第16話 ありきたりな日常が欲しい
ご機嫌で自転車をこぎ続ける。
公介が無事だったこともうれしいが、出雲に行ける好機を得たのだからさらにうれしい。
「理由があるからな。 大丈夫だろう」
理由もなく来たのかと冷遇されずに済む。
ニヤニヤがとまらない。
禁域はやばいし、とんでもないのにニヤニヤが止まらないのは病とでも言ってくれ。
そんなこんなで、太陽のもとでこんな風に自転車に乗るのは何だかうれしい。
夜がすべてのような一族だから、大好きな人の顔を思い出したりする普通の感覚で生きられるのもうれしいのかもしれない。
駅前の駐輪場に滑り込み、猛ダッシュで駅の改札を走り抜ける。
既製品の革靴は足になれることはなく、かかとの部分がすれてヒリヒリする。
ソックスをわずかにめくってみると、毎度おなじみの場所の皮膚がうっすらと水ぶくれになっている。
あわててポケットをさぐるが、いつも通りの所には絆創膏は入っていなかった。
痛みに耐えるしかないかと諦めた時に頭上から声がふってきた。
「ほい、貼れよ」
するとそこには冬馬が立っており絆創膏を持って待っていた。
「なんで持ってんの?」
「咲貴に渡されたんだよ」
「何で咲貴? まぁ、いいか。 ねぇ、一本早いのにのれたんじゃないの?」
「貧相な足のアンタを放置するのは気が引ける」
冬馬はさっさと貼れというように絆創膏を突き出してくる。それを受け取り、左足のかかとに貼ろうとした私の身体は大きく傾いた。だが、とっさに冬馬がブレザーの襟首をつかみ支えてくれた。借りてきた猫状態のかわいげのない支え方だが、実に不本意ではあったが左足になんとか貼ることができた。
「ありがとうは?」
「ありがとう。 でもさ、もうちょっと何とかなんないの?」
やはり首の後ろをつかまれるのは納得できそうになかった。
私とのやりとりをまともにする気のない冬馬はすでに教科書に目を落として難しい顔をしている。
ホームに滑り込んでくる電車に並んで乗り込み、冬馬を見上げる。
横に並んで、車窓に映った姿を直視して、冬馬との身長差がかなり開いてしまったことにようやく気がついた。
「背伸びたね」
「おう、178㎝だぞ。 公介まであと少し!」
へへへと笑う冬馬の横顔はやっぱり整っていて綺麗だ。
どうりで女子どもが騒ぐわけだ。これが幼なじみとなると困りものだ。
いかん、いかんと話を切り替えることにした。
「ところで、出雲の鬼と連絡は?」
出雲と聞いて、正直なところ内心穏やかでいられないだろうに、知らんと平気な顔をしている冬馬がおかしかった。
冬馬は穂積の後継となるための特例で、ついぞ最近3ヶ月間を父親のいる禁域ですごした。
その時の事を何も口にしないが、公介曰く、親子喧嘩甚だしだったらしい。
「今はこっちが優先」
秀才君は何事も手を抜かないらしい。
私は実力でいくしかないけれどと、軽く舌を出した。
学内の成績などどうだって良いというへ理屈をこねているだけだ。
「そうそう、一心は元気だったぞ。 お前こそ連絡してみたら?」
その名前をここでだしてくるかと私は冬馬をにらみつけた。
冬馬は意地の悪い笑みで、どうだと私を見下ろしてくる。
「後継になってからは、もう蓋をした!」
「あんだけお嫁さんになると連呼してきたのに?」
「うるさい! もう恋心には蓋をしたのだ!」
「大嘘だな。 今年もバレンタインで自爆すんだろ?」
「今年はしないのだ! もう自爆しないのだ!」
「じゃ、今年は言わねぇの? 『私のこと、好きになって、お願い!』って。 まぁ、一心は強制両思いなぞあるかいって蹴散らすだけか」
「どうせ、私なんか視界にさえも入っておらんとわかっておるわ、好きなだけ笑うがいいさ。 いくら想っても無理なことくらいわかって生きてんだ」
「あら、ついに諦めんの? こんだけ馬鹿みたいに好き好きを垂れ流して生きてんのに? 相変わらずのイケメン様で、まだ彼女いないのに?」
何も聴こえない、しるか、もう聞く耳をもつかと私はそっぽを向いた。
「一心にこよはもういいのだ。 あんたこそ、彼女つくらないの?」
ごく自然にきいてみた。
ただそれだけだったのだが、冬馬は複雑そうな顔をした。
