第20話 禁域 道反

 禁域中の禁域である道反がわりと平和な空間であると誤認しそうになるのは黄泉の鬼達のせいだと思う。

 道反の筆頭の名前は穂積壮馬。冬馬の父親だ。

 穂積一門の後継だった多喜子の再婚相手として結婚し、姓を宗像から穂積に変更。

 所謂、婿養子。

 悪鬼が壮馬におののき逃げると言われるほどの猛者ゆえにその実力はピカイチ。

 しかしながら、その性格は勝手気まま、自由人過ぎて、妻の多喜子でさえどうにもならんとさじを投げたほど。

 冬馬も年を取ればこんな老け方をするのかなというほどに似ている目鼻立ち。

 40代の男盛りにあわせ、悪魔的な若々しさを誇るお化け。

 冬馬から言わせたらぼんくら親父らしいが、能ある鷹は爪を隠すというように、この男はやはり只者ではないと思わせるオーラがある。が、如何せんアイドル好き。幅広く愛しているようで、非番の昼間はテレビ三昧らしい。泣く子も黙るほどに強い黄泉の鬼なのに寝転がったままで、にこにこしているだけ。煎餅を口にしたままで何とも緊張感がない。冬馬がこれを見たら激怒すること間違いなし。


「壮馬さんはそっとしておくとして……」


 黄泉の鬼、その2。

 宗像一心、27歳。伯母の息子、つまりは父方の従兄。

 伯母には発現しなかった黄泉使いの才を余すことなく発揮し、私が生まれなければ間違いなく宗像の後継は一心だったと言われるほどの逸材。

 京都大学を卒業した頭脳もさながら、壮馬とそう変わらない体躯で、がっちりもしていないのに、公介がすぐに白旗をあげるレベルの桁違いの戦闘能力をもっている。

 専門は体術のはずだが、剣術もずば抜けているというまさにバトルお化け。私も同じ召喚師なのに幼稚園児と大学生ほどに差がある。

 3年前に一度稽古をしたことがあるが、素手の一心に対し武器も術も何でもありというハンデをもらっていながら5分ともたなかった。その上、あばらを二本やられ、右肩の脱臼というコテンパン具合だった。

 一緒に挑んだ冬馬も右腕骨折と脳震盪。二対一で5分と持たなかった。まさに悪魔的強さ。普段はどこにでもいるようなただ口の悪い程度の馴染みの従兄なのだが、黄泉使いになると怖すぎる。

 そして、私にとっては黒歴史すぎるため地中深く沈めると決めたところだが、この従兄の顔をみたら蓋をするのが難しい。


「一心もそっとしておきたい……」


 黄泉の鬼、その3。宗像時生、年齢32歳。

 宗像の血縁であり、一心同様に兄弟姉妹、両親に発現しなかった才をただ一人だけもっていたため宗像本家預かりとなった。泰介公介の双子と一緒に暮らしていたこともあり、私もよく知っている人間でもある。

 私の幼い頃からの封術の師匠でもある。おそらく黄泉で受けた穢れを解除してくれたのは彼だ。

 表向きの職業はJA組合員。農業一筋の変わり者。花好きの彼らしい生き方だ。

 ひょろりとした体躯のくせに、呪わせたら末代までと言われるレベルの術者。

 現代の黄泉使い達が悪鬼駆除に使用している呪符はすべてこの時生が作成している。なかなかに良い値段で取引されているので実はとてつもなく金持ちらしい。

 喧嘩は拳だけではないという知能犯だが、その1とその2曰く、一番おっかないらしい。

 最近、田舎カフェを始めたらしく、結構評判が良いそうだ。

 今朝も有機野菜の何たらケーキとやらを出してくれたばかりだ。

 本当に道反の鬼達の日常が予想外に普通すぎて拍子抜けした。

 目が合ったら殺されかねないという私のイメージをきいた三人はそれぞれに大爆笑。

 黄泉使い本部での集まりより、宗像しかいないこの鬼達との時間の方が気楽な自分にびっくりするくらいだ。

 鬼達のルーチンは日に一回の稽古と巡回。

 稽古は木刀のみと互いにけがを負わないよう使用できる武器を限定しているらしい。早朝の稽古の場には入れてもらえなかったが、3人が3人とも青あざをつくって出てくるレベルのものだということは二日目にしてわかった。

