第10話 ありがちなボス戦

 トラウマの要因なんて、他人にとっては案外しょうもないものだったりする。


 高校一年の春――剣道部に入って最初の練習試合。俺は中学でもそこそこの成績を残していたから副将を任されていた。剣道の団体戦でいう副将とは、ある意味で捨て駒にも近い。三勝すれば良いのだから、ほとんどの学校は先鋒・中堅・大将に強い選手を置くか、先に三勝するため先鋒・次鋒・中堅を固めるか――極稀に次鋒と副将に強い選手を置く学校もあるが、うちは違った。


 経験を積ませるための副将。それはいい。


 ただ、その練習試合の相手が全国に行くほどの強豪校で、本来であれば大将で出るはずの選手が調子を整えることを理由に副将で出てきたことが問題だった。


 中学生の頃は本気を出さないように戦っていた。あまり本気になり過ぎると剣術が出てしまう気がしていたから。


 だから、高校生になって期待していた。強い相手がいる。強い相手なら、本気を出しても大丈夫だと。


 だが、いざ試合となり向かい合ってみたら――思いの外に、大したことは無かった。


 じいちゃんから感じていた威圧感も無ければ、恐怖も無い。


 動きは鈍くて剣筋も丸見えで隙だらけ。そのせいで、俺も自然と体が動いてしまった。


 高校生から解禁される唯一の技――突きを。ほんの少しだけ、本気で打ってしまった。


 相手は吹き飛び、動かなくなってそのまま試合終了。


 一年相手だから油断していたのもあるだろう。怪我は無かったが、その選手はその練習試合をきっかけに引退したと人伝に聞いた。


 誰しもが俺のせいでは無いと言った。油断していたほうが悪い、と。受け身は取れたはずだ、と。


 それでも、俺の心の中では確実に何かが変わってしまった。


 竹刀は振れる。だが、勝利は目指せない。勝つための、倒すための刀が振れなくなった。それでも俺が副将に居続けたのは、負けないから。誰が相手でもこの反射神経と動体視力によって一本も取られることが無かったから。


 ついぞ負けることも勝つこともなく、そして、この異世界へとやってきた。


 つまり――トラウマというのは案外言葉の一つで克服できるくらい、容易いものだったりもする――ということだ。




「ふぅ……型ばっかやってたせいで少し鈍ってるな」


「動きが止まったにゃ! さすがフドーにゃ!」


「いや、俺よりも二人だ。待たせて悪かったな」


「いえ、私達は大丈夫です。そもそもフドーさんが居なかったら絶対に殺されていたわけですから」


 結果論で語ればそうだろうが、実際に二人でここまで辿り着けばどうなっていたかはわからない。


「にゃっ!? フドー! ヨミ! 離れるにゃ!」


 ネイルの言葉と視線に、倒れた鎧騎士を見ればもぞもぞと蠢き――地面を這うようにバラバラの三体が一か所に集まった。


「……ありがちな展開だな」


 三体が合体して三メートル以上の巨大な鎧騎士になったが、図体がデカくなったせいで剣が不釣り合いになったな。


「にゃっははっ!」


「ネイル。奴のレベルは?」


「四十二にゃ!」


 高いな。興奮するわけだ。


「合体も伊達じゃないか。ここからは俺も手を貸そう」


「待ってください二人とも。攻撃力と防御力を付与しますので」


 そう言って本に手を翳したヨミの横で、待ち切れないネイルが駆け出したのだが――それは措いといて。


「……付与、されてるか?」


「フドーさん、は……どうやら、付与されていませんね」


 だろうな。何も感じなかった。


 視線を交わしてお互いに首を傾げていれば「ふにゃっ!」と間抜けな声を出しながら吹き飛んできたネイルが、その衝撃で地面を抉った。


「無事か? ネイル」


「全然平気にゃ!」


 ということは、俺にだけ攻撃力も防御力も付与されていない、と。


 相も変わらずハードモードか。まぁ、攻撃に当たりさえしなければいいだけだ。


「そんじゃあ、俺も行くとしよう」


「ですが――」


「大丈夫だ。そう簡単に、俺に攻撃は当たらない」


「……わかりました。私も後衛としてサポートしますので。お気をつけて」


 さて――絶賛突っ込み中のネイルの拳を受けても倒れない鎧騎士を見るに、どうやら《大物喰らい》が正確に発動していないらしい。レベル差があり過ぎて扱い切れていないのか、そもそも俺の知らない条件でも存在しているのか。


