第10話 よりどころは約束の夕日

それから数日が経った。

わたしはクリード殿下とローレンス様による心配性というありがたい邪魔を乗り越え、ギルドの2階で果実汁を吸っていた。


あれからセロエと会っていない。

カロリーナ王妃と別室に移動した日は王城に泊まり、翌日には早々に出ていったと聞いている。

侍従にわたし宛の伝言を残してくれたのだけれど、『ギルドで会えたらあたしの願いを伝える』というふわっとしたものだった。


いろいろな依頼をこなすギルドメンバーにとって『会う』ことに時間を決めない。お互いの行動の縛るなんて贅沢なことだから。

ギルドに通うようになって知った彼らの価値観のひとつだ。



「よおメイシィ」

「セロエ」



そして、心配しなくてもちゃんと会える。これも最近知ったことだった。



「待たせて悪かったな。ちょっといろいろ準備することがあってよ」

「準備?」

「ああ、あたしそろそろこの国を出ることにしたんだよ」

「え」



ミリステアを出る?思わず聞き返すとセロエは眉尻を下げて口角を上げた。

含みを持たせたような表情にわたしは首をかしげて言葉を待つ。



「パスカを通って北上しようと思ってさ。着くころには暖かくなる季節だろうし、近ごろあの地域は動物の繁殖が活発でトラブルが多いらしいからいい稼ぎになりそうだ」

「そう……なんだ」



あっという間だった気がする。出会って2か月もなくお別れになるとは思わなかった。

世界中を旅する人間にとっては長期滞在になったのかもしれないけれど、こちらにとってはあまりに短い。



「……それでよ、あたしの『願い』かなえてもらおうと思ってさ」

「セロエの願い……はい、教えてください」



空になった果実汁を避けて、わたしは向かいに座るセロエに向けて座りなおした。

視線を向けられてセロエは少し気まずそう。

一瞬だけ目をあわせると、肩肘をついてぶっきらぼうに口を開いた。



「『ラ・カルネロの万能薬』を調合してほしい」



コトリ、と小さな音を立てて置かれたのは、透明な薬液に入った魔物の一部だった。

紫色で触手の先のような気味悪さを感じるけれど、よく見たら不揃いの吸盤がタコの手足によく似ている。


『ラ・カルネロの万能薬』、名付けた国の方言をミリステアの言葉に直せば、『カルネロという魔物の舌を使った薬』

カルネロは目の前にいる小瓶に入った、珍しい危険生物のことだ。


強力な毒は強力な薬にもなる。ゆえに、この薬は万病を防ぐいわれている。



「あたしは出奔してからこいつを討滅して素材を得るのが目標のひとつだった」

「『ラ・カルネロの万能薬』を作るために?」

「ああ。……その、えっと」



誰か具合の悪い人でもいるのだろうか。

続きを促しても、セロエは気まずそうに口をもごもごとさせるだけだった。



「とにかく作ってこい!詳しい話はそのあとだ!」




――――――――――――――――



それから更に3日が経ったころ。

セロエはわたしをギルドに呼びつけるなり、ミリステアの中心地から馬車で30分ほど揺られたところにいくと言った。


集合場所に向かうと、セロエは厚い外套に背中が隠れるほど大きなカバンをたずさえている。

わたしと一緒に『とある景色』を見たあと、そのまま出立するという。

比べ物にならないほど小さなカバンを揺らして彼女を追いかければ、馬車が視界に入る。

じっとわたしたちを待ち続けていただろう黒い馬と目があった。






「景色、ってどんなものなの?」



馬車の中は妙に静かだったので、わたしはセロエに声をかけてみた。

彼女は窓の外を眺める視線をこちらに寄こすことなく、神妙な表情をしている。



「見ればわかる、って感じだけど、大したモンじゃねえよ。

