カルナバル ヴラスターリ
狙撃手というのは戦いになれば一番死ぬ確率が高い。
理由は簡単だ。捕虜に出来ない。それに尽きる。
味方を隠れてこそこそと撃ち殺した相手をわざわざ捕虜にしたいという者はほぼいない。結局命のやりとりを行えばそこに残るのは純粋な気持ちだけだ。
狙撃手は常に移動と警戒を行う。
同じところで撃つことはそれだけ命が縮むことを意味する。
撃てばすぐに場所を変える。見つかったとわかればすぐに逃げる判断を行う。
オーヴァードの狙撃者は、そういう戦場の常識がやや欠けていることがある。
彼らは超人として、能力を得ているから人よりもずっと優れているのにときどき子供でもしないようなミスを犯す。今回のスコープの輝き、あんなのでは見つけくれといっているようなものだ。距離があいているから見つからないと思ったのか。それに――場所を特定したヴラスターリは恐ろしいスピードで駆け出し、車や人を無視し、さらには障害物も足場に変えて短距離での接近を試みる。
もともとオリジナルのイクソスは狙撃者だった。彼はそのおかげで大勢を殺し、大勢から命を狙われた。けれども生き残った。
それだけの殺しの技術を持っていたイクソスの強味は狙撃のための風を読む力もさることながら、パルクールを取得して足場さえ確保できればどこでも移動することができるということだ。
現にヴラスターリは狙撃手のいるビルまで来ると、階段ではなく、壁に手をついて駆けあがり、一階の窓まで登り切るとそこをさらに足場にして二階、三階と腕と足の力だけで登りきってみせた。息はあがるが、霧谷が行った肉体能力向上の支援はまだ生きている内に潰したい。
「アリオン」
「はいはい! マスター」
待ってましたと元気な返事。
「私のために靴になって!」
「いいですよ。とびっきりの靴になりましょう!」
髪飾りであったアリオンの形がぐにゃり、と歪み、そのまま黒い液体状となって肌を這い進み、足に絡み、ひんやりと包んでいく。
「んっ」
今履いている靴を砂のように溶かし、かわりに自分の足には黒い靴――アリオンが形を変えた姿だ。
相棒であるアリオンは危険であれば守ってくれるし、武器としても手を貸してくれる。現に今もアリオンがサポートしてくれるおかげで、足は翼を得たように軽く、楽になった。
目星をつけた六階に来ると息を深く吸い込み、窓に手をかけて体を大きく揺らして蹴り破る。
先に作り出して背中にしょっていた黒い銃剣を構えて室内を見たヴラスターリはぎょっとした。
血の海に倒れて泡を吹いた肉の塊とその前にたたずむ、褐色の男――女が見れば十人中九人はうっとりとするほどに美しく、冷ややかな金瞳。織り込まれた絹の服はどこかの民族衣装のようにも見えるが、鮮やかな赤と黒の見事なものだ。こんな廃墟ビルのなかでなければどこかの国の王族と言われても違和感がない。
人ではない。
見た瞬間に心臓がいやな音をたてはじめた。
早く脈打ち、息があがる。
怖い、反射的に思う。
「マスター、あいつ、やばいっすよ」
アリオンが警戒した声を発する。言われなくてもわかる。こいつはとびっきりのバケモノだ。
「……控えろ、人間」
所詮、言葉。
ただの言葉。
けれど、気が付いたとき、ヴラスターリは両膝をついて頭をさげていた。
逆らおうにも体が言うことを聞かない。
あ、ああ。
口から声が漏れる。
奥歯を噛みしめ、床を睨みつけるだけの自由。それしか許されない。
自分の全身の血、肉、魂、そしてレネゲイドウィルスが逆らえない。
言葉を使い、このバケモノは自分のすべてに干渉している。
静かな足音が、まるで死を告げる死神の鎌の音に聞こえる。
こつん、と前で止まった。
視界に金の靴が見える。
冷や汗が背中から噴き出し、震えが走った。
殺される。
はっきりと力の差と格の違いを理解する。
「マスターに」
アリオンが低い声を放つ。
「マスターに手を出したら自分がアンタを殺しますよ」
足から声がするのにヴラスターリは呼吸の方法を思い出した。
アリオン、ここにいる。自分を守ろうとしてくれている。けど、アリオンが戦う? 彼は基本的に己の姿を変えることを嫌っている。
一度だけ目にしたが本来の姿である黒馬は美しく、逞しかった。神話やとある遺産に関わることから彼は自分の姿をさらすことをよしとしない。いくら協力してくれているアリオンも、ただではすまないと理解すれば割り切って捨ておくかもしれない。
レネゲイドビーイングとはそういうものだ。
--くす
笑う気配がした。
「同胞よ、人を守って砂に帰するか」
「……アンタと自分は同胞じゃないと思いますよ。自分は好きでこの人といて、この人を守ってる。アンタは殺してる」
アリオンは淡々と言い返す。足から冷たい気配が消えていくのにヴラスターリは視線を巡らせると、黒い脚が見えた。