「モテるから選びたい放題でしょう?」
冬馬は興味ねぇよとため息を漏らした。
「お前こそ、どうすんだよ。 一心諦めるんだろ?」
「うちはマンモス女子高ですのよ。 それに、どこに一心超える男が転がってるんだ? さらに言うなら、何もがもが『ほどほど』と言われる私のどこにモテる要素があると?」
周囲は女だらけ、帰宅すれば稽古ばかり、夜は稼業をこなし、休みは爆睡。
どこに恋愛と言う響きがあるのかとお手上げだ。
「それを言うなら俺だって男子高で男だらけでどうしようもない」
これには驚きだった。オファー甚だしの冬馬の台詞とは思えない。
「嘘だ! ねぇ冬馬君、実のところ、どうなんだい?」
「お前は阿呆か! 俺はお前みたいにお気楽とんぼの如く、色恋で自爆し続けて生きられるほど暇ではないのだ! はい、無駄時間終了!」
冬馬は教科書の背で私の頭頂部をガツンとして、素知らぬ顔をした。
強制終了された会話にやや不服だった私はヘッドホンをかける。いつもならご機嫌に聴けるはずの歌も今日は全く頭に入ってこない。
窓から見える景色をぼんやりと眺めていると、やっぱり考えてしまうのだ。
近頃、ずっとこのいかんともしがたい状態だ。
今と違う人生があったのならどんな風に生きたのだろうかと。
普通に恋をして、普通に勉強して、普通にって。
誰かの人生を羨むこと、誰かの持っている物を欲しがる生き方をしてみたところで、自分には何も残りはしないとわかっている。でも、やっぱりうらやましいと女々しく思う自分もいる。
黄泉使いじゃなければよかったなんて思ったことはないけれど、別の生き方を選べるのならばちょっと違う世界も覗いてみたかった。
隣の芝生は青く見えるって奴かもしれない。
スクールバッグからチョコレートを取り出して口に放り込む。
すぐ隣から差し出された掌に、当たり前のように一つのせてわけてやる。
これが私の当り前であり、普通なのだと認識せざるを得ない。
黄泉使いの人生が自分の物でなかったのなら、冬馬は同じようにここに居たのだろうか。
いや、ないな。それだけは笑えるほどにない。
幼馴染となった理由は互いに黄泉使いの才があったからだ。
兄弟姉妹、血縁全員がなれるものではなく、才があるか否かが分かつ中、同年代の冬馬がいたからこそ泣き言を口にせずに済んできた。
兄弟姉妹以上にそばに居て、共に稽古をして、術を覚えて、今がある。
下手くそ!
どうした、もうしまいか?
鈍くさい!
どこ見て戦ってるんだ?
それで宗像を名乗るのか?
泣くくらいならやめてしまえ!
お前たちはそれで宗像のつもりか?
その血の恩恵がありながらその程度か?
宗像一門の面汚しになるくらいなら、今すぐやめちまえ!
二人して浴びてきた数限りない叱咤の声。
一人ならきっと私は潰されていたと思う。
涙いっぱいのくせに、幼い日の冬馬は私に声をかけてくれた。
『志貴、まだやるからな!』
『俺たち、まだ負けないからな!』
『子供だって、俺達は宗像一門なんだから!』
何度も何度も胴着の肩口をつかんで立とうと言ってきたのは冬馬だった。
思い出すと笑えて来る。
本当は一番に逃げ出したかっただろうに、涙をこらえて意地でも負けないんだと怖い癖に大人に立ち向かっていく姿に正直救われていた。
私は父を失い、父は居るけど居ないものとして生きるほかない冬馬。
互いに姉妹兄弟はいるのに、宗像と穗積の後継にセレクトされたのは私と冬馬だけだった。
黄泉使いとしての人生が何よりも優先されればされるほどに、姉妹兄弟との生活からかけ離れていく。気がついたら互いに一人っ子のような暮らしとなっていた。
一般的にこの家庭環境は確実に危機的状況にあるのに、それがどうしてかそうも問題にならないのが黄泉使いの家に生まれた証とでもいうべきか。
だから、気が付けばいつも一緒にいた。
稽古も一緒、昼寝も一緒、ご飯も一緒。
日常に冬馬がいるのが当たり前すぎたこれまでの人生。
冬馬は誰かと恋をして結婚するのか、はたまた家系重視の攻撃に屈するのか。
私もこのまま突き進めば大好きすぎる従兄への自爆テロという黒歴史からいつか強制的に退場させられるのだろう。
