第6話 訪れた災厄に秘技を
ちらりと後ろのクレアの様子を伺う。
朝と同じようなじろりとした視線を返された。
空気が重い。
こ、これはいわゆる『病み』スイッチ!
「誰かな?」
「あ……えっと、あれはいつもの薬師道具店にいた新人のエルフの子で……」
「うん」
「里から出てきたばかりで、街に詳しくないそうで…ちょっと道案内を……」
「2人で食べ歩きながら?」
「出店のおじさんにサービスしてもらいまして……」
「………メイシィは、ずるいね」
コト
丁寧な所作で足元にシトリナイトを置く。
そうしてもう一度わたしを見てきたその微笑みからは、目の光が消えていた。
「私は容易に街には出られない。君と街を食べ歩けるなんて羨ましいよ。共に同じものを買い、隣に座り、一緒に食べるなんて夢のようだ。ああ、私の前では純粋無垢な笑顔を見せていながら、目が届かないところでは他の男とどんな表情で仲良くしているんだい?彼が妬ましいよ、妬ましい」
ゴゴゴゴゴ
外の異変に気付き、わたしは温室の向こうを凝視した。
曇りガラスのようになっていてあまりよく見えないが、木々があらぬ方向へ曲がっているような気がする。
例えば、暴風に晒されているような。
バチバチバチバチ!!
天井が叩かれる音が響いた。
小さな塊が大量に落ちてくるようなその音に交じって、確かに声が聞こえる。
「
「くそっ初夏なのにどうなってんだ!」
ま、まずい。
このまま降られると、いろんな被害が……というより、温室の天井が破られる!
そんなことされてたまるか!
「クリード殿下っ!」
とりあえず大声を出すと、殿下はつぶやく声を止めた。
その後、何を言ったらいいかわからず、沈黙。
「こほん」
侍従の咳払いに、わたしはじっとりと汗をかいた。
「で、殿下の方が、その、ずるいと思います」
「私が?ずるい?君よりも?」
「……そ、っそう、です!」
こてんと首をかしげる殿下。
そういう可愛いことを突然するから
じゃなくて。
「殿下だって……お茶会ではたくさんの綺麗な女性に囲まれてると伺っております……!」
「そ、それは」
「わたしの知らないところでよろしくやってるのは、殿下の方だと思います!」
クレアの刺すような視線が痛い。
アレを、わたしにアレを言えというのか。
く、くくくくぅ……!
「でも、メイシィ、は、ずっと待ってあげても?別に?いいですよ!?
……クリード様が、会いに来てくれる、なら」
「っメイシィ!!」
「ぐっほ」
ぎゅううううううううううと言わんばかりの力で身体を締め付けられた。
変な声が出た。
「かっっわい……んんっ!!すまない、悪かったよメイシィ!私よりも君の方がずっと我慢してきたんだね。なのに私はこんな些細なことで嫉妬してしまうだなんて……!ああ、すまなかった、すまなかったよメイシィ!これからはもっとたくさん会いに来るから街には」
「殿下!こちらにおられましたか!」
救世主の新たな声が温室に響いた。
わたしの視界は真っ暗だけど、太くて低い声はおそらく護衛騎士のアンダンさんだ。
屈強な体に取ってつけたような小さな獅子の耳が、たまにぴょこっと動くのが可愛いのだが、その姿はもちろん見えない。
「お戻りが遅いので迎えに参りま、で、殿下!メイシィ殿が窒息しますのでお放しください!」
「はっ!すまない!」
ぱっと手を放して彼の締め付けから開放された。
フラッとしたがクリード殿下とクレアの手に支えられ、しりもちをつかずに済む。
それからあっという間にアンダンさんに捕まった殿下は、嵐のように温室を去っていった。
「くっうおおおおおおおおおおおおお」
暴風と雹の景色が初夏の日差しに戻った頃。
わたしは四つん這いになって鳴き声を上げた。
「お疲れ、メイシィ」
「……ありがとう、クレア」
殿下の後をついていくことなく、わたしの隣でぽんぽんと背中を叩いてくるクレア。
顔を上げれば長い垂れ耳を揺らして覗き込んできた。
実は、わたしとクレアは昔馴染みだ。
薬師院で同僚のマリウスと同じように、同じ学校で学び、同じ寮の部屋に住み、今は薬師と侍従として同じ職場で働くことになった。
「前にもらったアドバイス、ちゃんと試したよ……」
「ええ!!ばっちり効いたでしょ?ツンデレは正義なのよ!!」
クレアは常に冷静でつんけんした態度をとりがちだけど、実は恋愛小説が大好きだったりする。
「そうね、ばっちり効いたわ………わたしの精神に」
「そこは後でお菓子作るなりして何とかしてちょうだい。回復薬作りは得意でしょ?」
「うう……それとこれとは……」
立ち上がったクレアは、大きく伸びをする。
温かい日差しが広がる美しい温室の景色を一望して、彼女は言った。
「今日も世界が救われたわ」
あの日から、がらりと変わったわたしの日常。
それはこれからの序章にしか過ぎなかった――――なんてこと、ないといいけれど。
「花、戻しておこう」
シトリナイトの鉢を持ち上げる。
黄色と、青。
それはクリード殿下の髪と瞳、おひとりで持っている色でもあった。
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