氷上の日常2
私も飲みたいなどと言い始めた戸口とともに地上に戻ると贅沢なことに貸し切り状態の店のなか、一番眺めがいい席につくことになった。
おすすめは香りのよいモカ。ケーキはクリームたっぷりのシフォンケーキ。
ふんわりとした甘さ控えめのケーキは、珈琲の苦味によくあう。
それをメイド服の高見、住原、井草、白衣の戸口と囲む。
「高見さんのケーキ、おいしい」
「ほんと」
「褒めるがいい。私のケーキは世界一だ」
この店のケーキはすべて高見のお手製だという。本当にすごい。
いや、ヴァシリオスの作ってくれるごはんだって負けてはいない。あのごはんを食べてから栄養食ゼリーで物足りなくなってしまった。ああ、思い出すと彼のご飯が恋しい。
「マスター、また考えるでしょ。あいつのこと」
「う……あの、みんな、ここでケーキ食べていいの?」
彼のことを話題にされると分が悪いので、悪あがきで別のことを口にする。
「新しいサービスですよ、サービス」
「そうそう、メイドさんと食べるケーキなんてよくないですか? 支部長」
軽口を叩く井草と真剣に提案する住原。
「馬鹿者。そんなサービスあるか。そんなことしたらさぼるだけだろうお前たち……今は店に休憩を出しているからいいんだ。プライベートは好きにするぞ」
高見は珈琲を飲みながら言い返す。
「店主はこういうとき一番えらいんだ」
「それで、ヴラスターリさん、最近どうです?」
井草が真剣な顔で話題がふるのに目をぱちくりさせる。
最近、どう、とはどういうことだろう。体調? 仕事について?
「旦那さんと」
住原が横から身を乗り出して迫ってきた。
「ふぁ! だんなさん? だれが、だれのっ」
思わず動きを止めて変な声が出てしまった。
「誰って、ヴァシリオスさんですよー。いちゃいちゃしてます?」
「もうでろでろー?」
二人して何を言い出すのだ。
「お前たち! ヴラスターリすまないな」
「いえ」
高見が止めてくれたのに、ほっとしたのもつかの間
「で、Cまでやったのか」
ごふっ、と珈琲を吹いた。
まさか、高見あなたまで。顔色一つ変えずに聞いてくるとは。それにCってなんだ。Cって!
「その聞き方は古いよ~、高見ぃ~。こういうときは、彼とえっちちまでいったのかって聞かなきゃ~。最近の子たちはさー、肉体交渉をそういうらしいよ。えっちち~」
「うむ。そうか、しかし、その言い方はわかりづらいな。もういっそ肉体的な相性はどうかと聞いたほうがいいのか」
ごぶっ、ごふっ。
何言いだす、こいつら。
井草と住原が赤面しつつもにやにやと好奇心いっぱいに見つめるのにヴラスターリはたじろいだ。
「なんだい、先ほど、だんなさまからの連絡にとろけていたのは君だろう?」
「連絡ですか。過保護ですね!」
「らぶらぶ~。え、愛してるとか言ってるの? 欧米だもんね」
「欧米だからキスをいつもしているの?」
「いやもっとすごい強烈なこともしてるのかもよ~」
なんでそんなにも興味深々なの。
「だって、ほら、あんなもの見せつけられたし」
と井草。
「そうですよ。戦いが終わってマスターレギオンが動かなくなったと思ったら、いきなりヴラスターリさんが駆け寄っていってキスしたときはびっくりしましたし、そのあとのやばいのに襲われて瀕死になったヴラスターリさんを抱えてあの人逃げたときはもっとびびったし」
「本当にな。支部長として君が敵である男と何かあると思い、説得したいというから時間を与えたが、まさかあんなことをするとは思わなかったぞ」
うんうん頷く住原の横で高見が冷ややかな視線を向けてくるのにヴラスターリは気まずさに縮こまった。
あのときはこれしかないと思って必死だったし、あとのことなんて何も考えていなかったというほうが正しい。
生き残って、冷静に振り返るとなんてことをしているんだ自分は、と本当に恥ずかしい。
「まぁ、すごい情熱ラブロマンスを見せつけられたからという理由だけではないが、彼をエージェントとして世話できたのは私としても鼻が高い。なので今現在の二人の報告をしてほしいのだよ」
「報告?」
「そうだ。で、今のところ、二人はどこまでいってるんだ。いちゃいちゃ自慢をしたまえよ」
「……高見、結局そこに落ち着くのねっ!」
あ、これ逃げられないやつだ。
ヴラスターリはため息をついたあと、迷いながらも口を開いた。
「私の片腕がなくなったから責任を感じてあれこれと世話をしてくれてはいるけど」
「世話ってぇ?」
横から戸口が楽しそうにつついてくる。
「えっと、ご飯を食べたりとか……着替えとか、お風呂とか」
「きゃー、お風呂! 一緒にはいるんですかぁ! やばいやばいやばい、そんなカップルいるんだ」
「着替えまで! 過保護! さすが欧米っ!」
井草が顔を真っ赤にして叫ぶし、住原が身を乗り出してくるのに顔から火が出そうだ。
「まだまだあるんだろう? さぁ白状しろ」
真顔であるが高見もなんとなく楽しそうだ。
「……いや、けど、それだけよ。それだけ……」
「本当に?」
井草がジト目で睨んでくる。どうしてそんなにもしつこいの?