 わいわいしながらの朝食の場にいても、あまりに普通に接してくれる三人にどうしても違和感がぬぐえない。


「そろそろ何かちゃんと言ってくれないかな?」


 こうも、事件にふれようとせず、道反にいることも責められない状況はどうにも落ち着かない。壮馬は尻を掻きながら私のこの様子を鼻で笑った。

「お前が喰われずに戻った。 それでいいじゃないか」

 壮馬はこちらを見ないが、ゆっくりとした口調ではっきり言ってくれた。

 自信のない声を出すなと言わんばかりの声だった。

「私はアレを目の前にして何もできなかったんだよ? 泰介さんの仇とは別だったけれど」

 どうもこの一言に壮馬は興味をもったらしく、くるりと振り返った。

「黄泉であったのは同じじゃねぇのか?」

 壮馬の質問の答えは私のすぐ背後から返ってきた。

「違うらしいで。 王と名乗ったらしいしな。 おかしなことになってきたんちゃう?」

 このバリバリの関西弁は一心だ。

 振り返るといつ帰ってきていたのかわからなかったが、一心は面倒くさそうに狩衣をぬごうとしながら部屋に入ってきた。

「王の中にもしょうもないのがおるってことや」 

 湯呑に茶を注ぎながら、一心はふっと息をはいた。

「一心、それじゃ、あまりに説明が足りないよ?」

 いつの間にか時生も縁側に戻ってきており、腰かけてこちらを振り返った。

「梅を継いでいく人間にもレベルの差というものが確実にあるんだよ」 

 時生はタオルで汗を拭きながら、ほうと息を吐いた。

「王も人間だ、罪を犯し裁かれた者もいる。 彼らがすんなり葬られたかどうかはわからない。 それが敵にまわっている恐れもある。 今生きている人間だけでなく、これまでの人間も射程範囲に入るってことだよ。 志貴が望むか否かにかかわらず、黄泉の理のすべてを君は息を吐くのと同じように動かすことができてしまうから、そういった方々からは目の敵にされてもおかしくはないよね」

 時生の静かすぎる目がゆっくりとこちらを見た。

「宗像本家にしか伝えられていないその重みをもう知っているのだろう?」

 じんわりと嫌な汗が背を滑り落ちていく。

「どうして知っているの?」

「その重荷を操る者をひたすらに護るために組織されたのが黄泉の鬼だからだよ」

「そんなこと、一度も聞いたことがない!」

「いちいち公表するわけがない。 黄泉の鬼はそもそも禁域じゃなくて、最も過酷な重荷を背負わされる者を護り抜くためにいる。 背負った物がとんでもない十字架だって自覚はもうあるのだろう?」

 言葉が出ない。認めなければ前にはすすめない。

「盾が必要なんだろう? 君は弱小だ。 だからこそ死なないための盾が必要だ。 もうそろそろ助けてくれと言ってくれてもいいのだけれど?」

 時生の言葉に、すぐ後ろにいた一心も小さく頷いた。

「私には物事を動かせる駒も何もない。 皆をひっぱっていけるだけの指揮力も黄泉使いとしての技量という看板もない」

「そんなもんは端から当てにしていない。 お前が未熟やから、俺達がおる」

 一心が不敵に笑った。

 出雲の鬼だとビビりまくっていたのに、やっぱり彼らは宗像一門なのだ。

「そもそも口説きに来る予定やったんやろう?」

 一心に顔をのぞき込まれ、不覚にも涙がこぼれた。

 一度流れ出した涙はもうとどまることを知らない。

 独りぼっちで何とか宗像本家を護り抜かねばならない。この家を潰してはならない。何があってもつながねばならないのだと拳を握りしめる毎日だったのだ。

「お前、やっぱり阿呆やな」

 一心がポンポンとうなだれたままの私の後頭部に手を乗せてくれた。

「お前の代わりに戦える力があるのは俺達でしかないんやから」

 戦う力。

 そうだ、何かがおかしい。

 違和感の原因はこれか。

 人の生に関わって良いのは冥府に属する者の権利。黄泉の鬼である一心も時生もアレに手出しをしたし、会話をかわすことも躊躇しなかった。まさか、黄泉の鬼にそれが赦されているというのか。

