聞こえなかった声

 歩きにくい下草を踏みつけるようにして進む。かきわけるのではなく踏みつけた方が帰りが楽なのだそうだ。

 道路からそれほど離れていないのに玄関が遠く感じる。防護服の内側を汗がつたう。拭いたいところだがここではそんなこと出来やしない。とにかく早く済ませてしまおう。母から預かった鍵を鍵穴に差し込むと扉はゆっくりと開いた。

 きっと本当はここで「うちの匂い」がするんだろうな……うっすらと覚えている。私が小学校の二年生まで住んでいたこの家を。


 草が伸び放題の外観に対し、家の中はそれほど劣化していなかった。

 私は一瞬のためらいのあと、玄関から廊下へと靴のまま踏み出した。靴のままとはいえ記憶の中の家はこんなにミシミシと音を出す家ではなかった。見た目はしっかりしていると感じたが、やはり人の住まぬ家は静かに死んでゆくのかもしれない。

 階段が抜けやしないかと慎重になりながらもまっすぐと二階へ進む。そして上がりきってすぐの場所にあるドアを静かに開けた。


 ここは父の趣味の部屋。四畳半の壁には備え付けの本棚がずらりと並ぶ。窓からの陽射しが入り込む場所には小さな座椅子、そしてその手前には立派な将棋盤。母が「ホンガヤのやつ」と言っていたのは多分これだ。

 父はここでよく一人将棋を打っていた。パチッ、パチッ、という心地よい音が今でも耳の奥に残っている。母が言うには詰め将棋を打っていたのだという。ああ、この将棋盤で……。


 いけないいけない。

 私は「よし」と小さくつぶやき、セッティングを始めた。


 少し大きめのカメラがついた三脚の角度をあわせる。辞書よりも分厚い将棋盤、そのちょっと上あたりに焦点を合わせる。

 ああそうだ。あの頃の父の姿を思い出す。

 夕食前後の時間帯、父はテレビなど見ずにいつもここに居た。私は父のパチッパチッをBGMにして本棚に並んでいる図鑑やら外国の風景の載った写真集やらを眺めていたっけ。今、私が立っているこのあたりがちょうど当時の私の定位置で……。


 植木職人をしていた父は朝が早かった分、帰りも早いことが多かった。帰りが早くない時でも、学校帰りに何度か父を見た事もあったから私にとっては父は「いつも一緒に居る」イメージが強く残っている。

 よそ様のお屋敷の枝をパチッパチッとやっている父を見ては「外でも同じ音を出しているんだな」なんて思っていたっけ。

 そうだ。この将棋盤で山崩しとか回り将棋とかけっこう一緒に遊んでくれた……頬を、汗ではない別のものがつたって落ちる。


「準備、できましたか?」


 インカムから業者さんの声が聞こえて我に返る。


「も、もうすぐです!」


 私は慌ててセッティング作業を終わらせる。


「準備できました!」


 私の合図で、業者さんが重たそうなバッテリーを持って階段を昇ってくる。


「この部屋ですね。角度はこれでよろしいですね?」


「はい。よろしくお願いします」


 業者さんは一礼をしてから部屋へと入り、機材の確認を済ますと電源を入れた。


「バッテリーは十日分ありますので、十日後にまた回収に参ります」


「よろしくお願いします」


 今度は業者さんを先頭にして家の外へと戻る。次にここを訪れるのはいつになるだろうか。この場所に来たからこそ思い出すシーンがいくつもある。

 一緒に遊んだ友達。近所を探検した記憶。家族だんらんの日々、その笑い声まで。それらの思い出を、宝箱にそっとしまうように、私は実家の鍵を閉めた。


 その鍵を業者さんへと渡す。業者さんは鍵を大切にしまい込む。それら一つ一つの行動全てにおいて、それぞれのまず最初に手を合わせてくれる。それも慣れとかマニュアルとかではなく心がこもっているなと感じる仕草で。

 この業者さんに頼んで良かったな、と、結果が出る前から感じているのはその姿勢が嬉しかったから。


 道路へと戻る前にまた家に向かって手を合わせた。後ろ髪を引かれる思いだったがいつまでもここに居られるわけじゃない。私は業者さんのマイクロバスへと乗り込んだ。


 帰り道、業者さんから「写らないこともありますので」と何度か念押しされる。その度に私は「はい」と小さく応え……心のどこかで写らないんじゃないかという不安はやっぱり抱えてしまっていて。でもきっと父なら……もう見えないほど遠ざかった実家に向けて私は手を合わせて祈り続けた。


「……お父さん、お願い……」



 

 二週間後、業者さんからの連絡。とにかく早く写真を見たかったから、郵送は頼まずに仕事帰りに業者さんの店舗まで走った。


「ご覧ください」


 業者さんが手渡してくれた写真の中央、あの将棋盤の辺り……これ! ぼんやりと白っぽい人影が写っている!


