第22話 宗像に生まれた双子の悲劇
稽古の最中に眠りこけるなんてことなかったのになと思いながら、ゆっくりと立ち上がる。
視線を持ち上げると、一心が小首をかしげてこちらを見ていた。
私は何かおかしいのだろうか。
確かに、傷だらけだし、打撲痕だらけではあるが、と思った瞬間、血の気が引いていくのがわかった。体を思うようにまっすぐにすることができず、片膝を折った。
「大丈夫か?」
冬馬がちらりと目をやってきたので、それに軽くうなずいて、もう一度たちあがった。
だがすぐに動悸がして、ふいに胸のあたりがぎゅっと締め付けられるような感覚がした。何かがおかしいのは確かだけれど、少しでも強くならねばならない。時間が惜しい。しっかりしろと深呼吸をして、両足に力を入れて一心と向かい合って立つ。
「なんで」
今度は確実に視界が歪んで、暗転した。
情けないことに立っていることさえままならない。
健康優良児だった私はもうどこにもいなかった。
「志貴はもうここまでや。 稽古の邪魔にならんように隅におれ」
返す言葉のないままに、素直にうなずいた。
かわりに冬馬がまた俺の順番かよというように立ち上がって、木刀を手にして構える。
一心と冬馬の鍔迫り合いをぼんやりと見ながら、また夢の世界に引きずり込まれそうになる。
抗おうとしても抗えない異常な眠気は恐怖だ。
助けを口にすることもできないほどに身体が言うことを聞かない。
白昼夢で経験した死の恐怖を思い出して勝手に身体が震えだす。
頭が痛い。どうしようもなく怖い。
あの痛みがまた来るかと思うと怖い。
一心が私の異変を察知して振り返ったのがわかった。
冬馬がよそ見をするなとしかけているが、一心は冬馬を力で押し返し、こちらへかけてきてくれるのもわかった。
一心の手がこちらへ伸びてくる。
助けて欲しいのに、声にならない。息ができない。苦しい。どうしてこんな風になってしまったんだろうと慌てれば慌てるほどにパニックになる。
力の入らなくなった私の身体を一心が抱き起してくれる。
「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ。 吾の主たる梅を穢すものから遠ざける力を与えたまえ!」
一心の祈りの声と同時にガラスが割れるほどの音が耳の奥で響いた。
そしてようやく息をすることができた。
まだ心臓は早鐘をうちつづけているがさほど苦しくはなくなった。
一心の背後にいた冬馬も多くを口にはしないが明らかに心配顔だ。
あの時、アレに干渉された弊害かもしれない。
「さっきの白昼夢のせいだ」
「この空間で夢をみるなどできんはずやぞ」
「でも、引きずり込まれるみたいに見ちゃうんだ!」
一心と冬馬に夢の内容を説明すると、二人ともが押し黙ってしまった。
「志貴、お前の親父さんが亡くなった時、静梅散ると言われたやろう? あれはな、元の話があるんや。 本来、静梅散ると言われる話は太古に遡る悲劇を指してるんや」
「悲劇ってなに? さっきの白昼夢と関係あるの?」
私のこの発言に、冬馬と一心は二人で顔を見あわせてがっくりと肩を落とした。
一心は盛大にため息を漏らすと、父も伯父も教えてくれなかった正式なお伽噺らしいものを語り始めた。
大昔、黄泉使い達には絶対的強者の女王がいた。
しかし、彼女は極端に穢れに弱いため、戦闘技術があったとしても現場に出られないという弱点があった。だからこそ、女王には神なる獣二匹が従い、いつ何時も護り抜いていた。
いつの世も人の魂は悩んで生きる。故に悪鬼も減りはしない。今も昔も黄泉使いの役割は変わらない。
己の弱点をよく知っていた女王は、少数精鋭でも効率的に役割が果たせるようにと、黄泉使い達の中から選りすぐりの3名を選抜する。そして、自分を含めた4名を筆頭とした組織を再構成した。つまり、これが宗像、津島、穂積、白川の四家体制の原型である。
