第11章 三女の宝と国境の薬師

第1話 国境から舞い込む依頼

セロエがミリステアを旅立って1か月が経った。

白い息が街を覆う日々はもうすぐ終わりを迎えようとしている。

背中を丸めて歩く人々が前を向くようになってきたころ、わたしは相も変わらず薬師として研鑽けんさんを積みながらクリード殿下と変わらぬ関係を維持していた。


わたしがひとりでセロエと会うと伝えてからというもの、妖精の暴走はなく、ひっそりと平和最高記録を更新したらしい。

1級魔法薬師の同行でお会いしたカロリーナ王妃に、とても嬉しそうな表情で言われた。


周りからクリード殿下との良い関係のコツを聞かれるけれど、特に答えられることがない。

ただ日々あの手この手と仕掛けてくるおねだりを聞いたり聞かなかったりしているだけだ。


あの方はわたしに断られるとといつも残念そうな表情をするのに、口角は必ず上がっている。

冷たくされてもそれはそれで嬉しそうなのだから、趣味趣向がいまだによくわからない。



「そういう男性もいるのよ。むしろもっと冷たい方が好きだって人も案外多いのよ?」



久々に休みが重なったので急遽開催されたお茶会。クレアはそう言って微笑んだ。

ここは使用人寮の中庭。子供たちが走り回る姿を眺めながらお昼のサンドウィッチを食べている。



「変な人だね」

「そしてそういう人がかわいいって思う女性も案外多いのよ」

「かわいい、ねえ……クレアは殿下のこと可愛いと思うの?」

「うーん……あんまり思わないけど、メイシィに作るお菓子を考えてるときは可愛く見えるわね」

「え、そうなの?」



王族の成人男性にかわいいというのはいささか不敬なのだけど、使用人寮だし誰の耳にも届かないほどにぎやかだから、まあいいか。

わたしは意外なクレアの言葉に続きを促す。



「あなたの前ではさも当然のようにいろんな種類のお菓子を出してるけど、毎回50種類のレシピから選ぶのに数日かかるのよね。前回のカップケーキはレモンかチョコで悩みすぎて寝不足になっていらっしゃったわ」



悩むなら花の研究の方にしてほしい。わたしはどちらにしても好きだから気にしなくていいのに。

そう言うと、クレアは楽しそうに笑顔を見せた。



「それでも最良を選びたいのが恋なのよ。ふふ」



そんなものなのだろうか。今まで色恋に縁もなければ相手を作るつもりもなかったわたしには、よくわからない。



「恋と言えば、次にお会いできるのは三女のナタリー様って本当?」

「うん、ローレンス様がそうおっしゃっていたよ。でもどうしてここでその名前を?」

「あら、メイシィ知らないの?ナタリー様の結婚までのいきさつは有名じゃない。物語のような大恋愛、ミリステアでは舞台のモデルにもなっているのよ」

「え!?」



知らなかった。

ミリステアにおいて舞台は身分問わず楽しむことができる身近な娯楽だ。

豪華さに違いはあれど流行りすたりは目まぐるしく、人間が演じることもあれば人形劇、本、絵本まで派生して国中の人々に流行する。


だからこそモデルになった人物の名前は浸透しやすい。

貴族と平民の隔たりが分厚いこの社会では、平民が貴族の個人名を覚えるのは珍しく、ナタリー様は国随一の有名人といっても過言じゃないのだろう。


わたしはそれより薬草の本が夢中だったから、知らなかったけど。



「どんな話なの?」

「隣国の国境地域を統治する竜人族りゅうじんぞくのお話よ。ダグラス・レヴェラント辺境伯が主人公なの」



ナタリー様のお名前はナタリー・レヴェラント。どうやら主人公は旦那様らしい。

クレアの目が生き生きしている。恋愛小説が大好物な彼女のことだから、きっとこの作品もファンなのだろう。



「竜人族の国ではとても醜いとされる容姿を持った方でね。辺境伯家の長男なのだけれど、誹謗中傷に打ちのめされてふさぎ込む日々を送っていたの」



竜人族は『強さ』が重要だったっけ。だから逆に言えば人で言うと細身で背が低く、ドラゴンで言うと……何だろう、小さいとか?



「図体が大きく翼は小さい、全身に不揃いで凹凸の激しいウロコ、均等な大きさの歯、特に主人公のドラゴンの姿は凹凸のせいでヤスリのようになっていて、ぶつかると他のドラゴンのウロコを削ってしまうからとても嫌がられたとか」

「へえ、それを醜いっていうんだ」

「ある日心無いことを言われて落ち込んだ主人公は、ドラゴンの姿で国境の森の中に隠れて丸くなっていたの。そこで騎士だったナタリー様とお会いしたのが物語の始まりよ」



なんだかすでに面白そうだ。ナタリー様に会う前に本を読んでみようかな。



「部下を連れて国境の森の見回りをしていた彼女は、ドラゴンの姿の主人公を大きな岩と勘違いして、リンゴをウロコですり下ろしてジュースにしちゃった、ってところが1章ね」