「向こうから何か言われてないんですか? 恋人になろうとか、将来は結婚とか」
「……えっと」
「どうなんだ。支部長としてここにいるエージェントたちは私の部下、その部下のあれこれは知っておくべきだ」
「それ、ただ高見が興味あるだけでしょっ!」
「プロポーズされたじゃないですか。マスター」
アリオンが口をはさんできたのにヴラスターリは声にならない声で悲鳴をあげた。どうしてこういうタイミングでいらないことばかり言うの!
は、殺気。
八つの目に獲物のごとく睨まれている。
「ぜひとも聞きたいものだ」
氷の微笑みを浮かべる高見の威圧に負けて渋々と口を開く。
「……いろいろと終わって、二人でエージェントとして一緒にいる……許可を得た夜よ。彼が私のオリジナルの従者を消してくれたの」
「あぁ、あの強いやつ」
「あの片腕だけどむちゃくちゃ強いあいつ!」
井草と住原が顔を強張らせた。まるで天敵を見つめた猫のように渋い顔をしている。
無理もない、あれに二人とも瀕死まで追いつめられたのだ。
彼が持つ血で作られた従者のなかで最も強い――千人隊長の地位を持っていた片腕の従者。
常に彼の傍で敵を皆殺しにした、ヴラスターリのオリジナル。
彼が一番はじめに戦場で失った大切な人であり、血をすすり、従者とした相手。
はじまりの者。
イクソス・V。
マスターレギオン
死者を取り込み、力とする――死者から作られた従者たちは生前の能力をほぼそのまま持っているという特別製だ。
そのなかでも最も強く、ここにいる高見、井草、住原を瀕死に追い込んだのは片腕の従者だ。
マスターレギオンも危険であったが、オリジナルの――イクソスの強さは半端がなかった。
あれを退け、マスターレギオンの動きを止めて、説得出来たのは奇跡に近い。
UGNにエージェント登録をし、受理のメールが来た、その夜に、彼は徐に二人で住む部屋のリビングにオリジナルを出現させたのにヴラスターリはどきりとした。
何をするのだろうと見ていると血の従者はさらさらと音をたてて砂のように塵とした。
すべてから解放され、消えたのだ。
かわりに彼がうやうやしく自分の前に片膝をついた。まるで騎士がお姫様に誓いをたてるように。
これから一生涯、傍にいる、と。
それをプロポーズと言うのかはわからない。
オリジナルとヴァシリオスが互いにペアでもっていた天使の刻まれた二人のドックタグを潰して小さなリングにして、分け合った。
今は、左手の薬指に嵌めている。――みんな、これにつっこまないのはあまりにも露骨すぎて見逃しているようだ。
「それ結婚ですよね?」
「お式しなくちゃだめなやつー!」
「落ち着いたらするんだろう? 格安のところを探しておく」
「久々におめかししなくちゃな~」
四人の言葉にヴラスターリはゆでだこのように真っ赤になる。これは夏のせいだけではない。
「今はまだこの支部にいてもらっているが……そのうちどうするのか決めるのだろう? その前に結婚式とハネムーンは? 金がないとかいうなよ。うちはこれでも喫茶店の売り上げがよくてな、多少ならお祝い金も出せるぞ? いっそ、二人ともここの支部員になれ」
豪快な高見の言葉にヴラスターリは笑った。
もともとは世界をめぐるエージェントであるヴラスターリは一つのところに留まったりはしないが、その生活がよいものとも思ってはいない。
「私は本気だぞ。出来たら君には私のところにいてもらいたい」
「高見、それは」
「君と彼、二人ともうちで面倒みる。なにかあれば全力で守るし、支える」
つまりは、二人揃って、この支部の一員になれ、ということだ。
まっすぐに高見が告げる言葉にヴラスターリは小首を傾げた。
そこまで甘えていいのだろうか? 彼とのことでかなり迷惑をかけてしまっているのに。
思考するヴラスターリの意識を破ったのはちりりんと鈴の音とともにドアが開けられて涼しい室内に熱風が入り込んできたせいだ。
「誰だ、いま、うちはきゅうけ、リヴァイアサン!」
高見が立ち上がり玄関口に立つスーツ姿の男を見て声をあげた。
そのコードネームをこの日本で名乗っているのはたった一人。
ヴラスターリがちらりと視線を向けるとUGNの日本組織をまとめる霧谷雄吾が立っていた。思わず見間違いかと思ったが、穏やかだが、決して逸らすことのできない恐ろしいほどのカリスマ性を感じさせる微笑みは彼その人だとわかる。
「こんにちは。珈琲をいただけますか?」
「どうしてここに」
日本支部支部長という立場から考えられないほどにフットワークが軽く現場にも自ら進み出る男で、かなり多忙を極めている。
「私も、そろそろ定期健診の日なので」
「あ、ああそうか。しかし、日本支部でもできるんじゃないのか」
「ええ、それも考えたのですが……私が我儘も言ったので……メールしていたはずですが」
「メールを?」
困惑する高見に霧谷の視線を受けてヴラスターリは姿勢を正した。
彼がわざわざここに足を運んできたのは自分のためだ。
高見もそれを察したのか気遣う視線を向けるのに、ヴラスターリは小さく頷いた。ここで逃げてはいけない、ちゃんと向き合うべきだ。
「はぁーい、みなさん、ワタクシサマもいますよー、ゆうごー、はやいのデース」
元気な声とともに霧谷の後ろからひらりと現れたのは長い黒髪に女性もののスーツ、顔には――どくろの面をつけた女性だった。
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