キングダム・バルカ〜秦に悪夢をもたらした男〜

@kisiro

第1話

燦々と輝く陽の下で一人の少年が馬を走らせている。

  年のほどは十二、三程度だろうか。

  身なりは下男が着込むそれとあまり大差ない貧しいものだがまくった袖から見える腕はたくましく、まだ髭が生えていない顔は精悍でどこか武人を彷彿とさせる。


  だが、この少年 白嬰はくえいは商人の子である。

  本拠は周にありながらも、 幼い頃から旅好きで商売熱心な父に伴われ数々の国を旅して回った。

  今日も父の商売に同行し戦国七雄の一角を担う韓を訪れていた。


  では何故父と共に商売に勤しんでいるはずの少年が地元の人達ですらめったに通らない閑散とした街道を一人爆走しているかというとそれには深い理由わけがあった。


  一言で言うと拗すているのだ。

 それも尋常ではなく。

 話は四刻ほど前に遡る。


   

 

  韓の都での商談を終え巨額とまでは言えぬまでもそこそこの利益を得ることができた白嬰とその父 白圭はくけいはホクホク顔で町を歩いていた。


  韓は秦、楚、魏、西周など大小さまざまな国と国境を接しており人の行き来と物流が盛んで自然町には活気があふれている。

 

  商談を終えたとき昼を過ぎていたので目抜き通りの市はもうすでにほとんど片付けられていたが、品を市に出しに来た商人や地元の農夫を相手にした飯屋や立ち飲み屋は未だ店を広げていた。



  今日の仕事を終えた人たちは老若男女問わず路上に出された木製の卓を囲み何やら冗談を交えつつ酒を酌み交わし、酒のあてにと並べられた皿からはもくもくと湯気が立ち、複雑に煮込まれた汁やら本能に直接訴えかけてくるような焼けた肉の匂いやらが溢れ出している。

  町が醸し出す心地の良い喧騒けんそうに耳を浸していた白嬰は不意に空腹を覚えた。

  そういえば今日はいろいろバタバタしていて朝餉を食べていなかった。


 

  「なあ親父おやじ、俺たちもここで何か食べていかねぇか?」


  旅籠はたごへ戻るまで我慢するつもりだったが耐えられそうにないため白嬰より少し前を歩いていた白圭にそう呼びかけた。


  「そうだな、そういえば腹も減ってるしここらへんで食べていくか。」


  そう言って、二人はどこか適当な店に入ろうとしたその時前方から砂埃をあげ自分達の方へ走ってくる人影が見えた。

 

 

  その人影は白嬰らに近づくにつれて、はっきりとした輪郭を表し姿が浮き彫りになっていく。

 

  これでもかと存在を主張する瞼からギョロッと飛び出た眼球にぷっくらと膨らんだ腹。

  肩から腕にかけてゴツゴツとした筋肉が盛り上がっており首が埋もれてしまっていて、顎には豊かな髭を八の字に蓄えている。


  「白圭殿、一大事ですじゃ」

 

  「おう、茶房ちゃぼうどうした?」


  お前のカミさんと喧嘩でもしたのか、という軽口にも反応せず深刻な面持ちで白圭に何やら耳打ちする。

  どうやら周りの人に聞かれたくない話のようだ。



  初めは飄々とした顔で聞いていた白圭も次第に顔がこわばっていき突然一目散に駆け出した。

  「待ってくださいなのじゃ白圭殿」

  茶房も少し遅れてついていく。

 

  何やら事情はわからないが自分も遅れまいと走り出そうとした白嬰に突如袋が飛んで来た。

  慌ててそれを受け止めるも皿の形を作った手が地面の方へと引っ張られる。

  袋はずっしりと重い。

  どうやら中には相当数の銅貨が入っているらしい。

  これで人を殴ったりしたら死にはしなくとも大変なことになるだろう。

 

  「えい!金貨それで何かうまいものでも喰って買い物でもしたら先に旅籠に戻ってろ」

  「何でだよ?俺もい…」

  「ダメだ、じっとしていろ。事情は後で話す。」

  そう言って白圭と茶房の姿は人ごみの中へと溶け消えていった。

  頬を膨らませて不機嫌そうにぽつんと佇たたずむ少年一人を残して。









  「まったく親父め。」

  白嬰は馬上で揺れつつ先ほどまでのことを思い返し、そう毒づいた。

  無論、聡明そうめいな少年である白嬰には何が起きたのか、何が起きようとしているのか大方見当はついていた。

  もし自分が考えていることが真実ほんとうならば親父が自分を置いていったのもあの仕事をやらせる為だったと納得できる。

  いや、茶房の先ほどの慌てぶりを見る限り自分の推測は当たっているのだろう。


  だが、納得はいってもやはり置き去りにされたのは面白くない。

  胸にくすぶった刺々しい感情を搔かき消すように二度三度大きく深呼吸する。

  その際に細めた目に雲ひとつない青空が吸い込まれていく。

 

  「こりゃあ嵐が来るな。」


  何かが彼にそう呟かせた。

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