「あ」
ようやく一言出てきた。
視線が動いた。
すらりとした人の足――自分を守るように立つ背中。
黒いスーツ姿の若者-―これがアリオンが人型をとったものだと理解するのに時間がかかった。たぶん大勢の人間を見て、その形を組み合わせたらしい若い背中はしかし今まで見た誰よりも逞しく、頼りがいがある。
「自分じゃアンタに勝てないとは思いますけど、マスターは生き残れる」
「……そんなものを守るために命を差し出すか、あのときの銀の鴉のときといい、お前たちそれぞれに面白い成長をしたな」
うむ、とそれは語る。
「私も親としての情がないわけではない」
「親?」
「子がひどいめにあわせられたのだ。怒り狂ってそれを殺す、ぐらいは許されるだろう」
「……アンタは」
「なぁに、口実がほしかったのさ」
それはからからと鈴がなるように笑う。
「少しばかり暴れる理由がな。今回私たちは関わらない、否、私とあれは」
「あれっていうのは」
「ゼノスのプランナーだ。この件にゼノスたちは動かない。レネゲイドビーイングたちもな。この街で組織に属しているものはいたしかたないが、野にいる者は私の声を聞き、頭の一つもさげてこの阿呆騒ぎが終わるのを待っていることだろう」
アリオンがためらう気配がした。
「どういうことですか、それ」
「関わる気がないし、関わってはいけないからだ。まぁ私はあれの意向に従うのも癪であるし、少しばかり見ていたら我が子がいじめられているので手を出した、だけだ。実に親らしい態度だろう」
「先、暴れる理由がほしいって口にしてましたけど、じゃあ、自分とマスターのこと、見逃してくれますか」
「言伝をきちんと伝えるならば」
「それくらいなら約束しますよ」
アリオンはあっさりと承諾した。
「さっさと消えてください。あとマスターにかかった、これといてください」
何か甘い匂いがした、と思ったときようやく体の自由が戻ったヴラスターリはいきなり大量の息を吸い込んで、咳き込み、その場に崩れた。
「ごほ、ごほっ……っ、は、あああっ」
空気が肺に入りすぎて苦しい。
このままでは空気で窒息する。
「マスター!」
アリオンが慌ててヴラスターリを腕のなかに抱えた。
「マスター、しっかり、アンタな!」
「貴の願いを叶えただけだろう」
「普通の人間はいきなりそんなことされたら死んじゃうんですよ!」
怒り狂うアリオンの声が聞こえて、目を開けると、心配そうに自分のことを見つめる二十歳くらいの男がいた。艶やかな黒髪に、黒い瞳--いや、よく見ると紺色にも紫にも見える。朝焼けの瞳だ。どこか儚げさを感じる雰囲気の顔立ちについ笑ってしまった。
「アリオン、人になるといけ、めんじゃない?」
「マスターそんなこと言ってる場合ですかっ」
叱られた。
「もう、自分がウィルスを落ち着かせますから、少し、呼吸に意識を持って行ってくださいっ」
アリオンの形がぐにゃりと歪んで、黒い薔薇の髪飾りに戻ると、そこからあたたかいぬくもりに包まれる。
自分の興奮しているレネゲイドウィルスと同調をして、落ち着かせられているのがわかる。ようやく体と心が自分の支配下に戻ってきた。
「っ」
ヴラスターリはゆっくりと起き上がる。
「あなたは、FHの」
彼は唇に指をあてた。
黙れ、と言葉ではなく態度で告げられる。
「お前の欲望を引きずり出して、堕落させられたくなければな」
「っ」
唇を閉じる。
まだ死にたくはない、欲望に落ちるなんてもっといやだ。
「あとはお前たちの問題だ。勝手に楽しめ、この狂乱を」
伸ばされた腕に、抵抗する気力もなく、捕まる。
なにをするのだろう。
そう見て思ったときにはヴラスターリの視界は唐突に開けた。
あ、れ?
青い空、地上に並ぶビル群。
自分が先ほどまでいたビルが見える。
ああ、窓から放り出されたのだ。正確には投げ飛ばされたと遅まきに理解する。
嘘でしょう?
引力に従いながら落ちていくヴラスターリは悲鳴をあげることもできずにさかさまの街を睨みつける。
むちゃくちゃだ。本当に心から腹が立つくらい身勝手だ。
こんなところに飛ばされてしまい、あとは好きにしろなんて神様にしてもあまりにも理不尽だ。
怒りがようやく恐怖に縮みあがった肉体を覚醒させる。
「い、いゃああああああああああああ」
このまま落ちたら死んでしまう。
「ヴァシリオス!」
彼を残して死ぬなんてごめんだ。まだしてないこともいっぱいあるのに。ああ、けれどごめん、ごめんなさい! 急激な落下に怒りと不安、彼のことを思って涙が滲んだ。
自分のウィルスを落ちつけるためにアリオンも今、まともに動けないのに、どうしろっていうんだ。これは
「ヴラスターリ!」
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