「どうして黄泉で自由にできる?」

 この問いに一心がこころなしか目をそらした。

「志貴、こっちへおいで」

 時生が縁側に手招きした。一心にかわって説明してくれるということだろう。

「志貴、あれを見て」

 時生が指す方向には梅ではない木が三つ並んではえている。

「梅じゃないの?」

 違うと時生が寂しそうに笑った。

「禁域を任されている者の木は梅や桜じゃない。 橘なんだよ。  御所にだってあるだろう? 右近の橘、左近の桜ってさ」

「それ、右近の橘、左近の梅だったのに桜にとってかわられたって公介さんが愚痴っていた奴だよね?」

「平安京以前は右近の橘、左近の梅だったからね。 橘と梅、橘と桜。 橘だけが変わらない。 なんでかわかるかい? 非時香菓と書いてトキジクノカクノコノミと読む。 橘は不老長寿、永遠を指すからそう言われる」

 壮馬までがわずかに目をそらした。これにはさすがに嫌な予感しかしなかった。

「橘は常緑樹で枯れはしない。 黄泉の鬼と同じだ。 僕達が鬼と言われるには理由がある。 黄泉の鬼は総勢8名だ。 出雲は3名、熊野は2名をゲートキーパーとして配置し動かない。残りの3名は道反に配置し、黄泉で戦うことも許されている」

 これは私が聞いてはならなかった類いのことかもしれないと思わず息をのんだ。

「黄泉で人の生に関われるのは冥府帰属のはずじゃ?」

「だから、僕らは冥府の門をくぐるんだ」

 時生の回答に一瞬どう反応して良いものかわからなくなった。

「この役割についている間の寿命を返上し、冥府に特別に帰属する形をとる。 僕達は安易な言葉で例えるなら、もう生身の人間じゃない」

 呆然を通り過ぎて、どのタイミングで息をつけばよいのかわからなくなった。

 黄泉の世界にあってもどうということはない。その理由は黄泉との境界を護るために、人間として生きる権利を捨てたということだ。

「全員?」

 時生は静かに頷いた。

 筆頭である宗像を継いでいく役割の私がこれを知らず、のうのうと生きてきたのだ。

 そして、ようやくあることに思い至り、私はいてもたってもいられなくなった。

 縁側から立ち上がり、一心に駆け寄るとその胸倉をつかんだ。

「あの時、跡継ぎになるって言えばよかったんだ!」

 一心がそうすれば何かを変えられたかもしれない。

 従兄の未来をつぶしたのは私という存在かもしれない。

 三年前まで一心が宗像の二番手だった。

 実質、一心が跡継ぎだとされてもおかしくはなかった。

 血統優位、嫡出優位ではあるが、双方に後継となる条件は整っていることを認め、公介は真に強い方が跡継ぎで良いと言い、私と一心は天秤にかけられた。

 圧倒的な力の差だったのに、一心は跡継ぎにはなれないと辞退して、黄泉の鬼の役割を選んだ。三本勝負をして徹底的にぼこぼこにされたのは私だったのに、一心は公介に黄泉の鬼へは自分が出ると言った。

