マトリョーシカ・シンドローム
「ハニー、デザートは?」
「いらない」
拗ねた猫のようにベッドのなかに丸まったヴラスターリは全身を上布団にすっぽりと包まれた状態で弱弱しく言い返す。
出動かと思ったが、それは霧谷によってストップがかかった。
ストレンジャーが保護した一般人に扮したテロリストの襲撃は内々に処理を行う。ゆえにUGNは手出し無用。
オーヴァードがかかわる事件だが、ストレンジャーはUGNの介入を拒絶した。
だから待機。
不服なわけではないが、どうなったのか――UGNが得た、炎と倒れた黒崎をひきずる男の映像は、それだけでどんな地獄が行われたのかはわかる。
面目を潰されたストレンジャーは必ず、自分たちだけでユキサキの捕獲を目指すだろう。
けど、それはきっと無理。
結論が出た――ヴラスターリは何も言わずにベッドに入り、丸まった。
心配したヴァシリオスがわざわざ上布団の上から撫でて声をかけてきたがそれも拒絶していたが
「今ここにあるのに食べないつもりか?」
「……ベッドで食べていいの?」
ベッドは二人きりの空間だ。
食べ物はもちろん、飲み物もだめだし、寝る前はお風呂にはいってからじゃないとベッドのなかにはいることだって許してくれない。それくらい特別で大切な聖地としてヴァシリオスは寝室にいくつものルールを設けた。すでに一つ破いているのにもう一つ破いていいなんて。
「かまわない」
その言葉にヴラスターリは起き上がる。
「デザート!」
ベッドの端に腰かけたヴァシリオスの持っている丸い皿の上――きらきらと輝く金色の大学芋とバニラアイス。
「……おいしそう」
ごくりと喉が鳴る。
「少し、機嫌がよくなったかい?」
こくんとヴラスターリは頷いた。
「けど、ここじゃだめ。リビングに行きましょう」
ヴラスターリはのろのろと起き上がる。
そうするとヴァシリオスが腕の中に抱えてくれた。二人して見つめあい、のろのろとリビングに向かう。
ソファに座り、スプーンでバニラアイスをすくう。あたたかい大学芋とあわさると、舌のうえで濃厚な甘さがとろける。
「おいしい」
ヴラスターリの濡れた唇にヴァシリオスの唇が触れる。舌で嘗めて、軽く噛まれる。じゃれあうとくすぐったい。
くすくすと笑っていると、ヴァシリオスが目を細めた。
「ユキサキとは誰なんだ」
「……元、仲間」
すばらしいタイミング。さすがヴァシリオスだ。
「それは」
「イクソスの」
ヴラスターリは深いため息をついた。
「一番はじめの仲間であり、相棒よ。
はじめてオーヴァードが生まれたとき、各国はその超人を欲しがった。そうして特別部隊を編成したの。映画とかでよくあるヒーロー集団みたいなね。イクソスはその部隊の隊長だった。けど、当時のオーヴァードたちは今以上に一人では不完全な存在だった、精神的にも、肉体的にもね。だからバディ制にした、必ず二人でバランスをとる。イクソスの相手はユキサキだった」
覚えている。彼のことを。
「ユキサキは強かった。とても強い白兵戦のスペシャリストで、イクソスは常に彼に支えられた。精神的にも彼はいつも余裕があって、重要な作戦を決めてもらっていたわ。イクソスは隊長として強く存在できたのは彼がいたから」
体を擦り寄せると、そっと抱きしめられた。
ぬくもりに涙が出そうだ。
「けど、ユキサキは裏切った。そのせいでイクソスの部隊は全滅した……あのとき、イクソスはユキサキを殺せなかった。
どうしても殺せなかった」
「バディだから?」
「そう、心の支えであり、自分の半身だったから」
ユキサキの裏切り。
イクソスの失敗。
人を殺すことを楽しいと思うような男だが、この世界に自分だけが――オーヴァードである存在が自分一人になる可能性に躊躇い、手を下すことができなかった。
脳裏に浮かぶ、二つの光景。これは自分の体験したものではないのにありありと浮かんで、沈み、感情が揺さぶられる。
ユキサキのことを恨んでいる、同時に生きていたことにほっとしている。
彼が次になにをするのか、どういう手に出るのかわかる。
だって相棒だったから。
「あいつはたぶん遊ぶわ……あいつの目的はストレンジャーを自分一人で壊滅させること、じゃなきゃ、わざわざこんなことはしない。どうせ黒崎を餌にストレンジャーをおびき寄せるわ」
「なぜストレンジャーなんだ。もし力の誇示が目的なら軍を相手のほうが効率がいい」
