第3話 つけた薬は苦みに変わる

パーティの2日目。

救護室はバタバタと騒がしい光景を作り上げていた。


たくさんの医師や薬師があちこち歩きまわっているが、1日目に引き続き想定通りだというミロクさんの言葉に安堵する。

彼女はもう10年以上2級薬師の最高資格を保有しているベテランだ。1級を目指してもいいはずだけれど、国内を走り回る名誉より夫と子供を選んでいる。



「飲酒起因の胃痛に腹痛、ダンス中の捻挫ねんざ

「竜人族の方が多いようですね」

「パスカよりミリステアの方が強い酒が多いし、体質的にも酒精アルコールに強いんだよ。特に今回のワインは寒さもあってより強い種類が手配されている」

「なるほど」



コロン、とミロクさんの手元にある青色の液状薬ポーションが揺れた。

わたしが作ったもので、ミロクさんがチェックついでに最終作業として軽く振っている。



「竜人族は回復が早いからね。このくらいだったら栄養剤で30分もあれば完治するよ」

「すごいですね」

「そう、その点、竜人族は楽でイイネ」



液が十分に混ざったのを確認して、ミロクさんは近くにいた医者に声をかけて手渡しした。

一礼をした竜人族の医者はそのまま部屋を出ていく。別室の患者に届けるためだろう。

わたしは彼から視線を外して、手元の管理帳に使用した材料と薬の名前を記録した。



「そうですね。どの種族も同じように使える薬が開発できればいいんですが」

「はは!タカ族と金魚族が一緒に使える薬、あるといいよね」

「ふふ、そうですね」



空と海の住人たちという両極端な種族を挙げて笑い飛ばすミロクさん。

思わずわたしも笑顔になりながら管理帳とペンを戻した直後、



「リアム殿下のご来訪です!」



思わぬ言葉に固まった。


メイシィ!と小さなミロクさんの声が頭を貫く。

肩を叩かれるのとほぼ同時にわたしは立ち上がって片手を胸に添えた。

みんなより遅れて頭を下げる。一般国民の敬礼だ。



「突然すまない、皆、どうかいつも通りに務めてほしい」



久しぶりの声に顔を上げれば、リアム殿下がこちらに手を振っていた。



「メイシィさんがこちらにいると聞いて来たんだ。時間をもらえるだろうか」

「リアム殿下にご挨拶を申し上げます。かしこまりました」

「ありがとう。こちらへ」



1日目はラジアン殿下、2日目はリアム殿下。

ものすごい視線を浴びながら、わたしは救護室を出ていく。


仕事、もうちょっとしたかったな……。




――――――――――――――――




「直接いらっしゃるとは思いませんでした。お呼びいただければいつでもお伺いいたしましたのに、お手を煩わせてしまい申し訳ございません」

「いいや。俺がどうしても君に会いに行きたかったんだ。少しでも長い時間、君と一緒に」



温室でよくお会いしていたが、ここ1週間は顔をあわせていなかった。

久々の甘い言葉は心臓に悪い。

ここ、廊下!誰か聞いているかもしれないのに!


嫌だよ、ただの薬師を口説く隣国の王太子の噂なんて、損しかない。

クリード殿下の耳に入ったらどうするつもりなんだ。


ちらりと後ろを盗み見る。

パスカ龍王国の正装を身につけた騎士たちはこちらを見ることなく、端に立つミリステアの侍従姿の女性――――なぜかいるクレアに至っては我関せずの表情。

当たり前だが誰も助けてはくれない。


頭を悩ませていたら、リアム殿下はあっという間に自らの控室にわたしを連れて行ってしまった。



「君に時間をもらったのは、帰国の前に挨拶をしたいと思っていたからなんだ」

「挨拶、でございますか?」

「ああ、明日でパーティは終わり、明後日にはすぐにミリステアを出る。君に会えるのは今日しかないんだ」

「そうでしたか……リアム殿下、短い時間ではございましたが、わたしのような薬師にも優しく接してくださり、誠にありがとうございました」



ソファに座る殿下の傍で膝をつき、もう一度片手を胸に当てる。



「座ってくれ。こちらこそ君と楽しい時間を過ごせて感謝しているよ」

「もったいないお言葉でございます」

「いいや、君との会話はとても有意義だった。ありがとう」

「こちらこそありがとうございます」



いつもよりちょっと良い服を着こんでくればよかった。

目の前のリアム殿下とはどうしたって不釣り合いだけれどね。


リアム王太子殿下は紺色に銀の装飾をあしらった、ミリステアとは違う目立つ格好をしていた。

背中を流れる空色の布は軽く、少しだけ向こう側が見える珍しい生地だ。

真っ赤な髪に映えるお召し物は、まるで深い海と透明な空、そして夜明けの太陽のようだった。



「最後に君に贈り物をしようと思っていてね」



贈り物?

首をかしげるわたしをよそに、その言葉を待っていた騎士のひとりが小さな音をたてて机に物を並べ始めた。

ふたつのソーサーにカップ、注ぎ口の細いポットに見たことのある特殊な器具、中身には焦げ茶色の粒がぎっしりと入っている。


これはもしかして、コーヒー?



