第5話 憂う心に長女は微笑む
ユリリアンナ・
ミリステア魔王国に保管されている家系図に記載された彼女の名前だ。
ユーファステア侯爵家で生まれた最初の子どもで、15年前に極国へ嫁いだ稀有な経歴を持っている。
幼少期から魔法、剣術、勉学、芸術まで幅広く才能を発揮しており、受賞経験も数多く、あのラジアン王太子を凌ぐ能力と美貌は、次期王妃の最有力候補だったという。
弟のローレンス様曰く、強い意志を持ち頑固な一面もあるけれど、その場にいるだけで場に陽射しが入るような明るく気さくな性格をされているという。
「改めて、よくぞ遠路はるばる極国へ来てくれたわね……メイシィ」
「お会いできて光栄でございます。ユリリアンナ様」
わたしとかなり歳が離れているはずなのに、そのお姿はとても若々しい。
明るい茶色の髪はたくさんの装飾品でまとめられ、柔らかそうで美しい。
その名の通りの青のような緑のような不思議な目の色は、こちらを暖かく見つめていて、ナタリー様やサーシャ様を思い出す。
でも、
「あなたが来てくれて本当に嬉しい……」
声に覇気がなく、ローレンス様がおっしゃっていたほど明るさを感じないのはなぜだろう。
おふたりの妹と比べて、瞳に映る光が弱いような。
事前に人となりを聞いていなければ、大人しくお淑やかな女性という印象が強い。
「どうぞ座って。
「ええ、すぐにお持ちします」
ユリリアンナ様の手に従って、わたしは木製の長い椅子に腰かけた。
この国は全体的に木材と金属で組み合わされた家具が多いように見える。
それだけじゃない。人の手で作られたとは思えないほど均衡のとれた美しい磁器がそこかしこに置かれていて、どこかで見たことがあるような花が顔を出している。
豊かな森林を持ち鋳造技術や装飾技術が発達しているのかもしれない、詳しいことは専門家ではないからわからないけれど。
なんて考察していると、小さくて取っ手のない器が目の前に置かれた。
「極国では紅茶ではなく緑茶を良く飲むの。熱いから持ち方に気をつけてね」
「はい、頂戴します」
ミロクさんに教わった通りにお茶をいただく。まだ指先に広がる熱さには慣れない。
けれど、ユリリアンナ様はその様子をみて微笑み、安心したように頷いた。
「早速だけれど……あなたをこの国へ呼んだ理由とお願いしたいことを伝えさせてもらうわ」
「はい、お願いいたします」
楽晴様がユリリアンナ様の後ろに立ち、にこりと笑う。
それに対してユリリアンナ様は変わらず影を落とした瞳で、口角を上げただけの力のない表情を浮かべていた。
「私の子、
「……魔脈閉塞ですか?」
ミリステアどころか世界中で確認されている、子どもと老齢の方によくある症状のことだ。
「魔力を持つヒトは血管のように自身の魔力が身体を循環しているわ。でも身体のどこかで魔力の通り道が狭くなったり塞がってしまうと、うまく循環できなくなって体調不良や魔法の暴走を引き起こすでしょう?」
「おっしゃる通りでございます。通常は魔術師の力を借りて、意図的に多くの魔力を身体に流し通り道を広げることで完治いたします」
「……極国ではそれができる方がいないの」
「いない、ですか!?」
この症状は、実は腹痛や頭痛くらい身近なもので、家族に魔力を流してもらうだけで簡単に治る。
なのにこの国にはそれすらできないなんて、どういうことなのだろう?