特性に応じた黄泉使い達が構成し直され、互いにバランスをとりながら黄泉を治めていくこととなった。
女王を核とする宗像は群を抜いて能力は高いのだが彼女を護ることに特化しており、悪鬼とはふれあうこともない一族でもあった。
逆に津島は悪鬼と命のやりとりをするのが第一の戦闘特化の一族となっていた。
このことが時を経て不協和音を生むこととなる。
女王守護の宗像・穂積と戦闘特化の津島・白川に軋轢が生じた。王には力があり、最も強いのに何故闘わないのかと不満に端を発したものだった。
さらに、王だけが持っている神の獣の能力を独占するのではなく、その能力と悪鬼から身を護る術の真髄を分け与えて欲しいと津島・白川一派から申し入れがあった。
玉座を守護する類いまれなる神の獣二匹に女王は相談をもちかけたが、二匹の獣は強すぎる力を誰彼にと分散することは災いとなるからできないと断った。
その進言にも一理あると女王は扱いきれる者に限局するならばどうかと折衷案を出し、神の獣は自分たちに選抜する権利があるのなら良いとしぶしぶ頷いた。
しかし、神の獣たちが選抜する者はほぼ宗像の血筋となってしまったため、現状は何一つ変わらず、それに対して津島の当主はこう訴えた。
『結局、死を賜るのは我らのみか』
つまり、現在の宗像と穂積にしか恩恵はないと言い切ってしまったのだ。それをきいた女王は肩を落とし、それならばと自ら玉座を降りてしまう。
自分を筆頭とした血族と他の血族を並列にし、理を護るという役割だけでなく他の血族と同じく悪鬼掃討にもでると明言したのだ。
だが、これはそもそもがあってはならない事態だった。
女王には女王にしかできない役割があってこその事だったのに、全てを同条件にしてしまったことで悲劇へと突き進んでしまう。
これまで前線に立つことがなかったのだからと宗像・穂積ばかりが最前線にたつことが増え、その結果、女王を護る血族は半数以下になってしまう。
沈黙を守っていた女王であったが、ついに神の獣の力を自ら使用して役割を果たすこととすると宣言し、穢れに近くあってはならない女王が先陣を切って役割を果たし始めることとなる。
共に戦う黄泉使い達に力を与えるだけでなく、彼らを護り続けた女王はその穢れにやられついに倒れてしまう。
これに怒った二匹の神の獣は、黄泉使いの血族を護るために力を貸すことはやぶさかではないが、これ以上、女王を傷つけるような事態が続くのならば一切の力を貸さないと、病んだ女王を皆の前から隠してしまう。
これによって神の獣の守護を失っただけでなく、女王不在で神宝も使用できなくなった黄泉使い達は危機に追いやられていく。
互いの派閥の筆頭たちは血を吐く想いで組織の粛清を行い、互いに争っていた者を罰し、黄泉使いの規範となるルールをそれぞれに与え、女王の帰還をこいねがったが神の獣たちは赦しはしなかった。
その黄泉使い達の足下をすくうように冥府と黄泉にとって最大の苦難が訪れる。
冥界の最下層の扉と黄泉の最下層の扉が何者かにより同時に破壊されてしまう。
力を必要とした黄泉使い達は神の獣に助力を願う。しかし、神の獣たちはその呼びかけには応じず、黄泉の約半分が闇に飲まれても動こうとはしなかった。
しばらくして病床にあった女王がその事実を耳にしてしまう。
『私と共に行ってくれるか』
神の獣たちは耳を疑う。
命が風前の灯火というほどまで追い詰められるような仕打ちを受けたというのに、女王は黄泉を護ろうともう一度立ち上がると言う。
『私には残念なことに特筆に値する戦闘能力はもうないが、生きている限りは皆を支えることはできるようだ』
彼女はいかなる時も共に己に付き従ってくれていた志しある者達から数名を選抜し、神の獣のもつ神器をすべて託した。
冥府と手を携え、すべての血族を護るために、神の獣に命じて、戦場に現れた。
闇に飲まれた同志を救いながらも彼女は身を粉にして道を開いていく。
