第10話 滲んだ苦しみが産む決意
一瞬の出来事だった。
目を開けば周りは火の海に様変わりしていて、天井の
置きっぱなしだった器具はすべて瓦礫の下、さっきまで横になっていたベッドは瓦礫となっていた。
「くうっ……」
皇子様はわたしの左腕の中にいた。
右手に顕現させた杖は無事に円形のバリアを展開していて、落ちてきた梁をはじき返して炎を遮断してくれている。
ただ、爆風で飛ばされたわたしの右足は、鋭利に裂けた木材をかすめて出血していた。
「めいし!血、けが!」
「大丈夫です、皇子様。痛いところあありませんか?」
「ない、ないよぅ!」
背中をぽんぽんと叩いてあやしつつ、周りの状況を把握しようと試みるけれど、穴の開いた天井以外は暗闇にちらつく炎だけ、まるで窯焼き状態だ。
魔力がどんどん消費されていく。外部から消火しない限り自力で脱出は不可能だろうな。
「ご安心を、皇子様。わたしが守ります!」
無駄な魔力を使っていられない。
わたしは古ぼけた白い杖の幻覚を解き、本来の姿に戻した。
白い柄の先に宝石の原石のような石が現れ、その周りに生い茂った蔦が支えている姿。
ある境地に達した魔術師は心を示した杖を生み出す。
あまりに豪勢な姿にわたしはずっと魔法でひた隠しにしてきた。
より強固に展開したバリアで気持ちを落ち着かせながら、わたしは冷静に状況を見極めることにした。
爆発による火災。誰かがわたしの部屋を吹っ飛ばしたんだ。
火の勢いが強いところをみると、あらかじめ何か燃えるものを撒いていたのだろう。
ツンとした匂いは間違いなくそれが原因だったんだろう。
皇子様だけでも逃がしてみせる。
一瞬の隙を捕らえるため、わたしは炎の中で目を凝らした。
―――――――――――――――――
「
「落ち着いてください、
少しすると外の声がわずかに聞こえてきた。
名前を呼ばれたことに気づいた皇子様が、泣き腫らした顔を上げる。
「おかあさま?」
「そのようですね」
火の勢いは少しだけ弱まっていた。
でも、部屋中が火の海で渡れそうにない状態であることは変わりない。
ただこれだけしっかりと声が聞こえてくるとなると、わたしの部屋だった場所から外に出さえすれば、何とかなるかもしれない。
ふいに、頭上から大きな梁が次々に落ちてきた。
轟音と共に魔法のバリアが防いだものの、衝撃でわたしの右足が悲鳴をあげる。
火の勢いが収まったものの、視界が完全に覆われてしまった。
「うっ……!」
痛い。出血が多すぎてくらくらしてくる。
窯焼きから蒸し焼きか……困った。さすがにもう持たない。
「手に入らぬのなら、神話のごとく黒く染まるがいいさ」
「……!」
やっぱりあの方の仕業か!なんてことを……!
ユリリアンナ様の怒りの悲鳴が聞こえた。何を言っているかはわからない。
わからないけれど、必死に助けようとしてくれている。
「皇子様!ここから外に出られそうな穴を探してください!」
「あな?」
「ええ、まずあなたが先にここから出るのです!」
「いや、いやだ!めいしーは?めいしーはどうなるの!?」
「わたしは皇子様が無事に出られたら後に続きます。大丈夫ですよ」
「ほんとうに?嘘じゃない?」
「ええ、本当に」
残された左腕でギュッと抱きしめれば、鼻をすする音が聞こえた。
柔らかい頬は煤だらけで、真っ赤になっている。
「あっち!」
どうやらわたしの背後、見えないところに穴を見つけたらしい。
「外の景色が見えますか?」
「うん、楽晴がこっちを見てる!」
「わかりました。では皇子様。魔力の感覚を思い出してください」
「いま?」
「ええ、いまです」
右腕が震えだした。でも、ここで力尽きるわけにはいかない!
「今から皇子様に、すごい魔法をかけてあげます」
「まほう?」
「はい、どんなに熱いところでも走れる魔法です。
これで、楽晴様のところまで走ってください」
「こわいよ……」
「大丈夫。勇気が出るおまじないもかけてあげます」
「ほんとう?」
「ええ、皇子様が魔力をちゃんと感じられるなら、あっという間に出られますよ」
「……わかった」
「合図をしたら、走るんです」
杖を両手で握り、バリアの魔法を維持しながら詠唱を行う。
水の魔法、熱さを軽減し、火を跳ね返す範囲魔法。起点は緑青皇子、青蘭様。
急激な魔力の減りを感じて膝が震える。でも。
「走って!!」
「わああああああああ!!」
背後に向かった小さくて濃密な魔力の気配。
遠ざかっていく、わたしの魔力を乗せて。
やがて遠くで気配が止まったのを確認して、わたしは膝をついた。
よかっ、た。
――――――――――――――――
「なんてことをしてくれたの!!