 実力の伴わない私が後継で、格段に強かった一心が黄泉の鬼となった事実は、多くの黄泉使いにとって衝撃でしかなかった。

 宗像以外は実力優位なのだから、当然、何故だと論争がおこったが、公介は宗像のやり方に口をだすなと一喝して黙らせた。

 私が津島聡里に嫌われるのはこうした理由もある。聡里は一心にあこがれていたのだから憎さ百倍ではすまないのだろう。

「この現実を知っていたの?」

「知ってたというより、この役割を継ぐために与えられた才能だって気づいただけや。 お前が梅の主にしかなれんのと同じや!」

「なんでそんなあっさりと受け入れるの? 役割とかそんなの説明になってない!」

「だったら、お前が黄泉の鬼になるか? 腕力も機動力もお子様仕様のお前にはできんわ」

 一心はにかっと笑うと、私の頭に手を載せる。

 ただ無性に涙が込み上げてきた。

 この犠牲の上に、跡継ぎの椅子があったのに、私は知らなかった。

「俺達は皆、自分で決めた」

 一心は泣くなとデコピンをして笑っている。

 壮馬は軽く頷くとまた寝転がって煎餅に手を伸ばす。

 黄泉の鬼達は寿命を返上しているかわりに、老いることもない。だから、自然と家族や血縁と疎遠になる。お役御免になるタイミングは本人の意志だ。

 役目を降りると決めた時に、彼らには新たな生が与えられる。

 泰介が元締めになってから百数十年動いてこなかった代替わりが行われ、8年前に時生が、そして3年前に一心が着任したのだと私はようやく知った。

 既存の黄泉使いたちは黄泉の鬼が自分たちの知った顔だから、真実に気が付いていない。

 この先、彼らの姿が変わらないことを知りはじめて痛感するのだ。

「冬馬は知ってるの?」

 壮馬の身体がぴくりと動いた。だが、何も答えない。

 それを問い詰めようとした矢先、縁側に居た時生が暢気に誰かと挨拶をしている。

「よく来た。 遠かっただろう?」

 時生の身体越しに見えたのは冬馬だった。

 ボストンバッグを二つ抱えて不貞腐れたような顔で仁王立ちしている。

「志貴、着替えだ!」

 私の荷物をポイっとなげつけた後、冬馬は壮馬に向かって何やら紙袋を見せた。

「親父、お袋からだ。 捨てるか?」

 冬馬は片眉をあげて、壮馬の出方を待っている。これにはさすがの壮馬も唖然としている。

「親父、さっさと答えろ。 いるのか、いらんのか?」

 冬馬はイライラしているのか紙袋をぷらぷらと見せびらかして捨てようとする。

 観念したように体を起こした壮馬は縁側へ向かった。

「電話ぐらいしてやれ」

 壮馬は紙袋を受け取ると冬馬に背を向けて座敷を出ていった。

 男同士は何やら面倒くさいらしい。

「てか、志貴、お前、一心に泣かされたのか?」

 冬馬に言われ、あわてて涙を拭きとった。

 一心は面白そうにけけけと声をあげて笑った。

「好き好きされたらかなわへんから、一族内ストーカー防止条例の事項を確認しとっただけや。 冬馬君、そんなに気になるのん?」

 冬馬は一心に舌打ちをしてから部屋に入ってくる。

 こうも馴染みの顔ばかりをみると、こんな状況であるにもかかわらずほっとする。

「昔の宗像の家みたいだね」

 時生が指さして笑った。

 泰介さんと公介がいればパーフェクトなんだけどという言葉を時生は意図して封印しているようなそんな気がした。

「これ、咲貴が喰えって。 それよか、お前の行方不明期間どれくらいか知ってるか?」

 冬馬はほいと咲貴からの包みを私に手渡しながら言った。

「三日程度?」

「何言ってやがる! お前が黄泉を彷徨っていた時間は約1ヶ月。 お前の爺様がとっさに言い訳して入院扱いにしてるくらい大変だったんだぞ? それに、鴈一族の後継ぎが道反に駆け込んでくれなかったら、お前たぶん死んでたぞ?」

 鴈一族の後継ぎ。

少女のような美少年。まっすぐな心の綺麗なアメジストの瞳をしていた彼か。

「鴈楼蘭?」

 冬馬がそうだとうなずいた。

 一心が思い出し笑いをして、楼蘭のことを話し出した。

 侵入者と勘違いされ、一心と時生の攻撃を交わしながら必死に敵ではないと訴えていたらしい。楼蘭は大声をあげて、何とか急いで助けてやってほしいと言ってくれたようだ。

 楼蘭と別れた地点から、黄泉の鬼二人組は私の居場所を特定したらしい。

 私はもうすでに楼蘭に助けられてしまっていたらしい。借りができてしまったなと、思わず頬がゆるんでしまう。私は初めて一族以外に友ができたようだ。

「ちなみにここでお前が過ごしている時間は外では1ヶ月。 お前、もう二ヶ月入院中ってことだからな」

 あまりの驚きに奇声をあげると、一心がにやりと笑ってこちらをみていた。

「時間の流れ違うの?」

「道反だしね」

 時生までさらりと言ってのける。

「そういえばさっき稽古してやるって言われたんだけどさ」

「おかげさまで俺まで呼びだされたわ」

 冬馬はひきつったように笑う。

 一心に対するトラウマはこの冬馬もまた同じなのだ。

「お前たちを数日で化け物にしてやるわ!」

 一心がどうやら師匠代わりをつとめてくれるらしい。

 時生が哀れとこちらにむかって合掌してくる始末だ。

 こんなに冒険漫画のような修業がはじまるとは思いもよらなかったけれど、背負って生きていく物の大きさを知ったのだからもう逃げはしない。

 冬馬は拳をつくってまっていてくれる。私はそれに自分の拳をぶつけた。

 それを見て、一心がにやりと笑んで、半殺しの世界へようこそとつぶやいた。



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