「三日目の夜から、数日おきに計四回いらっしゃいました。今お渡ししたものが、もっともはっきりと写っていらっしゃるシーンをプリントアウトしたものとなります」


「……はい……」


 写真の中の白い影はその白さゆえに余計に父を感じる。仕事から帰って来た父がよく着ていた薄いグレーのジャージがちょうどこんな色だった。「父です」と告げたかったが声が出てこなかった。代わりに涙ばかりがあふれてきて、人前だと言うのに私は声をあげて泣いてしまった。写真は過去を記録するものだけれど、この特別な写真は父の「いま」を映しているみたいでとても身近に感じる。少し高かったけれど、お願いして本当に良かった。

 

 二十年前、あの震災で仕事中の父が行方不明になった。

 お得意さんに頼まれてちょっと遠いところまで行くからといつもより早く出かけていったのだと後から母に聞かされた。


「お父さんが帰ってくるのはここだから」と、母は実家に残りたがった。しかし放射能のせいでそこに留まる事を禁止され、そしていまだに帰れないまま。もちろん保障がなかったわけじゃない……わけじゃない、という程度。オリンピックには多額の予算をつぎ込んだし、震災がれきの受け入れを検討しただけで何もしないのに復興予算をもらう自治体なんかはいるのに、私たちの暮らしはずっと壊れたまま戻らない。

 それでも母は気丈に振る舞い、私を育ててくれた。

 自身も辛かったろうにいつも笑顔で頑張っていた。そして頑張りすぎてしまったのだ。母が倒れたと聞き駆けつけた私は、母に対する余命宣告と向き合わなければならなかった。もって半年と医師は冷静に告げた。

 私はまだ、母に何も返せていない。そうやって泣く私の頭を母は撫でながらこう言った。


「向こうに行ったら、きっとお父さんを見つけられると思うのよ」


 母は自分の状態を分かっていて、そして自分の運命をしっかり受け入れようとしている。私も……私にできることをしなきゃいけない。そう決意した夜に、私はとある会社の話を耳にした。幽霊の写真を撮ることが出来るオーラ・カメラを持っているという話を。

 もしもそのカメラで父を撮ることができたならば、母は喜ぶだろうか。分からない、けれども、私の幸せを奪ったのは自然に負けた科学だったから、その科学で少しでも何かを取り戻せたとしたら……。迷いはずっと抱えたままだったけれども私はその会社を訪れた。


 受付の人に『依頼の前に知っておいていただきたいこと』というパンフレットを先ず手渡される。通された小部屋で、4ページしかない小冊子をパラパラとめくりながら私は担当者が来るのを待った。

 パンフレットは漫画になっていて、オーラ・カメラの歴史のようなものが書かれていた。そもそもは全盲の人たちのために開発された視覚補助の装置がルーツだという。その装置が視覚情報を電気信号に変換し脳に直接映像を投影するのに対し、オーラ・カメラは逆に電気信号から視覚へと変換する仕組みなのだそうだ。人間の脳は思考する時に微量の電波を発していて、幽霊からもそれとよく似た電気信号を受け取ることが出来て、それをカメラに収める仕組み……ちんぷんかんぷんだけどそういう原理だと書いてある。


 オーラ・カメラは最初っから幽霊を撮るカメラとして世間に登場したわけじゃなく、日本のどこかの大学教授が作ったものが一番最初は確か科学的な教育番組だったらしく、生き物の思念をぼんやりとした色や形に写し撮るという不思議なカメラとして。それがいつのまにかバラエティ番組に登場するようになって……ああ、そういえばオーラ・カメラを持ったタレント達が心霊スポットを訪れる番組があったけなぁ。


「お待たせいたしました」


 丁寧な物腰の男性が現れた。


「担当のタカムラです。よろしくお願いいたします」


 彼は深々と頭を下げ、着席する。


「よろしくお願いいたします」


 その後、彼はいくつかの注意点を説明する。


「まず最初にお断りしておきますが、私どもは『幽霊の写真を撮りに行く』のではございません。ご依頼者の方と深いつながりを持つ故人の方がこの世に残した痕跡をご一緒にお探しすることを目的としております。故人の方が写ることを望んでおられない場合もございますので、その点についてはご了承願えますでしょうか」