「……ん?」




―――――――――――――――――




「残念だがそのリンゴの話は本当だ」



翌日、クリード殿下の執務室で紅茶を一口飲んだローレンス様はそう告げた。

くすくすと殿下が隣で楽しそうに声を出す。



「初めて聞いたときは驚いたよ。公演を見たのはもう1年前か。この展開をどう面白おかしく演出するかについて新聞に特集が組まれていたな。読んだ記憶がある」


「その後の展開としてよく書かれている『梨でもジュースを作ってみようとした』ことで何故か当時の辺境伯夫妻に気に入られたというのも、

『拾った刃こぼれしている剣を研ごうとした』せいで喧嘩になったのも、

『着火剤代わりに摩擦で火を起こすのに使った』結果、魔物の大群を追い払うことに成功し結婚式に間に合いハッピーエンド……も本当の話だ」



ナタリー様のお人柄がとても気になる。

つまりダグラス様の身体を果汁でベタベタにしたり、研ぐために水を浴びせたり、火おこしのために熱い思いをさせたということだよね。

……威勢の良い天然ってこと……?



「メイシィは舞台を見たことはないと言っていたね?」

「はい、この前クレアに本を借りて読みました」

「そうか!なら今度一緒に観に行こう」

「え?」

「はあ……メイシィのドレスは私が選んでいいだろうか。次の公演は決まっていないけれど、今から準備を始めないと間に合わないかもしれない。だがあまり凝りすぎてもいけないな、私が舞台を観ていられなくなってしまう。ああでも、2時間以上も美しいメイシィを自由に眺められるのは……いいな。見つめられて照れるメイシィは最高に違いない」

「クリード、戻ってこい」



ローレンス様の言葉が届いていない。

目があったわたしたちは瞬時に放置を決め、同時に机の上に視線を戻した。



「そのような逸話の多いナタリー様から面会許可のお手紙をいただけたのですね」

「ああ、根はしっかりしている人間だからすぐに返事が来るかと思ったが、なかなか来なくてな。遅れた事情がわかってほっとしている」



まさか身籠っていたとは。

ローレンス様はその言葉が書かれた手紙の一文を指でつついた。


手紙の内容は、わたしの試験を理解したこと、面会は歓迎すること、そしてすでにナタリー様の願いが書かれていた。



「『出産後、母子の体調が落ち着くまで薬を調合をしてほしい』ですか……」

「かなり重い仕事になる。だが王城内の薬師院に務めるお前なら経験はあるだろう?」

「はい、あります」



どの種族も、子どもを産むのは命がけの行為だ。妊娠中から出産前後まで専門医にかかるように、薬も調合も特殊で難易度が上がる。

でもそれ故に先人たちの叡智えいちは広く深く知れ渡っており、判断と調合さえ誤りなければ高位貴族だろうと一般国民だろうとさほど問題は発生しない。


ただ、今回はひとつ気になることがある。



「ですが、竜人族とヒューマンの混血児なので、一筋縄ではいかないかと思います」

「そうか……。竜人族は繁殖可能時期が5~10年に1度、妊娠の成功確率も低い。だが妊娠すればあとは竜人族らしい強靭な生命力で安産が多いと聞いたが、違うのか?」

「竜人族同士のお子様ならおっしゃる通りなのです。ただ、今回はヒューマンのナタリー様がお産みになりますので……」



兄であるローレンス様に言うのはすこしはばかられる。

言い淀んでいるとローレンス様は真剣な表情で頷いた。遠慮なく話せと言っている。



「そもそも、竜人族の出産形態は3種類あります。卵か、人型か、そしてドラゴンの幼生か。

卵は大きくないので身体の負担は最も軽く、人型はヒューマン同士とほぼ同じ、ただドラゴンの幼生の場合はかぎ爪やウロコができている状態で出てくるので……」



わたしは願いながら息を吸った。



「出産時、ヒューマンの産道や子宮では耐えられなかった例が多いのです。つまり、母体の回復に時間がかかったり……治療の甲斐がなく……と言う場合もあります」

「……そうか。だが悩んでいても仕方ないさ。もう形態は確認できてるはずだから、返事をするときに聞いてみよう」

「ありがとうございます。お願いします」


「訪問日は先方で決めてもらおう。早くても1か月後で調整するから待っていてくれ」



ローレンス様はわたしに微笑みかけた。

セロエの一件から少し打ち解けたわたしたちは、以前よりも気楽に話せるようになった気がする。

その分、クリード殿下に向けられていた心配性やお節介がこちらにも来るようになったけれど。




「ああ、そうだ」



ようやく戻ってきたクリード殿下が急に声を上げた。



「安心してくれローレンス、今回のレヴェラント家の訪問は私も同行する。

というより、私の訪問としてメイシィを連れていくことにしてくれ」

「……は?」



その言葉を聞いて、ピンとこないわたし。

ローレンス様はぶるぶると震えだした後、急に立ち上がって声を上げた。



「クリード!!お前が国外に出るのはどれだけ大変だと思ってるんだ!!」

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