目が開かない。座ったままバリアを展開するだけで精いっぱいだ。
声が聞こえる。視界を閉じているから余計に届くのだろう。
「消火はまだなの!?」
「申し訳ございません、緑青妃。今は延焼を防ぐ処置をしております!」
「どうして!?中にメイシィが残っているのよ!?」
「ですが、延焼の阻止を優先しませんと……!」
ああ、そうか。であればこちらは消耗戦か。
かなり分が悪い、どうしようもない負け戦。
ここで終わってしまうのだろうか。
ようやく、彼に伝えたいことができたのに。
「……私が、私が魔法を使えたらよかったのに……!!」
彼はきっととても悲しむのだろうな。
泣いてしまうのだろう。そんなこと、望んでなんかいないのに。
「……いや、違うわ!使えたらじゃない!使うのよ!!」
ユリリアンナ様が教えてくださったのに。
クリード殿下との未来。魔法薬師としての未来。
『どっちも叶えようとしたっていいじゃない』と。
「メイシィ!!聞こえてる!?
諦めちゃダメ、私が助けるんだから!!」
「……!」
そうだ。
どっちも叶えていいんだ。
それなら、今、死ぬわけにはいかない!!
「極国を守りし神の子、青龍よ。
我が魔力に宿り、愛する子を救いし道標となれ。
大地にもたらす雨となりて、その身を降ろせ!」
地面が強く揺れだした。
片膝を立てていたわたしは、足のケガが広がらないように地面にへたり込むと、杖を膝の間に立てる。
最後の力を振り絞りバリアを強化すると、希望の衝撃に耐えるべく、祈るように瞼を閉じた。
あまりに激しい水の音。
本で見た荘厳な蛇の姿を思い出したのは、なぜだろう。
やがてずぶぬれで重たくなった身体に耐え切れず、わたしの意識は遠のいていった。
―――――――――――――――――
瞼の向こうから、ちらつく光。
自分の意識が浮き上がるのを感じて、なんとか重たいそれを上げてみれば、知らない天井が見えた。
暗くて、何か複雑な模様が見える気がする。
明るい方へ首を傾ければ、開かれたカーテンの向こう、窓の外を覗いているのに室内が見える。
不思議な光景が広がっていた。
「あら、あらあらあらあら!メイシィ!?」
視界の外から声がしてそちらを向いてみれば、見知った顔が見えた。
「楽晴、さん……?」
「目が覚めたのね?私はわかるようだけれど、何があったか覚えてる?
あなた!ユリリアンナ様をお呼びして、早く!」
「爆発が……火が……皇子様は……?」
「無事よ。怪我人はあなただけ」
「よかった……」
瞼が重い。睡魔に勝てなくてわたしはもう一度暗い世界へ戻っていった。
次に目が覚めたのは、空が赤色のころだった。
布が擦れる音がしてまた首を傾ければ、茶色い髪と木材のいい匂いがする。
「ユリリアンナ様……?」
「! メイシィ、起きたのね?」
傍にいてくださったのか。ぼーっとしながらも脳裏にふわっと申し訳ない気持ちが生まれる。
緑青色の瞳からぽろぽろと流れる涙を拭いたいけれど、重い腕では届かない。
「起き上がれるかしら?何か飲んだ方がいいわ」
「ありがとうございます……」
取っ手のないティーカップに水が入ったものを渡される。
ふわふわした気持ちで流し込むと、冷たさで徐々に覚醒していく感覚がした。
「ふう……ユリリアンナ様、ご心配をおかけして申し訳ありません」
「謝るのはこちらの方だわ!まさか、こんなことになるなんて……」
楽晴さんや他の侍女たちがこぞってわたしのところへ集まってきた。
涙を流して喜んでいる人もいる。もう一度謝ってみれば、一斉にがやがやと否定の言葉が並べられた。
「すべては
「そうよ、メイシィはなーんにも悪くないんだから!」
国の為政者と言い合いになってどこかで爆発……うーん、どこかかなり前に聞いたことがあるような。
少なくとも、今回よりましな記憶だった気がする。
「皇子様のご様子はいかがですか?お心が傷ついたりとかは……」
「それなら安心なさい」
ユリリアンナ様を含めてみなさんが急にくすくす笑い始めた。
長い袖で口元を隠して、上品に。
「メイシィに守られてなにもできなかったのが悔しかったみたい。急に剣と魔法の勉強をするって外を走り回っているわ」
「え?」
「おかげで侍女がついていけなくて、武官に護衛をお願いしているのよ、ふふ」
よかった。お元気そうならそれで十分だ。
わたしが持ち込んだ荷物はみんな消失してしまっただろうけれど、命が助かったなら最良の結果だったと思う。
さて、メイシィさんは何か食べて休みましょうね。
楽晴さんの一言で、ユリリアンナ様を含めてみんな連れていかれてしまった。
誰もいなくなった部屋で、わたしはゆっくりと身体を横にする。
重い身体はうまく動かず、枕元の何かに手が当たった。
顔を向けてみれば、見慣れた梅の花のかんざしがあった。
あの方がくれた大切な物。
爆発の時にも頭につけていたそれは、少し黒ずんでいるものの、形を保ったまま生き延びたらしい。
思わず、くすくすと枯れた喉から笑いが漏れた。
ああ、生きていられた。彼に会える。
また墓場までもっていかなきゃいけないものが増えちゃったけど。
それから3日後。
すっかり魔法が使えるようになったユリリアンナ様のおかげで、足は驚異の速さで完治し、自分で作った薬はあっという間に枯渇した魔力を満たしてくれた。
そして、わたしの回復を聞きつけた
明日、ついにわたしは
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