「この国ではそもそも魔力を持って生まれる子が少ないの……生まれたとしても魔術師――この国では
「ユリリアンナ様が直接皇子様を治して差し上げられないのですか?」
わたしのその言葉に、ユリリアンナ様の返事が詰まった。
口を開いて、閉じて、また開こうとするけれど言いづらいのか声が出ない。
見る見るうちに悲壮感漂う表情になり、天才とは程遠い、涙をこらえて威厳も何もない弱弱しいお姿になってしまった。
気配を察したのか、後ろにいる楽晴さんが声を上げる。
「ユリリアンナ様は、魔法が使えなくなってしまったのよ」
「え、魔法が……ですか?」
ユーファステア侯爵家の孫たちは一様に魔力量が多く魔術師顔負けの技術を持っている。
それは妖精使いの血筋の者特有と言われているのだけれど、その筆頭のユリリアンナ様が使えなくなってしまったなんて。
正直かなり驚きだ。本当に聞いていた性格と違う。
魔法が使えなくなるのは魔力を失うか精神的な問題のどちらか。
魔力はユリリアンナ様ご自身から存分に感じ取れるので、理由は後者だろう。
極国に嫁いでから、いったい何があったのだろうか。
「……そうですか」
初対面でずかずかと聞くわけにもいかず、わたしはそのまま言葉を受け取ることにした。
「それでしたら、わたしが魔力安定剤を調合しつつ、皇子様へ魔力をお流しし治療を試みます」
「ああ、ありがとう、本当に嬉しい」
「皇子様の『
「もう1年になるわ」
「かしこまりました。それでしたらしばらく時間をかけて治していきましょう」
ユリリアンナ様は瞳を輝かせてわたしを見ていた。
その湿った瞳からはようやく希望が見えたと歓喜している様子がうかがえる。それほど母としての心配が重荷になっていたのだろうか。
「安心したら……疲れてしまったわ。楽晴、私は休むからこの子をお願い」
「はい、ユリリアンナ様。ゆっくりおやすみください」
わたしは素早く立ち上がって一礼する。確かに妙に顔色が悪い。
魔法薬師として体調不良の相手を引き留めるほどの度胸はない。
ユリリアンナ様の微笑みに見送られ、わたしと楽晴さんは早々に部屋をあとにした。
――――――――――――――
「メイシィのお部屋はこちらね。洋服はここに入れてあるわ、荷物はここに」
「ありがとうございます。運び込んでくださったのですね」
「ええ、みんな中身が気になってそわそわしていたわ、ふふ」
案内された自室は白く固い床に木材と金属で作られた簡素なものだった。
ベッドは固く、寝るときは外套を身体にかけて眠るのだと楽晴様が説明してくれる。
聞く前に知りたいことをどんどん答えてくださるので、不思議に思って聞いてみれば笑われた。
「ユリリアンナ様が初めていらっしゃったときのことを思い出せば、簡単な話よ!
あの頃は冒険をしに来た子供のような顔でたくさん質問をしていらっしゃったもの」
「……あの、楽晴さん」
「ええ、何かしら」
わたしはユリリアンナ様とお話しした時の違和感を伝えてみることにした。
「ユリリアンナ様のご様子なのですが、渡航前に聞いていた話とずいぶん異なるような気がするのです。あまりお元気でないように見受けられます。
特に魔法が使えないとなると相当な状態なのではないかと、心配です」
「……ええ、そうね。確かにユリリアンナ様は皇子様をお産みになってから少しずつ変わられたわ」
違和感は間違ってなかったらしい。楽晴さんの顔が曇った。
「そもそも『
多くの貴族の娘たちがここで皇子様や公主様を産み、次期天帝にすることで家の格を上げるのが目的なの」
「格、ですか?」
「ええ、子が生まれれば自身の血の価値が上がり、政治的にも経済的にも多くの利益が生まれる。
この国の貴族たちは常に熾烈な争いをしていてね、この宮では女性たちが担っているのよ」
どの国も、貴族は自分たちの利益と国のために争いを繰り広げている。
この国も同様、しかも女性たちも強い影響力を持っているみたいだ。
「後ろ盾のないユリリアンナ様が皇子様をお産みになれたのは奇跡よ。まさに愛の力ね。
でも、国民にとって緑青皇子様は外人の血が入った子。正直、あまりお立場は安定していらっしゃらないわ。
この国で居場所を作り、守り、生きていくためにユリリアンナ様は心を削りすぎてしまった」
楽晴さんはそう言うと、わたしの部屋の窓に手をかけ大きく開いた。
廊下越しに見える景色は庭でもなければ空でもないけれど、ふわりと暖かな風が頬をかすめる。
「ユリリアンナ様は『
それは、薬では治せない病。
ミリステアでは『ホームシック』と呼ばれる心の状態を指す言葉だった。
「ねえ、メイシィ。あなたは薬師としてこの国に来てくださったけれど、もし協力してくれるなら、ほんの少しでも良いから、
ユリリアンナ様の心も救ってくださらないかしら?」
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