第2話 目の前の壁は分厚く高く
ミリステア魔王国 国王の謁見室では、そうそうたるメンバーが揃っていた。
中央の玉座にはカーン5世陛下。
右隣には王妃のカロリーナ殿下と宰相のガラスタ・レイス侯爵。末席にはミカルガさんがいる。
左隣にはラジアン王太子に、アーリア王太子妃。
わたしのエスコートを終えて末席に移動したローレンス様のお隣にいるのは、お父様であるサイラル・ユーファステア侯爵だ。
この空間に王族のほぼ全員と政治の中枢を担う高位爵位を持つ人々が揃っている。
異様だ。異様すぎる。
絶対にわたしのねぎらいの場じゃない。じわりと背中を汗が伝っていく。
それよりも気にするべきは隣のクリード殿下だ。
こちらを
青白い顔で余裕もない初めて見る表情。わたしが来る前にやりとりがあったらしい。
ローレンス様の助言は正しかったのかも。
あれ?ローレンス様が立っている場所の向こうに花瓶の破片が散乱している。
散らばった土も破片も草花も、泥になったまま放置されている。
妖精の仕業だとすれば、それほどのことが起きたってこと?
「急な要請に応じてくれて感謝する。メイシィ嬢」
「とんでもございません」
「はは、そういえば前もおぬしを急に呼んでしまったなあ。
おや、その髪留めはクリードが贈ったものだね。仲が良いようで安心しているよ」
「あ、ありがとうございます」
カーン陛下がわたしたちの個人的なやりとりを把握されている。
息子の様子が気になっていらっしゃるのはもちろんのこと、わたしに与えた役目をこなしているかしっかりと監視し続けていたとも言える。
良からぬことはしていないけれど、今までの自分の言動を顧みればちょっと緊張してしまう。
「今日呼んだのは2つ。まずはパスカ龍王国からの来賓の件、おぬしはとても活躍してくれたと聞いている。ミリステア国民として誇り高い働き、見事であった」
「感謝申し上げます。ミリステア魔王国とパスカ龍王国との友好関係に微々たるものでもお力添えできたのでしたら、これ以上光栄なことはございません」
「リアム王太子もフィクス王女もとても満足されていた。何度も来訪しているが特に今回は良き出会いに恵まれたとな」
ずいぶん評価していただいているようだ。
パスカ龍王国はミリステア魔王国よりもずっと強国、関係悪化は国の安定が危ぶまれるほどの一大事になる。
ほっとした。何とか乗り切ったようだ。
「もったいないお言葉でございます。ただの薬師であるわたしのような存在にもお声がけくださったリアム王太子、フィクス王女には暖かいお心遣いをいただきました」
「そうかそうか。また来訪の際はおぬしの働きに期待していよう」
「ありがとうございます」
「今回のおぬしの活躍、何か褒美を……と思っていたのだが、ここからが2つ目の話だ」
カーン陛下がひとつ咳ばらいをすると、わたしの瞳をしっかりと見て口を開いた。
「功績を認め、おぬしに特例で『1級魔法薬師』昇格試験を執り行うことにした」
昇格試験!?
思わず陛下からミカルガさんに視線を移した。
わたしは2級の最上位資格を取って1年半しか経っていない。あまりの異例な話の場にミカルガさんがいるということは、この話を了承したということだ。
こちらの視線に元薬師院 院長は返してくれることはなく、目を伏せたままだった。
「わたしが、昇格試験でございますか?」
「そうだ。1級魔法薬師の資格は同格の魔法薬師の承認、および薬師院 院長の承認をもってわしが選任する。具体的な試験内容はないからの。今回はおぬしのために特別な試験を準備した」
わたしの長年の夢。1級魔法薬師。
かつで命を救ってくれたリズ・テラー1級魔法薬師のように人々を救うヒトになりたいと願って努力し続けてきた十数年。
最大のチャンスが降ってきた。しかもこんなに早く。
身体が震える。
「期限はない。どのくらいかかっても構わない。やってみるか?」
「……はい。ぜひお願いいたします」
悩む理由はない。試験内容が気になるけれど、やらない選択肢はない。
わたしの声に、隣にいるクリード殿下が少し震えた。
「よく言った。それでは委細はラジアンに頼もう」
「はい、父上」
コツ。と静かな間に響く靴音。
見上げればラジアン殿下がわたしににこりと笑いかけてきた。
あらためて簡易な一礼をして顔を上げると、絹のような金色の髪を揺らして、それはそれは楽しそうないたずらっ子にそっくりの表情が目に入る。
「薬師院 院長の代理として試験内容を伝えよう」
……院長の代理で王太子が出てくることってあるのかな?
