第8話 繋げたい、奔走

あまりにも、あまりにも、不可思議な1か月だった。


クリード殿下から薔薇の紅茶をいただいてぐっすり眠ること1日くらい?

意識が戻ったと思えば、なんだか身体は軽いし半透明?

わたしの本当の名前が『メリアーシェ・ユーファステア』で、最後の試練の相手が自分自身であったことがクレアにバレて?


毎日毎日気絶しそうなほど眩しすぎる妖精の光に囲まれて。

毎日毎日『めいしーが見てる~!』『くりーどいる~!』『今日もくっしょんの天井ガチャ成功~!』とかいう声に包まれて。


サフィアン様がわたしに気づいてくださったことはとても嬉しかったし、魂だけの状態もそれなりに新鮮だったけれど、

今こうして地面に足をつけ歩いてみると、生きている実感は感慨深いものだった。




目覚めてすぐ、わたしは生家であるユーファステアの屋敷へ戻っていた。

本当はクリード殿下にひとこと申し上げたかったけど、きっと部屋に来ないから帰るぞとローレンスお兄さまに連れていかれてしまった。



「メイシィ、おかえり」

「ただいま戻りました。お父さま、お母さま」



不思議なほど変わっていない屋敷の中に、老年の雰囲気が漂い始めた両親。

すでに10年以上経っているとはいえ、またここに来ることになるとは思わなかった。

そして、侯爵夫妻に父と母と呼ぶ日がくることも。



「っ……」

「シシア、また泣くんじゃない」

「っええ、ごめんなさいあなた」


「お父さま、お母さま、わたし、どうしてもやりたいことがあるのです」



随分と大きすぎる遠回りをしてしまっている。わたしは若干焦っていた。


極国から帰ってすぐに『メリアーシェ』の試験に挑み、願いを叶えたかったのに、その相手のクリード殿下にしてやられるなんて誰が思うだろう?


この生家にだって、願いを叶えるため自らの足で来ようと思っていたのに。



「お父さま、わたしは」

「良いよ」

「……返事が早すぎない?」



まだ何をしたいか言ってもいないのに。

全てを理解しているお父さまは白髪交じりの髭でにんまりと弧を描いて笑った。

さすが兄姉妹きょうだいたちの数知れないわがままを叶えてきた偉大な侯爵、わかっていらっしゃる。



「あなたのおねだりを叶えないと思ったの?もう、わたしたちがそんなことするはずないでしょう?」

「……うん、ありがとう、お母さま」

「そうと決まれば、急がなければいけないわ!」



それじゃあとお母さまは侯爵夫人に合わない全力の走りで2階へ去っていく。慌てて追いかける侍従を連れて。

お父さまも早速準備しなければ、と後を追うように行ってしまった。もう良い歳なのに1段飛ばしで駆け上がる様は若々しい。


後ろを振り返れば、大切な兄姉妹きょうだいたちがこちらを見ていた。



「……試験、付き合ってくれてありがとう」

「私たちも同じよ、あなたのお願いに弱いんだから」



真っ先に反応してくれたのはサーシャお姉さまだった。



「最初に会ったとき、私たちみんなとてもよそよそしかったでしょう?