 そういえばパンフレットの最後に、オーラ・カメラに写したい故人自身が写ることを望んでいなかった場合、写らなかったり、写ったとしても超自然的な方法で拒否の意を表明することがあるみたいなこと書いてあった。撮影できたかどうかに関わらず支払った基本料金は還ってこないということも。

 撮影が空振りに終わった場合、決して安い金額ではなかったが、それでも行方不明という形での別離にずっと宙ぶらりんな気持ちで辛そうにしていた母を見ていたから、私はお願いすることにした。


「はい。お願いしたいのは父なんです。母にもう一度父の姿を見せてあげたいのです」


 それから何度かの打ち合わせの後、現地スタッフを紹介され、近くの街まで行き、防護服を着て……あれはもう二週間も前のことだったんだな。


 過ぎ去った時間はどれも等しく「過去」という名の箱の中に押し込められていて、まるで塊のように感じることがある。

 けれど、それらの「過去」を構成する一つ一つの記憶を丁寧に解いてみれば、「過去」なんていう乱暴な集まりなんかではなく、確かにあったいくつもの想い出が個々に姿を現し、その時々の些細な感情ですら甦らせることができたりする。そういう記憶の扉を開く鍵に、写真というものはなりやすい。記憶との縁をつなぐ手がかりに。


 この父の写った写真にも、失われてしまった過去とのつながりを強くする縁のようなものを感じていた。だからこの写真が母にとって辛い想いだけじゃなくきっとプラスになる何かをもたらすんじゃないかと信じて、業者さんから写真を受け取ったその足で母の病院へと向かった。

 

 写真を母のもとへ届けに来た時、母は眠っていた。私は母の枕元へとあの写真を置き「また明日来るね」と小さな声で伝えて病室を後にした……それがそのまま母との別れになった。看護士さんから連絡があったのは翌朝早くのこと。

 医師から言われていた余命よりも随分と短くて、心の準備をしていたつもりだったけれど、できてなんかいなかった。

 いや、こういうことってちゃんと出来るようなものでもないんだな。


 頭の中を整理できないままバタバタと親戚や母の知人への連絡やら葬儀の手配やら、でもそれで良かったのかもしれない。あまりにも忙し過ぎたからこそ、やるべきことに追い立てられていたからこそ、途中で変に無気力になったりせずに母の見送りの儀式をちゃんとやり遂げられたのかもしれない。

 いろんなことを終えて何日も過ぎた今になって、ようやく自分の記憶の塊をほぐすことが出来るゆとりを手に入れた。


 あの朝、急いで駆けつけて対面した母の寝顔はとても安らかだった。写真は枕元に置かれたままだったけれど……母は手に取ったのだろうか。手に取り写真を眺めた上での、安らかな表情だったのだろうか。母の反応を見たかった。昔みたいに明るく笑っただろうか。それとも余計なことしてなんて泣いただろうか。もう一度、聞きたかった……お母さん。


 ふと、父のことを思い出す。

 そう、動画データがある!


 写真と一緒に持ち帰ったディスクを取り出して、私はリビングのプレーヤーの電源を入れる。写真のもとになった録画データを記録用ディスクに移してもらったのだ。

 霊的なものというのは電子に近い存在らしくコピーが比較的容易なのだと業者さんは言っていた。感覚的には「位牌分け」のようなものなのらしい。

 父が写っていたのは確か三日目だったよね……プレーヤーにディスクをセットする。位牌分け、かぁ。そんなことを言われると、このディスク自体が位牌のように感じられてくるから不思議だ。

 再生が始まると、部屋の中を斜陽がまだ仄かに照らしていた。

 機材をセットしに行った日に見た部屋そのまま、夜の少し前。その後じんわりと暗くなってゆくが、カメラの性能が良いのか、灯りもないはずなのにかなり鮮明に写っている。しばらくはそのままの状態が続く。

 業者さんが言っていた時間まで早送りする……あ。画面の端から白い影が現れる。慌てて巻き戻してもう一度登場シーンから再生を繰り返す。

 白い影は静かに将棋盤を前にして座る……ああ、お父さん。いまね、「しっちょいさ」って聞こえたよ。お父さんが座る時にいつも言う言葉。視界が涙ににじむ中、パチッ、パチッ、と駒を打つ音まで聞こえてきて。私はタオルの中に顔をうずめて、お父さんの鳴らす音に耳を傾けていた。お父さんがすぐ近くに居るよ……あの頃みたいに……ほっとする……。


「ちょっと。そんなとこで寝たら風邪引くわよ」


 唐突に母の声が聞こえた。そっか、父の音を聞きながら寝たから夢に母まで出てきたのだな、そんなことをぼんやりと考えながら、もう少し、もう少しこのままで、と、私は答える。


「またそうやって二度寝するんでしょ。あんたは昔からいつもそう。ほら、起きて」


 いや、起きたらお母さんが消えちゃう。


「もう! 早く起きなさい!」


 母の大きな声。私は思わず目を開けた。


「こっちよ、こっち」


 反射的に声のする方を観る。つけっぱなしのTV画面に父の部屋が映っていて……あれ? 白い影が二つ?