当然の疑問。
けれど答えは明白。
「ストレンジャーはオーヴァード戦のプロだから。この日本においてオーヴァードとまともに戦える一般人はストレンジャーしかいない。経験、武装にしても、一番ね。それを倒すことがどういう意味かわかる? 敵はいないと示したいのよ。
十二人の刺客は彼をストレンジャーの目から隠すための隠れみのだった」
たった一人がオーヴァードとばれないように十二人の刺客たちは各々、好き勝手に暴れた。
殺戮に混乱する現場では一人のオーヴァードが人のふりをしてもばれない。
今の時代では隠れるオーヴァードを発見するのは同胞によるレネゲイドウィルス感知、または機械の測定のどちらかだ。この乱れに乱れたレネゲイドウィルスの散乱した街ではどちらも役に立たない。
ユキサキはまんまと一般人のふりをして保護され、ストレンジャーの本部にやってきた。そこでどれだけの人間たちを殺し、逃げたのか。
ストレンジャーたちが怒り狂い復讐に走る程度には、国家の威信をかけるほどには泥を塗ったのだろう。
「そうして国に戦争じみたことをしかけて、彼はどうするつもりなんだ」
「国を黙らせたらあとはUGNでしょうね。霧谷雄吾の暗殺、それは嘘じゃない。ただ彼はそれを行うにあたり、自分たちオーヴァードの存在を大々的に示すことにしたのよ
いいえ、正確にはオーヴァードでありながら、オーヴァードではない、実験体たちを」
「それは……俺と同じ」
ヴァシリオスの言葉にヴラスターリは顔をあげた。
「違うわ。マスターレギオンは平等を望んで」
「そして大勢を巻き込んで不幸にした」
そっと両手で頬をすくいあげられる。
「戦争で使い捨てられる自分たちを救いたかった。けれどそのために大勢の人を不幸にして犠牲にしてきた」
「……」
「それは許されないことだ。理由をつけて他者の命を踏みにじることは」
「キスして」
もう聞きたくなかった。
だから口を塞いでほしかった。
ささやかな願いを叶えられ、キスが落ちてきた。
人でありながらバケモノになった。
その不幸を利用され、怒りと悲しみを抱えて、どこにそれを嘆けばいいのか。叫べばいいのかわからず迷っていた。
迷い続けてきた魂が確かにある。
自分たちは彼らの犠牲から出来た血塗られた道を、生きているのだ。
大勢が死に、傷ついてようやく理解と居場所を作ったこの世界であがきつづけた。
今日殺された十二人の刺客たちも元はただの人だった。ただ不幸にも覚醒し、心を狂わせて、それでも利用されて生きてきたバケモノたち。
すでに名も戸籍も消されてしまっているバケモノたち。
ユキサキはそれを利用した。
自分も同じ穴のムジナで、彼らの孤独や怒り、どうしようもない狂いを知っているくせに。
キスが深まる。舌が交わって、貪られると苦しくなってきた。そっと体を離そうとして引き寄せられた。
さんざん味わって、ようやく解放される。
見つめあう。
どうしようもない絶望を知る瞳と。
「俺は大勢を傷つけた」
「ええ」
その分、誰かの希望であろうとした。
この世界はよく出来ている。
希望を抱けばそれだけ絶望が差し出される。
そうしてバランスをとっているのだ。
誰かを救えば、そのぶんだけ誰かを犠牲にする、自分は誰かを呪う。
そうせずにはいられない。
大勢の希望を背負って、潰れたヴァシリオスが一番よくわかっているのだ。探し続けてもない希望に、生かされる苦しみに、呪うことでしかバランスをとれない自分に。
「いずれ、その恨みや憎悪を受けるときがくる」
「……そのときは、私がその相手を殺すわ」
「ヴラスターリ」
諭すようにヴァシリオスは声をかけてくる。
「それだと尽きない。ずっと誰かが不幸なままだ」
「あなたを失って、私は狂ってしまうわよ。ジャームになっていろんな人を殺しまわるわよ? それでいいの」
「……そんな風にならないでほしい、というのはエゴだな」
「わかってるじゃない」
ヴラスターリは微笑むとヴァシリオスは目を眇めた。なにもかもどうしていいのかわからないといいたげに。
「この世界はそうして連鎖していくのだということはわかっている。君が、もうなにも諦めなくていいと口にしてくれた、そのときからずっと考えている。もし諦めなくてもいいなら、ここでずっとこうしていたい、けれどいつかは失くした者たちに詫びたい、この世を平等にしたい」
「高望みばかりね」