本当にごめんなさい。もう長いこと会ってなかったから、あまりに人並みに元気なあなたと、溺愛してるクリード殿下に動揺しちゃったのよ」

「ふふ」

「ふふふ」



思い返すだけで笑えてしまうわたしと兄姉妹きょうだいたちの最初の会話。

『初めまして』ではないのにあまりに酷かったぎこちなさは、これからもずっと、みんなで思い出しては笑い合うのだろう。



「さて可愛い可愛いメイシィ、私たち、もっと『お願い』がほしいわ~」



ナタリーお姉さまが上機嫌で後ろから抱き着いてきた。

背が高く筋肉質な腕にぎゅうぎゅうにされながら、わたしは声を絞り出す。



「お会いしたい方がいらっしゃるの、連絡を取ってほしいな?」





――――――――――――――――――――――




「やぁ~~~~~……メイシィ~~~~~~~……」

「ラジアン殿下、我が家の屋敷までご足労いただき感謝申し上げま……大丈夫ですか?」



わたしはまず、ラジアン殿下との面会をお願いした。

まさか翌日に叶うとは思わなくて、白衣を着た薬師の恰好のまま客間にお出迎えしている。

わざわざユーファステアのお屋敷までいらっしゃったことも意外だったけれど、ラジアン殿下の溶けそうなご様子を見て異常事態を察する。



「とりあえずおかけになってください。そのご様子は、もしやこちらへお越しいただいた理由でしょうか?」

「ウン……僕……クリードニ嫌ワレチャッタ、無視サレテル、ツライ」



気まずくて城にいられなくなったらしい。

原因となった、わたしが戻る前の兄弟のやりとりをかいつまんで説明してくださった。



「ラジアン殿下が悪いです」

「うっ」



あっ、正直に言っちゃった。



「本音半分、焚きつけたかった気持ち半分といったところでしょうか?」

「うん……彼がいつまで経っても君への祈りを迷うから、思い切り背中を叩いてやろうと思ったんだ。けれど……困った顔をするクリードがあまりに可愛くて言い過ぎた」

「気持ちはわかりますが……タイミングも、言葉も、すべて見事に間違われてしまいましたね……」



クリード殿下、だいぶ困った状況になっているみたいだ。

完全にわたしとの未来を諦めている。

単純にわたしの気持ちを打ち明けただけでは、もうどうにもならない事態に陥っていると言ってもいい。

これはちゃんと言葉を考えて伝えないと、大変なことになりそう。



「クリード殿下のお心があまり良くない状況のようですが……妖精の暴走はいかがでしょうか?」

「なぜかそんなに大きな被害はないんだ。妖精が反応できないほど気持ちが深みにいるのかもしれないね。

にしてもあの侍従、クレアだっけ?あの子凄いね。暴走しそうになる度にうまいこと感情を発散させてくれているよ」

「そうでしたか……よかったです」

「君の学生時代の記録本アルバム、大活躍らしい」



ちょっと待って何のこと?

いつクレアに渡した?

いつ??


思わず目の前の王太子に問い詰めたくなったけど、ここは我慢。おそらくこの方は関わっていない。

混乱しているのがわかりやすかったのか、ラジアン殿下はようやく楽しそうな笑顔を見せた。

外聞とはずいぶん違うけれど、きっとこの方は笑顔の方がずっと自然体で似合っていらっしゃる。



「それで?君が僕に用事があると聞いたけど、何かな?」



お互いにひとくち紅茶を飲んで、柔らかい雰囲気が締まるのを感じた。

太陽が雲に覆われて日差しを失う客間、部屋の灯だけがわたしたちを照らしている。



「この『1級魔法薬師試験』の件と、お願いがあって殿下にお時間を頂戴しました。


まず単刀直入にお伺いしますが、1級魔法薬師試験を計画したのは、陛下ではなく、ラジアン殿下でいらっしゃいますね?」


「ほう、理由は?」



殿下の青い瞳が細められて、人を試すような表情をされた。

それだけなのに身体が縮こまって口が固まってしまいそうな圧を感じる。

側近のローレンスお兄さまも最初はこの圧に耐えていらっしゃったのだろうか。

為政者の底知れない恐ろしさを感じつつ、わたしは負けじと口を開く。



「クリード殿下にわたしをためです」

「……ずいぶんと話が飛躍したじゃないか。これは君の試験なのにどうして部外者を狙ったと思う?」

「わたしの『1級魔法薬師試験』は隠れ蓑にすぎなかったのです。殿下はこの試験を使って、煮え切らないクリード殿下を追い詰めるつもりだったのです」

「ほう、この僕が家族を何より大切にしていることは知っているはず。その僕が弟を追い詰めるなんて随分な言い方じゃないか。


知っているかい?王族に対する侮辱罪は適用される。

片腕を切り落としたことはあるけれど、両足の腱はまだないなあ、メイシィ嬢?」

「っ!」



ぞわりと背筋に激しい悪寒が走った。頭がぐらぐらする。

けれど……負けるわけにはいかない!

わたしのために、クリード殿下のために。


そして、目の前に座るあなたのために!



