第一章

第一話 女だが男として高校球児になる件

千河守せんかわ まもるさん、君の実力なら合格だよ。ちなみにこれ、ウチの制服なんだけど今試着してくれないかな?」


 面接官の男がささやきながら、守自慢のロングヘアに指を絡ませ、そして腰に手を当てた瞬間――彼女はその男にを喰らわせたのだ。


 会心の一撃――男は膝から崩れ落ちた。

 その場でうずくまる男の姿を見て、守は我に返った。


 ……今は西京女学院さいきょうじょがくいん、女子野球部の特待生面接の最中。

 そして今、無様に丸まっている男は、女子野球部監督である。

 やっちまった……守は自分の行動を悔いたが、時すでに遅し。即刻退場を言い渡されたのだった。


 ――数日後、守はリビングで西京から届いた不合格通知を見つめていた。

 背中に嫌な汗が流れる。ヒーターのそばにいるせいではないだろう。


 西京の面接以降、他校の面接試験は全て、一方的にキャンセルを言い渡されていた。

 それまでのラブコールが嘘の様に消え去ってしまった。

 おそらく、あのバーコードハゲ――西京の監督の仕業だろう。

 さすが西京、他校への発信力が高いのだろう。


 推薦が取れないのは守にとって死活問題だった。

 彼女は野球推薦で高校進学を狙っていた為、全く勉強していなかったのだ。


 彼女は今、最終回、一点リードのツーアウト満塁でのピッチングよりずっと動揺している。

 地元の偏差値が低い学校なら入れるかもしれないが、そこに女子野球部はない。


 いまさら普通のJKライフを送るなんて考えられない。タピオカよりプロテインが飲みたい。

 守は頭を悩ませていた。


 突然家のインターホンが鳴り響いた。

 今は家に誰もいない。正直誰とも話したくない気分だったが、守は仕方なく応対した。


「はい千河です」


「こんにちは。明来高等学校めいらいこうとうがっこう、野球部監督の上杉うえすぎと申します。千河守さんのご自宅でよろしいでしょうか?」


 明来高校……聞いたことない学校だった。

 だが、今の守としては願ったり叶ったりの来客だった。

 守はドアを開けた。

 そこには赤いド派手なアロハシャツ、オールバックでグラサンをかけた季節感ゼロの男がいた。

 守は内心引いていた。


「はじめまして。監督の上杉です」

 

 上杉は名刺を差し出した。

 警戒しながらも守は名刺を受け取り、奥のリビングへ上杉を案内した。 


「早速ですが千河守さん。あなた、西京の監督に暴力を振るいましたね?」


 上杉は注いでもらったホットコーヒーに口をつけながら語りかけた。

 やはり話が広まっている。

 守はその事実を痛感し、脱力感に襲われた。


「はい。ですがそれは面接の時、学校の制服を今着ろって耳元で言われたんです。立派なセクハラですよ」


 守なりの主張だった。


「それは残念でしたね。ですが普通に断れば良かったと思いますが。マウンドにいる時野次られて、調子を崩したら野次のせいにしますか? 野次を飛ばした選手に暴力を振るいますか?」


 デリカシーのなさにカチンときたが、守は何も言えなかった。

 確かにマウンドでは何も言い訳はできない。

 ピッチャーとしての強い責任感を持っている守にとって、この指摘は耳が痛かった。


「その悔しさ、うちで発散しませんか。てかあなた、女子野球部はどこも入れませんよ。仮に一般入学しても、必ず入部を拒否られます。なぜなら高校女子野球連盟の理事は西京と仲良しですから」


 上杉はヤレヤレという感じで、両手を広げて見せた。


「え、私どこも入れないのですか」


「ええ、どこも入れません」


 即答だった。

 マジか、西京どんだけ最強なんだ……守は誰でも思いつくギャグを頭に浮かべた。心なしか一瞬だけ背中が寒かった。


 だが、どこの女子野球部にも入れない守を、なぜ上杉はスカウトしてくるのだろうか。


「それなら、なぜ明来さんは私を誘ってくださるのですか」


 守が疑問を投げかけた。


「簡単ですよ。私がスカウトしているのは、女子野球部じゃなくて、硬式野球部ですから」

 

「どういうことですか」


「ですから硬式野球部です。昔ながらの。そこで甲子園を目指して頂きたい。千河さんには男子生徒として入学し、高校球児になって頂きたいのです」


 守にビシッと指を刺しながら上杉は答えた。

 予想外の返しに守は驚きを隠しきれずにいた。


「マジですか」


「マジです」

 

 上杉はまっすぐ真剣な顔で守を見つめている。

 決して冗談を言っている様には感じられなかった。


 守はこの急展開に混乱しているが、同時に胸が熱くなっていた。きっとヒーターのせいではないだろう。


 甲子園で投げられるかもしれない。

 女というだけの理由で諦めていた夢を、実現できるかもしれないのだ。


「ちなみに私の方針で、髪型に指定は設けません。男子にみえる程度にさえして頂ければ大丈夫です」


「方針、ですか」


 守は肩の位置まで長い、自慢のキューティクルヘアーを触りながら話を聞いていた。


「ええ、私は野球人口の減少をとても問題視しています。体罰や髪型の強制、さらに女子は甲子園の夢さえ見られない理不尽さ。このままだと、子供の野球離れはより深刻になります。千河さん、私はね、この現状に革命を起こしたいんです!」


 上杉は目をギラギラさせている。


 「その為には千河さん、あなたの力が必要なんです」


 革命か、いい響きだ。

 自分が甲子園で投げるイメージがドンドン湧き、ブラバンの音が聞こえたような気がした。


「こちらが学校のパンフレットです。来年新設される学校で、施設も充実しております」


「新設校なんですか」


 守はパラパラとパンフレットをめくった。


「はい、ですので初代野球部員ということになりますね」


 守は新設校でスカウトとは珍しいなと思いながらも、悪い気はしなかった。

 男だと先輩からの無茶振りがあるものだと考えていたからだ。


「面接はありません。ご連絡だけ下さい。ぜひご両親とご検討下さい」


 上杉はコーヒーを飲み干し、席を立った。

 守は玄関までついて行った。


「ちなみにそのパンフレットには細工してあります。女子もズボンの制服としていますので、両親にもバレませんよ」 


 上杉は去り際に補足し、ドアを閉めた。


 上杉監督……怪しい男だったが、細部までの配慮が伝わってきた。

 今すぐ体を動かしたい。守はメラメラと燃えていた。


 ランニングウェアに着替え、ヒーターの電源を切り、外に出た。外は寒いはずだが体は暖かいままだ。


「今日はいつもの倍走ろう」


 守は走り出した。


 こうして守は、男子高校生として野球をする事になったのである。

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