「少し待っていてくれ、じっくりと進めたいんだ」

「もしかして、コーヒーを淹れてくださるんですか?」



ああ。そう言ってリアム殿下はにっこりと笑顔を見せた。

そういえば以前ふたりで話をしたことがあったな。もし王太子の役割がなければ何をしたいか。

リアム殿下は『カフェを経営したい、自分で淹れたコーヒーを振舞いたい』と言っていたっけ。

記憶をさかのぼっていくと、ふわりと良い香りがわたしの心を満たしていった。



「殿下、パーティから抜けて問題ございませんか?」



静かに待っていようと思ったけれど、話がしたいという要望に応えてわたしは声をかけてみた。



「問題ないよ。今は休憩時間だ。ずっと会場にいるわけではないからね、昼間に休憩を取る者が多いんだ」

「そうでしたか。でしたら貴重な休憩時間にお時間をいただいてしまっているのですね」

「最高の休憩さ。君がいて、肩肘張らない会話ができて、コーヒーも飲める」



君でなければこんなに良い時間を過ごせない。とまた人たらしの言葉が返ってきた。

段々慣れてきた気がする。



「そう思っていただけると嬉しいです。わたしも殿下と素敵な休憩を過ごせてとても光栄です」

「きっともっと素敵なものにしてみせるよ。君のためにね」

「ふふ……わたしもクッキーをご用意してくればよかったですね」



穏やかな会話が続く。

クリード殿下とは違う落ち着いた声色と、心地よい沈黙が間を添える。

強い色合いが揃う見た目とは真逆の雰囲気を持つ隣国の王太子は、慣れた手つきでポットに手を伸ばした。





「はー……おいしいですね」



おっとうっかり。

気の抜けた声を出してしまった。

目の前にいるリアム殿下はくすりと笑って自分のカップに口をつけた。


コーヒーは今まで飲んだことのない深い味わいのものだった。

酸っぱさよりも苦みが強く、口の中を程よく刺激して滑らかな味わいに変化する。

香りは肺いっぱいに詰めたくなるほど癖になり、何度も楽しんでしまう。


つまり、おいしい。

今まで飲んだコーヒーで一番おいしいかも。



「気に入ってくれたようでとても嬉しい」

「はい、好きです。この味、とても」

「そうか。嬉しいなあ」



くしゃりと表情を変えるリアム殿下は、少年のような印象を受ける。

確か年齢はラジアン殿下とほぼ同じ、クリード殿下とは6歳ほど離れていたはず。

きっとこの方の素の表情なのだろう。気さくな姿にわたしは思わず笑顔になった。





「ごちそうさまでした。殿下」

「ああ」



それから30分ほど経っただろうか。深い味をゆっくりと楽しみながら、わたしたちはそれはもう穏やかな時間を過ごしていた。

最近この舞踏会や討伐のために忙しい日々を過ごしていたわたしにとっては、ようやく身体を休めることができて満ち足りた気分だ。


小さな音でカップを置いたリアム殿下は、わたしに柔らかな視線を向けてきた。



「また飲みたい?」

「え?」

「はは、また飲みたい?」

「あ、……そうですね、もしまた機会があれば」

「そうか、そうか」



満足げな表情をして殿下は噛みしめるように頷く。



「メイシィ」

「はい」


「いつかパスカ龍王国に来ることがあれば、必ず連絡をしてくれ。

またコーヒーを振舞おう。今度はもっと長い時間、ゆっくりとね」



わたしが他国に行くことはあるのだろうか。わからないけれどとりあえず頷いてみせる。

リアム殿下がとても嬉しそうな表情をされたので、よしとしよう。





コンコン。

ふいに扉を叩く音がした。



「ふむ、もう時間か」



休憩の終わりを告げる音かもしれない。

わたしは立ち上がって一礼をすると、返事をせずリアム殿下は立ち上がるなりわたしに手を伸ばした。


その手に触れれば、引っ張られる。

ひとりの騎士が動き出し、背後にあったカーテンを広げると、わたしをすっぽりと覆った。


わたしの顔を隠す前に、リアム殿下はぐっと近づいてきたので思わずびくりと震える。



「少しだけ隠れていてくれ。俺が出ていったら救護室に戻ると良い」



髪が揺れる音がする。

わたしの白い髪がひと房だけ捕らえられた音だった。



「君に出会えてよかった。忘れない。どうか元気で」



素早い布の動きによって、わたしの視界は真っ暗になってしまった。





「どうぞ」

「失礼します。リアム殿下」



わたしは息を殺して音を聞いていた。

隠すほどだからよほど都合が悪いんだろう。それもそうだ、他国の異性の薬師とふたりで過ごすなんてどんな噂が流れるかわからない。



「やあ、クリード王子」



え、クリード殿下!?



「わざわざ来てくれるとは、どうかしたのかな」

「陛下がお探しでしたので参りました」

「カーン陛下が私を?」

「はい、龍王陛下宛にお渡ししたいものがあるそうです」

「今?」

「ええ、今」



ふむ。とリアム殿下のわずかな声が部屋に響いて消えていった。



「わかった。伺います」

「ありがとうございます。

……ところで、どなたか客人を招いたようですね?」



どき、とする。

おそらく片付けてない食器が目に入ったのだろう。



「今君がノックをするまで、とても良い時間を過ごしていたよ」

「それは失礼しました」

「気にすることはないよ。久々にうまくコーヒーが淹れられたんだ。

友人が『また飲みたい』と絶賛してくれたんだよ」

「そうでしたか」


「ああ、また振る舞うと約束したんだ。その機会が来ることを願っているよ」



では、失礼する。

その言葉を最後に、リアム殿下の気配魔力は遠ざかっていった。



そろそろ出……いや、だめだ、動いてはだめだ。

わたしは魔法薬師。透明化の魔法が使えるほどの知識はちゃんとある。



冷汗が流れ始めたのはなぜだろう。ちょっと寒い気がするのはなぜだろう。



クリード殿下の魔力が、まだいるのだ。


カーテンにくるまったわたしの前に、いるのだ。




「出ておいで」




怖い!


怖い怖い怖い怖い!

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