「一般国民階級の人間が1級魔法薬師になれば、一代貴族の爵位をじょされます。

ただし爵位は男爵で、王族との地位が釣り合わないどころか他家の養子になれなくなるから結婚は厳しくなると、以前殿下はおっしゃいました」

「ああ」

「つまりわたしが1級魔法薬師になれば、クリード殿下はわたしを手に入れることは困難になります。

ですが、弟を愛するラジアン殿下はわたしと結ばれてほしかった。

だから、試験の対象にわたしの実の家族、ユーファステア侯爵家に目をつけたのです」



試験を手伝う名目でクリード殿下はユーファステア侯爵家の人々と面識を持つことになる。

わたしが試験に右往左往している間に、クリード殿下へ彼らと婚姻の交渉を行う場を用意する。

外堀を埋めるには十分すぎる時間。

実際に、サーシャお姉さまは別れる寸前、『クリードを応援するわ』と言っていた。



「正直、わたしに有利な試験を与えつつ、合格させるつもりはなかったのではないですか?」

「……」

「なんの実績もなくポンと爵位を与えて婚姻させるのはさすがにできません。

クリード殿下がわたしの心を動かして、ユーファステア侯爵家に戻ることを狙ったのです。

途中で諦めても良い、『メリアーシェ』の願いとしてわたし自身に選ばせても良いでしょう。


ただ、わたしが1級魔法薬師を諦めなかった最悪の事態を選んだときの対策が必要だった。

それがあの『離別薬』だったのです」



ラジアン殿下の冷酷な一面はここにある。

きっとこの方は、人に対して情はあっても甘さはない。

とても不快だけれど、クリード殿下がわたしを手に入れるとき、わたしがどうなっていたとしても彼が満足していれば良いと思っていたんだ。



「わたしが最後メリアーシェの試験を突破する前に、ラジアン殿下がわたしに『離別薬』を使うつもりでしたね?」

「……はは!ご名答だ」

「クリード殿下への想いを植え付け、副症状による体調不良を理由に実家へ戻す。もっとも確実な方法です。


でも、まさか予備で渡しておいたクリード殿下が使うとは思わなかったのですよね、ラジアン殿下?

そして最大のチャンスをクリード殿下が捨ててしまい、最悪な結末となったのでしょう?」

「……はは、ご名答だ……」



王太子は姿勢を崩して顔を手で覆うと、隙間から声を漏らして唸った。



「失うわけにはいかなかったんだ。君という奇跡を、手放すわけにはいかなかった」

「……」

「弟は、クリードは、生まれた時から孤独な人生を強いられてきた。

城の中から出られず、国どころか世界中から監視され、人らしく生きることすら許されない運命にあった彼に、僕は何もしてやれなかった。


そんな彼が出会った君という奇跡を、失うわけにはいかなかった。


ようやく僕が弟にしてやれることが見つかったと思ったんだ」



そうして仕組んだ未来は思い通りの展開にならなかった。

薬を飲んだわたしが治ってしまって全容も暴かれ崩壊した。


自分が余計なことをして、大切な弟の人生をさらに狂わせてしまったとひどく後悔しているのだろう。



「メイシィ、悪かったよ。薬を飲ませた罪は、僕にある。

ずっと僕を恨んでくれて構わない。

そんな僕が君に願うのはふざけた話に違いないけれど……。

これからもどうか、ほんの少しで良いから、クリードの良き友人であってほしい」

「ラジアン殿下……」



その言葉に、わたしは大きく息を吸った。



「殿下まで諦めるのですか?」

「……え?」

「わたしは諦めてないのに」

「ええ?」

「殿下の弟に対する愛情はこんなものではないはずです。

だって、あなたは弟のためなら人の腕すら切り落とす方なのですから」



ラジアン王太子。

そう声をかけると不思議そうな表情がこちらを覗いていた。



「わたしならここから最高の結末にひっくり返せます、と言ったら、どうしますか?」

「え……君、まさか」


「殿下のお力添えが必要なのです。

2つだけ、お願いごとを叶えていただけませんか?」



太陽を覆っていた雲が流れていったらしい。

窓からの日差しが、わたしたちの間を照らし、やがて部屋中に広がっていった。

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