優しいなじり。
「けど、誰かがそう願って動かなければこの世界はきっと変わらないままだもの。この世界はこうあるように変わる努力をして、必死に動き続けて、犠牲を強いられた人々によってできているんだもの」
けれどヴァシリオスがそうなる必要なんてないはずだ。
誰かが世界のために犠牲になるなら、それは自分の大切な人じゃなくていいはずだと誰だって思ってる。
平等とはそういうことだ。誰にも可能性があり、誰かの大切な人が犠牲となる。
世界は意地が悪い。
「霧谷を守るわ、そしてユキサキを始末する」
「君が戦うのはあまり見たくない」
「好きなくせに」
頬を撫でられたのに言い返す。
「私の戦う姿、好きでしょう、あなた」
「その瞳が、とても強くて、見つめられるとかきたてられることは否定しない」
再び、ヴァシリオスの瞳と視線が合った。今度は愛しいと告げているまなざし。
「まるで、空の色のようで」
「空?」
「故郷の空を思い出す」
しみじみと思い出す憧憬の瞳にヴラスターリは興味を抱いて聞き返した。
「あなたの?」
「ああ」
「どんなところ」
「海があって、穏やかで、けれど陽気で頑固な人々が多い。そんなところだ」
「……見てみたいわ」
「いつか、いや、全部終わったら見に行こう」
手をとって、指を絡めて、囁かれる。
「あなたの故郷を見れるのね、すてき」
腕のなかに抱えられてヴラスターリは小首を傾げると、髪の毛を撫でられ、そっと首筋にキスが落とされた。このまま気持ちよくまどろめるのだろうかと思ったとき、不躾にスマートフォンが鳴った。
予想していた連絡にヴラスターリは片手を伸ばした。
『今すぐに送ったメールの動画サイトを見ろ。奴め、宣戦布告してきたぞ』
高見の苛立ちと困惑の声は簡単に絶望を与えてくれた。
『あーあー、テスト、テスト。いやー、テレビ中継ってこれでいいの? 最近はいいよね、ちょっと機械あるとすぐに放送できるんだから』
メディアジャック。
そういえば感電死していた刺客はこの街のデータを抜き取った痕跡があったというが――下準備をしていたのか。
すべてこのときのためにユキサキが指示を飛ばして、彼らはそれを遂行した。
画面にいる男の顔を睨みつける。
自分の記憶よりも幾分年取った男はそれでもふてぶてしい。背後はアスファルトだけで、場所の特定はできない。音らしい音もユキサキの声以外――小さな吐息ぐらいしか聞こえてこない。
場所を掴ませないための隠蔽をしている。
『君たちの隊長はここだよ』
壁につるされた黒崎。その足に突き刺さった針――あれで血をずっと抜いているのだ。
そのうえよく見れば、腹をかっさばかれている。内臓を再生するたびに取り出して潰しているのだ。
死なないオーヴァードにはもってこいの拷問と捕獲方法だ。
『明日、僕は始末しそびれた霧谷雄吾の暗殺をしようと思うんだ。現在霧谷雄吾、君がいるの場所はわかってる。
と、言いたいんだけどもうまく隠れてしまったねぇ。困ったこまった。
だからさ、ちょっと遊ぼう。
僕は明日の昼間にUGNの本部にいって情報を入手する。それを阻止して、僕を捕まえたら君たちの勝ち。この隠れ家のことも話してあげよう。
ただし僕が情報を入手して逃げだしたらこちらの勝ち。黒崎はそうだね、殺しはしないけど返すのは今度かなー。どうだい、ストレンジャー、そしてオーヴァード諸君、がんばって阻止してくれ。ん、ああ、手に入れる情報がなんなのかって、それを言うと隠れちゃいそうだからいわなーい。じゃあね、がんばって』
ふざけた動画はすぐに切れた。きっとブラック・ドックたちは急いで画像解析などをするだろうが、それが果たして明日までに間に合うだろうか。
結論。きっと無理。
「本部というのは、今日爆破があった」
「ええ、けど、あんなところに行ってなにを……今、あそこは人はいないのよね?」
「ああ、そのはずだが」
「まるで誘われてるみたい」
ヴラスターリは疲れたため息をついた。
けれどこれでストレンジャーは動く。動くしかなくなった。そしてUGNも。
みんなユキサキに誘われて、戦いに出る。そうなってしまった。
明日、また殺し合う。きっと大勢が死ぬ。そんな予感がする。たった一人のオーヴァードのせいで愛した日常が殺されていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます