第11話 壮竜は幼竜のおもちゃ
「これは……」
朝食後、事態を把握したいというクリード殿下の要望を叶えるために、とある場所へ連れてきた。
殿下は部屋に入るなり言葉を失っている。
暗色で上品だったナタリー様の部屋は、あらゆる布が裂かれ、ベッドは足を失い大きく傾き、もはやどこにあったのかわからない木材がぶら下がっている。
卵を置いていた窓際はもはや窓際などではなく、
「穴が開いてるね……穴と言うより、一面くりぬかれてると言った方がいいのかな」
「昨晩呼ばれたときは……まだ窓はあったのですが……」
昨晩、殿下を寝かしつけた後、卵が無事に孵ったとザルンさんから連絡があったのだ。
だけれど、生まれた子によって今も屋敷中が大騒ぎの状態。
ほんの数時間でかなり悪化しているこの状況に、わたしまで言葉を失ってしまった。
どこまで壁がえぐれているのか見に外へ近づこうとすると、素早くクリード殿下の手がわたしの肩を捕えた。
「床が落ちる可能性がある。危険だから行かないで、メイシィ」
「あ、はい」
「ダグラス殿とナタリー夫人の子供が生まれたってことだろう?彼らは今どこに?」
「おそらく裏庭にいらっしゃるのではないでしょうか。広いところが良いとかなんとか……。ドラゴンのことは竜人族とレヴェラント家のみなさまにおまかせしているので、詳しくはわかりません……」
「……メイシィ。君、寝不足だね?」
「あ……」
すっかりわたしに触れることに抵抗を失ってしまった殿下の指先が、わたしの目の下に触れる。
恥ずかしい!
顔を背けようとするけれど、もう一方の片手がちゃっかりと頬を包んでいるのでうまくいかない。
やがてわたしの両頬を大きな手で覆うと、クリード殿下は大きく息を吸った。
これは……これは、これはこれはアレだ!!
久々の暗い色の瞳に冷汗が噴き出た。
「悔しい。僕がぐっすりと眠ってしまっている間、君は眠れなかったんだね。なんて僕は不甲斐ないんだ!あんな恐ろしい経験をさせてしまったのに僕はのうのうと昼まで寝てしまっていただなんて。ごめんねメイシィ、本当は君がゆっくり眠れるまで傍で手を握っているべきだったんだ!いや、添い寝だ。添い寝すべきだった。添い寝したい!僕はそこまで体温は高くないけど抱きしめれば少しくらいは君に」
「違いますちゃんとぐっすりでした確かに2時間しか眠れてませんが昨晩このようなことになってから傷薬を作っていたのです!」
「傷薬?」
「ええ、ナタリー様用の塗り薬です。この状況で察してしまうと思いますが……その、お子様が随分やんちゃで、生傷が絶えない状態でして……」
「ナタリーが?すぐに裏庭に行こう」
「はい。そうしましょう」
わたしの言葉で暗い気持ちが紛れたらしい。
今度はナタリー様をひどく心配するクリード殿下は、すぐに案内してほしいと言わんばかりに勝手に部屋の出口まで歩き出す。
確か裏庭は一度1階に戻らないといけない構造だったはず。わたしは小走りで追い越すと扉を開こうとドアノブを掴んだ。
「あ」
ぐらりと揺れて、大きな音をたてて、扉だったものは向こうに倒れてしまった。
わたしが壊したんじゃないよね?弁償を求められませんように……。
慌てたクリード殿下によって右手を掴まれるや否や、治癒魔法をかけ始める。
わざわざ後ろから抱き締める体勢で。
必死な殿下は自分が何をしているか気づかない。
更に甘え甘やかしが進んでしまった事態に気づき、わたしは心の中でため息をついた。
――――――――――――――
「これは……」
「ガラム様ですね」
裏庭への扉を開こうとしたら、向こう側になにかひっかかりがあって動かなかった。
ふたりで押してなんとか扉を開いてみれば、その原因が地面に落ちているガラム様であったことに気がつく。
白目をむいて気絶している。
怪我はないようだけれど、纏っている服はナタリー様の部屋のように切り刻まれていた。
確かクリード殿下との面会が禁止され謹慎することになったのだけれど、この事態により人手が必要になったとか。
思わずクリード殿下の様子を伺ったけれど、どうやら特に嫌な感情はないようで不思議そうに眺めたり肩を叩いたりしていた。
それから、ガラム様が全く目覚めないので放置することを決めたわたしたちは中庭に入った。
初めてレヴェラント家に来た際に案内いただいたときは、真っ白なレンガで舗装された道や噴水、紫の花が咲き誇る美しい庭園だった。
今となってはどこもかしこも傷だらけ、花に至っては紫色が床に散らばっているような状態だ。
「服といい地面の傷といい、花の落ちた方といい、どれも鋭利な刃物で切れたような傷に見えますね」
「そうだね。この魔力……風の魔法じゃないかと思う」
「魔力を感じるのですか?」
「ああ、わずかだけれど感じるよ」
魔力の感度は、体質的に敏感か、もともとの魔力量が多く感じ取れる範囲が広いかの2択。
改めて殿下の魔力量に驚く。
ちなみに殿下が妖精を暴走させると濃度の高い魔力がまき散らされるので、わたしでも良くわかる。
「メイシィ、あれ、ナタリーじゃないか?」
「え?」
いつのまにか移動していた殿下は角を曲がった先でこちらを見ていた。
小走りで近づき顔を出せば、確かにナタリー様とダグラス様、そして深緑色の小竜がいた。
「ギャアアア」
「ニージャ!落ち着くんだ!……ぐわっ!!」
ダグラス様が吹っ飛んでいった。綺麗な弧を描いた身体は、花壇の草にすっぽりと埋まっていく。
反対側にいる小竜はおそらく卵から孵った子供だろう。ミリスハトくらいの大きさだろうか。
立派な翼と牙、大きな瞳。生まれて間もないのに迫力はドラゴンそのものだ。
父親を吹っ飛ばしたのはそのニージャ様で間違いないようだった。
すでに空中に停止できるほど飛行能力が備わっているのなら、人ひとり吹き飛ばすのは造作もないのだろう。
「きゃああ!なんてかわいいの我が息子!」
「ギャアアア」
ナタリー様のお召し物もガラム様ほどではないが切り刻まれていた。
でもとても嬉しそうな表情でニージャ様に近づこうとしている。
そんな母親にも翼を広げて風を生み出すけれど、
「まあ、なんてかわいい風!」
「ギャア!?」
煙を払うように片手でいなすナタリー様。
その風の刃はあっという間に霧散していった。
かわいい……風……?
クリード殿下を見上げると、口角を上げながらもとても困った顔をしていた。
笑いをこらえている表情にも見える。自室以外の場所で感情をわかりやすく出すなんてとても珍しい。
わたしの視線に気づいて、今度は恥ずかしそうに頬を染めた。
なぜ今。
そんなにわたしは変な表情をしていたのかな。
「私の記憶を元にした推測だけれど。あのドラゴンの風は生まれてすぐ操れるものじゃないよ。まるで風の精霊の加護を受けたみた……いだ……」
「……風の精霊の加護ですか?」
「……うん」
クリード殿下は急に語尾を小さくしてそっぽを向いてしまった。
目線をあわせたくないほど何か気まずいものを察してしまったかのように。
なぜだろう。と思っていると、ふと昨晩の会話を思い出した。
――――ご本人に自覚はないだろうけれどね。『願って』くださったんだよ。友人であるナタリーには私と幸せになってほしいのだと、そう言ってくださった。
殿下のお心は妖精を動かす。それは絶望や悲しみの想いばかりじゃない。
温かい願いだって同じなんだと気づいたよ。不思議なほど勇気がいて来たんだからね。
ダグラス様のお言葉通りなら、殿下の願いは良い感情でも妖精が動く。
最近殿下が想いを込めて言葉を口にされたのは、確か。
「もしかして、ニージャ様が卵のころに声をかけたのが……」
「『どうか雄大で自由な空を駆けまわり、多くの人々に愛される子でありますように』……空を駆けまわる、この言葉が原因かもしれない」
なんということだ。殿下、言わば『祈り』の力まで習得されていたのか。
「で、でも、なんでも祈れば叶うわけじゃない!妖精使いじゃないのに僕にも他人と妖精の間に契約を結べるとは思わなかったんだよ。
だってよく考えて?」
クリード殿下は突然わたしの両肩に手を置いた。
殿下の執務室にほぼふたりきりならまだしも、異国で強引に触れてくるのは珍しい。
何だろうと上目遣いでクリード殿下を見つめれば、顔を赤くした彼がいた。
「もし叶うなら……その……とっくにメイシィの愛も……僕の……僕のものじゃないか!」
「そうですね」
「……返事が……早いな」
あれ?クリード殿下が急にショックを受けてしおれてしまった。
何か変なこと言ったかな?もう少し照れた方がよかった……?
いや無理、だってここ外だもん。
「もう少し意識してくれたっていいじゃないか」
「え?殿下?」
どうしよう。殿下が拗ねちゃった。
おろおろしていると、突然背後から声がした。
「まったく、愛する人を不機嫌で振り回すのは人間としてどうかと思わないかい?」
リアム殿下だった。服装を見るに風の魔法の被害は受けてないらしい。
ガラム殿面白かったね、と挨拶をそこそこにわたしに声をかけてくる。
「……わかっております。わかってはいますが……」
一方クリード殿下はもごもごと口答えをしていた。
「無防備に近づいてきて必死に甘やかしてくる姿が……見事に罠に引っかかる感じがとても良くて……」
「それは………………………………悪くないな」
……あれ?
「初めて俺のコーヒーを飲んだ時もそうだったな……あまりに簡単に釣られるのがな……」
「王族に関わる女性にこのようなタイプはいませんからね……」
「君の場合はまさにそうだろうね」
「……リアム王太子、良い機会なのでこの場で伺いたいことがあります」
「……何だろうか」
「メイシィのこと、あなたも好いていらっしゃるのでしょうか」
……本人の目の前でそれを聞く!?
「……はは、せっかくだから俺の気持ちを正直に話そう。
俺にとってメイシィは大切な、大切な……『推し』だ」
……はい?
「竜人族の好みの傾向を知っているか?
そう!『ちっちゃくてかわいいもの』だ!」
突然の告白に、時を止めたような沈黙が流れた。
思考が追いつかない。
声が脳内を反響しているように聞こえるのはわたしだけだろうか。
「食物連鎖の頂点にいるドラゴンの血を引く我々は、小動物に恐れられ近づくだけで気絶される!
ないものねだりなのだ!!身体が弱くはかない命の愛しさ!我々はただ愛でたいだけなのに!近づけるのは圧にやられて意識なく倒れた身体だけ!そんなものだけ愛でたらただの変態だろう!?
メイシィは奇跡の存在だ……兎人族の特徴を持ちながら近づいても気絶しない、まともに話ができる、そしてちっちゃい!!
これが、推さずに、いられるか……!」
わたしの身長はそんなに低くない。ヒューマン女性の平均身長そのものだ。
そりゃあ、竜人族の平均は15センチは上だから、小さく見えると思うけれど。
「……リアム王太子の想いは十分に伝わりました。あまりに熱い気持ち、僕も心を動かされました。
だからこそ僕もその想いに応えましょう。
メイシィにコーヒーを淹れるのを許します!!」
「クリード王子……!」
がっちりと握手するふたりの王子。
まったく理解ができない……。
いつの間にか隣に立っていたパラノさんが、同情するようにわたしの肩を叩いてくれた。
「理解しなくて大丈夫ですよ、メイシィ様」
「は、はは……」
―――――――――――――――――――
「この度は大変お世話になりました。クリード殿下、メイシィ殿」
翌日。わたしたちは子育てに忙しいレヴェラント家に配慮して早々に帰国することにした。
来たときは綺麗な屋敷だったのだけれど、今や壁は穴だらけ、順調に廃墟に向かっている。
暴れん坊だがそれも可愛い息子なんだと、見送りに来てくださった辺境伯夫妻はデレデレだ。
一家がみんな幸せならそれで問題ないってことにしよう。
リアム殿下は珍しい風の精霊を観察すべく、もう少し滞在することにしたそうだ。
「メイシィ、また来てね、ずっと待ってるから~」
ナタリー様にギュッと抱きしめられて、わたしは気恥ずかしい心持ちで頷いた。
これからもっと増えるだろう切り傷の薬や栄養剤、必要なレシピはすべてザルンさんへ引き継いだ。しばらく問題はないだろう。
「式は呼んでね♪」
「なっ」
「えっ」
「あはははは!」
そうして最初から最後まで騒々しいレヴェラント家の滞在は、こうして幕を閉じたのである。
無事にユーファステア侯爵家 三女 ナタリー様の願いを叶る形で。
残りはふたり、長女ユリリアンナと五女メリアーシェ。
おそらくわたしの次の旅は、国どころか海をも越えることになる。
そう、確信していた。
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