「『ユーファステア侯爵家にいる5人のご令嬢たちの願いを叶えること』、これが君の1級魔法薬師を認める試験内容だよ」
「願いを……叶える……?」
一瞬停止した思考を無理やり呼び起こす。掌に爪が食い込んだ。
今度はちらりとローレンス様を見る。
驚愕していた。それはもう目をまんまるくしている。
隣の侯爵はご存じだったようだ。表情も白い豊かな髭も動きがない。
「ちょうどかのご令嬢たちはそれぞれ悩みがあるようでね。君の薬師としての力で解決してもらいたいんだ」
「そう、ですか」
「といっても!君が直接ユーファステア侯爵家のご令嬢たちに会うだけでも何年かかるかもわからないだろうから、周りの協力は自由に得て良いとしよう。調合に必要な素材や助言も受けて良い。常識的な範囲内で挑んでくれれば問題ないよ」
随分と良い条件に見えるけれど、ご令嬢たちの悩みによってはかなり時間が必要かもしれない。
そのための好条件であれば油断はならないだろう。
なにせ1級魔法薬師の資格は国が認めた最高位、そう簡単に得られるわけがないし、得られるべきではない。
「かしこまりました」
「まあ、誰の助けを得ても良いとは言ったけど……クリード、君はどうするんだい?」
え?
クリード殿下が助けてくれることを当たり前だとうっかり思い込んでた自分を恥じつつ、隣を見上げる。
口を開く様子が全くない。
明らかに様子がおかしい。
殿下、どうしてしまったのだろう?
「……私は」
ようやく言葉を口にしたけれど、その続きが出てこない。
いくら父親でも国王の御前、問題はないのかとはらはらしてきた。
袖でも引っ張ってみたいけれど、わたしから触れることは不敬だ、許されない。
伸ばした手を空中でふらつかせていると、ラジアン殿下が軽い笑い声を漏らしてこちらに近づいてきた。
クリード殿下の肩に手を置くと、王太子は意地の悪い笑みを浮かべる。
「早く結婚したかっただろうに、残念だなあクリード」
「けっ!?」
「ぶっ、メイシィ嬢いい反応だあ」
結婚!?いったい何の話!?
思わず上げてしまった声を両手でひっこめた。全然間に合っていない。
「安心しろ~僕は応援しているんだ~ちゃんと助けるさ、ね?」
「兄上……」
「でもまあ。メイシィ嬢が『
どちらを選ぶ?いったいどういうことなのだろう。
クリード殿下がわたしとの将来を考えてしまっているのは……まあ、残念ながら鈍感ではないので至極当然と思ってしまうけれども。
「メイシィ嬢に補足するとね。一般国民階級の人間が1級魔法薬師になれば、一代貴族の爵位を
「っ」
なるほど。クリード殿下の異変の原因は、事前にそのことを知らされたからか。
確かに最下位の男爵じゃ批判されるだろうし、妖精に愛され様々な災害を起こしかねないクリード殿下が、王族を抜けることなどできるはずがない。
「そうですか……」
とりあえず返事をするに留めることにした。
どちらの感情にしろ、今のわたしが個人的な意思を示すべきではないだろう。
「メイシィ嬢」
カーン陛下の声が聞こえて視線を戻せば、穏やかなおじいさまの姿をした国王は優しい声を響かせた。
「詳しいことはユーファステア侯爵家に
おぬしの活躍、期待している」
今回はここで終了とする。下がるが良い。
ラジアン殿下は楽しそうな表情のまま、ローレンス様は驚いた表情のまま、そしてクリード殿下は沈んだまま。
多くのわだかまりを残して謁見を終えることになった。
「メイシィ、1時間後にクリード殿下の執務室で会おう」
退出後、ローレンス様の言葉にわたしは頷いた。
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