己の命を削るとわかっていながらも、その血をもって、黄泉の混乱を楽しむ輩を冥界の最下層へ封じ込めていった。
すべてを生かし、逃がしきった女王はようやく愛する者のもとへ戻り、最期の時を過ごそうと心に決めていた。
しかし、最後の最後で、立ちはだかった敵は悲しいことに最も見知った人間だった。
絶望の淵にたたされた女王であったが黄泉の都を己の棺と定め、自分ごと敵を封印し、自らの遺体を何者にも与えることなきよう紅蓮の炎で燃やしきった。
静かに、静かに、梅をめでるのが好きだった真の王の凄絶な最期だった。
二匹の神の獣達は、女王の言いつけ通りに皆を現世に導いた後、主と定めた黄泉使い以外のためにはもう二度と働かぬと誓う。
最後の王のように理を継ぐ者が生を受け、それがふさわしい器であると定めたならば手を貸すと生き残った者達の前で告げた。
この先、生まれ落ちる中に王がいるかもしれない。
だから、二匹の獣はいち早くそれをみつけるためだけに各々の分霊を授けることにし、姿を隠してしまう。
神の獣は愛する女王の愛でていた梅の木をひそかに黄泉より持ち帰り、主を失った梅の木が静かに枯れていく様をずっと眺め、『理の王、静梅散る』と言いながらひたすらその死を悼み泣いた。
「なんだ、それ」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
私は泰介からも公介からもこんな話をきいたことがない。
ただ黄泉の崩壊を防ぐために命を落とした女王がいるとだけしかきいていなかった。
「黄泉使いに愛された強者が命を落とすこと静梅散るって言うんや」
一心の顔をぼんやりと見上げると、大ため息をつかれてしまった。
「宗像はその静梅の王に連なる所謂王家、穂積は共に付き従い、最後まで共に戦い抜いた者達の一族。 つまり、津島、白川はその逆というわけや」
宗像の絶対優位が許される理由は宗像にしかできないことがあるからだけでなく、津島側には負い目があったということだったのか。
「お前の見ていたらしい白昼夢、この話に似てる気がするけど」
冬馬に言われて、思わずごくりと唾をのんだ。
夢のはずなのに、身体に痛みが戻ってくるような錯覚すらする。
「理の王とは一つ、朔と望を従えていること。 二つ、理の梅であること。 三つ、なんなら時の櫻にもなりうること。 四つ、琥珀色の瞳をしていること。 五つ、烏の濡れ羽色の髪であること。 六つ、布津御魂が愛具」
誰かさんはその要素を持ってるけどなと、一心がかっかっかと私の顔を覗き込んで指で額を弾いてきた。
「黄泉使いは二度と同じ過ちは犯さない」
今度は冬馬が湿布を肘に貼り付けながらこっちをみた。
稽古を見ていた時生も同意を示すように静かに一つだけ頷いた。
「ちょっと待って、最後の敵って誰だったの?」
私の質問に冬馬と一心の表情がわずかに硬くなった。
答えあぐねたような冬馬をみかねた一心が口を開いた。
「双子の妹やと言われている」
一心の声が何度も何度も脳裏によみがえる。
頭から勢いよく氷水をぶちまけられたような衝撃が走った。
「女王とほぼ同格かそれ以上の能力がありながら玉座にもつけんかった。 すべてにおいて秀でていながら何一つ与えられなかったんや。 それでも、女王への離反勢力をおさえるために津島に身を置き、誰よりも尽力したその人が最後の最後にひっくり返したというのが伝聞されている内容や」
一心はまるでみてきたかのように話し出す。
「その上、黄泉使いの未来に呪いの言葉を吐いた。 犯さずの梅などいるものか、と。 清廉潔白の魂などあるわけない、どんな奴でも罪を犯す。 理に支配された梅もいずれはその理を踏みにじる。 理の梅が約定を違えれば」
「そこまでだ、一心!」
時生の声にはっとした一心はその先の言葉を飲み込んだ。この続きは宗像約定の機密事項で口にしてはならない禁忌に抵触する。
時生が視線で冬馬がいることを忘れるなというようにキツく一心を睨みつけた。