ただ王都が一望できる高いところってだけだ」

「一望……きっと綺麗なところだね」

「ああ、今日は快晴だしいい景色だろうさ」



少しの沈黙のあと、セロエはわたしに向かってにやりと笑って見せた。



「特に今日は面倒な貴族どもがついてきてねーしな」

「はは……」



クリード殿下とローレンス様には、セロエの願いを伝えたうえで同行を遠慮させていただいた。

あくまでセロエの願いはに対するもの。

そこに協力者たちの支援はいらないだろうし、指名されたわたしだけで向かいたいと伝えたのだ。


数冊の本が飛び交っただけですぐに許可をいただけたので、ほっとしたのは記憶に新しい。

特にローレンス様はすぐに賛成し味方してくれた。じゃじゃ馬娘といいつつも妹を信頼しているのだろう。


多少の言い合いはあっても奥底では深い信頼関係がある、ユーファステア侯爵家の人々は皆そうなのかもしれない。





馬車を降りたわたしの視界には、草原が広がっていた。

風が細い草たちを撫でつけて、時折かけらを空へ運んでいく。

セロエは慣れた動作で御者に賃金を渡すと、わたしを置いてどんどん歩いていく。

青と緑の景色に見とれていたわたしは、急いで彼女を追いかけた。



「ここだ」

「わあ……!」



丘を登り切れば、セロエの言う通りミリステアの王都が広がっていた。

透き通るような青空の下で、白い壁に囲まれた大きな大きな敷地の中に、橙色を中心とした屋根の色が点々と並んでいる。

最奥にはここからでもわかるほど巨大な王城。中央の時計塔が持つ細長い屋根が天高くそびえている。


圧巻だ。まるで草原に落ちてきた広大な宝石箱。

この王都で何万人もの人々が今日も平和に生きている。



「良い景色ですね……!」

「だろ?ほら座れよ。しばらく眺めようぜ」



最初は気まずそうだったセロエだったけれど、馬車から降りることにはいつもの調子に戻っていた。

それどころかわたしの反応が嬉しかったのかご機嫌だ。

音を立てて荷物を置き、勢いよく草原にお尻を預けたセロエの隣に座ると、彼女はふっと目を細めてわたしを見つめた。



「ここはあたしが初めて遠出した時に見た景色なんだ。空は広く、草原はどこまでも続いているように見えるだろ?

あたしが生きてた世界がどんだけちっぽけで、どんだけ美しいか初めて知ったんだ」



セロエの気持ちがわかる気がする。

木目の天井を見て目覚めてから書類と草と器具を眺めて1日を追える生活にすっかり慣れているわたしにとっても、この景色は美しく、自分の小ささを強く感じた。

吸い込まれそうな壮大な青はわたしをしがらみから開放していくようで、この感覚を失いたくないと身体が重たくなり、立ち上がれなくなってしまいそう。



「あたしが旅人になりたいと思ったきっかけがこの景色だ。もっと世界中の景色を見たくなったんだ」

「そうだったんだ」

「でもさ、あたしの生まれはユーファステア侯爵家で、貴族として誰かに嫁いで子供を産む人生を歩まねーといけなかった。だから諦めてたんだ」



ミリステアにおいて、多くの貴族が歩んだ道は今や脇道が存在しないほど分厚く舗装されている。

建国以前より根強いこの風習は、今なおわたしたちをいざなっている。



「でもさ、決意する勇気をくれたんだ。

メリアーシェ、ユーファステア侯爵家の末っ子のおかげでさ」

「……!」



ローレンス様が今まで話題にすることを避け続けてきた彼女の名前が出てきて、わたしはドキッとする。

セロエはそんなわたしに微笑みを浮かべた。



「あいつは生まれた時から臓器の成長が身体の成長に追いつけない珍しい症状があったんだ。他の症例を見ると10歳まで生きることができれば成長が追いついて自然治癒するらしいけど、ほとんどの子供が耐えきれずに死んでった」