 とりあえず、これだけ体格の差があれば構えても意味は無い。


 蜘蛛の牙を肩に担ぎ、鎧騎士の間合いに入れば意識がこちらに向いた。


 不動流の真髄は『不動ふごかず』――ややこしい言い方をしているが要は脱力だ。どんな構えからでも脱力と緊張を上手く扱えれば、切れ味は存分に発揮できる。


「フドー! 気を付けるにゃ!」


「言われなくても」振られた拳を避けて、その腕に蜘蛛の牙を振り下ろした。「っ――硬いな」


 脱力からの緊張はさっきの地の型と同じだったのだが、どうやら合体したことで硬度を増したらしい。


 何がマズいかと言えば、目の前の鎧騎士よりも弱い大蜘蛛の牙では、弾かれる度に刃物としての機能を失っていくということだ。


「にゃっ!? 気付いたんにゃけど、この鎧どう倒せばいいんにゃっ!?」


 確かに。


 鎧騎士は三体の意思をそのまま継いでいるのか、右腕では俺のことを狙っているが、それ以外はネイルのほうを向いている。器用だな。


 三体に分かれていた時は同時に倒すことが出来たわけだが、一体になった今はどう倒す? 操っている者のいない単独のモンスターだと考えるのならば、やはり弱点となる核があると睨むが……如何だろうか。


 まぁ、試してみるしかないな。


「ヨミ、奴の動きを止められるか?」


「やってみますが、おそらく数秒が限界です」


「それでいい。ネイル! 俺が奴のバランスを崩す! その隙に目一杯のを叩き込んでやれ!」


「任せるにゃ!」


「そんじゃあ、不動流――」


 変則の脇構え。片手で刀を握り、切っ先を地面に着けて脱力をする。速さに特化した型の一つ。


「止めますっ!」


 すると、鎧騎士の足元から生えてきた太い蔓が脚から腕へと絡み付いた。が、すぐにブチブチと引き千切れる音が聞こえてきたのを合図に一歩を踏み出した。


「――地の型」


 踏み込んだ足から上半身に力が伝わり――振り上げた蜘蛛の牙で鎧騎士の片脚を斬り飛ばした。


 ……一撃で蜘蛛の牙が折れた。


 剣術家と言えども、さすがに耐久値まではわからない。


「退くにゃ! フドー!」


 その言葉に反応するよりも先に、ネイルの拳が鎧騎士の体をバラバラに引き裂いた。そして、崩れ落ちてくる破片を避けながら、核になりそうな一部を探す。


 そもそも三体が合体にした時に存在していなかった物はないはずだ。つまり、あるとすれば――


「これか」


 円形の紋様が入った鎧の欠片に折れた蜘蛛の牙の残った部分を突き刺せば、蠢いていたバラバラの鎧が地面に転がった。


「……倒し、ましたか?」


「……みたい、だな」


「やったにゃ! 有限回廊踏破にゃ!」


 無事に、とは言い難いが。


 ネイルは切り傷から血を流しながら大の字で倒れ込み、ヨミは疲労から座り込んで肩で息をしている。俺は無傷だが唯一の武器を失った。


「回復魔法とか薬とか無いのか?」


「あります。フドーさん、すみませんがこれをネイルに」


 差し出された小瓶を手に、寝転んでいるネイルに歩み寄る。


 液状ってことは飲み薬か。


「ほら、ネイル。口開けろ」


 開かれた口の中に蓋を開けた小瓶の中身を流し込んだ。


「んっ――にゃ~……苦いにゃ」


 良薬は口に苦し、かどうかはわからないが、ネイルの顔色が一気に良くなった。


 動けない二人の代わりに出来ることをやっておこう。


「ヨミ、鎧騎士の破片だ。食わせるんだろ?」


「はい。ありがとうございます」


 落ちていた小さな欠片をいくつか投げれば、現れた本が直接口で受け止めていた。


 さて――ここは二十九階で、ネイルとヨミの予想では鎧騎士がラスボスだったわけだが、倒したところでアイテムやら宝箱が出てくるわけでは無い、と。


「鎧騎士の使っていた両刃の剣……まぁ、無いよりはマシか」


 さすがに両刃の剣は肩に担げないから引き摺ることになるが、仕方が無い。


「ネイル、フドーさん、おそらく次の階に行けばあとは降りるだけです。ここで回復を待つよりも進んでしまいましょう」


「それはいいが……動けるのか?」


「ヨミはボクが背負うにゃ!」


 背負われたヨミは不服そうだが満更でも無さそうだ。さっきまで生きるか死ぬかってところだったのに、仲睦まじくて平和だな。


「じゃあ、まずは階段を探すか」


 戦いの後――怪我は無いが疲労はある。


 ベッドで眠りたい……家のベッドで泥のように眠りたい。思い返せば引退式で一通り剣道をやってから異世界転移したせいで、それから一度もまともに寝ていない。


 武士は食わねど高楊枝。空腹は耐えられる。しかし、眠いものは眠い。いつになったら落ち着いて眠れるのか――まだ、もう少し先かな。

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