言葉にされなかった部分は私が背負わされた大きな十字架のそれだ。
知らず知らずに身体が震えてくる。
そしてもう止め方がわからない。それに気づいてくれた一心が大丈夫だというように、ごく自然に抱きしめてくれた。
「一人では背負わせん」
背を撫でてくれる一心の手の動きに合わせて呼吸を整えていく。
黄泉の鬼の中でも宗像約定を知っているのは特例対象のみ。
特例対象は壮馬、一心、時生。そして、当主を引き継いだ公介、私を含めて計5人のみだ。
冬馬の表情に影が落ちるとわかっていても私は口には出来ない。心が凍り付くほどの痛みを抱えていることなど冬馬にはわからない。
「俺だけ蚊帳の外かよ、何なんだよ!」
声を荒げることなどない冬馬の苛立ちが手に取るようにわかった。
それでも私は首を振るほか出来ない。
困り切っている私の気持ちを察してくれた一心が冬馬にもう聴いてやるなというように目配せをしてくれた。
「志貴、しんどいのは本当にお前だけか? 咲貴はお前よりハードな人生だぞ。 宗像の家に双子が生まれた段階でもうわかんだろ? どんだけ蔑まれてきたかわかってんのか?」
冬馬がほうと息をはいて、こちらをみて言った。
そして、こう付け加えた。
津島を、自分自身を世界で一番信じることができないのは咲貴だと。
「咲貴は津島を疑い、ある意味では津島を呪って生きている。 自分は同じにはならんと片意地を張るしかない。 それでも、お前を気にかけてる」
言われたい放題を受け止めるほかなかった。
あの一心が少しだけ困った顔をしてこちらをみていた。
双子の姉である私が咲貴の痛みも何も知らなかったのに、周囲の人間は知っていた事実が恐ろしく突き刺さった。
知らなくてごめんと謝れば良いのだろうかと、言葉がこぼれ落ちそうだった。
だけれど乾いた喉から声は出てこなかった。
この事実を冬馬に言われたことが私は何よりもショックだったみたいだ。
冬馬は常に自分のそばに居り、自分の側に立ってくれる物だと思っていた自分の愚かさに笑えてくる。私が思っていた当たり前はこうしていとも簡単に崩れる。
冬馬は私が受けている衝撃など気にしないのか、まだ続ける。
「お前の知ってるあいつはさ、半端ない努力をして身につけてきた姿なんだよ。 あいつは自分に厳しい。 黄泉使いの家に女の双子が生まれると言うだけで皆戦々恐々となる。 それだけじゃなく、双子の一人を宗像、一人を津島が背負うとなればそれだけでとんでもない空気感になる。 津島に置かれる双子の片割れがどんな想いをするかわかっていても、お前の親父さんは二人ともを宗像に置くことはしなかった。 徹底してお前一人を宗像に据えた。 何の迷いもなくお前一人だけを別枠にした」
冬馬が別人に見え、急に遠い人間に感じた。
まるで私が宗像に居ることを責められたように錯覚してしまう。
「志貴、苦しんでるのはお前一人やないぞと、冬馬はわかって欲しいだけや」
私の心の弱さを補うように寄り添ったのが冬馬ではなく一心だったことに、私はほんの少しだけ唇をかんだ。
「望んだわけじゃない!」
言うつもりなんかなかったが、どこか拗ねた気持ちになっていた。
重い身体を必死にもちあげて、一心の手を振り払った。
自分の才は最初から与えられた物で何の努力もしていない。
努力のもとにある力をもつ妹の方が優れている。
本来、こんな自分が後継者でいられるはずがない。
ひたすらに『生きていることだけが大事』な自分なのだから、目につかないところでじっとしておけば良いのかもしれない。
『そう、目につかないところでじっとしていてくれたらそれで良かったのに』
ひとりで稽古場を出たはずだった。
暗転。
転がり落ちる。
ゴツゴツとした岩肌に触れてみて、馬鹿らしくて笑いがこぼれてしまった。
また、堕ちたのか、黄泉へ。
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