もう一度、冬馬の横顔に目をやる。
私も冬馬も宗像一門のど真ん中にいるんだから、結婚相手は誰でも良いわけじゃない。
恋愛結婚を否定されるわけではないし、政略結婚だとがんじがらめにされるほど追い詰められるわけでもないが、当主として率いる立場になる私達の伴侶はある程度の人間でなくてはならない。
理由は簡単だ。
自分の血を分ける子供は確実に黄泉使いの才を持つ者でなくてはならない。
私も冬馬も強者の血と言われる筋だ。だからこそ、それを継続するには強者の血を落とさない相手と番うしかない。
そうか、大変なんだよなぁ、お互いに、なんてとりとめもないことを考えているうちに乗り換え案内がデジタルで表示された。
私鉄から地下鉄へと人混みをうまくすりぬけて移動する。
そして、地下鉄へ乗り込む時には、冬馬とは車両を分ける。
高校がほぼ隣同士ということもあり地下鉄の最寄り駅も同じなのだが、いつ誰に見られるかわからないので、災難よけをかねて私は隣の車両を目指すのが日課だ。
「何するんだ!?」
冬馬が私の襟首をまたしてもくいっと指でつまみ、まさかの足を止めをくらった。
何だかよくわからんままに怒られて、しぶしぶ冬馬の前に並ぶ。
ヘッドホンの音量を一段階あげて、背後をふりかえることもなく、ひたすらうつむく。
電車がホームにむかって緩やかに到着。
乗り込む段になり、冬馬が私の腕をつかんでよいしょと乗り込むではないか。
冬馬は私のヘッドホンを外すと、ひと睨みしてくる。
冬馬は冷ややかな表情で見下ろすと、私の頭の上にわざと教科書を広げて読み始める。
「まじか…… くわばら……。 くわばら……」
「俺は雷様か!」
「雷様以上の恐怖だよ! 頼む、緩やか女子高ライフを破壊せんでくれ……」
冬馬は教科書を少しずらして、上から私の顔を覗き込んだ。
「お前、うちの学校の生徒に声かけられたろ?」
「そりゃ、いつの話だ? 記憶にあるのはコンビニでお菓子をもらったくらいだよ?」
「普通、見ず知らずの奴からお菓子とかもらうか?」
「いつも買うのがさ、売り切れだったんだよ。 嘆いていたらくれたんだ、何が悪い?」
「それ、そもそもわざとだったんだよ。 連絡先きかれたろ?」
「なんか言ってたなぁ。 でも、急いでたからまた今度ってことで以降は何も知らんよ?」
異様なまでに張り付いた冬馬の氷の微笑が恐ろしい。
私が一体何をしたというのだ。
冬馬が何を言いたいのかさっぱりつかめないまま、最寄り駅に到着。
何かの間違いだと騒ぐしかない私の手を引き、鉄壁の笑顔で地上への階段を上っていく。
冬馬は同じ学校の生徒らしい男どもにいけしゃあしゃあと挨拶まで交わす。
「ちょい待てい! これは何の仕打ちだ!」
通学の時間帯ど真ん中、駅周囲は学生だらけだ。
その嬉々とした目でみられるのはどうにも落ち着かない。
「あれって宗像さんじゃない!?」
ネタ好きの女子どもの声がする。
ほら、言わんこっちゃない。
これは幻聴じゃないぞ、本物の噂話専用の声たちだ。
いい加減にしろとにらみつけるが、冬馬はにっこりと受け流してくる。
「お前も役に立つことがあるんだよ、志貴」
鬱陶しい女子除けに使われたことをようやく察知できた。
なんて奴だ。
地上に出ると左折するのが私で、右折するのが冬馬だ。
今そこで別れたはずの冬馬に名を呼ばれて振り返ると、和柄の巾着袋が飛んでくる。
「じじい御用達の金平糖。 泣くなよ?」
冬馬は変わり始めた信号を猛ダッシュで渡り切っていった。
お前のへなちょこ具合なんてお見通しだと言われたような気がした。
しかしながら女の世界における情報伝達の素早さに破れ、この日一日、穂積冬馬との関係をしこたま尋問され、幼馴染であることが周知の事実となり、面倒ごとだけが倍増した。
そして、あふれるほどの連絡先交換希望メモを預かる羽目に陥った。
へろへろになり、人生初の仮病を使用して保健室へ脱走。
これがとんでもない事態に発展するとは後にも先にも夢にも思わなかった。
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