「……」

「実際、メリアーシェの症状は酷かった。目を覚ましているときはみんなで一生懸命構い倒してたよ。はは、喜劇みてーにさ。

あたしはユリリアンナ姉さんみたいに楽しい話はできねーし、サーシャ姉さんみたいに本の読み聞かせはできなかったけど、街に行った時の話をしたらすごく喜んでくれてさ」

「……」

「この景色の話をしたとき、メリアーシェが言ったんだ。『もっと遠くの世界のお話が聞きたい』って」

「遠くの……世界」



風が吹き抜けた。髪の隙間から見えたセロエの表情は、慈愛に満ちている。

無力を感じつつも大切にしてきた妹の何気ない言葉が、彼女の人生を決めたんだ。



「だからあたしは家を出ることにした。あたしは貴族として生きるにはあまりに向いてねえ。

なら多くの国や景色を眺め旅をして、メリアーシェに伝えてやろうと思ったんだ。あたしの話を聞いて、想像するのはタダだろ?

それに旅の途中で良い薬に出会えたら最高の収穫だ!と思ってたら、『ラ・カルネロの万能薬』を知ったんだ」

「そう……だったんですか」



そういえば、カロリーナ王妃は特にセロエの世話をしていたと言っていた。

雪豹人族パンネージュとして北部に生まれ骨を埋めるつもりだったあの方は、カーン陛下が王太子だったころに気に入られ、突如として王妃の道を選ぶことになったという話は有名だ。


ずっと引っかかっていた。

自分の子供と公言する子のひとりであるセロエに対して、どうしてこの危険な生き方に言及しないのだろう。

ふたりの話を眺めていた時に否定している様子は一切なかった。


ただの想像だけれど、カロリーナ王妃は自分とセロエを重ねたのかもしれない。

王妃にとって、一族民の自由と王族の道、自分が捨てた方を選んだ娘を否定する理由なんてありはしないのだ。



「正直さ、お前とクリード・ファン・ミリステアの話を聞いて、あたしはお前をひきはがしてやりたかったんだ」

「え……」

「メリアーシェが10歳まで生きるには、ミリシアばーちゃんと妖精の力が必要だった。なのに小せぇあいつは妖精を暴走させてはばーちゃんに頼ってばかり。で、ばーちゃんはどんどん疲弊していって、最後は王城で突然死だ」

「突然……死……」


「重なったんだよ。お前は1級魔法薬師になりたいってのに、あいつはお前を王族の道に連れて行こうとしてる。また誰かの生き方を捻じ曲げようとするあいつが許せなかった。

癪だったんだよ、あたしは。だからお前を戦場へ連れまわしてあいつを暴走させて、長期謹慎に陥れようと思った」



想像以上にうまく立ち回られて失敗したけどな。とセロエは深いため息をついた。



「お前も嫌な様子はねぇし、まあいっかと思ったよ。生き方を決めるのはお前だもんな」

「……そうだね」


「巻き込んで悪かった。メイシィ。あたしの願いは、ここでお前へ謝罪をすることでもある。

お前が作った『ラ・カルネロの万能薬』は、詫びとしてもらってくれ。

……もう、今となってはいらなくなったしな」



セロエは座ったままこちらに身体を向けて、頭を下げた。

深い深い頭は草に触れるほどで、わたしはあわてて彼女を起こす。



「いいんです。正直、迷い始めていて……考える機会をもらえたと思っています。

……この薬は有難くいただきますから、もう気にしないでください」



このまま試練を進めて1級魔法薬師になるか。クリード殿下との未来を考えるか。

今まで傾いていたはずの天秤は、殿下の姿を見て、知っていくたびにゆっくりと均衡を取り戻し始めている。



「なあ、メイシィ。あたしはどちらを選んでも文句言わねぇし言える立場じゃねえけどよ」



セロエは少し恥ずかしそうに、ほほをかく。



「短い間だったけど、お前と一緒に仕事できて楽しかったよ。

自分の人生の選択、よくよく考えて決めろよ。

お前はどっちに転んでも大丈夫だ。


でも、逃げ出したくなったらあたしのところへ来い!」



いい景色、また見ようぜ。

セロエはそのまま荷物を持ち上げると、片手を上げて去っていった。



ふたつ目の試練はこうして幕を閉じた。

揺れ動くわたしの天秤は、今日もあの方の姿に揺れ動いている。

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