかえって危険なのかもしれないが、程度問題だ。いずれにせよ、今のままでは彼女はいずれ駄目になる。……この意味、君なら分かるね?」

「はい、分かります。彼女は正義感も強いし、他人のために心を砕く人ですから。自分を犠牲にしてでも……」

カークはメルファの笑顔を思い出し、切ない表情になった。

「だからカーク君が側にいてくれれば、彼女にとって良い事だと思ったんだ。」

ラウナスがそう言うと、カークは嬉しそうに微笑んだ。

「スレイン様は彼女の事を本当に気遣って下さっているんですね。そういう方が側にいて少し安心致しました。」

「まぁ、彼女の側には君がいるのが一番だけれどね。カーク君に会った後の彼女は別人の様に明るくなったよ。」

「それは良かった……」

カークがラウナスの言葉に安堵の息を漏らす。


ラウナスはそこで真面目な顔になると言った。

「それで本題だが……あ、そうだ。これからの話は他言無用だ。いいね。」

「はい。」

カークが頷いた。

ラウナスも頷くと、再び口を開いた。

「実は……あの本にはレプリカが存在する。」

「そうなんですかっ?」

カークは驚いた声を出した。

だが考えてみれば、何かあった時のために写生しておくのは当然といえば当然だった。

「念のためにね。もちろん本物は厳重に保護魔法は施されているし、例え神殿が火事になって消失しても本だけは残る様になってはいるけれど。それでも何が起きるか分からないからね。そのレプリカも秘密裏に保管されていて、その場所を知っているのは私とシアグレイス神皇聖下だけなんだ。だから私ならその本を持ち出せる。けれど私の見えない場所に持っていく事はできない。」

そう言った後、一度、ラウナスは言葉を切るとカークの瞳を探る様に見詰めた。

だが直ぐに再び口を開いた。

「もし解読する手掛かりを掴んだら、それを君に見せてあげよう。もちろん私の視界に入る範囲内でだけれど。その引き換え条件としてはその解読方法を私達に提供してくれる事。」

「いいのですか?」

カークとしては、願ってもない提案だった。

別に解読方法など秘密にしたいものでもないのだから。

「ああ、もちろん極秘でね。この事は君の想い人にも伝えてある。けれど互いの手紙には一切この事には触れないでくれ。いいね。」

カークが神妙に頷いた。

「はい。分かりました。」

その返事を聞いたラウナスは真剣な顔を綻ばせると、優しい声で言った。

「私はいつでも君達の味方だ。困った事があればいつでも相談に乗るよ。」

「……ありがとうございます。」

カークの心が優しい空気に包まれていくのを感じた。

そして、この言葉が父親でない事を少し悲しく思った。

「では、邪魔して悪かったね。」

「いえ、こちらこそお忙しい中、本当にありがとうございました。」

カークが頭を下げた。

「いやいや。未来ある若者達の力になれるのは存外楽しいんだ。きっと君達なら大丈夫だろう。いい瞳をしている。君も、彼女も……」

そう言い、ラウナスの瞳が細められた。

その思慮深い瞳は、何か懐かしいものでも見る様な、あるいは遠くを見詰めている様な深い色合いをしていた。

だが直ぐにその瞳が消えるとラウナスが言った。

「また何かあれば連絡するよ。では、失礼。」

そうしてラウナスはカークに背を向けて歩き始めた。

カークは頭を下げ、彼が見えなくなるまで、しばらくそのままでいた。





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