「ごめんね。回復しないのはわかっていたし、入院代もバカにならないし、お父さんがお迎えにきてくれたのもあって……ちょっとフライングしてこっち来ちゃった」


 明るかった頃の母の口調そのまま……でも、フライングしてって。


「なんで話せるの?」


 お母さんに言いたいことはいっぱいあった。なのに、言いたいことが多すぎて頭の中で絡まって、口から出たのはそんな言葉だった。


「知らないわよ。お母さん、機械ダメって知ってるでしょ?」


 母の笑い声が聞こえる。私もつられてつい笑った。


「お祖母ちゃんやご先祖様も驚いているわよ。お仏壇よりも声が大きく聞こえるって。技術の進歩って本当にすごいのねぇ」


「すごいよね、すごいよね」


 そんな言葉しか出てこない自分の口が、頭の中が、とてももどかしく感じる。


「でもね」


 母の声が少し遠くなる。


「こうして声を送るのってけっこう大変なの。お父さんに手伝ってもらってもやっと……えーとね、水の中で息を止めている感じよ。あ、私たち息はもう止まっているんだけどね」


 母の笑い声も遠くなってゆく。私は慌ててボリュームをめいっぱいまで上げる。でも、声はぐんぐんと遠くなってゆく。


「聞こえない時だってね、いつも声援送っているのよ。またこん……」


 最後の「ど」という音が聞こえるか聞こえないか、くらいのタイミングで電気がブツンと消えた。TVもプレーヤーも照明も、部屋の中の電気全部。


 真っ暗闇の中で、母の声を、父の気配を、心の中で反芻する。そういえば私が大学に進学して一人暮らしをはじめた最初の夜も、母からの留守番電話はあんな風に途中で切れていたっけ。

 それなのにお母さんったら録音時間に制限があるとかわからなくて一時間以上ずっとしゃべっていたって言ってたなぁ。


 聞こえる声は途切れていたけれど、その向こう側では、聞こえなかった声もずっと響いていたんだなぁって。

 きっと今だって、お母さんもお父さんもお祖母ちゃんもお祖父ちゃんもそのまたお父さんやお母さんたち……ご先祖様たちみんなが、声を送ってくれているんだろな。

 私はその晩、父や母の「聞こえなかった声」に想いを巡らせながら、久しぶりにぐっすりと寝た。

 

 

 

 

 

-同封の解説書より-

 

 弊社が創立されたちょうど250年前、ドイツにてフリードリヒ・フォン・ハルデンベルクが生まれました。ペンネームの「ノヴァーリス」の方をご存知の方も多いかと思います。弊社の社名はこの小説家にして思想家にして詩人でもあるノヴァーリスの名前より頂戴いたしました。その彼の詩に、素晴らしい言葉があるのでご紹介いたします。

 

Alles Sichtbare haftet am Unsichtbaren - das Hoerbare am Unhoerbaren - das Fuehlbare am Unfuehlbaren. Viclleicht das Denkbare am Undenkbaren - .

「光についての論文」2120節より

 

 志村ふくみさんの日本語訳もあわせてご紹介いたします。

 

すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。

きこえるものは、きこえないものにさわっている。

感じられるものは、感じられないものにさわっている。

おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。

 

 日本で最初にオーラ・カメラによる故人撮影サービスをはじめた弊社には一つの信念がございます。亡くなられた方の姿だけではなくそのご意思をも映そうという信念でございます。

 記録媒体には、一見するとそこには何も映っていないかのように見えることもございます。しかし、このノヴァーリスの言葉のように、それでもそこに亡くなられた方がいらっしゃると信じていただきたいのです。オーラ・カメラは単なる道具に過ぎません。見えないものにつながる力は、ご依頼者さま、あなたご自身の中にあるのだと信じていただきたいのです。ご依頼者様の心の、感じられなかったとしてもそのすぐ隣に、亡くなられた方はいらっしゃるのです。目には見えなくとも、そこに絆は生前と同じように確かにあるのです。

 

株式会社 ノヴァーリス

 

 

 

 

 

<終>

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